アイ・エフ
高校一年生の私にはみーちゃんという友達がいた。彼女はどこにでもいるような普通の女の子だ。ただひとつ普通じゃないことがあるとすれば、それは私以外の人には見えないということだ。
幽霊なんかじゃない。だってちゃんと触れることができるんだから。
でも、誰も信じてくれない。誰もみーちゃんのことを見てはくれない。どうしてなのかわからなかった。確かにみーちゃんはいるのに、誰も彼もがいないという。みんなして私とみーちゃんにイジワルをする。だから私は周りの人を信用していない。みーちゃんだけいれば、それでいい。
私はよく母に病院に連れて行かれる。病気があるわけでも、ケガをしているわけでもない。それなのに何度も何度も連れて行かれる。私は行く必要ないと言うけれど、母は無理矢理にでも私を引きずっていくのだ。病院ではなぜかみーちゃんのことをよく聞かれる。
私はみーちゃんのことが好きだし、彼女のステキなところを誰かに話すのも好きだ。だからその時間自体は苦痛ではない。私が病院に行きたくない理由は、みーちゃんと遊ぶ時間が減ってしまうからだ。
病院から帰ると決まって母はこう言う。
「いい加減大人になりなさい」と。
私にはその意味が理解できなかった。何に対してそんなことを言うのかわからなかった。でも特に口答えをする気はない。不機嫌なこの人に何を言っても無駄だから。
ある日、私がみーちゃんと公園でおしゃべりしてる時に、その現場を買い物帰りの母に目撃された。母はすごい剣幕で怒鳴り声をあげながら私の手を掴み、家に連れ帰ろうとした。私はまだみーちゃんとおしゃべりしたかったから嫌だと言ったが、母は聞いてくれなかった。母は人目もはばからず大声で私を怒鳴りつけた。
「みーちゃんなんて子はいない。いい加減子供じみた真似はやめなさい」と。
私も負けじと叫んだ。彼女はここにいる。どうしてそんなひどいことを言うんだと。すると母は私の頬を平手で叩いた。じんわりとした痛みが頬に広がっていく。意味がわからない。なんでこの人はこんなことをするんだ。私が嫌いだからなのだろうか?
それなら構わないでくれればいいのに。
私はみーちゃんの手を掴み、公園の外まで走った。母は怒鳴り声をあげながら追いかけてくる。私は道路の反対側まで一気に駆け抜けようとした。
その刹那、耳を裂くようなクラクションの音が響いた。記憶はそこで途切れた。
気が付くと私は公園にいた。たったさっき走り去ろうとした公園だった。でも母はいなかった。時計を見ると四時だった。これくらいの時間だったら小さな子どもが遊んでいそうなものだけどな。私が公園内を歩いていると誰かが滑り台を滑り降りてきた。みーちゃんだった。
私は彼女のもとに駆け寄る。彼女はなぜか暗い顔していた。どうしたの? と私が聞いてもなかなか答えてくれなかった。でもやがて、みーちゃんは意を決したように私に告げた。
「今日はお別れを言いに来たの」と。
私が引っ越しでもするのと聞くと彼女は首を横に振った。きっともう会えないと彼女は言った。みーちゃんはこんな冗談を言う人じゃない。だからこれが本当のことだってわかってしまった。私は悲しくなった。悲しくて泣きそうになった。そんな私の手をみーちゃんは優しく握ってくれた。みーちゃんは笑いながら私に言った。
「最後にめいっぱい遊ぼう」と。
私は頷いた。私たちは遊んだ。ブランコをこいだ。滑り台を滑った。ジャングルジムに登った。鉄棒で逆上がりをした。砂場、シーソー、よくわからない半分埋まったタイヤでも遊んだ。
公園内のすべての遊具を制覇すると私たちはベンチに座り込んだ。楽しかったねと言い合って、互いの顔を見て笑った。
遊び疲れた私は、急に眠くなってしまった。目をこすっているとみーちゃんは膝貸してあげると言って、自分の膝をぽんぽんと叩いた。私はお言葉に甘えて、そこを枕代わりにして横になった。意識が沈んでいく。最後にみーちゃんは「ばいばい」と言って私に微笑んだ。とても悲しそうな笑顔で。
目覚めると真っ白い部屋にいた。体中が痛い。まともに動くことも出来ない。かろうじて動く首を横に向けると日付が表示されるタイプのデジタル時計が目に入った。みーちゃんと公園でおしゃべりしてた日から五日が経っていた。
状況がうまく飲み込めないままぼーっと天井を眺めていると扉が開いて看護服を着た若い女性が入ってきた。その人は私を見て驚いたように目を見開くと慌ただしくどこかに行ってしまった。少しすると白衣を着た中年の男性が部屋に入ってきた。その人から事情を聞いた。どうやら私は、公園から飛び出して車に跳ねられたらしい。足や体の骨が折れたらしくて全治二ヶ月だそうだ。
しばらくすると汗だくの父が病室に駆け込んできた。父はよかったよかったと涙を浮かべながら喜んでいた。母の姿はなかった。それから日をおいて、学校の先生や親戚がお見舞いに来てくれた。
みーちゃんは、何日経っても来てくれなかった。
病院での療養を終えて退院した数日後、私は母に連れられていつも行っていた病院に連れて行かれた。病院の先生はまたみーちゃんのことを聞いてきた。私はしばらく彼女のことを見ていないと告げた。
それからいくつか質問をされた後、病院の先生は母に何かを説明した。母はとても喜んでいた。
病院から帰り自宅へ。母は私に言った。
「やっと大人になったんだね」と。
私にはその意味が理解できなかった。何に対してそんなことを言うのかわからなかった。
次の日、入院しててずっと休んでいた学校に行った。教室に入ると数人のクラスメートが話しかけてきた。事故にあったんだって? とか大変だったねとか、大丈夫? とか。そんな当たり障りのないことを言われた。でもそれがきっかけで時々話すようになって、友達という関係になった。
学校の先生はそのことを良いこととして捉えたらしく、ちゃんとした友達ができたようで安心したと私に言った。どういう意味か私が聞くといつも見えない誰かと話してるようだったから心配してたらしい。先生は嬉しそうに頷きながら言った。
「やっと大人になったんだな」と。
また、この言葉だ。大人になるってなんなんだろう?
友達を作ってお話することを言ってるのだろうか?
でも、それなら私にはみーちゃんがいた。ずっとずっと一緒に遊んでいたみーちゃんがいた。
ああ――そっか。母も先生も、私がみーちゃんと話してたから怒鳴ったり心配したりしてたんだ。みーちゃんがいなくなって、私が他の人と付き合うようになって。そうなったことを『大人になった』と言っていたんだ。
その真意は定かではないけれど、もしも『大人になる』ということが私が思った通りのことを差しているのだとしたら。私は――大人になんてなりたくなかった。
大好きなみーちゃん、ステキなみーちゃん。彼女とまた会えるなら、ずっと一緒に遊んでいられるのなら。私は――子どものままでいたい。そう強く思ったのだった。