34 秘事は睫 11
夕飯を食べ机に座っているとペン立ての横に置きっぱなしになっていた使用人の徽章が目に入った。
(おや?)
今回使用人達に虐待の様なことがされていた事は分かったが、サファが連れて来た死にそうになっていた少女は紅いオルタンシアを食べたらしいと言う事だった。
(見落としている様な気がする)
エーヴリルがもやもやしていると紙飛行機が飛んできた。
エリュシオンからだ。
「話しがある」と書いてあった。
アシェルには診に行くと言ったのでちょうどいい。
エーヴリルは薬室の扉に鍵をかけ、診療鞄を持つとフェンリルに乗ってバウスフィールド邸に向かう。
午後からずっと降っていた雨は上がっており湿度で空気は重いが暑くはない。
邸のノッカーを叩くと中から執事が出て来て驚きの声を上げた。
「エーヴリル様! 良かった」
「エリュシオンに呼ばれて来た。様子はどうだ?」
執事が胸に手を当てて安堵の息を吐いていた。
「エリュシオン様は夕刻に帰って来たのですがその後食事も食べずに寝てしまわれて……」
「とにかくお入りください」と、執事がエーヴリルをエリュシオンが寝ていると言う寝室まで案内してくれた。
サファから食らった魔術が余程堪えたのか顔色が悪くうっすら汗をかいている。
「熱があるな」
エーヴリルがベッドにかがむとエリュシオンの首に触った。
今でこそ丈夫にはなったもののエリュシオンは元々病弱な方だ。
「最近熱は?」
「わたくし達の知るところでは……」
執事が前で手をそろえると首を振って答えた。
「ただあまり人に弱いところを見せたくない方ですのでもしかしたらと言う事は」
エーヴリルが優しく微笑むと執事の方に向いて桶に水とタオルを持ってくるように伝えた。
椅子に置いていた診療鞄を漁ると昔エリュシオンがよく飲んでいた薬を取り出す。
何の事はない、恐らく疲労だろう。
解析の必要も無い。
これについては時間の経過を必要とするので後はのんびり待つしかない。
背後でとの閉まる音がすると執事が水入った桶を持って来てベッドの横にあるエンドテーブルに置きタオルを水につけて絞ろうとする。
「私がやるのでさがっていい」
「そんな、診療でお疲れですのにそんな事はさせられません」
引きそうにない執事に「それじゃあ」とエーヴリルはかけるものを持ってくる様にと言った。
(ここに来るのは久しぶりだな……)
執事が部屋を出て行ったのでエンドテーブルの桶からタオルを絞ってエリュシオンの汗を拭いて額に載せてやる。
懐かしむ様に目を細めて優しく笑うとエーヴリルは眼鏡をとってベッドに頬杖をつき「大きくなったなぁ」と呟いた。
柔らかい寝具はこの素材を好むエリュシオンの為。
突っ伏すと太陽の匂いがし何故か幸福感が湧く。
先程の執事を始めここの使用人達はエリュシオンを幼少期より世話しているものが多く、若くして当主になったエリュシオンに使用人達がよくしている事が感じられた。
「エーヴリル様?」
呼ばれて顔を上げると執事が手に掛け物を持って戻って来ていた。
「あぁ、すまないな」
エーヴリルは執事から掛け物を受け取ると立ち上がってソファに寝転んだ。
「エーヴリル様、せめて客間をお使いください。エリュシオン様に叱られてしまいます」
執事がソファに寝転ぶエーヴリルに慌てて言うと、エーヴリルは移動する様子もなくそのままごろんと背を向ける。
「動きたくない、医師はどこでも寝られるんだ。私が動かなかったと説明しておけばいい」
テコでも動かなそうなエーヴリルの様子をしばらく見ていた執事が仕方なさそうに溜め息を吐くと、ようやく部屋から出て行った音がした。
執事が持って来た掛け物も清潔に洗われ日の下に干された良い香りがする。
(まだこれ使ってるんだな)
エーヴリルはエリュシオンが子供の頃から使っているものと同じ掛け物をかぶると目を閉じて昔の夢を見そうだと思い寝る事にした。
窓を揺らす風の音が煩い。
まだ夜が明けきらないうちに目を覚ますとエーヴリルがソファから体を起こす。
寝ている間に使用人が置いて行ったのか、水指しとグラスが二つテーブルに置いてあり水を注いで一気に空にした。
いい夢を見れた様な気がする。
ベッドまで行くとエリュシオンを覗き込んで首を触ってみると微熱程度まで熱が下がっていた。
「うぅ……」
夢にうなされているのか首を横に向けてエリュシオンが呻くと、額に載せていたタオルが落ちた。
エーヴリルは温くなっているタオルを水に潜らせて絞るとまた頭に載せ目を細めてエリュシオンをつついた。
「おーい。そろそろ話を聞いて帰りたいぞ」
エーヴリルは話しがあると言われそのついでに診察をしに来たのだった。
ぼんやり見えるエリュシオンの顔を見て眼鏡をかけていない事に気づくとどこに置いたか忘れて探し始めた。
「何探してるの?」
ごそごそとエーヴリルが眼鏡を探していると後ろでエリュシオンの声がする。
向いて見ても目が開いてるのか閉じているのかもぼんやりとして見えない。
「眼鏡。具合はどうだ?」
「すっきりしてるかな」
ほんとうは悪い夢を見ていた。
エリュシオンが体を起こすと手に硬いものが触れ布団の中から取り出した。
「眼鏡がない方がいいのに。はい」
「見えないと仕事にならない。なんでもってる?」
エリュシオンが差し出して来た眼鏡を受け取るとエーヴリルは落ち着いたように椅子に座って眼鏡をかけた。
