37 秘事は睫 14
姉は外套を外すと椅子の背もたれにかけて自分のベッドに腰掛け無表情で男を見た。
「フェルデン」
久しぶりに自分を呼ぶ姉の声にフェルデンは緊張して背筋を伸ばすとさらさらした栗色の髪が飛び跳ねてまた戻った。
「座って」と言う姉の言う通りにすると姉が手と足を組みフェルデンをじっと見る。
話せと言う事だろうと思いフェルデンは手に汗をかきながら口を開いた。
「修学院寮の事件には姉上もいたんですか?」
本来なら自分もその場で避難者の誘導をしていたはずだったがジュディはその時別件でフィリズと隣国へ言っていた。
帰ってきてそういう事件がありセドオアから今後またイシュタルの使いに絡む事に手を貸してもらうかもしれないと言う話がされていた。
ジュディはゆっくり首を横に振り、組んだ手を外して爪を撫でていた。
「私はその時隣の国に使いに出ていて……」
「使用人が寮で魔術を使い大事になって」
「話はセドオア団長から聞いてる」
フェルデンの話を遮るようにジュディが話の腰を折った。
既に知っている事について説明する必要はない。
知りたいのはその先。
何故みなイシュタルの使いのような面倒な存在に気を揉んでいるのだろう。
ジュディはそれがとても不思議だった。
聞けば彼女は孤児であると言う。
それなら無理にでも言うことを聞かせれば良いじゃないかとさえ思っていた。
たかが11の少女に翻弄されて。
「馬鹿馬鹿しい……」
ポツと呟いた言葉にフェルデンが辟易しているとジュディがそれに気づいて口を押さえた。
愚痴を弟に漏らしてどうする。
視線を足先に下ろすとジュディは無意味に足趾を動かし何が聞きたいのか考えていた。
「エリュシオン様は貴方になんて?」
「イシュタルの使いの代言とそれをする為に使用人の小屋を調べる許可を出して欲しいと言われた」
「何故?」
何に対しての「何故」なのかフェルデンが考えているとジュディが彼を急かすようにまた足を揺らしていた。
夕食後から降り出した雨の音が静かな部屋の中に響く。
ファーディナンドの家系は直毛が多く湿気を吸っても背中まであるジュディの長い栗色の髪は真っ直ぐを保っていた。
大勢代言士がいる中で何故フェルデンだったのだろう?
弟が利用されているようでジュディは気分が良くなかった。
「イシュタルの使いが何故事件を起こしたのか、その原因が使用人の小屋にあるとエリュシオンが言っていた」
代言士は公正的な証拠の元、査問会で罪の有無を検討しなくてはいけない。
「それを何故フェルデンに頼んできたの?」
そんな事はフェルデンにも分からなかった。
彼を最初に女性だと間違えてからエリュシオンとはあまり関わりはなく首席を争うだけの関係だった。
「分からないけど……でも、アシェル殿下の委任状を持ってきていたからさすがに受けないわけには……」
おかしい。
ジュディは足をぱたぱたする動作を早めると頬杖をついた。
法立館は法を扱う先鋭がたくさんおり層が厚い。
修学院を卒業後フェルデンは子供の頃からの夢だった代言士になったが、まだ中堅にもならない弟にアシェル殿下から直々にイシュタルの使いの代言をする依頼が来るなど不自然だった。
「あなた、1stなんてした事あるの?」
「補佐としてなら……」
法立館で扱う事件は三段階に分かれていて個人的な事案を扱う第三事案、家庭内、貴族同士の事案を取り扱うのが第二事案、国を揺るがすものや他国との事案を取り扱うのを第一事案と呼び、それぞれ1st、2nd、3rdと法立館では言われている。
今回イシュタルの使いについてならおそらく1stになるだろう。
まだ4年目のフェルデンにはだいぶ荷が重い話だとジュディは思った。
「先輩方はなんと言っているの?」
「直接会って決めればいいと」
「…………」
そこは力不足だと止めて欲しかった……
もう一度ジュディが溜め息をつくと目を閉じて眉を寄せた。
