第26話 カッミールの破滅 後編
「では、出場者を紹介します。エントリーナンバー1、オルディネール・マルシャン子爵令嬢……」
王立劇場の舞台では司会者の中年男性が、ひとりひとり紹介していく。
令嬢たちは全員日焼けしており、ビキニだけを身に着けている。あばら骨が浮き出ており、腹筋も割れていた。
アンジュとヴェルチュ、合流したサバット・ヤムタユは最前席に座っている。貴族たちは2階にある特別室で観覧していた。
特に2回の真ん中には特別にあしらえた部屋がある。国王レオナルドと、その家族だけが入れる特別室だ。
レオナルドは王冠をかぶり、あごひげを生やしている。赤いマントを身に着けているが、その下はボディビルパンツのみであった。
彼は自分の身体に自身を持ち、普段からこの格好である。隣には王妃と幼い王太子もいるが、こちらは普通の服だ。あくまでレオナルドだけである。
「では最後にエントリーナンバー13、カッミール・ノルヴィラージュ伯爵令嬢でございます」
その瞬間、劇場内が湧いた。カッミールは元々金髪ロールが似合う美女である。それが男並みに筋肉が発達しており、力強さとバランスの良さで、観客たちを魅了しているのだ。
「いよっ、天才筋肉令嬢!!」
「まさしく天は一物どころか二物も与えるな、不公平だね」
「双女神様に愛された筋肉で、俺たちを魅了してくれ!!」
観客席の貴族の子息令嬢たちが掛け声を上げた。
ヴェルチュは身内が賞賛されることはうれしいが、複雑な気持ちでもある。
それを右側の席に座っていたサバットが声をかけた。
「カッミール嬢の筋肉は見事です。あれだけの身体は相当な努力の賜物でしょう。あの方は決して天才ではありません」
その言葉にヴェルチュは安堵したようだ。姉のカッミールは天才ともてはやされているが、実際は努力の人である。
「ではリラックスポーズを取ってください」
司会者の言葉に令嬢たちは両腕を下げ、少し広げている。リラックスといっても全身に力が入っているのだ。
そして司会者の言葉で右側に45度回転し、次に背後を見せる。それからくるりと回ったのであった。
「ではフロント・ダブルバイセップスのポーズをどうぞ」
司会者の掛け声に令嬢たちはフロント・ダブルバイセップスのポーズを取った。
バイセップスとは上腕二頭筋を意味し、両腕を曲げた状態で上腕二頭筋を見せ、さらにその体勢を前から見せるのだ。
両腕を上げていることから逆三角形の体型や腹筋、身体全体のバランスなどを全て見ることが出来る。
昔から、力強さや筋肉の大きさを象徴する代表的なポーズとして広く普及してきたポーズだ。
ただし女性の場合は握り拳ではなく、指を広げるのだ。こちらは美しく見せるのが重要なのである。
「上腕二頭筋がハムだね。とてもおいしそうだ」
「13番の三角筋はまるで筋の入ったメロンだよ。デザートに欲しいね」
「腹筋がまるで鉄の門に見えるぜ」
観客たちは盛り上がっていた。カッミールもポーズを取り、歯をむき出しにして笑っている。
「はい、リラックス。次はサイドチェストに移ってください」
今度は身体を横に向け、両腕を伸ばし、右手で左手を引っ張った。
サイドチェストのサイドは横、チェストは胸で、胸を強調したところを横から見るポーズだ。
胸の厚みを始めとして、腕の太さや背中や脚など、主に横から身体の厚みを見る他、肩の大きさも強調するのである。
女性の場合は、右足を伸ばす。やはり美しさを強調するためだ。
「胸が洗濯板だ。洗ったら頑固な汚れも落ちちゃうね」
「腕が前脚だな。すごくデカイよ」
「13番の脚は馬並みに太いな。今にも駆け出しそうだ」
観客たちは盛り上がっていた。劇場内は熱気に包まれてる。アンジュとサバットは汗が噴き出て、ハンカチで拭った。
「ではバック・ダブルバイセップスをどうぞ」
次に令嬢たちは背中を向けた。
バック・ダブルバイセップスはダブルバイセップスのポーズを後ろから見たもので、正面でのダブルバイセップスよりも身体をやや後ろに反らす。広背筋と脚を見られるのだ。
背中を左右から縮めるような体勢となり、背中の筋肉のカット(筋肉のライン)が浮き彫りになる。密集された筋肉群の山が現れ、逆三角形の体型が強調されるポーズだ。
こちらも指を広げている。
「13番の背中に鬼神が宿っているよ!!」
「ケツに蝶が浮かんでいるね」
「両脚がカニのハサミだな。挟まったら真っ二つにされそうだよ」
どんどん熱気が高まってくる。ステージ上の令嬢たちも場の雰囲気に酔い始めていた。
