第25話 カッミールの破滅 中編
「まあ、アンジュにヴェルチュ! 応援に来てくれたのね!!」
カッミール・ノルヴィラージュ伯爵令嬢が喜びの声を上げた。
こちらは王立劇場にある控室である。コンテストに出場する貴族令嬢と、その世話をするメイドでごちゃごちゃしているが、余裕はある。
大きな姿見に綿のクッション付きの椅子などが設置されてあった。
カッミールには若いメイドが世話をしている。白髪の幼女だ。どこか不愛想なのでとっつきにくそうである。
「アミアンファン公爵令嬢様。お初にお目にかかります、フィーユと申します」
フィーユはアンジュに自己紹介して、頭を下げた。
アンジュは彼女を見て、首を傾げた。
「ノルヴィラージュ家で彼女を見かけた記憶がないけど……」
「それは当然ですアンジュお姉さま。フィーユはつい最近雇い入れたメイドなのです」
アンジュの疑問を、ヴェルチュが答えた。
「その通りですわよ。なんでもサージュの遠い親戚だそうです。お父様がわたくしにあてがってくれたのですわ。おーっほっほっほ!」
カッミールが高笑いをしたが、アンジュはますます怪訝な顔になる。
ノルヴィラージュ伯爵は豪快な見た目だが、抜け目ない性格だ。いくら古参のメイドであるサージュの親戚とはいえ、娘の専属メイドにするだろうか。そもそもカッミールには長年仕えているメイドがいたはずだが、そちらはどうなったのだろう。
「ああ、しばらく休暇を取るとのことですわ。長い間、わたくしにずっと付きっ切りでしたものね。たまには休ませてあげないと体に毒ですわ」
「……それは本人が口にしたのかしら」
「そうですわよ?」
けろりとした表情でカッミールは答える。アンジュの疑惑はますます深まった。カッミールのメイドはお嬢様命である。雨が降ろうが槍が降ろうが、カッミールのためならなんでもする女だ。自身が風邪を引こうと、盗賊の放った矢が肩に刺さろうと休むことなく世話をすることを誇りとしていたのだ。
そのメイドの鑑が休みを取る。これは異常に思えた。
「では、カッミールお嬢様。わたしは検尿を届けに行きます」
フィーユは頭を下げると部屋を出て行った。この国ではボディビルコンテストではドーピング検査をするのである。こちらはポーロ王国から専門の医者と検査のための道具を用意しているのだ。
フィーユが去った後、カッミールは周りを見回し、笑い出した。
「おーっほっほっほ! 見なさい、この貧弱な令嬢たちの姿を!! はっきり言えばわたくしの敵ではございませんわね、それどころかヴェルチュにも劣っておりますわ。あなたも参加すればよいのに」
「そっ、それはだめです!! だってコンテストでは鉄仮面を取らないといけない規則なのです。これがなくてはわたし、恥ずかしくて死んでしまいます!!」
鉄仮面とビキニだけの方が恥ずかしいと思うが、周りは突っ込まない。もう見慣れたからだ。
「うふふ、相変わらず、恥ずかしがり屋さんですのね。サバットの前なら脱いでいるのでしょう?」
カッミールの声色が優しくなる。本来彼女は家族思いなのだ。これが彼女の本質なのだが、筋肉になると意固地になる欠点がある。
「そっ、そんなことは!! そん、そんにゃこと……、ぷしゅう……」
鉄仮面が真っ赤になり、ゆでだこのようになった。アンジュはそれを見て微笑ましく思うが、すぐに顔を引き締めて、友人の顔を見据える。
足元をちらりと見ると、足の指には包帯を巻いていた。なんとも痛々しい姿である。
「カッミール。あなたはまた無茶をしましたね。ヴェルチュから聞きましたよ、体重を落とすために夜通しランニングを続けたと。足の爪が割れるまで走るなど正気ではありません」
愛称ではなく、きちんと名前で呼んでいる。空気が変わったことに気づき、カッミールも真顔で応えた。