「分かった。私も行く」
「え?!」
アシェル殿下の依頼ならば騎士団としての依頼と同じであり、騎士団所属の自分が行くのは特別不思議ではないし便宜上話が出来る。
「3日後……」
「分かりました。姉上」
イシュタルの使いが自分達を動かすに値する人間なのか。
納得ができれば蟠りも消えよう。
ジュディは騎士の誇りをかけるように手を握ると3日後を思い描いてほんの少し口許を緩めていた。
翌日。
ジュディは早速セドオアに弟の付き添いで生体研究所にいるイシュタルの使いに会いに行くことになった旨を伝えると彼は羨むように「良いなぁ」と言って髭を触っていた。
「会ったことがおありですか?」
セドオアの仕草にジュディは驚いた表情をすると彼は頷いて髭を触っていた手を止めた。
「話した事はないがアシェル殿下と話しているところを見たことがある。あれは間違いなくトラヴィティスだよ」
もう1年近く前。
セドオアは最初にエリュシオンが連れてきた時に何故子供が居るのだろうと思って見たのがイシュタルの使いとの出会いだった。
灰色のもこもこした髪の小さくて可愛らしい少女が水涸れを起こして血を吐いているところをセドオアは2度見ている。
その様子を見てこの子がそうなんだと納得がいった。
ファクナス討伐際ジュディは家の都合で参加しておらず年初めの誘拐事件の時は違う持ち場を担当しておりその目で起きているところを見ていない。
実感がないのは当たり前だ。
「直接あったら分かる」
セドオアが何かを思い浮かべて期待するようにジュディを見た後「後で感想を聞かせてくれ」と笑った。
法立館ではフェルデンが上司のユリーフに昨日話した成り行きでイシュタルの使いとの面会を姉のジュディとする事になったと伝えていた。
「姉と? 良いと思いますよ。行ってみればいい」
「何か聞いておいた方がいいと思う事はありますか?」
「そうですね……」
ユリーフがかけているメガネを直すと少し癖のある群青色の髪を指先で弄って考えていた。
「どうしたいか? とか。相手はイシュタルの使いと言っても11の子供ですよ? あんまり前のめりで行くと話してくれなくなるかも知れない」
くるくると人差し指で髪を巻きつけると指を離し髪にカールがついた。
「本当なら私が行きたいところです。代言士でイシュタルの使いを見た人はまだいないんですよ。どんな子だったか教えてくださいね」
代言士で見たことがある人がいない。
その言葉にフェルデンは少し優越感を感じた。
姉はどうなんだろう?
何も言ってなかったが見たことがない訳ではなさそうだ。
少し期待を持っていたジュディの表情を思い出した。
「分かりました。どんな子なのかは自分も気になります」
今途中の2nd事案の書類を仕上げてユリーフに渡すと「君もそろそろ1stをする頃だからちょうどよかったですね」と言ってフェルデンの背を押してくれる。
初めて1st事案を担当する事に力不足ではないかと言う上司もいる中、ユリーフの言葉にフェルデンは自信を持ち本日の査問会へと向かった。
騎士団の廊下を歩いていると向こうからアシェルとアレクシスが話しながら歩いてきた。
ジュディが一礼すると2人は通り過ぎず自分の前に立つ。
「おはようございます」
「おはよう、ジュディ。聞いたぞ? 弟の付き添いでサファの所行くんだってな」
「アレクシス」
アシェルが言葉を遮るとアレクシスが理解したらしくジュディに言い直した。
「ん? あぁそうだったな。まぁイシュタルの使いだったな」
この2人はイシュタルの使いの事をサファと呼んでいる。
孤児院にいた頃の名前らしい。
サファでもイシュタルの使いでも自分には通じるしどちらでもいい。
ジュディはお辞儀で前に流れた真っ直ぐの髪を手で払って整えると手を前で揃えた。
「ジュディ、後で少し頼まれてくれないか?」
アシェルが後で自分の執務室に来るようにジュディに言った。
何だろう?
