第17話 考える脚
「お主は脚をどう思う?」
筋肉仙人の道場には様々なトレーニング器具が所狭しに置かれている。
道場主のチアオは、トレーニング前のズッシーオ・ヤムタユ男爵に先ほどの質問を投げた。
ズッシーオは4か月前に来た時と比べて一回りも肉が付いてきた。冬の枯れ枝に雪が積もったように太くなっている。
上半身は裸で灰色の布のズボンを履いていた。肌は日焼けして黒くなっている。
「どう思うと聞かれても……。私は必要ならばきちんと鍛えますが」
「うむ、お主はそういうと思ったよ。脚はあまり人気がないな。定期的に脚をトレーニングする人は数えるほどしかいないのだ。脚は辛いから嫌いだというのが多いな」
それを聞いてズッシーオは納得した。彼は仕事で忙しくても、筋肉の話は耳に入れていた。元婚約者のカッミールが脚を鍛えない軟弱者が多いと嘆いていたそうだ。
領地内のジムでは常にベンチプレス台は埋まっているが、スクワットラックやレッグプレスマシンには人影があまりないと聞く。
だがボディビルダーを目指すなら脚は避けて通れない道だ。
「まずはバーベルスクワットから始めるぞ。さあバーベルを担ぐがよい」
ズッシーオは近くにあったバーベルを担ぐ。重さはバーも含めて40キロほどだ。最初は持ち上げることが困難だったが、今は軽々と担ぐことができる。
ズッシーオはこの事に感動した。持ち上げられなかった物が持ち上がる。自分の身体なのに信じられなかった。
チアオはこの感動を忘れないようにと言った。感動はなかなか忘れられないものである。
さてバーベルスクワットの基本的な姿勢はスクワットと同じだ。
まずはバーを担いだ状態で、肩幅よりやや広い姿勢で立つ。視線をしっかりと前に向け、胸を張って背筋を伸ばした状態で、お尻を後ろに下げながらしゃがむのだ。
バーを担ぐ位置は首ではなく肩、僧帽筋の上部である。肩甲骨を寄せて、僧帽筋が盛り上がった箇所に担ぐのだ。
注意するのは猫背にならないことである。腰を痛めるからだ。
背筋をしっかりと伸ばしておこなうのが大切である。
また前傾しすぎても腰に負担がかかるので注意が必要だ。
これを15回に3セットを行う。脚全体が鍛えられるのだ。
ズッシーオはゆっくりと脚を曲げる。椅子に座るような感覚で尻を下す。
チアオは後ろに回るが、姿勢はしっかりしていた。
それを見てしきりに感心する。そこにチアオの孫娘レイカが入ってきた。
彼女は頭に頭巾をかぶり、エプロンを付けている。掃除の途中のようであった。手には水が入った木の桶に、雑巾が入っていた。
「おじいさま、ズッシーオ様の姿勢はとてもきれいですね。初めてとは思えません」
「うむ。あの男は言われたことを寸法変わらず忠実にやるからのう。並外れた集中力じゃわい。さすがはディーノの息子じゃのう」
「私はディーノ様を知らないのですが、それほどのお方なのでしょうか?」
「ああ、すごい男だよ。ここで修業をしたわけではないが、あの男の知識は尋常ではなかったわい」
かつてズッシーオの父親ディーノは普通の少年だった。腕白でよく家族や使用人たちを困らせていた。勉強嫌いで跡継ぎとしては問題があったという。
ところが8歳の頃、木に登り、落下してしまった。その際に頭を強く打ち、丸一日目を覚まさなかった。
翌朝、目を覚ましたがディーノはすっかり人が変わっていた。
まず言動がめちゃくちゃであった。何を言っているのかさっぱりわからないのだ。遥か東方にある国の言葉に似ていたが、ルミッスル王国とは縁がないので理解できなかったという。
やがて言葉を覚え、知識を蓄えると、今度は言葉遣いがおかしくなった。男なのに女言葉を使い出したのだ。
その上、性格も激変した。5歳年下の弟であるバンブフォイユの面倒を見るようになり、女性たちにも気遣いができるようになっていた。
その一方でディーノは身体を鍛えることに夢中になっていた。友人のジェイクス・ノルヴィラージュが筋肉仙人の元で修業をしたと聞き、彼に教えを乞うた。得た知識をフル活用し、ポーロ王国からボディビルに必要なマシンや、キノコに海藻、こんにゃくや大豆の輸入に積極的に動いた。
両親はディーノが18歳の頃に亡くなり、跡を継いだ。彼の筋肉はゴリラ並になっていた。そのくせ女言葉を使うので不気味がられていた。
もっとも女性陣とは話が合い、人気は高かったが。
ディーノはあふれる筋肉とカリスマでヤムタユ領の繁栄に力を注いだ。
次に自分以外の人間が領地運営をできるように、マニュアルを作り出した。
ひとりの天才に頼ると、そいつが死んだらすべてが終わる。ディーノは家臣を説得し、マニュアル作りに心血を注いだのである。
トレーニングはしていないが筋肉仙人の元で座学をしたことがあり、その知識も活用されていた。
ディーノは2年前に殺されてしまったが、マニュアルはすでに骨組みが出来上がっていた。
おかげで年若いズッシーオやバンブフォイユでも問題なく運営することができた。
もっともシャンユエ一族の力もある。スティーブはかつて20歳のディーノを殺しに来たのだ。
単純に食べ物がほしくて貴族を殺そうとしたが、返り討ちにあった。
その背後にあるシャンユエ一族を全員殴り飛ばしたのだ。そして彼らをヤムタユ領に住まわせたのである。
長老のフートゥは安住の地を与えてくれたディーノに忠誠を誓ったのであった。
「ズッシーオ様はそんなすごい人の息子なのですね。ですがなぜディーノ様は自分の子供に筋力トレーニングを教えなかったのでしょうか」
「教える暇がなかったようじゃな。当時は領地内の法の設備で忙しかったという。教える前に愚かな貴族の手で殺されたのだからやりきれないわい。ただし相手には手痛い報復を与えたそうじゃがのう」
チアオはフォッフォと笑った。
「ディーノは脚がしっかりしておったのじゃよ。脚は人間が身体を支える大切なものじゃ。それをおろそかにしてはいかん。ディーノの意思は息子だけでなく、領民にも広がっておる。脚のトレーニングは大事じゃな」
ズッシーオはバーベルスクワットを続けている。話は聞いているだろうが、本人は気にしていない。
スクワットに集中しており、耳に入っていないようだ。
「さてバーベルスクワットが終わったらレッグカールじゃな」
チアオは楽しそうであった。