「最後にサイドトライセップス、どうぞ」
今度は横を向き、両腕を後ろに回す。
サイドトライセップスのトライセップスは上腕三頭筋を意味する。腕を横から見せて、上腕三頭筋を強調するポーズだ。
横向きの体勢ということで、腕の太さ以外にも、胸の厚みや脚の厚みなど、身体の凹凸が見られるポーズである。
こちらも右足をつきだす。女性の場合は力強さの他に、美しさも重要視されるのだ。
「上腕三頭筋が丸太だね。頭を叩かれたら死んじゃいそうだ」
「胸の厚みがサンドイッチだよ。縦から食べたらおいしそうだ」
「やっぱり13番は最高だな、結婚してくれ!!」
劇場内は最高に盛り上がった。女性の場合はフロント・ダブルバイセップスとサイドチェスト、バック・ダブルバイセップスにサイドトライセップスの4種目しかない。
「……やはりカッミール嬢がずば抜けておりますね。男の私でもほれぼれするくらいです」
「わたしの目から見ても優勝は間違いないでしょう。お姉さまの筋肉は一回り太いですが、均等に鍛えられた美を感じます」
サバットとヴェルチュがひそひそと話している。ふたりの目から見てもカッミールの優勝は火を見るより明らかだ。観客の方も同じ気持ちである。
だがアンジュの表情は暗い。ジェイクス卿が言った言葉が気にかかるからだ。彼はカッミールの優勝はありえないという。いったいどういう意味なのだろうか。何か嫌な予感がしてならなかった。
審査員の貴族たちが話し合いをしている。そこにひとりの男が駆け込んできた。そして何やら小声で話をしている。
すると貴族たちが激高した。その内のひとりが駆け足で去っていく。行き先は国王レオナルドのいる部屋だ。
数分後、国王レオナルドがマントを翻し立ち上がった。鍛えられた鋼の鎧のような筋肉があらわになる。飛来する矢に刺さってもはじき返しそうにてかてかと黒く光っていた。
「今、とんでもない報告を耳にした。ドーピング検査で、引っかかった者がおるのだ。そのものの名はカッミール・ノルヴィラージュ嬢であると!!」
レオナルドが銅鑼の鳴るような声で叫ぶ。それを聞いてアンジュは目を丸くした。カッミールがドーピングをしたと。とても信じられなかった。
もちろん当の本人も抗議の声を上げる。
「そんなはずはありませんわ! わたくし本日は一滴も水を飲んでおりませんもの、ドーピングなんてありえませんわ!!」
「黙れ! 吾輩はドーピングが大嫌いなのだ、お前は失格だ、もう国内のコンテストは永久に出場停止、社交界でも筋肉をさらすことは一切認めない、わかったか!!」
レオナルドが怒声を上げる。カッミールはそれを聞いて、へなへなと座り込んだ。その表情は絶望に染まっている。
観客たちは無責任に彼女を非難した。
「やっぱりあいつの筋肉はドーピングで作られたんだな」
「でなきゃ女があんな身体を発達するわけがないよ」
「まったく恥知らずもいいところだな。死ねばいいのに」
それを聞いたヴェルチュが泣き崩れた。姉のあまりの言葉にアンジュとサバットも怒りに震えている。
「……おかしいわ。国王陛下が調査もせずに判決を出すわけがないわ」
アンジュの表情は鬼のように怒りに染まっている。国王レオナルドは公平な裁きを重視している。何か不正が起きても真実かどうかきちんと調べてから裁きを下すのだ。
今回ドーピング検査でひっかかったかもしれないが、それを疑いもせずドーピングしたと決めつけ、その場でコンテストの出場を永久に禁止するなどあまりにも早急である。
普段、国王と近い貴族たちも確たる証拠がないのに、早まっているのではないかと、ひそひそと国王を非難していた。
一方でジェイクス・ノルヴィラージュ伯爵は平然としたままだ。娘がドーピング疑惑になっても怒りもせず、にやりと笑っている。彼は不正を嫌う人間だ。娘がドーピングをしたなら即殴りに行くので有名である。それがまったく動く様子がない。それを見てアンジュはすべてを察したのだ。
嵌められたのだ。カッミールはやってもいないドーピングの罪を背負わされたのである。
「ひどい……。いくら娘がボディビルにはまっているからと言って、ドーピングをねつ造するなんて……」
おそらくジェイクス卿と国王レオナルドはグルだ。尿のサンプルを取り換えたのは新しく入ったメイドのフィーユだろう。彼女が裏切ったのだ。
サバットは泣きじゃくるヴェルチュを慰める一方で、アンジュは怒りに震えていた。
こうしてコンテストは最悪な結果で終了したのであった。カッミールは魂が抜けたように、ぴくりとも動かない。