「知らない。布団の中あったよ?」
(あ……)
「もう、大変だったんだから! 肋骨折れて頭から血が吹き出て。アレクシスが癒しくれたんだけどそれが凄い雑でさ……」
「それで話って?」
エーヴリルは話し始めたエリュシオンの話を切りしたいと言っていた話について話題を向ける。
「オルタンシアの中毒で死にそうになった子、サファが運び込んだでしょ?」
「ああ」
「僕その子と話がしたいんだよね。秘密で」
まだ熱の下がりきらない体は少し怠いのか弱々しく笑ってエリュシオンが言った。
「体調が良くなってからにしろ」
「えぇー、今日行きたいのにー」
昨日ルシオに聞いた話ではエリュシオンの言う少女は起き上がって食事を摂れるくらいまで回復をしているらしい。
「じゃぁ、エーヴリルにお願いしてもいい?」
エーヴリルはその事に関して無関係でもないし気にもしていた。
「…………」
窓に風が当たり散っていく度、カタカタと音を鳴らす。
断ろうとして口を開きかけたエーヴリルは、ねだる子供の様に見てくるエリュシオンに折れると仕方なさそうに息を吐いた。
「どうして私なんだ? 他にもいるだろう?」
「うーん。アシェルはサファの事で忙しいと思うし、アレクシスも貴族達の対応で忙しいじゃん? かと言って全く事を知らないジェディディアとかハーミットに頼むのも説明が面倒なんだよね」
確かに……
ここで自分が動けないとなると他に誰が動くしかない。
その適材適所がエーヴリルなのだとエリュシオンが言う。
「何を聞いてくればいい?」
「紅いオルタンシアの事かな。チラッとしか聞けてないから」
エリュシオンは頭に載せていたタオルで顔を拭くと悪気のなさそうな表情でベッドから出て扉まで歩いて行く。
「どこに行く? 外出は駄目だぞ」
さっき聞いた話でエリュシオンにしては結構痛めつけられたらしい事を知りエーヴリルは熱があっても遊びに行きたがる子供を宥める様に言う。
避ければよかったじゃないか。
そう言おうとしたが素早いエリュシオンが避けるに避けられない理由があると思いエーヴリルは口を閉じた。
「あはは、分かってる。トイレだよ」
「私は帰る。薬を飲めよ」
「うん。よろしく」
行きかけて足を止めたエリュシオンが何かを思い出した様に足を止める。
「僕の解析した?」
何故そんな事聞くんだろうと思いながらエーヴリルは腕を組んだ。
「ショックと疲労だからしてない」
それを聞いて屈託なく笑ったエリュシオンが部屋を出て行くと、廊下で執事と話す声が聞こえる。
思ったよりも元気そうだと思うとエーヴリルはフェンリルに跨り窓から薬室に帰る事にした。
薬室を開けるまでまだ少し時間がある。
エリュシオンの邸で割と寝て来たので眠くはなかった。
書く物を手に取ると少女への面会についてルシオに手紙を送ると薬室を閉める3の刻には返事が来た。
転送口は開けておくとのことなので魔法陣に乗って研究所まで転移するとエーヴリルはルシオを探してサファが眠っている部屋へと向かった。
「容態はどう?」
「エーヴリル来ていたのか」
「今さっき着いた。多分ここにいると聞いて」
ルシオはサファの経過と情報を管理する事になっており診療録をつけていた。
昨日見た時と同じ様に眠っているサファを見てエーヴリルが聞くとルシオは「変わりない」と答えた。
「それよりオルタンシアの中毒患者に会いたいそうだな」
普通なら平民の患者は研究所には入れない。
今回は珍しい症例だと言う事で彼女の解毒、軽快の経過が研究対象とされ治療する事が国から許された。
「だいぶ良くなったと言っていたから。熱を出したエリュシオンの代わりだ」
すると、ルシオが少し不満げにエーヴリルを見ると観察板にペンを挟ませ脇に抱えて「着いて来い」と言った。
「あの子はまだそんな熱出すのか?」
「最近はない。昨日やり合ったらしい」
そう言ってエーヴリルはルシオの持っている観察板を指差した。
ルシオが指差した方を見て意味がわかるとハッとした。
「そんな熱意があの子にあるとは……」
「ルシオは相変わらずエリュシオンには辛口だな」
「あんな躱す事が得意なやつが出来なかった理由があったんだろう」
「お前は相変わらずあの子に優しい……」
さっきいた部屋から違う塔に少女の滞在する部屋がある。
エクタシスと言う宙に浮く移動する石板を使い塔を移動すると部屋の前で止まった。
「話をするのは構わないんだが、あまり期待をしない方がいいぞ」
ルシオが言うには、少女は貴族というものがとんでもなく恐ろしい存在らしく話が出来ないとの事だった。
部屋の中に入るとサファに運ばれ死にそうになっていた少女がとても驚いてエーヴリルを見た後床にひれ伏す。
「…………」
その状態の少女を見てエーヴリルが言葉を失くし見下ろしていた。
「顔を上げろ」
恐る恐る顔を上げた少女の顔には化け物を見た様に青ざめていることが俯いた状態でも分かる。
「名前は?」
「……ユニ」
「では、ユニ。使用人の小屋の事について教えてくれ」
ユニは俯いた顔を更に俯かせると震える手を両手でお互い落ち着かせる様に握る。
「管理人のエリック様は良くしてくださってます。何の不満もございません」
エーヴリルが(これか……)と思ってルシオを見るとルシオが困った様に頷く。
結局この日は何も聞き出せずエーヴリルは薬室に帰って来た。
あれではエリュシオンだって聞き出せないんじゃないか?
