7. 勉強と図書館と言葉
暖かで気持ちいい日差しが窓から差し込み、ふわぁ……とついつい大きなあくびが出てしまう。やばいと思い先生を見るとばっちり目が合ってしまったのでぱっと目をそらした。
学校が始まってから五日ほどたった。現在は国語の授業中だ。国語といっても小説を読んだりしているわけではなく、文字を習っている段階である。
この国の文字は英語のように基本文字が大文字と小文字の二種類に分かれていて、それを組み合わせることで単語を作る。文字自体はうちの食堂では壁にメニュー表が貼ってあるし、数冊ではあるが家に絵本もある。言葉が理解できるようになってから両親に読み聞かせをよくせがんでいたので、基本文字は問題なく読めるし書くこともできるようになっていた。
そのため、基本文字を覚えるこの時間はとても退屈だ。とりあえずユリアス先生に言われた通りにノート代わりの石板で文字の書き取り練習はしているものの、すでにできることなので暇なものは暇。あくびが出るのも仕方ないことだ。
時々飛びそうになる意識をつなぎとめるように、机に出ている教科書をパラパラとめくってなんとなく内容を眺める。載っている短い詩や物語を読んでいる間に、授業の時間は過ぎていくのだった。
大きな鐘の音によって、眠気が吹き飛ばされた。それと同時にユリアス先生によって授業の終わりが告げられる。
「よっしゃ、さっさと帰って昼飯食べて、遊びに行こうぜ!」
アルフが我先にと席を立ち、ナタリアとラックもアルフに続いた。一年生は午前中しか授業がないのでお腹はペコペコだ。入学式に知り合ったラックとはほぼ毎日の放課後僕らと一緒に遊んでいる。もうすっかり仲良しで、僕らは四人で居るのが当たり前になっていた。特にナタリアは今まで仲のいい女の子がいなかったからかラックとはぐんぐん距離を詰め、二人は一緒にいることが多い。
「ねえ、今日は何する?」
「お勉強でずっと座ってたから外で遊びたいにゃ~」
三人が僕の席の周りに集まって今日の計画を立てているが、あいにく僕はもう今日やることを決めていた。そして、それはみんなと一緒ではなく一人でやりたいことだった。
「ごめん! 今日は家の手伝いするって父さんと約束してるんだ!」
家の手伝いというのは噓だ。アルフ達に噓をつくのは気が引けるけど、具体的な用事を言わないと彼らは引き下がらない。適当に用事があるとか言っても空気を読まずにぐいぐい聞いてくるのが子どもの恐ろしいところだ。かといって本当のことを言ってついて来られても困るので噓をつくしかないのである。
「なんだよ、リーン来ねぇの? いつものとこで遊んでるから暇になったら来いよ!」
「手伝いよくしててリーンは偉いよね」
「頑張ってにゃ!」
噓に対して賛辞や激励をもらったことに多少の罪悪感を覚えながらも、無事に自由時間を手に入れることができたのだった。
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「ごちそうさまでした! じゃあ遊びに行ってくるね!」
家に帰ってお昼ご飯を食べて早々に家を飛び出した。家の近いアルフとナタリアと遭遇してしまわないようにかなり急いで出てきたので父さんも母さんもあきれた表情をしていたが気にしない。ちなみにユーリはぐっすりと眠っていた。
アルフ達との遊びをけり僕が向かうのは、王立図書館である。目的はそう、魔術の勉強だ。
王立図書館はこの街、いやこの国で一番大きな図書館だ。国内で出版された本は小さい子向けの絵本から大人向けの学術書まで、全てそろってる……らしい。僕はまだ行ったことがないので店のお客さんから聞いた話だ。
僕の家からは少し距離があるが行けないことはない場所だ。図書館自体は学園にもあるのだが、ぱっと覗いてみたところ子ども向けの簡単な本ばかりで勉強にならなそうだったため王立図書館に行くことにしたのだ。
しばらく歩くにつれて中心街から離れ人がまばらになっていく。そこに王立図書館はあった。
学園よりも大きなその建物には豪華な装飾が施され、上部にはドラゴンの彫刻が鎮座している。人が何人も並んで通れそうなほど大きな扉は解放されていて、館内の壁にびっしりと本が並び人々が思い思いに本を読んでいた。
