25 秘事は睫 2
ノイは鞭で打たれた苦痛と疲労でベッドに倒れ込むとそのままうつ伏せで意識を失った。
ラセルがやれやれと背中を冷やすためにノイの服を脱がす。
(ほんと女みたいにほっそいな)
鞭で打たれた背中は白い画用紙に赤い絵具を塗り潰したように赤く腫れ上がり、所々皮膚が破け血が滲んでいる。
「……うぅ……」
ラセルがタオルを濡らして来て熱を持つ背中に載せると少し痛むのかノイが呻き声を漏らした。
明日も早くに起きて仕事が始まる。
ラセルは自分も休もうと上のベッドへ登ろうとした。
ユニは帰ってきた。
ラセルは人目見ただけで何をされて来たのかが分かってしまった。
「ユニ……」
「大丈夫……大丈夫よ……」
ユニの顔には泣いた後があり殴られたような後もある。
きっと抵抗したのだろう……
服は破られていた。
「ユニ……」
心配そうにラセルがもう一度言うとユニはポロポロと涙を流した。
「お願い、ノイには言わないで……」
ラセルはユニに懇願され頷くしかなかった。
次の日はこの時期には珍しく晴れており、暑い日だった。
ノイが朝起きるとユニは帰っきていた。
「いたた……」
「ノイ大丈夫? 背中結構酷い」
そんな事言っても朝は来るし仕事もしなくてはいけない。
ノイはまだ熱っぽい背中を隠す様にシャツを着るとボタンを止めると目を閉じてまだ胸が無くて良かったと息を吐いた。
「心配した。大丈夫だった?」
「大丈夫よ。あなたの方が心配」
そう言ったユニの頬は少し腫れている。そこにそっと触れるとユニが誤魔化す様に笑った。
「少し抵抗したら殴られちゃって」
何となくから元気の様な気もしたがラセルが「朝飯食いっ逸れるぞ」と言うので二人は急いで支度をして食堂に行った。
食事を食べると講義が始まる時間を見計って生徒の寮を掃除しに行く。
ズキっ
(痛い……)
ノイは大丈夫だと振る舞っていたが背中がとても痛かった。
「ユニ、ちょっとトイレ行ってくる」
「急いでね」
ズキっ
(痛い……)
ノイは冷や汗を滴らせてトイレの個室に入ると扉に鍵を掛けて手をつくと苦しそうに息を吐く。
(痛い……)
「θεραπεία」
使わないつもりでいたが余りの辛さに気づかれない様にひっそり癒しの魔術を使った。
「……はぁぁ」
ズキズキしていた背中の痛みが少し和らいで息を大きく吸って深呼吸をして息を整える。
出来ればもう一段階高い癒しを使いたかったが傷も見られているし昨日の今日であまりにも治っていたら不審に思われるだろうと思いノイは少し回復するだけにした。
それだけでもだいぶ違う。
待たせていたユニのところへ行くと何事もなかった様に仕事に向かう。
「ええっと多分……ここを右?」
「違うわもう一階上行ってから左よ」
いつか一人で動ける様になるためにユニには場所に行くための特訓もさせられている。
「全然ダメじゃない!」
「おかしいな、間違ってないと思ったのに……」
「先が思いやられる」とユニは呆れた顔をしていた。
「あはは……」と笑って自分の頭を撫でる。
「私が急にいなくなったらどうするのよもう!」
「それは困るね」
笑って言ったノイの言葉にユナは少し焦っている様だった。
生徒が講義を終わる頃に寮を立ち去ると今度は生徒がいなくなる間に間食を取るが昼食はない。
生徒が院内から掃けたら講義室の掃除をし始めた。
今日は綴じものもなくすんなり仕事が終わると二人は使用人小屋に戻ってきた。
「今日は問題なく終わって良かったね」
もうすぐ暑い昼間を終えるために湿った風が吹き始めると顳顬と背中がズキっとする。
雷鳴が鳴ると今まで晴れていたのが嘘の様に雨が降り出した。
「今日は大丈夫だったんだね」
「うん、夕飯食べれるね」
