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葛藤

すみれは渚にも他の誰にも[ななもえ]を嗅ぎ付ける不審な女性の話はせず、暫くは何もなかった。


動きが出たのは月末の事である。


『いらっしゃい。このみちゃん、待ってたわよ。』


近所の人たちからもこのみは人気ブランドの社長ではなくこのみちゃんと呼ばれているのだ。


毎月給料日の日に、食事会をするのがななもえの決まりになっていて、工房から徒歩で3分ほどのおおたか食堂がその場所になっている。


おおたか食堂はカウンターが4席とテーブルが2つ、それに座敷のテーブルが2つという小さな店だが、夕食時はいつも満席になるため、日にちを決めて予約をするのである。


『渚ちゃん、学校は慣れた?』


『はい。お陰さまで。』


普段、大人たちと一緒にいるので渚の言葉使いもしっかりしてきていた。


『さ、決まったら注文して。』


このみが号令して、それぞれが注文をする。


『私はびっくりメンチ、萌絵はいつものクリームコロッケね。それからビール!』


奈々は決めるのが早い。


『私、から揚げ定食で良いですか?』


『なぎちゃんはここのから揚げ好きよね。』


『だって、美味しいですから……。』


最初に来て頼んだから揚げが忘れられず、渚は他のメニューを頼めなくなっている。


『ラーメンでお願いします。』


『梓さん、またラーメンですね。セットにも付いているのに。』


『いえ、そんなにたくさん食べられません。ここのラーメン、懐かしい感じで好きなんです。』


一度決めたら冒険はしないのが母娘そっくりなところである。


『ビール先に持ってきて。あとジュースもね!』


テーブルに飲み物が運ばれ、このみが挨拶をする。


『みなさん、今月もお疲れさまです。乾杯!』


乾杯が終わったところで、店のおかみがこのみに声を掛ける。


『このみちゃん、なんか最近、会社の回りに変な人が探っているみたいよ。』


『おかみさん、本当ですか?』


もしかしたら睦月が来たのだろうか?


『いやね、この前、やせ形の女性がすみれちゃんにいろいろ会社の事聞いてたの。すみれちゃんがうちに連れて来たからその女性、聞く事だけ聞いて帰ったけどね。』


『このみさん!睦月さんではないですか?』


梓はいち早くそれが睦月だと感じた。


『その可能性はかなり高いですね。みなさんにもお話しなければなりません。』


このみは睦月が楓の生みの親で、梓とは刑務所で知り合った仲である事、知香と共に睦月の旅館を訪ねた事などを奈々たちに話した。


『警察に相談した方が良いんじゃないですか?』


陶子が口火を切って提案する。


『警察は止めましょう。まだ睦月さんと分かっていないし、たぶん睦月さんはまだ楓の住む場所とかを特定していないはずです。個人を付け回すならストーカー行為にもなりますが、会社の回りを一度うろついただけですから。』


『じゃあ、うちで捕まえるっていっても仕事中にそんな事出来ませんよ。ただでさえ忙しいのに。』


はっきり言って、迷惑なのである。


『みなさんには分からないかもしれませんが、私がここで社長となって、奈々さんや萌絵さんと一緒に仕事が出来る様になったのは元をただせば知香さんのお陰なんです。私は知香さんに報いるために知香さん一家の危機を助けたいんです。仕事の邪魔にならない様にしますから少しだけ協力お願いします!』


狭い小上がりのため土下座は出来ないが、このみは自分の食事に顔が付くくらいに頭を下げた。


『まあ私は小学校からの腐れ縁だし。一度は好きになった奴だから良いけど……。』


『え?そうなんですか?』


女子大生の星花(きらり)が奈々の一言に食い付いてくる。


知香と萌絵が付き合っていた話はみんなこのみや奈々から聞いていたが奈々の片思い話は萌絵以外知らなかったのだ。


『私はいつも通りだから。……仕事の邪魔にならなきゃ良い……。』


萌絵はいつだって通常営業だが、知香の心配をしているのはこのみにも分かる。


『具体的にはどうしましょう?』


『先ずは岡野さんね。あの子が睦月さんと接点がある訳だから。』



翌朝、いつもならすみれの方から渚に声を掛けるのだが、今日は逆だった。


『おはよう、すみれちゃん!』


すみれは渚の普段とは違う不敵な笑みにおののく。


『おおたか食堂のおばさんに聞いたんだけど……。』


すみれは観念して白状した。



すみれの話を受けて、夕食の時にみんなの前でこのみが発言する。


『睦月さんが働いている伊香保の旅館に確認したところ、睦月さんがここに来た日はお休みの日でした。という事はこの次に睦月さんが来るのもお休みの日だと思います。これは私の勝手な想像ですが、睦月さんは今の生活を崩してまで深入りしたくはないと思います。』


『このみちゃんさ、どうしてそう断言出来るの?私だったら深入りしちゃうかもよ?』


子どもがいる陶子が尋ねた。


『楓ちゃんに負い目がある睦月さんは一度は諦めたはずです。でも、たまたまホームページを見て一度だけでも会ってみたい。たぶん今はそれだけで良いと思っている段階だと思うんです。』


『段階って……。』


『私も警察に追われている時、渚を一目見るだけで良い……。そう思っていました。でも、一度その姿を見てしまったら傍に行って抱き締めたくなる……だから躊躇したのです。深入りしたいけれど、それは渚を不幸にしてしまう……そんな葛藤と戦っていました。』


その葛藤で今は苦しんでいると梓は推理する。


『だからこそ、今の段階で睦月さんを止めたいんです。私は知香さんや楓ちゃんだけじゃなくて、睦月さんをこれ以上不幸にしたくないんです。』


このみは力説した。

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