エーヴリルは椅子に座って伸びをするとだらしなく椅子に寄り掛かって椅子の前足を持ち上げゆらゆらさせながら考えに耽る。
どうやって話を聞き出そうか?
自分には子供もいないし身近にいるのは王族やサファの様な少し特殊な子供ばかりであり子供自体もあまり好きではない。
椅子で遊びながら良い方法はないものかとエーヴリルが目を開ける。
「お、開いた。よ!」
「!!」
こんなだらしなく椅子を揺らしている姿を見られたのもそうだが、目を開けたら人がいたという事にエーヴリルは驚いて椅子ごと倒れそうになった。
「うわっ! あぶねえな」
バランスを崩した椅子を支えるとエーヴリルは醜態を晒さなくてよかったと息を吐きながらずれた眼鏡を直した。
「アレクシス! 入るならノックくらいしてくれ」
歩いて中途半端に開いている扉をエーヴリルが閉めると腰に手を当ててアレクシスを見て思いつきそうな気がする。
(まてよ……?)
「ノックしたのに気づかなかったんだろうが!」
アレクシスの方がよっぽど子供の相手に慣れているじゃないか。
「それで? エリュシオンの代わりのやつはどうだったんだ?」
「全然話を聞き出せなかった。貴族が怖いんだと」
エーヴリルがアレクシスに「お前が行けよ」と言うとアレクシスが顎に手を当てて考えていた。
「お前、いい事なんて思いつくのか……?」
「折角いいこと思いついたのに教えてやらん!」
アレクシスの仕草を見てエーヴリルが言った事にアレクシスが腹を立てるとエーヴリルを指差して不機嫌な顔をする。
「あー……謝る。それで?」
そんなやり取りはいつものことの様にエーヴリルが言うとアレクシスも言ってた事はなかったかの様に自分の考えを口にした。
「さすがに今はそっちの調査まで手が回らない。そこで、子供が好きしかも女性で手伝えそうな奴に心当たりがある」
「あー……」
確か彼女は騎士団の任務で隣の国に行っていたと言うことだったが。
「帰って来たのか?」
「いや、まだだが多分そんなにかからないと思うぞ? ユネクトリーネに入ったって連絡来たからな」
ユネクトリーネは広大な森林地帯を持つタラッサの隣の領地。
普通にくれば明日の遅くにでも着くだろう。
エーヴリルは腕を組むと机に寄りかかり目を閉じて想像した。
ここ最近はサファに対して異常な愛情があると言う印象が強い。
今回の事やサファの状態を聞けば躑躅色の髪を震わせて違う意味で暴走する気がした。
「大丈夫か……?」
「あん? 大丈夫だろ? きっとサファの為って言ったらすごい剣幕で遂行してくれると思うぞ。わはは」
タラリと顔から汗を流したエーヴリルがアレクシスに言うと、アレクシスは自信満々に言いニカッと笑った。
前にエリュシオンはお気に入りの毛布があると書きました。エリュシオンはいつでもそれを使える様に何枚も同じ物を用意しています。
エーヴリルはまだ小さかったエリュシオンを面倒見る事がありました。
よく体調を崩すエリュシオンを知っているのでそれに比べ今は随分丈夫になったと思っています。
姉と弟の様な関係の二人です。
ルシオは可愛い妹のエーヴリルが少し過度にエリュシオンを面倒見る事が面白くないと嫉妬の様な感情を抱いています。
そんな設定。
次回は久しぶりにフィリズが出てきます。
フィリズのいい子ぶりを表現できればと思います。
今日も読んでくださりありがとうございました。