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第20話 天国への門

「はい、ここ」


 石造りのジムの中で男女ふたり組がミット打ちをしていた。

 昼間なので窓ガラスから光が差し込んでいる。他にもガラスで覆われた燭台で暗い部分を照らしていた。

 周りにはサンドバックやダンベルが置かれた棚などがあった。周りには縄跳びをしたり、巨大な姿見でシャドーボクシングをする男女が大勢いた。


 男は上半身裸で、赤いボクシンググローブをはめていた。刈り上げた銀髪は狼を連想する。肩は前脚のように太く、胸は尻と間違うほど割れていた。腹部はカニを裏返しにしたようで、脚はゴリラのようである。


 彼の名前はサバット・ヤムタユ。ズッシーオの4歳離れた弟である。


 対する女性は黒い長い髪を後ろにまとめており、シャツと短パンのみである。そしてミットを持っていた。

 アンジュ・アミアンファン公爵令嬢である。


 このジムはルミッスル王国の王都にあり、貴族専用のボクシングジムである。


 一通りミット打ちを終えると、メイドがやってきてアンジュの汗を拭いた。サバットも同様である。

 ミット打ちは緊張感・精神の集中力を高め、筋肉の活性化や体全体の引き締める効果があるのだ。

 これは受ける側も同じである。アンジュはサバットより一回り体格は小さいが、少々時から慣れ親しんだボクシングで間違いは起こさない。そう注意しているのである。

 

 まずは念入りにストレッチで体をほぐし、手はバンテージを巻く。それからシャドーボクシングやサンドバッグ打ちなどを行うのだ。


 この国では年に1度ボクシング大会がある。勝利すれば出世の道も開かれるのだ。もちろん知識がなければ意味はないが。


「ふぅ、いい汗をかきました。さすがはアンジュ様ですね」


「何をおっしゃるのかしら。あなたの腕もさらに磨きがかかりましたよ」


 ふたりは互いに褒める。その様子を他の練習している貴族の女性が話していた。


「見てごらんなさい。アンジュ様の腹直筋を。あんなに見事に6つに分かれてますわ」


「アンジュ様の腹直筋は何て言われているかご存知? 通称天国への門と呼ばれているのよ」


「ご本人も天使に近いですから、ふさわしい名前ですわね」


 女性陣の話はこちらまで聴こえる。浮いた話ではなく、アンジュの腹直筋で話題になっているのだ。

 実際に彼女の腹直筋は割れていた。幼少時からクランチを続けた結果である。

 アミアンファン公爵はボクシング大会で何度も優勝をしてきた猛者だ。跡継ぎには兄がおり、彼も身体を鍛えている。優勝は2度ほどであった。

 アンジュの場合はボクササイズであるが、父親や兄のトレーニングに付き合うことで身体が鍛えられたのだ。

 

 もっとも筋肉がごりごりではない。女性らしい丸みを帯びた体型である。


「あら、アンジュ。サバットも一緒なのね」


 そこにやってきたのはカッミール・ノルヴィラージュ伯爵令嬢であった。彼女は黒いビキニを着ている。男と見間違えるほどに鍛え上げられた筋肉だ。


「あらあら、ノルヴィラージュ伯爵のゴリラお嬢様が来ましたわよ」


「男みたいに筋肉モリモリで恥ずかしくないのかしら」


「私が婚約者だったらすぐ婚約破棄を願い出ますわね」


 カッミールを見て他の貴族令嬢があざ笑った。社交界ではお世辞を言うけど、裏を回れば陰口をたたくのが貴族である。

 アンジュのように同世代にも好かれるのは珍しいのだ。

 カッミールの耳にも悪口は届いていたが無視する。ちっぽけな虫けらの羽根音など気にしていられないからだ。


「これはノルヴィラージュ伯爵令嬢様。ご機嫌麗しゅう」


 サバットは頭を下げて挨拶する。それをカッミールが制した。


「あらサバット。わたくしたちの間でかしこまった挨拶は抜きよ。それよりもズッシーオの様子はどうなのかしら?」


 彼女は王都にいる間、一週間に一度はサバットかアンジュに、ズッシーオの現状を聴きに来た。婚約破棄したにもかかわらず、彼女はズッシーオのことを絶えず聴きに来ているのである。


「スティーブの話ではかなり順調のようです。枯れ枝のような身体がムキムキになったそうですよ。でも人前には出られないそうです」


 すでにズッシーオが旅立ってから5か月は過ぎている。スティーブからの情報は届くが、帰るつもりはないらしい。

 ちなみに王都からヤムタユ領まで馬車で1週間の道のりだが、スティーブは1日で来ている。夜通し走っているそうだが、服装や髪型はまったく乱れず、息切れもしない。


「まったくズッシーオは馬鹿ね。身体を鍛えるなら王都のジムを利用すればいいのに」


 アンジュが文句を言った。するとカッミールの顔が険しくなる。


「アンジュ。ズッシーオの努力をバカにしてはいけませんわ。いいえ、彼だけでなく努力する人間を笑うなど失礼にもほどがあります。人が頑張る姿をあざ笑うなど言語道断ですわ」


 カッミールは真剣なまなざしでアンジュに注意した。彼女は自分が馬鹿にされても、ズッシーオをバカにすることは許せないのだ。


「ああ、ズッシーオが素敵な身体になって帰ってくることをわたくし楽しみにしておりますわ。今日はボクシングではなく、別のジムに行きますの。脚を重点的に鍛えますわ。それでは」


 カッミールは挨拶を済ませると、表に待たせた馬車に乗って移動した。

 その後姿をアンジュたちは見送っている。


「アンジュ様、やはりカッミール様は兄さんを諦めていないようですね」


「当然です。カッミールとズッシーオは今も相思相愛なのですから。でも今はすれ違いが続いております」


 アンジュはそれを歯がゆく思った。ふたりとも頑固で自分の考えを変えないのが欠点である。

 ズッシーオは貧弱男爵と馬鹿にされているが、別のところで優秀なのだ。ただルミッスル王国では筋肉ブームが流行っており、筋肉がない男は馬鹿にされていた。

 ズッシーオより弟のサバットを当主にすべきだったと、貴族たちの陰口が絶えなかった。

 だがサバットは兄を退けるつもりはない。それどころかヤムタユ領ではズッシーオ以外の当主はありえない考えが一般的である。

 むしろ領内でズッシーオの悪口を言えば、領民に半殺しにされる危険性があった。


「スティーブがズッシーオを無理やり引き戻してくれればよいのだけれど……。その可能性はないわね」


「はい、私もそう思います。そもそも兄さんに敵う人間などこの王国ではいないと断言できますね」


 アンジュとサバットは言い切った。果たしてズッシーオの実力はどうなのか。それは次回のお楽しみである。


 割れた腹直筋は天国の門に見えるよね。

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