第35話 意外な再会
「うぅぅ、私は何てひどいことを……」
教会の控室でアンジュは泣いていた。ズッシーオに対して口汚くののしったことを反省していたのだ。
そもそも自分はカッミールを止められなかったのではなく、止めなかったのだ。
彼女を陥れた国王レオナルド2世と、父親のジェイクス卿に反発していた。
その結果がカッミールの死であった。まさか餓死するなど夢にも思わなかったのだ。
これはアンジュだけではなく、周りの人間も同じである。
カッミールの補助をしていたつもりが、彼女が死ぬ手助けをしていたのだ。
アンジュは淑女にあるまじき振る舞いを恥じると同時に、ズッシーオの気持ちを踏みにじったことを後悔した。
「アンジュお姉さま……」
彼女に声をかけたのは金髪ロールの美少女だ。カッミールの妹、ヴェルチュである。
ヴェルチュは姉の死を悲しんだ。しかしひとしきり涙を流した後、彼女は鉄仮面を脱いだのである。
首から上は日焼けしてないので、白いのがちぐはぐだ。
「……これは誰が悪いわけでもない。悪いのは私の方だ」
言い出したのはジェイクス卿である。鍛え上げられた筋肉は立ち上がった熊のように迫力はあるが、今はこじんまりした印象を受けた。
さすがに娘を失った悲しみが答えているのだろう。ジェイクス卿の妻と10歳の息子は家族の死に泣きつかれており、別室で休んでいた。
「ドーピング疑惑が堪えてくれることを期待していたが、まったく逆効果であった。カツミがあそこまで頑固だとは思いもよらなかったのだ。私は父親失格だよ」
ジェイクス卿はうなだれた。貴族である彼は身内の悲しみを表に出さない。裏では泣いているかもしれないが。
「……いったい、カツミの検尿を取り換えたのは誰ですか?」
アンジュが涙をぬぐいながら訊ねた。
「……サージュだよ。前にフィーユという侍女がいただろう。サージュは秘術で若返り、カツミの検尿に薬をこっそりと入れたのさ」
アンジュとヴェルチュは思い出した。フィーユはあの後どこかへ消えてしまった。
だが彼女がサージュなら話は合う。フィーユはどことなくサージュに似ていたからだ。
「ドーピング検査をしたのはポーロ王国の人間で、私の息はかかっていない。それに不正を依頼しても聞き入れる気はないし、意味もないからな。
サージュならこっそりと工作できるのだよ」
「……サージュならやりそうですわね」
ヴェルチュはつぶやいた。サージュは50代だが動きはかくしゃくしたものだ。トレーに乗せたガラスのグラスを落としそうになっても、一瞬で拾い上げてしまう。
彼女の手の動きは常人ではまったく追えないのだ。包丁を持つ動きも、目にも止まらぬ速さである。
「サージュはシャンユエ一族の人間だからな。異形の働きをするのは当然だ」
ジェイクス卿の言葉に全員が納得した。ちなみにサージュはノルヴィラージュ領に来てから名乗った名前だ。表に出る場合はルミッスル王国の名前を名乗り、領内で暮らしている場合は元ある名前を使い分けている。
「ところでズッシーオ様はどうしたのでしょうか。いくらなんでも遅いような……」
ヴェルチュは心配そうな声を上げた。
☆
教会内はすでに暗い。ステンドグラスから差し込む月の光だけで照らしていた。
教会の祭壇にはカッミールを収めている棺がある。ズッシーオはその前で胡坐をかいていた。
「……カツミ。君は僕を慰めてくれたね。お母さまが亡くなったとき、僕は泣かなかった。残されたサバットを守ると約束したからだ。それから父上が亡くなり、僕は忙しくなった。君が筋トレをして筋肉を鍛えているのを見て見ぬふりをしたんだ。君が将来僕を守るために身体を鍛えたことを知っているのに」