「……アンジュ、わたくしには時間がございませんの。わたくしは子供の頃からいつも考えておりました。自分は何のために生まれたのかと。もちろん貴族の義務として政略結婚をすることは受け入れますわ。ですがその前に自分が何を残せるのか、試してみたいのです。20歳にもなればお父様は無理やりわたくしに結婚させるでしょう。さすがにこれ以上のわがままは許されないと思っております。ですから最後には自分の意思で何かを成し遂げたいのです。わかってください」
カッミールは真面目に語った。それを聞いたアンジュは目をつむり、やがて首を横にふるう。
「違うでしょう。あなたの本当の目的は、ズッシーオでしょう。あの方が周りに貧弱と馬鹿にされたから、あなたは自ら鍛えたのではありませんか」
図星であった。カッミールが身体を鍛え始めたのはズッシーオのためであった。
彼は幼少時から身体が小さかった。まるで女の子のように華奢で、貴族の子供たちには馬鹿にされていた。
父親のディーノが屈強な体つきだったのにも関わらず、その息子が貧弱なので余計馬鹿にされていたのだ。
その上4歳年下の弟であるサバットの方が体格に恵まれており、まずますズッシーオは孤立していったのである。
それに憤慨したのはカッミールだ。12歳の頃彼女はまず自分の限界を知るために、夜通しランニングをすることに決めたのだ。腰には牛乳を入れた皮袋をぶら下げて。
彼女は走り続けた。自分が身体を鍛えれば将来結婚するズッシーオが馬鹿にされないと思ったからだ。
もっともズッシーオに身体を鍛えることを言ったら、君は女の子だから鍛えなくていい。身体を鍛えるのは男の使命だと返されたのだ。
これは当時のルミッスル王国では常識だった。男は身体を鍛えて外敵から守り、女は家事で家を守るのが美徳とされていた。ボディビルが流行してもこれだけは変わらなかった。もちろん女でも身体を鍛える人はいるが、あくまで美容と健康のためである。
カッミールの心の中にはふたつの意思が反発していた。ズッシーオに対する愛と、ズッシーオを見返す反発心。これらが均等になっていたのである。
結果として彼女は倒れた。日中に晒され腐った牛乳を飲み干してしまったからだ。
そのため彼女は気絶してしまい、目が覚めたのは自宅のベッドであった。
ジェイクス卿の雷が落ちたのは言うまでもなく、母親と妹のヴェルチュには泣かれた。
ズッシーオが見舞いに来ると聞き、カッミールはふて寝した。
彼が見舞いに訪れても、「女の子が失敗してさぞかしおかしいでしょうね」と嫌味を言ってしまったのだ。
メイドには注意され、ジェイクス卿もこれを聞き、さらに娘を叱り飛ばして、ズッシーオに謝罪したそうだ。
本当は見舞いに来てくれてうれしかったのに、つい口は反対のことを言ってしまう。
カッミールはかつて父親が筋肉仙人から学んだ知識を使い、筋力トレーニングを始めた。
ジェイクス卿はあくまで領地の、自分の私兵たちにだけ筋肉仙人の知識を使用したのだ。
それにノルヴィラージュ伯爵領では大豆の生産は王国一であり、大規模な養鶏場のおかげで生卵には事欠かさなかった。
筋トレと食事のおかげでカッミールの筋肉は男も超える力強さを手に入れたのである。
「最初はズッシーオのためだったかもしれない。でも今はわたくしの望みとなりましたわ。この筋肉でルミッスル王国に名を刻みますわ。そうなればわたくしが何のために生まれたのか、わかる気がしますの。そしたらズッシーオとの婚約破棄を解消してもよろしくてよ。おーっほっほっほ!」
カッミールの高笑いにアンジュはあきらめの表情を浮かべた。もう彼女には何の言葉も耳に届かない。馬耳東風である。
ヴェルチュも鉄仮面越しではあるが悲しそうにしているのがわかる。
その横で冥途のフィーユがなぜか哀れみの目で、カッミールを見ていることに誰も気づかなかった。
そして、いよいよボディビルコンテストが幕を上げたのである。
ドーピング自体は古代ギリシャ時代から競技者が興奮剤を使用していたそうです。
20世紀になるまでドーピングを禁止する法律がなく、1966年の国際自転車競技連合と、国際サッカー連盟が世界大会でドーピング検査をしたのが初めてだそうな。




