第七話 腹黒アイドル
息つく間もなく、生き残ったポイズンドッグが迫ってきていた。
純は立ち上がり、遠くにある丘の幾つもの緑が風とは違う揺れ方をするのを見つける。
あれもモンスターだ。
ここまで群がってくるのは珍しい。というかありえない。
原因は瑞希にあるはずだけど、探るのは目の前の脅威を排除してからだ。
「エア・バレット、マルチ、ショット」
踊りでてきたポイズンドッグを撃ち落とす。そして、ロングソードは二度目の金属音を鳴らした。
鋭利な刃は火花を散らしながセイバーウルフの牙を斬り、喉に食い込む。
振り抜かれるロングソード。
よだれを撒き散らして宙を舞う階層ボスの頭部など、純にとってそんなものはどうでもよい。今は瑞希の容態だ。
「どう?」
「ちょっと良くなってきた」
「良かったぁ。これで先輩のお小言フルコースも免れた」
胸の前で拳を握り締めずにはいられなかった。
「それってガッツポーズすることのほどなの?」
純が爽やかな笑顔で振り向けば、瑞希がふらふら立ち上がっている。その頬に赤みがさしてきているから、本当に大丈夫そうだ。
「瑞希は分かってないなぁ。ほのか先輩、あーみえて、ねちっこいだよ」
「いいのかな。そんなこと言って」
「あっこれオフレコで!」
純は慌てて胸の前のカメラを隠す。協会から漏れることはないから、大丈夫なんだけど、気分だ。
瑞希の表情がようやく緩む。
良かった。
「こんなモンスターしかいない場所でも、純ちゃんは純ちゃんなんだね。凄いよ」
「もう一年だからな」
「もしかして、アルバイトって言って帰り遅かったのって、これだったの?」
瑞希は周囲の草原、そして迫るモンスターを見回している。
「うん」
「だったら言ってよ。私がアタッカー適正があるって分かった時、1人で心細かったんだから」
拗ねる瑞希に、純は仕方ないだろうと反論する。
「俺だって、瑞希がアタッカーだって知ってたら、今日は最初から一緒にいたよ」
「そうだよね。秘密にしなくちゃ駄目なんだもんね。ゴメン。ちょっと愚痴言いたかっただけ」
「いいって、これからは隠し事は無いんだから、お互い頑張っていこうぜ」
「そうだね。純ちゃん、よろしくね」
瑞希が手を差し出してくる。純も握り返す。
「おう」
「だけど、納得した訳じゃないから、お家に返ったら色々話し合おうね」
「えっ」
「1年も私に秘密にしてたんだから、話すことはたくさんあるでしょ。ほのか先輩との関係も、しっかりと教えてもらわないと」
何が気に入らないのか瑞希の視線が険しい。ほのか先輩との関係はたんに先輩後輩の関係でしかない。だけど、今はそれを説明しているよりにも確認したいことがある。
「その話は後にしよう。ちょっと確認したいことがあるんだ。ここに来てから、花とか木の実とか触った?」
んーとと、少し考えてから口を開く瑞希。
「気がついたら草原の真ん中だったし、それからはずっと逃げてたけど・・・触った覚えは・・・ないかな」
「そっか。ちょっとクルッと回ってくれる?」
いきなりのお願いに、瑞希は綺麗なターンを披露してくれる。
純はジャケットのちょうど左の肩甲骨の辺りに、茶褐色の染みを見つけた。すぐに瑞希の後ろに回って、鼻を寄せてクンクンすれば、ツンとする臭いがつきぬけた。
これモンスター寄せだ。
ゲームのパワーレベリングじゃないけど、大量のエナジー集めをするのに使っている。
五十嵐部長が言ってたように、渋校のルーキーがわざとトラップに引っかかって、瑞希をここに飛ばしたっていう推測が現実味を帯びてきた。
「ねぇ、どうしたの?モンスター近いけど、こんなゆっくりしてて、大丈夫なのかな?」
全方位から迫ってきているのは、純にも華奢な肩越しに見えている。
「かなり、気になることがあったんだけど。聞きたい?それとも戻る?」
「聞きたいよりも、早く戻りたい!」
即答する瑞希は膝が震えていた。やっぱりモンスターに追い回され、毒で死にかけたらそうなるのは当たり前か。