あまりにも立派な建物に自分は場違いなのではと気おされつつも恐る恐る中に入る。入ってすぐの受付には司書さんらしき女性がいたが特に声をかけられることもなかった。大人しかいないかと思っていたが意外と子どももいるようで、近くの子供向けのコーナーに何人かいるのが見える。
が、僕の目的はそこじゃない。
近くに貼ってあった案内図を確認して魔術関係の本があると思われるコーナーへと歩を進める。
流石に一般図書の方には子供がおらず周りの人たちからの視線が痛い。でも子どもは立ち入り禁止とは書いてないから問題ないはずだ。さっさとそれっぽい本を探して借りて帰ろう……と思っていたが、これは少々見通しが甘かったかもしれない。
「…………な、なにこれ」
僕は今魔術関係の本がある棚の前にいる。それは棚の側面にある案内板に書いてあるから間違いないはずだ。問題は、この棚に収められている本の背表紙に書かれたタイトルが全然読めないということだ。いや全く読めないわけではない。「魔術の全て」とか「生活を支える魔術」とか読めるタイトルもある。だが、半数以上は単語の意味がわからなくて読むことができない。
とりあえず読める「魔術の全て」という分厚い辞書のような本を手に取り内容を確認するが、ぜんっぜん読めない。単語がわからないどころか知らない文字すら出てくる始末だ。やばい、勉強なめてたかもしれない。
いや、なめてたというより魔術という存在に浮かれてたのかも。よく考えたら前世の日本でだって医学とか工学みたいな専門分野の本を読んだって内容を理解できなかっただろうし、最初から専門的なところに挑戦するのが間違っていたんだ。
むしろ何で思い至らなかったんだろう。とりあえずもっと簡単な、一般人向けの本を探そう。
本棚を適当に眺めながら自分でも読めそうな本を探していく。魔術の本棚は図書館の二階の奥の方にあったが、気づいたら一階まで下りてきてしまっていた。
ほとんどのタイトルが読める本棚をようやく見つけたころには、僕が最初に避けていた子供向けコーナーのほぼ隣まで戻ってきてしまっていた。今いる棚にはおそらく中等部向けであろう参考書が収められている。結局ここまで遡ってきてしまったことになんとなく悔しさを覚えつつ適当に魔術の参考書っぽそうな本を抜き出して中を見る。
「………………読めない」
そう、ここまで戻っても結局読めなかった。そりゃあさっきの専門書よりは読めるしなんとなくこうかなと推測はできるものの一行読むだけで凄く疲れる。これを解読するのは今の僕には不可能だ。
他の数学や物理の参考書と思われる本の中身も確認したが、見覚えのある公式を見つけたりはしたが解説の読めなさ具合は魔術と似たり寄ったりだ。
本って文字を知ってても単語を知らなきゃ読めないものだったんだな……。いや当然のことなんだけど自分の単語力がなさ過ぎてびっくりだ。というか、昔から別に勉強が得意だったわけでもないのにどうしていけると思ったんだろうか。
はぁ、と思わず大きなため息が出そうになるのを何とか堪え、自分の頬を両手でたたく。せっかく魔術がある世界なのだ。授業で習うまで悠長に過ごしている気はさらさらない。
気を取り直そう。まず、今の自分に足りないのは単語力だ。その為には辞書を端から読むのも手な気もするが、まず間違いなく途中で挫折するだろう。それならまずは小説を読もう。子供向けの簡単な小説から入って少しずつ本の年齢層を高くしていけば楽しく単語を覚えることができるはずだ。
さすがに専門的な単語までは覚えられないだろうが、今よりは遥かにましになるはずである。
ということで早速小説選びに取り掛かる。ちょうど隣は子供向けコーナーだ。子供向けの小説でも恋愛ものに冒険譚、青春系まで選り取り見取りである。冒険譚はそんなに興味ないけど。
……冷静になって考えると、こういった本なら学園の図書館にあった気がする。わざわざここまで来た意味ないんじゃないか。
本はここで借りるよりも学園で借りた方が近いし、今日はもうアルフ達のところに行こうかな。
今日の勉強は、学校の勉強って思ってたよりずっと大事だということだけだった。