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第36話 父の声

「父上!!」


 ズッシーオは叫んだ。それは彼自身にしか見えない幻覚かもしれない。幽霊の話を聞いたことはあるが、眉唾物だと信じていた。

 だがズッシーオの目の前には2年前に亡くなった父親ディーノが、半透明で立っているのであった。


『フン! フロント・ダブルバイセップス!!』


 ディーノは両腕を上げると、力こぶを作る。彼は領地運営に勤しんでいたが、筋トレは欠かさなかった。むしろ筋トレをすることで日頃の疲れを癒していたのである。


「ふん! 僕も!!」


 ズッシーオも負けずにフロント・ダブルバイセップスのポーズを取った。

 次にフロント・ラットスプレットを決める。

 サイド・チェストにバック・ダブルバイセップス、バック・ラットスプレット。

 サイドトライセップスにアブドミナルアンドサイを決めた。


 はっきり言えばディーノと比べると、ズッシーオの肉の量は少ない。しかしディーノは満足そうな顔であった。


『立派になったわね。これもチアオ様の修業の賜物かしら』


 ディーノは熊のように体が大きく、迫力があるのだがなぜか女言葉を使っていた。

 逆に亡き母親は男勝りで使用人の代わりに薪割りをこなしていたのだ。

 素手で薪を割っていたのである。


「……確かに1年前と比べると、身体は大きくなりました。貧弱だった自分とさよならしたことで世界が変わった気分になりました。でも……」


 ズッシーオはうつむいた。そしてぶつぶつとつぶやく。


「意味はありませんでした。本当の僕はカツミに認められたいだけだったのです。その彼女がいなくなった以上、僕には生きる意味がありません。僕はすぐにあなたの元へ向かいます。もう僕は死ぬしか道がないのです……」


『それは本心なのかしら?』


「え?」


『あなたは昔から責任感は強かった。私が死んだあと立派に領主を務めていることは知っているわ。もちろん若輩なので舐められたり馬鹿にされたりはしているけど。でもそんなことはどうでもいい、領民のためにがんばっているのがあなたよ。他の人もそれを理解しているわ。あなたは無責任にすべてを放り出して、楽になるつもりなの? 本当にそれをしたいの?』


 ディーノのやけにキラキラとした瞳が、息子の目を捕えて離さなかった。

 するとズッシーオはみるみるうちに涙目になっていく。

 ぽたぽたと熱いしずくが頬を伝う。そして床に手をついた。


「……わからないのです。でも自分では何をしていいかわからないのです。僕は今まで良かれと思って筋トレをしてきました。カツミに振り向いてもらいたくて。だけどそれはかなわぬ夢になってしまった。もう僕には目標がないのです、生きる意味がないのです。僕はどうすれば……」


 冷たい床にズッシーオの涙が零れ落ちる。ステンドグラスから月の光が差し込み、ズッシーオを照らしていた。


「……けて」


 それは虫の羽音ほどの声であった。


「たす、けて、ください……」


 ズッシーオは声を絞り出し、初めて救いを求めた。

 彼は10歳の頃に母親を亡くした時も、16歳で父親を亡くし、領主になったときも自分ひとりで抱えていた。

 叔父のバンブフォイユやシャンユエ一族に命じたが、あくまでメインは自分である。

 他者に助けを求めたことは一度もなく、また人前で泣いたりしなかった。泣くのは貴族の恥であり、家族や領民の前で弱みを見せないためである。


 ディーノはそれを見て、安堵した表情を浮かべた。

 そしてズッシーオの右肩に右手を優しく置いた。


『それでいいのよ』


 その声色は優しかった。母親の子守歌のように安らぎを感じた。


『困ったときは誰かに丸投げしちゃっていいのよ。領主は自分ひとりでなんでもする必要はないの。面倒な仕事は信頼できる人間にまかせればいいのだわ』


「ですが、それだと父上のように……」


『私は誰も私の真似をしろとは言っていないわ。そのためのマニュアルを作っていたのよ。でもあなたにそれを教えられなかったのは私の失敗ね。私がこの世にとどまっていたのは、そのためだったのよ。あなたが人に助けを求めることをね』


「そっ、そんなことのために……」


『とっても重要なことなのよ。あなたはなんでも自分ひとりで背負ってしまう。だからこそカッミールちゃんがあなたを振り向かせるために、無茶なトレーニングをしたのだから』


「……」


『そのカッミールちゃんだけど、もう天国へ旅立ってしまったわ。だってあなたに伝えることなんて何もないんですもの。残されたあなたが何をするのかきちんとお見通しなのですからね。これで私のお話はおしまい。あとはあなたにまかせるわ』


 そう言うとディーノの身体がふわりと浮かんだ。月の光に吸い込まれ、周りには天使たちが集まってきた。


「まっ、まって! いかないでください、僕をひとりにしないで!!」


『あなたはひとりじゃないわ』


 ディーノがすがりつく息子をぴしゃりと拒絶した。


『サバットもいるし、バンブフォイユもいる。フートゥやスティーブ、シャオメイにシャオチュウたちもいるわ。アンジュ嬢やジェイクスにレオナルドだっている。あなたを助けてくれる人は大勢いるわ。私はただの亡霊、息子が心配でこの世にとどまった残滓なのよ。さぁ私は行くわ。愛する妻の元に……。さようなら私たちの愛しい子……。サバットやバンブフォイユたちにもよろしくと伝えてね』


 ディーノの姿はどんどん月に吸い込まれていった。ズッシーオは慌てて追いかけるが、その手はもう届かない。

 ズッシーオは泣きながら、叫んだ。


「父上!!」


 ☆


「兄さん、兄さん!!」


 ズッシーオは目を開けた。そこには弟のサバットが体をゆすっていたのだ。

 おそらく長い時間帰らない兄を心配したのだろう。背後には叔父のバンブフォイユと執事のスティーブが立っていた。

 扉の近くではアンジュとヴェルチュも見守っている。


「……サバット。僕は何をしていたんだ……」


「何をって、こっちの台詞だよ!! 兄さんが帰ってこないから心配していたんだよ!! 兄さんがカッミールさんの元へ旅立つかと思って、それでここに来たんだ!!」


「そうか……。ごめんね」


 ズッシーオはうつろな目で答えた。どうにも精気を感じられなかった。

 バンブフォイユとスティーブは顔を見合わせて、心配そうになる。


「アンジュさんも誤りに来たよ。自分も言い過ぎたって。だからといって後追い自殺は神が許さない行為だよ」


 サバットが言った。双女神教では自殺は最大の罪とされているからだ。

 

「……僕は夢を見たよ。父上がカツミを追おうとしたら現れて叱られたんだ。とても懐かしくいつもと変わらない父上だったよ……」


 ズッシーオの言葉にその場にいた全員は首を傾げた。彼は幻を見たのではないか、精神に異常を発したのではないかと心配になった。


「そうだよね……。カツミなら僕が後を追ってきても冷たく振り払うだろうね。筋肉を鍛えた僕にできること、そして僕にしかできないことがある……」


 ズッシーオは両手で両頬を叩いた。気合を入れなおしたのだ。

 そして立ち上がると、その場にいる全員に声をかけた。


「僕、いや私にはやるべきことがある。それをこれから話そう。そして私を助けてほしいのだ!!」


 その宣言にサバットたちは、最初は面を喰らったが、すぐに頬が緩む。

 ズッシーオは先ほどの腑抜けた状態ではない。活力に満ち溢れた表情を浮かべていたからだ。

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[一言] ああ……。なんてことに……。
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