ズッシーオは幼少時から身体が弱かった。父親のディーノは筋肉モリモリなのに、息子は貧弱なので馬鹿にされていた。実際はディーノにケンカを売る人間はいないし、子供が筋肉を鍛えるなどありえないのだが、ズッシーオはそう思い込んでいた。
彼は父親を尊敬していた。あれほど素晴らしい筋肉の持ち主は他にいないからだ。
将来は父親を超える立派な筋肉を身に着けると誓ったものである。
ところが事態は一変した。16歳の頃にディーノは暗殺されたのだ。もちろん暗殺を命じた貴族は徹底的に潰してあるが。
ズッシーオは16歳で領主になった。ディーノが残したマニュアルと叔父のバンブフォイユ、シャンユエ一族のおかげでなんとかなった。
その一方でカッミールの身体はムキムキになったのだ。ズッシーオは口では褒めたが、内心は嫉妬していた。男なのに女の方が立派な身体をしていることに劣等感を抱いていた。
なのでズッシーオは彼女を無視した。その結果が婚約破棄につながったのである。
ズッシーオはメンツをつぶされたと思い込んだ。そもそも婚約は本人たちだけの問題ではない。寄親たちのことも絡んでいる。簡単に婚約破棄などできないのは理解していた。
それでも筋肉仙人の元で修業をしたのは、プライドの問題であった。
カッミールを見返し、彼女の口から婚約破棄を撤回させる。それが目標になっていた。
だが身体を鍛えていき、体つきががっしりしてくると、段々自分のとった行動が恥ずかしくなってくる。
筋肉が肥大するにしたがって心に余裕ができてきたのだろう。
彼女に対して子供じみた態度を取ったことを反省し始めたのだ。
そもそも10歳の時にカッミールはズッシーオの母親の葬式でこう言ったのだ。
「わたくしがあなたを守ってあげる。肉の盾となりあらゆる災厄から守ってあげる」と。
彼女はその言葉を忘れずに、筋トレに励んでいたのだ。もちろん自分の身体に酔っていたかもしれないが、その根源は幼少時の約束であった。
「ははは、僕はそれを忘れていた。君は幼い日の誓いを覚えていたのにね。僕は、馬鹿だ。大馬鹿だよ……」
それでもズッシーオは涙を流さない。彼は泣かないと誓ったからだ。ヤムタユ家の身分は低い。金を稼いでも男爵なので周りからは馬鹿にされている。
強い領主としてがんばらねばならない。ズッシーオはそう誓っていた。だけどそれはもう限界になっていた。
「……君のいない世界なんて、なんて味気ないのだろう。たとえきれいな花が咲き乱れても、風が音色を奏でても僕の心には何も響かない……。すべてが色あせて見えるんだ。だから僕もそちらにいくよ。待っててね……」
ズッシーオは短剣を用意していた。これで自分ののどを突き刺し、あの世へ行くためである。
結局彼女とは1年前に別れたまま、今日にいたる。
自分のふがいなさを嘆き、苦しい日々を過ごすより、真で楽になりたいと思った。
ズッシーオは目をつむり、短剣を両手で握って突き刺そうとした。
ところが手はぴくりとも動かない。誰かが力づくで止めているようだ。
いったい誰だろうと、目を開くとそこには信じられないものが見えた。
『あらあら、早まってはいけませんよ。あなたがこちら側にくるなど許しませんからね』
優しい女性の様な声色だが、実際は野太い男の声である。
目の前には半透明の筋肉ムキムキの男が、ボディビルパンツ一丁で、ズッシーオの手を握っていた。前髪は特殊な方法で盛り上がるように見せている。目は優しく鼻は太い。唇も太いが口紅を付けており、あごは割れていた。
周囲は星のようなものがキラキラと光っている。いったい目の前の男は何者なのだろうか。
「父上!?」
ズッシーオが叫んだ。
そうこの男の名前はディーノ・ヤムタユ。ズッシーオの父親である。
当初父親が幽霊として登場させるつもりはなかった。ですがズッシーオがすぐに気持ちを切り替えるのはあり得ないと思い、急きょ設定を変更させました。