遣いは大体側近に頼んでいるはずのアシェルが自分へ頼み事とは初めてだった。
2人はイシュタルの使いが起こした事件でかなり忙しいのかそれだけ言うと歩いて行ってしまった。
アシェルが来るように指定した夕刻に行くと執務室には彼と執事のウェスキニーしかいなかった。
「ジュディ=ファーディナンド参上いたしました」
「そんな畏まらなくてもいい。それよりもこれをサファと面会する時に渡してほしい」
アシェルが言うと彼の側に立っていたウェスキニーが布で覆ったトレーを彼の前に置く。
その布を取りアシェルが差し出してきたのは薄紅色の魔石で作られているペンダントだった。
ジュディにペンダントを渡すとアシェルはこれがイシュタルの使いの物で修理が終わったから渡して欲しいと言う事だった。
「ご自分でお渡しにならないのですか?」
ジュディが薄紅色の魔石を見ているとアシェルは家族にでも向けるような表情をする。
「ちょっと忙しくて面会する時間が取れそうにないんだ」
アシェル殿下が言うにはこれがないとイシュタルの使いが取り乱す可能性があるとの事だ。
そんなに大事な物を自分に託して良いのかと思ったが早く渡したいのだと理解するとジュディは両手でとってペンダントを見つめた後アシェルの顔を見た。
「……了解致しました」
後ろに控える執事も暖かく微笑み自分の事を見ている。
断れるわけもない。
「会ったら暴走は合図じゃないと言っておいてくれ」
アシェルが頬杖をつくと苦笑いしていた。
ジュディは薄紅色のペンダントを首にかけると用事は済んだと言われ邸に帰る事にした。
珍しく家族全員で食事を摂ると、その後でフェルデンに声をかけられた。
「姉上、付き添いの件は問題ありませんでしたか?」
やや控えめに言うのは自分がそう言う態度だからなのだろう。
「大丈夫よ」
反対などされなかった。
「イシュタルの使いに会う代言士は俺が初めてなんだって言っててユリーフ様にもとても羨ましがられた」
何処でもそうなんだなとジュディは億劫そうに胸元のペンダントを触った。
イシュタルの使いの物であるペンダントがこの首についていることが信じられない。
こんな物早く持ち主に渡してしまいたいとジュディは思った。
「研究所への申請は済んでいる?」
「大丈夫です」
既に昨日申請を終え今日許可の連絡が来たとフェルデンが言うと各々部屋へと入って行った。
翌日は通常の業務をする。
突然飛び出してきたフィリズに不意打ちで抱きつかれるとジュディは捕まってしまった。
フィリズが誰に対しても親密的である事は知っているが人との距離を一定に保っている自分としては少し不快を覚えた。
ジュディは目を細めフィリズを引き離す。
「やめて」
フィリズは何故かとても不貞腐れた表情をしている。
「ジュディはずるいです」
「何をいっているの?」
ジュディはそんな言われをする覚えはなく腕を組むと蔑むようにフィリズを見ると彼女が躑躅色の髪を振るわせてもう一度自分に近づいた。
「だってサファちゃんに会うのでしょう? 私は研究所に行っても面会を禁止されていて合わせてもらえないんですよ?」
当たり前だ。
イシュタルの使いは被告扱いとなっており今は必要な面会以外は禁止されている。
「代言士の付き添いです」
「それでも会うんですよね。きっとジュディも驚きますよ? サファちゃんとってもいい子で可愛いですから!」
フィリズが力説する様子をシラけた目で見たジュディが後退りしてフィリズから距離をとった。
フィリズは去年の夏からイシュタルの使いに対して異様に強い想いを持っていると感じていた。
バウスフィールドの養子になる話が出ると彼女は自分が護衛になると真っ先に申し出た。
その想いは今も有しているようだ。
昼下がりから演習場で行われる訓練でいつものように魔術を繰り出していると何となく感覚がおかしかった。
ジュディは掌を見つめると顔を傾けた。
「調子悪いんですか?」
あろうことか得意の手合わせで調子も悪くないのにフィリズに負けてしまった。
その事に衝撃を受けて手を見たままジュディは理由を考えていた。
「ジュディちょっと来い」
その様子を見ていたセドオアがジュディを手招きして呼ぶと首にある鎖に目を止めた。
「それはアシェル殿下から?」
「はい……明日渡すようにと頼まれました」
「それが原因だ」
セドオアはそのペンダントはイシュタルの使いが暴走を起こした時に被害を減らすために魔力抑制がかけてあると言う。
そのことを聞きジュディは胸を撫で下ろすと励ますつもりのフィリズに引っ張られ食堂で夕食を済せてから邸に帰る事にした。
邸に帰りフェルデンと段取りを決めると明日のためにベッドに潜り込んだ。
湿気が高くて重苦しい。
そろそろクリオをつけようとジュディが思って天井を見上げる。
ここ数日、自分がイシュタルの使いに会うと知られてから彼女を悪く言う人はいなかった。
それなら……
明日はいよいよイシュタルの使いとの面会だ。
それを思うと何故か気分が高まりやっと寝ついた頃には日が変わる時間だった。
寡黙で余計な事が嫌いなジュディはいつも出てきてもあまり発言がありませんでした。
これを機にジュディのイメージが出来、エリュシオンの同級生であるフェルデンのことも書けて楽しかったです。
少しだけ裁判というものについて調べましたが、フェガロフォトでは原告は国王になり被告が罪人になります。
査問会と呼ばれ事件に対して審議が行われます。
そんな設定。
読んで頂きありがとうございました。