序章 筋肉令嬢と貧弱男爵
ここはルミッスル王国。平和な国である。
真っ白いお城に王様が住み、緑が豊富で、各地は爵位を持った貴族たちが治めていた。
水源が豊富で、人々はお風呂が好きだ。貴族は自分の家に専用の浴室があり、庶民は銭湯に通うものが多い。
公衆便所が豊富で、家畜は住宅街から離れて飼育されている。
外国との付き合いはほどほどだが、時たま国境辺りで紛争が起きたりするが概ね平和であった。
そんなルミッスル王国ではボディービルが大流行である。
人間の身体を鍛錬で美しく改造する行為が受けていた。貴族はもちろんだが、庶民も器具を使わないトレーニングをたしなむほど、ボディービルは王国で認知されている。
そんな中で社交界ではひとりの令嬢がみんなの視線を集めていた。
黄金の髪はふさふさであった。肌はこんがり焼けており身に付けているのはビキニのみだ。整った顔立ちは毎日美容に気を使っていることがうかがえる。
皮は極限までバリバリで、ポーズを取るたびに血管が浮き出ていた。歯をむき出しにして笑うと、歯の白さが際立っている。
彼女の名前はカッミール・ノルヴィラージュといい、伯爵家の長女である。18歳で愛称はカツミだ。
彼女の筋肉は素晴らしく、同年代の女性はもちろんの事、男たちも凌駕する素晴らしい肉体を持っていた。
「ふん、フロント・ダブルバイセップス!!」
カツミは両腕を上にした後、力こぶを作る。大胸筋の強さを見せるポーズだ。
綺麗に着飾る貴族の子息や令嬢たちからため息が漏れる。
「ああ、ノルヴィラージュ家のご令嬢はなんて素晴らしいバルク(筋肉量)なのだろう。ほれぼれするな」
「うむ、ディフニッション(皮下脂肪の無い輪郭が見える筋肉)も最高だね。あれほど作られた筋肉は見た事がない」
「バランス(全身の均衡ある筋肉)をパンプ・アップ(ウェイトトレーニングをしたことで血液が筋に送られて充血する筋肉)した状態はまさに芸術だね。あの方と婚約できる人はさぞ幸せ者だな」
「いいえ、そうでもありませんわよ」
ひとりの令嬢が否定した。いったいどういう意味だと周りの人々はその令嬢の元に集まる。
「カッミール様の婚約者はズッシーオ・ヤムタム男爵ですのよ」
「ああ、あの貧弱男爵か。父親の亡きあと当主を継いだひ弱な男だな。だが彼は頭の回る男だ、婚約者としては問題ないと思うがな」
「それがヤムタユ男爵は婚約破棄されたそうなのです。理由はカッミール様にふさわしくないということですわ。それも男爵が貧弱というくだらない理由で……」
令嬢は笑わなかった。正直、胃に鉛を飲み込んだような表情である。彼女はカッミールの幼馴染で、アンジュ・アミアンファンと言い、公爵家の令嬢だ。
彼女はカッミールとズッシーオのことを幼い頃から知っている。ふたりは生まれたときから親同士によって婚約が決められていた。子供の頃からズッシーオはカッミールを守ってきたのだ。
野犬に襲われたら自ら噛まれに行き、雨が降れば自分が濡れることなど構わずマントを彼女に羽織らせるなどしていた。
仲睦まじいふたりははたから見てもお似合いのカップルであった。ところが2年前からカッミールがボディービルに嵌ってしまったのだ。
アンジュも健康のために週に3回ほど夕食を取る前にスクワット20回をセット、プッシュアップは限界までやり、クラッチは20回ほどやっていた。
だがカッミールの情熱は常軌を逸脱していた。器具なしでできるトレーニングはもちろんのこと、ダンベルやバーベル、各種マシンなどを購入し、熱心に筋力トレーニングを励むようになったのである。
さらには倒れるまでランニングを繰り返し、気絶したこともあるのだ。
それは友人のアンジュが異様だと思わせるものであった。普通は筋肉を育てるのに男性ホルモンが必要だ。女性が筋トレを行っても簡単にはむきむきにならないのである。それなのにカッミールは男顔負けの筋肉を手に入れたのだ。天狗にならない方が無理である。
「カッミール!!」
そこにひとりの男が闖入してきた。身なりは立派だがやせ細っている。風が吹けば吹き飛びそうなほど貧弱であった。
短く刈った銀髪が特徴だが、一目では貴族とわからないほどである。まるで東洋にいる飢えた鬼のように見えた。
「あら、ヤムタユ男爵。あなたとは婚約を破棄したはずですが何の用かしら?」
彼がズッシーオ・ヤムタユ男爵だ。カッミールと同じ18歳である。彼はよろよろと歩いている。彼は地位的には父親から爵位を受け継いでおり、この場にいる子息や令嬢たちより立場は上だ。彼らは親が貴族であり爵位を持っているが、まだ当主の子供なのである。
「ぼっ、僕はこれから筋肉仙人の元で修業に行く! その間家は叔父と弟に任せることにした! 2年だ、2年間修業して君を迎えに行く!! 待っていてくれ!!」
ズッシーオは吐き出すように声を上げた。彼の肺活量ではこれが限界なのだ。ぜぇぜぇと息をしている。
しかしカッミールは無視した。彼女はバック・ラットスプレットのポーズを取る。婚約を破棄した元婚約者など眼中にないという意思表示だ。
ズッシーオはそれを見て、うつむいた。そしてそのままその場を離れていく。
その後ろをアンジュが駆け寄ってきた。彼女はカッミールの友人だが、ズッシーオも同じくらい大切な友人なのである。
「ヤムタユ男爵様。筋肉仙人の元で修業すると言いましたね。あそこは厳しいという言葉は生易しい、この世の地獄と呼ばれております。なぜあなたはそんな苦行の道を歩むのですか、婚約を破棄されたことなど貴族の世界ではよくあることです」
アンジュは立場上、まだ公爵の娘なので男爵であるズッシーオには敬語を使っている。ズッシーオもそれを理解しており、あえて訂正しない。
「アンジュ。これは誇りを守るためなんだ。僕が貧弱だからカッミール嬢は僕との婚約破棄をしたのだ。すべては僕に責任がある。それに自身を変えるには地獄でなければ意味がない。叔父と弟は納得してくれたよ。じゃあ、僕はこれで」
そのままヤムタユ家の馬車に乗りズッシーオは去った。アンジュはその後姿を見守るしかなかった。
幼馴染にふさわしい肉体を手に入れる。ズッシーオは野心に燃えていた。
だがこのふたりが生きて再会することはもうないのであった……。
あけましておめでとうございます。
今年の元旦から連載を開始します。
筋肉令嬢は流行りの悪役令嬢物に便乗した作品ですね。悪役令嬢がいるなら筋肉令嬢がいてもいいじゃないという感じだ。
私としては初めての恋愛物であり悲恋である。私自身どう転ぶかわかりません。暖かく見守ってくださいね。
というか中世ヨーロッパ風の世界で、ボディビルが一般的と言う狂った世界観だからまともとは言えないけど。
参考文献:『棚橋弘至の100年に1人の逸材BODYのつくりかた』(ベースボール・マガジン社)
『カラダ作りのプロに学ぶ自衛隊ダイエットBOOK』(マガジンハウス)
『マッスル北村伝説のバルクアップトレーニング』(株式会社フィットネススポーツ)