終結
知香たちが長野に着いたのは夜9時過ぎだった。
『お祖父ちゃん!』
車を停め、一目散に知香は駆け出した。
『おう、お帰り。』
『え?』
祖父の俊之は伯父の高志、従弟の一郎と共に酒を飲んでいた。
『お母さん!騙したの?』
後ろで博之と健介が笑っている。
『もしかして、私だけ?』
『ごめんなさいね。大体あの人が具合悪くなる訳ないじゃない?』
祖母の佐知子の言葉はもっともである。
『楓が謝りたいって言うからそれなら直ぐにって言ったの。電話じゃなくて直接ね。その為にみんなに協力してもらった訳。』
由美子のタネ明かしに、怒りの矛先を失なってしまった。
『で、楓は?』
『3人で部屋にいるよ。健ちゃんも一緒に行ってあげて。』
2人は楓たちの部屋を開けると、楓と渚、美里は3人とも振袖姿で待ち構えていた。
『……ママ、ごめんなさい。』
楓は正座をしたまま、深々とお辞儀をする。
『ママの方こそごめんね……楓……。渚ちゃんも美里ちゃんもきれいだよ。』
『3人ともどうしたんだ?この格好は。』
知香には分かっていたが、健介は演出にしては大げさだと思う。
『十三参りだよ。私といっちゃんも中一の時にしてもらったの。』
知香も中一のゴールデンウィークの時に十三参りをしてもらったので、振袖姿の3人を見てすぐに俊之たちの意図が分かった。
『明日善光寺に行ってお参りするからな。本当は西脇さんと和田さんも呼ぶべきなんだけど、急だったから電話で了解をもらっておいた。』
病気どころかやる気満々の俊之である。
『美里ちゃんのパパが一番残念がりそう……ってカメラ!』
呼ばれた時にはこんな仕掛けがあると思わず、カメラは持たずに出てきたのだ。
『お義母さんに言われて車のトランクに入れておいたよ。』
全て計算ずくだったのである。
『さ、3人とも着替えて。博之たちもお腹空いたでしょ?はずみさん、3人の分温めてくれる?』
『は~い。』
はずみは一郎の妻で、中学時代は知香の同級生だった。
『はずみ、手伝うよ。』
『ありがとう。びっくりしたでしょ?』
『だってさ、今日きな子と美久に会ってどうするかって言ってたんだよ。それで帰ったら直ぐ来いでしょ?ホントここの人たちは……。』
長野の実家の面々はこの様な仕掛けが大好きで知香自身もよく仕掛けたが、今回はまんまと仕掛けられてしまったのである。
『まあね。うちの志郎だって大変だよ。たまにばばあとか言うし。そういう時は、お義母さんとお祖母ちゃんと3人で一緒に[どっちのばばあ?]って返事するの。』
はずみも長野に嫁いで15年になり、すっかり地元の人間だ。
『騙された分、今夜は飲むよ!』
一郎に酒を注げとばかりグラスを差し出す。
『明日十三参り行くんだからな。飲み過ぎて昔の叔母さんみたいに羽目外すなよ。』
由美子は知香たちの十三参りの後に酒を飲んでやらかしてしまったのだ。
知香は楓と和解して久し振りに気持ちよく飲んだ。
翌日は楓たち3人に一郎とはずみの長男・志郎を加えた4人の十三参りに出掛けた。
ゴールデンウィーク中のため蕎麦屋は休めず、一郎と高志、それに一郎の妻で博之の姉の瑞希は残る。
『ごめんね。志郎のお参りなのに。』
『男の子だし、はずみが行けば良いよ。店でお祝いの準備するからな。』
本来なら知香も健介もこの場所にいる予定ではなかったはずだが、もしかすると前々から仕組まれていたのだろうかと考えてしまう。
総勢11人なので、2台の車に分乗し、善光寺に向かった。
駐車場から参道を歩いて行くと、振袖を着た3人はたくさんの外国人観光客からカメラを向けられるが、3人共意外に堂々としていて、隣を歩く志郎だけがおどおどしている。
『へぇー?カメラ慣れしているみたいだね。』
はずみは驚くが、小学生の頃から美里の父の武司や知香の被写体となっており、ななもえの撮影もこなしているので平気なのだ。
『天下のななもえのモデルさんたちだよ。』
知香も観光客に負けずにカメラを構えた。
『4人とも、一字写経は書いたの?』
一字写経とは、十三参りの時に経典の中から好きな文字をひとつ選んで半紙に書き、奉納する習わしである。
『はい。』
渚が[夢]という文字を掲げた。
『上手い……。』
渚は小学生の頃から書道を習っていて、文字の意味よりその美しさに大人たちは感心する。
『今度店のお品書き書いてもらおうか?』
『そんなの、俺が書くよ。』
はずみと志郎母娘のやり取りがまた面白い。
『アンタ何書いたの?』
志郎が書いたのは[一]である。
『何よ、マイナスって?』
『いちだよ!親父が自分の名前だから書けって言うんだよ。』
『だったら[志]で良いじゃない?この字だって凄く意味があるんだから。』
経典にある文字を選んで書く事が推奨されてはいるが、経典になくても自分の好きな文字を選んでも良いとされている。
『美里ちゃんは?』
美里は自分の名前から[美]を書いた。
『美里ちゃんのパパもママもきっと喜ぶよ。』
美里は少し照れた。
『楓は?』
『私、2枚書いちゃった……。どっちが良いか選べなくて。』
1枚は[健]である。
『パパの名前から……。みんな健康でいてほしいし……。』
そしてもう1枚は[知]だった。
『まあ!ひい祖母の佐知子の字を取ってくれたの?』
『ばか。知香のともだろ?』
佐知子がボケて俊之がツッこむ。
『ありがとう、楓。2枚とも奉納してもらおうね。』
知香と楓の冷戦はここに終結を迎えたのだ。