ラセルが後から雨から逃げる様に小屋に入ってくると少し前についた二人を見て安心した様に言った。
「あーあ、昨日お風呂入りそびれちゃったな」
ユニが面白おかしい事を話すかの様に頭の後ろで手を組んで前を歩いて行く。
ここでの入浴はこの時期だと三日に一回、冬だと七日に一回。
昨日が入浴日だったがノイとユニは昨日の罰のせいで入れなかった。
「…………」
お前のせいで入れなかったと言う嫌味なのかそれともまた違う意味なのか分からず歩いて行ったユニの背中をノイは首を傾げてしばらく眺めていた。
今日は食事を食いっ逸れる人はいなさそうで三人は夕食を食べて部屋に戻るとベッドに寝転ぶ。
相変わらずミリィは帰ってこない。
トントン。
今日は罰も無いのにこんな時間に部屋がノックされ三人は顔を見合わせる。
「二人とも布団に潜れ」
ユニとノイは頷いてラセルの言う通りにすると目をつぶる。
ラセルが誰かと話している。
「二人とも昨日の罰で体調が悪くて寝ています」
「明日は必ず来るように伝えろ」
「畏まりました」
どうも補佐官が来た様だ。
嫌だな、と思っているとノイはそのまま眠に落ちてしまった。
「行ったぞ」
「…………」
呼ばれて起き上がったのはユニだけでノイは本当に寝てしまった様だ。
無理もない昨日はかなり酷い打たれようだった。
今日一日、かなり無理をして仕事をしたのではないだろうかとユニとラセルが思い、結局ノイはそのまま寝かせておくことにした。
出来ればノイの背中に薬を塗ってあげたいがそんな物はここには無い。
ラセルがまた昨日の様に服を脱がせると腫れたところに濡れたタオルを当てがった。
「なんか……昨日より良くなったな」
「本当。良かったわ」
夕方から降り出した雨は今もばしゃばしゃと大きな音を立てて降り続いている。
この雨の音と湿気で空気重い。
「ユニは明日来るようにって……」
「……そっか。分かった」
止めたくても自分たちにはどうする事も出来ないと分かっている。
お互い黙るとその後は寝ることにした。
痛みで目を覚ます。
(いててて……)
まだ外は暗く雨もしとしと降り続いている。
ノイはもう一度癒しをかけようと思ってシャツを着るとトイレに行くためにベッドから降りた。
(あれ?)
いつもユニが寝ている所に誰も居ない。
トイレにでも行ったかもしれないと部屋を出ると途中誰にも合わずにトイレまでついてしまった。
個室に入って癒しの魔術をかけると、また更に痛みが和らいだ。
「なぁ、エイミーのやつ居なくなったんだって」
「あいつ、ここん所ずっと具合悪くて寝込んでたんだろ?」
個室にノイがいるとも知らずに男の子が二人やって来てとても気分の悪くなる様な噂話を始めた。
「逃げたって言ってたけどありゃ怪しいよな」
「そうそう。どうも使えなくなったから殺されたんじゃないかって」
「だからって俺たちには何も出来ないけどな……」
「その前はミリィもいなくなったんだろ? ラセルが凄い剣幕で『逃げたなんて嘘だ』って楯突いて鞭で打たれてたぞ」
「ラセル仲良かったからなぁ……納得出来ないよな」
水の流れる音がして「行こうぜ」と声が聞こえるとまだ何か話をしながら声はだんだん遠くなっていった。
人がいなくなったことを確認して個室から出る。
あの時のユニの表情。
嫌な予感がしてユニを探した。
本当ならこの時間にここを通ることなんてない。
ノイは本館への渡り廊下まで行くと邸の入り口を見る。
(本館に行ったのかな……)
雨が降り続いている事もあり少し肌寒い。
視界の端にオルタンシアが見えてその方を向くと降り頻る雨の中に立っている人物がいてノイは飛び出して行った。
「ユニ! 何してるの?!」
亡霊の様に佇むユニに驚いてノイはユニの手を握ると手にオルタンシアの花を持っていた。
「ノイ……」
