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第34話 破滅の日

「若旦那様……」


 ズッシーオ・ヤムタユ男爵が筋力トレーニングをしていると、ヤムタユ家の執事スティーブが声をかけた。

 彼は銀髪で眼鏡をかけており、執事服を着ている。


 一方でズッシーオの肉体は見違えるようになっていた。僧帽筋はマフラーを巻いているように太くなり、三角筋は肩パットのように厚い。腕は前脚のようになっていた。

 大胸筋はまるではちきれそうだ。腹直筋は6つに分かれている。

 大腿四頭筋はゴリラと見違えるほどだ。もうズッシーオは貧弱男爵ではなくなったのである。


 筋肉仙人チアオの元で修業を重ねて1年の月日が経っていた。

 毎日、真面目にコツコツと筋トレを繰り返した結果である。

 チアオも素直にほめていた。チアオの孫娘であるレイカも拍手して絶賛している。


 ズッシーオは自信に満ち溢れていた。貧弱な身体とおさらばして素晴らしい肉体を手に入れたのだ。

 もちろん時折スティーブが持ってくる仕事も忘れない。筋トレと領主の仕事を同時にこなしている。


 その日のスティーブはどこか悲しげであった。無表情で鉄面皮と呼ばれている彼だが、ズッシーオは見逃さない。


「スティーブ。何があったの? 君がそんな悲しそうな顔をするなんて初めて見たよ」


「……」


 スティーブはすぐに答えなかった。彼は懐から一通の手紙を差し出す。淵が黒く塗られており、それは葬式に出す手紙である。

 そこにはノルヴィラージュ家の紋章が描かれていた。


「―――!? これは葬式の!! ノルヴィラージュ家の誰が亡くなったんだ!!」


 ズッシーオは慌てた。ノルヴィラージュ家は身分の違いはあれど、慣れ親しんだ関係だ。まさか当主のジェイクス卿ではないか。

 その時、スティーブは重々しく口を開く。


「……亡くなられたのは、カッミール・ノルヴィラージュ伯爵令嬢でございます」


 ズッシーオは頭に金槌で殴られたような衝撃を受けた。


 ☆


「ここか!!」


 王都にある教会にズッシーオはやってきた。昔は無骨な石造りであったが、ポーロ王国からステンドグラスを輸入し、芸術家たちの手で美術的価値を持つようになったのだ。

 今は喪服を着た人間であふれている。全員がしんみりした面持ちであった。


 ズッシーオは上半身裸でやってきた。身体を鍛えすぎて合う服を用意できなかったからだ。

 1年ぶりに見るズッシーオはすっかり様変わりしており、貴族たちを驚かせた。


「あれがズッシーオ男爵なのか。なんというすごい筋肉じゃないか、見違えたよ」


「ああ、貧弱男爵の名前は返上だな。今度から筋肉男爵と呼ぼう」


「そんなことはどうでもいいわ。なぜカッミール嬢がこうなる前に帰らなかったのですか!!」


 それぞれの思惑の中、ズッシーオは教会の中に入る。

 双子の女神像が見守る中、棺が置いてあった。女性にしてはかなり大きめに作られてある。

 カッミールの家族がいた。父親のジェイクス卿は石像のように固まって身動きしない。

 カッミールの妹であるヴェルチュは父親の胸にすがって泣いていた。母親はただ娘の棺を見ているだけである。


 ズッシーオはよろよろと棺に近づき、ふたを開けた。ジェイクス卿は何も言わない。そこには自分を婚約破棄したカッミールが眠っている。

 だが体には精気がない。まるで蝋人形の様であった。

 彼女の遺体は無理やり詰められたように見える。彼女の身体が大きすぎて普通の棺に収まらないのだ。

 死んでもスケールの大きい令嬢だったと周囲の人間は言うが、そんなものは何の慰めにもならない。

 

 なぜ?


 あんなに美しく勇ましい筋肉の持ち主である彼女が、なんで棺の中に入っている?


 どうして?


 僕は約束の期間を破ってここに来た。僕をののしるかあざ笑ってもいいんだ。


 なんで?


 どうして彼女は起きないのだ。


「……兄さん」


「ズッシーオ……」


 ズッシーオの両肩を後ろから誰かが掴んだ。

 右は弟のサバット。左は叔父のバンブフォイユである。

 ふたりとも喪服を身に着けていた。サバットはピチピチで今にも服が爆ぜそうである。

 バンブフォイユは腹部が樽のように膨らんでおり、前の方は閉められないでいた。


「サバット、叔父上……。どうしてカッミールはここにいるのです? 誰が彼女の命を奪ったのですか? 僕は、僕は……」


 ズッシーオの目はうつろであった。サバットはそれを見て、涙を流す。バンブフォイユが説明した。


「餓死だ」


 餓死? 彼女は飢えで死んだのか。貴族令嬢の彼女が何で食べ物を与えられずにいたのだ?

