祭事の補佐 10『父の子守唄』
エミュリエールが気づく、少し前。サファは、ルアンナに伝言を残して、図書室まで来ていた。
ここは静かでいいな。
部屋の一番、隅っこまで行き、床に膝を抱えて座った。
こうしていたら眠れるかな?
いつもは、すぐ眠れるのに、昨日は何だか眠れなかった。
ハーミット様たちはあの後、ホントに大丈夫だったのかな。あれ、すごく高い物だったに違いない。エミュリエール様にもきっと、迷惑がかかっただろう、きっと……
それに……怖かった。やっぱり、貴族、ううん、知らない人は怖い。
わたしには、きっと、『補佐役』なんて無理だったんだ。
そう、考えているのに、サファは立ちあがって、棚から本を取りだした。なぜか分からないけど、体は勝手に、祈念式の事を調べていた。
少しして、外から足音が聞こえてくる。それは、すぐに近くなって、部屋の前で止まった。普通なら、少し怖い状況だったけど、その感情はなかった。
「サファ! いるのか?!」
「すみません、部屋から出て」
サファは棚から、ヒョコっと顔を出した。
「……なんで、来たのが私だと分かったんだ?」
「エミュリエール様の足音がだったので」
トコトコと歩いて、エミュリエールの前まで来る。足が痛む様子はなさそうだった。
「なるほど。それで、何を調べに来たんだ? 昨日あんなことがあったばかりなのに」
エミュリエールは、わたしの持っている本を見つめていた。
「…………」
ほんとに矛盾していると思う。食欲もなく、眠れなくて、怖い思いもした。やりたくないと叫びたいのに。
髪は、ここ数日の疲れで、すっかり艶をなくし、食べない分、細くなった体に、曇った瞳。
エミュリエールは、そんな私を見て、悲しそうに眉を顰める。
「大丈夫です……」
「そんな訳、ないだろう。ちょっと、来なさい」
腕を引っぱられると、見慣れた三つ編みが、目の前にみえる。エミュリエールが、わたしを抱え、窓へと歩いていた。
「プロクリスティ」
出された魔法陣から、光る物体が出てきて、段々おさまっていくと、何であるかが明らかになった。
真っ白い、翼のついた馬。
『ペガサス』
わぁ……
動物は好き。暖かくて、柔らかいから。
わたしを抱えたまま、エミュリエールはそれに跨り、ゆっくりと優しく飛翔を始めた。
まさか、こんなのに乗れるなんて。
信じられなくて、しばらく、目を大きくしたままだった。
今まで感じた事のない風。見た事のない景色。ずっと、窮屈だったきもちが解れて、力が抜ける。
サファはエミュリエールに寄りかかり、うとうと、とし始めていた。
どこに連れて行かれるんだろう?
疑問は、優しさに包まれ、『大丈夫』という言葉に変わる。
「わたし……もう、役をやりたくない。わたしには、無理なんだと思ったんです」
森の中の、湖のほとりに生えた、大きな木の下で、サファは抱えられたまま、話していた。花が咲くには、まだ、少し早い時期。エミュリエールの温もりで、寒くはなかった。
「やりたくない、と思う気持ちは無理もないだろう。だけどな、サファ。自分には無理だというのは、違う」
ちゃんと、言われた事をやり、必要な事を調べ、慣れないながらも、必死に取り組んでいた。
「でも、無理です……」
「じゃあ、さっきはどうして、図書室にいたんだ?」
「それは……」
分からない。サファは俯いた。
「それは、君が望んでいるからだ。心の中の一番、深いところで、君の心がやりたいと、君自身を動かしているからだよ」
サファが、首を傾いで、ぼんやりと見上げると、彼は頷いていた。
わたしが、望んでいる……?
あぁ、そうだったんだ……
少しずつ目の輝きが戻ってきて、サファは目を閉じていた。
「ずっと、分からなかったんです……やりたくないのに、なんで、体が勝手に動いちゃうんだろうって」
「そうか。因みにな、君の評判はとてもいいんだぞ?」
エミュリエールは自慢げに言った。
「どっちでもいいです。悪くても、悪くなくても。でも、ちゃんと出来ているか、わたしのせいで、誰かが怒られてないか、それが不安で」
「大丈夫だ、全く問題ない」
「それなら……良かったです」
エミュリエールは、わたしの頭を、ずうっと撫でていてくれた。温かくて、大きな手。
「君は、まだ子供だ。だから、誰かが怒られる事を恐れて、前に進むことを、止めなくていい。私は、少し訳があって、この職に就いたが、今ではたくさんの子供の父親で、君も、その中の1人なんだ」
「それは……ずいぶんと、子沢山ですね」
「はははっ、面白い事を言うな」
まだ、芽吹かない、淋しい水辺。地面の下には、きっと、もうすぐたくさん緑が目を覚まし、顔を出し始めるんだろう。
エミュリエールの手が止まり、突然、魔法陣が広がった。それは、強くも、激しくもなく、ただ……優しく静かで、波紋のようだった。
ポトン、ポトン、と朝露が落ちる音が頭に響いてきた。
なにかの魔術?
流れ落ちる水は、段々と太くなっていく。
ううん……これは。
「私は、一応唄も使えるが、大した効果はなくてな。でも、今、この力がある事を、ありがたいと思う。君を慰めることができるんだからな」
エミュリエールは、少しだけ恥ずかしそうに笑い、唄いはじめた。
『父の子守唄』
この国の父親が、子供を寝かしつける時に唄うもの。
そして、『平和』を願う、トラヴギマギア
『可愛い子よ 可愛い子よ
今日も健やかに過ごせた事を神に感謝しよう
笑っている君
泣いている君
明日はどんな君を見せてくれるのだろう』
段々と芽が出て、緑がのび、花が咲く。薄紅色の野花が、さわさわ、と風に揺られ、やさしい香りを運ぶ。
辺りは、緑と、花に囲まれていた。
『小さな体、小さな手には
たくさんの夢や希望がつまり
僕にはとてもとても大きい』
強く風が起こる。
ひゃぅっ
ゴミが入らない様、閉じていた目を開けると、視界に入ったのは、白く、大きな狼だった。
すごい、おっきい。それに、ふわふわ。触ってもいいのかな?
狼が撫でてほしそうに、頭を下げる。サファは恐る恐る手を伸ばし、その頭に触れた。
うわぁ……すごい
サファの瞳がキラキラと輝く。頬を紅潮させて、次の瞬間、狼の白い毛皮に飛びついていた。
「すごい! ふわふわ!」
こんなに、ドキドキして、気持ちが止まらないのは初めてだった。
これが、心で動かす、という事なんだろう。
まだ……できるかも。
ううん、かも、じゃない。やろう。
そう望んでいるのだと、心が熱を持つ。
自然と、弧を描く、唇。サファは笑っていた……
『君のために僕も強くなろう
安心して大きくなりなさい
安心して夢を見なさい
いつも君を守ると誓おう
眠れ我が子よ 今日もおやすみ』
唄が終わると、サファは、狼の懐ですっかり眠っていた。まだ、彼女の口許に残っている笑みを、愛おしそうに眺め、エミュリエールは嬉しくて、ため息が零れ落ちていた。