「どうしたの?」
「全部洗い流したくて……」
冷たくなっているユニの手を引っ張るとノイは建物の中に連れて行こうとした。
「風邪ひくよ」
「ここ……」
「なに?」
ユニはオルタンシアの一帯を指していた。
辺りは青一色なのにこの一帯のオルタンシアは青やらピンク色やらその中間色になっている。
「ここの花だけ色々な色をしているの」
「……本当だね」
ザーザーと降る雨がまた強くなりノイも疾うにずぶ濡れになっている。
ユニの様子がおかしいがとにかく部屋に連れて行きたいともう一度ノイはユニの手を引っ張ると今度はちゃんとついて来た。
部屋まで連れてくるとタオルを取って来てノイはユニを拭こうとすると目を見開いて怖がる様に手を払われた。
「ごめん、自分でやるから……」
ユニは自分で体を拭き始めて目隠しのカーテンを閉めた。布が擦れる音がして来るとノイは着替えたんだなと思って一安心する。
暫くすると寝息が聞こえて来た。
ノイは背中が痛むのも忘れていたが安心するとまた痛みを覚える。
(いてて……)
体を拭いて着替えるとノイもベッドでうつ伏せになりその次目が覚めたのは朝だった。
ノイは時計を見て飛び起きる。
ぐらりと視界が歪んだ。
昨日の雨のせいか熱が少しある様だが我慢は出来そうだと思うとユニとラセルを起こした。
「二人とも起きて」
二人とも寝不足の様な顔をして体を起こすと時計を見て急いでベッドから出た。
「大変!」
よかった。
いつものユニに戻っており胸を撫で下ろす。
「ユニ、昨日のオルタンシアの花は?」
「花? あぁ、何処かに落としてきちゃったみたい」
「そっか……」
(それならいいんだけど……)
特に花については深く詮索せず言葉のまま受け取ることにした。
どんよりした曇り空、いつ降り出してもおかしくない様子だ。
(……なんだか食欲がない)
「あんまりお腹空いてないな」
「私も」
ラセルが珍しく言うとユニも同じことを言うが食べれる時に食べなければここではやっていけないと思い三人は黙って食堂に向かう事にした。
どこを通って行っているのか分からず食事をする。
「ユニ、お前は昼食べたら本館でエリック様から仕事の話がある。一人で来い、いいな!」
館管理人のエリックの補佐をしている男がやって来てユニに用件を伝えると、ユニだけでなくラセルも表情を暗くする。
「……畏まりました」
ユニは仕方なく言った様に聞こえる。
「ノイ、午後は一人だけどちゃんとやるのよ。ノイなら平気だから」
男が去って行くとユニが心配そうにノイに言うと少し元気なく笑う。
「大丈夫」
「本当かよ」
今まで散々迷って来た事を言うようにラセルが突っ込みを入れるのでノイは頷いて見せた。
確かに不安ではある。
でも、大丈夫じゃなくても大丈夫にならなければ行けないのだろうと気丈に振る舞った。
重い体を押して寮の掃除に向かう。
「ユニ、今まで親切に教えてくれてありがとう」
皆、持ち場を一人で担っている。
ノイは方向音痴だったからユニといつも持ち場を切り盛りしていただけで本来なら一人でやれなければいけない。
一人でなかったのは特別なのだと思うとノイはユニに感謝をした。
「やめてよ。いなくなるみたい」
「ふふ、そうだね」
悲しそうに言ったユニにノイは笑って二人は黙々と寮の掃除をする。
ノイは何が起こっていたのか知る事も出来ずに。
一人また一人と姿を消す使用人小屋。
なんかホラーですね。
次は貴方です。
とか言われるとちびりそうです。
何かちょっと話するとネタバレになってしまいそうなので控えておきます。
ちょっと前からルビの仕方が分かりそれはもう活用させていただいてます。
なんだか本当に小説みたいでテンション上がります。
今日も読んでくださってありがとうございました。