 頭の中で疑問が沸くがバンブフォイユが口を開いた。


「正確には低血糖による心不全だ。2日前カッミール嬢はトレーニングに勤しんでいた。オイルダイエットの仕上げで、炭水化物を少々摂っていたそうだ。

 だが医者の話では基礎代謝や運動によるエネルギー代謝が大きく、計算した食事量を上回ったらしい。

 予備燃料である体脂肪がまったくなかったんだ。人間は必要最低限の糖分がないと死んでしまうという。普通は無気力になるか、ドカ食いをするらしいが、カッミール嬢は精神力が肉体の限界を超えてしまったのが医者の見解だそうだ……」


 バンブフォイユは説明するが、ズッシーオはまるっきり聞いていない。

 わかっているのはカッミールが死んだという事実だけ。彼女はもうこの世界にない残酷な結果だけであった。


「どうして……。どうして、カツミはこんな無茶をしたんだ。そこまで筋肉に固執していたのか……」


「すべてはあなたのためよ!!」


 女性の大声が響いた。それはアンジュ・アミアンファン公爵令嬢であった。彼女は喪服を着ている。右側には婚約者のフォルミ・ファイルーズが立っていた。


「カツミはね、あなたに振り向いてほしくて身体を鍛えたのよ。だってあなたは自分の両親が死んでも涙ひとつ流さなかったそうじゃない。あの子はあなたのために筋肉を身につけたのよ、貧弱なあなたを守るためにね!!」


 アンジュはズッシーオに駆け寄り、胸を叩いた。ポカポカと叩かれるがズッシーオには痛みはない。

 ただ心がどんどん砕かれていく気分になった。


「どうして帰ってこなかったのよ! なんで筋肉にこだわったのよ! プライドのため? そんなくだらないことでカツミに会わなかったの!! 一度でも、たった一度でも帰ってきて、カツミ無茶なことはやめなさいと言えば彼女は素直に応じたわ!!」


「そっ、そんなことは……。彼女は、僕の言うことなど、一度も……」


「一度でも言ったことがあるの!!」


 アンジュは責める。ズッシーオはふらふらになった。視界がぐにゃぐにゃになる。アンジュの言葉は槍のように突き刺さった。


「あなたはカツミに注意したことが一度でもあるの!! 私はそんなの見たことがないわ!! あなたはあの子に否定されるのが怖くて、ずっと逃げてきただけじゃない! なにさ、ぶくぶく太って!! 気持ち悪いったらありゃしないわ! あなたは1年間、醜くなるために無駄な努力をしただけでしょ!!」


 その時パチンと音がした。それは平手打ちの音であった。

 婚約者のフォルミがアンジュの左頬を叩いたのである。


「ヤムタユ男爵に失礼だ。君は公爵令嬢だが立場ではヤムタユ男爵の方が上だ。それに淑女が公の場で貴族を侮辱して許されると思うのか?」


 フォルミの言葉を聞いて、アンジュはみるみるうちに涙をためる。そしていたたまれなくなり、泣きながら教会を走って出て行った。

 

 フォルミは改めてズッシーオに向き合った。それから頭を深々と下げる。


「ヤムタユ男爵。無礼をお許しください。彼女は混乱しているのです。長年の幼馴染がこのようなことで命を落としたことが信じられないのです。私は彼女を慰めます。では」


 フォルミは駆け足でアンジュを追った。残されたのはズッシーオとサバット、バンブフォイユだけである。


「……」


「兄さん……」


 サバットは兄を心配した。体つきはすでにズッシーオが上だが、弟はそれ以前の彼を尊敬していた。

 人を見る目があり、なんでもできる自慢の兄。10年前に母親を亡くして泣きじゃくった自分を慰め、忙しい父親の代わりに自分を支えてくれた兄。

 

「ズッシーオ……」


 バンブフォイユは甥を見た。彼は尊敬する兄ディーノの遺児だ。筋肉はディーノの方が上だが、思想はディーノより上であった。

 ディーノはいざというときのために、領地運営のマニュアルを作った。頭の出来が悪いバンブフォイユでも問題なく運営できるマニュアルだ。

 それをズッシーオは手伝っていた。2年前にディーノが死んだあとは、領地運営とともにマニュアル作成に力を注いでいた。彼が貧弱なのは仕事に夢中だったからだ。

 だからこそバンブフォイユは偉大な兄が残したズッシーオを守ると決意したのである。


「はは、ははは……。全部アンジュの言う通りだ。僕はカツミに一度でも注意したことなんかない……。僕はただカツミに振り向いてほしかっただけなんだ……」


 ズッシーオはへなへなと座り込んだ。ただ虚ろな笑い声だけが暗い教会の中に響いていた。

 ネタバレするとカッミールのモデルは、ボディビルダーのマッスル北村氏です。

 カッミールは本名の克己から取りました。

 ノルヴィラージュのノルはフランス語で、北を意味し、ヴィラージュは村を意味します。

 

 妹のヴェルチュは北村氏の妹で北村善美さんがモデルです。もちろん鉄仮面などつけてません。

 ヴェルチュはフランス語で善を意味します。

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