「んじゃ、戻るか」
純が軽く返すと、瑞希の戸惑いの声が返ってきた。
「モンスターたくさんいるけど」
「雑魚だし、問題無し」
だけど、地下ダンジョンに慣れていない瑞希に大量の惨殺シーンを見せるのも忍びない。ならば取れる手段は一つ。
純はロングソードをリュックに戻して、遠慮なく脇に左手を、膝裏に右手をいれて抱えあげてた。そう、お姫様抱っこだ。スラリと伸びた四肢、大きなの胸にボンッと突き出したお尻、相変わらずめちゃくちゃスタイルが良い。
「しっかり掴まってろ」
返事をまたずに走り出した。
「きゃああああ」
瑞希の本気の悲鳴を久しぶりに聞いた気がする。それも仕方がないのかもしれない。F1カーに乗せられて、急加速しているようなものなのだから。そう東京都庁地下ダンジョンでは常識など通用しないのだ。
構わず純はトップスピードまで加速した。幼馴染の前でセコい姿を見せたくないから、惜しいけどエナジー吸収は諦めることにした。
すぐにポイズンドッグが追いついてくるが、魔法で吹き飛ばす。
しかし、目の前にある2つのメロン、久しぶり会って見ればこんなに成長してたなんて。ついつい目が行ってしまうのは仕方がない。余分にステップを踏んで揺らすのも、これは仕方がないことなんだと正当化して疾駆する。
「ムカつく」
「どういうこと?」
「モンスターを、簡単に倒しちゃうから」
「さっきも言ったけど、ずっと戦い続けてたから」
「私なんて、逃げるだけで精一杯だったんだよ」
「初ダンジョンなんだから、仕方ないって」
順調にダンジョンアタックをやれれば、半年で5階層なんてどうってことなくなる。だけど瑞希に危険なアタックをさせるつもりはない。
「子供の頃からバトルジャンキーなのは知ってたけど、ここまで酷くなかったよ?」
「ここには強い奴がわんさかいるから、感化されたっていうのもあるな」
「ふーん、そういえば純ちゃんが逞しく見えたのも、ちょうど1年前くらだったし」
「そんなに違った?」
こっちの時間で10分だけど、異世界には10年いた。その間ずっと戦い続けてんだたから、そりゃ雰囲気が違うのは当然だった。というか、今の世界は、最初の世界とも違う。地下ダンジョンなんて存在していなかったから。だからダンジョンの存在は全てを誤魔化す、特に母さんを誤魔化すのには丁度良かった。
「あの時からちょっとづつさ、純ちゃんとの距離が広がっていってたよ」
「マジで?バレないように、けっこう努力したんだけどなぁ」
「でも良かった。理由は分かったし、今はね、その距離も感じないから」
「これからは部も一緒だしな」
「だね」
瑞希の口元が嬉しそうに緩むが、すぐに真顔に戻る。
純は穏やかな表情で会話をしつつも、脳内では困り果てていた。もうそろそろエレベーターだというのに、モンスターを引き連れたままじゃあ扉が開かない。ここまでモンスターが執拗に追ってくるとは予想外だ。惨殺シーンを見せたくはないけど、やっぱ無双するしかないかとやる気になったところで、草原に人影が2つ現れた。
「そのまま走り抜けなさい」
探索部部長、五十嵐文緒先輩だ。そして、迫ってくるモンスターに向かって絶妙なタイミングで魔法を放つのはほのか先輩。
「派手にやっちゃうんだから。クリエイト、ハリセンボン」
地鳴りが起こり、純の背後から汚い咆哮が上がる。見なくても分かる、地面が無数の槍に変わり、モンスターを串刺しにしているはずだ。
「アイス・バレット、インフィニット」
文緒部長が銃を握るように右手を構えて魔法の詠唱をした。周囲にまるで壁かという密度で、氷の弾丸が作製されていく。
瑞希をお姫様抱っこし走る純と、先輩2人の姿が交差する。
「後はお願いします」
「ホーミング、ショット」
文緒部長が頷く代わりに、どこへ逃げようが命中するまで追い続ける氷の弾丸を射出した。魔法使いに特化してエナジーを吸収してきたからこそ発動できる魔法だ。
「すごい」
瑞希の息を呑むような呟き。2人の力がそれほどまでに圧倒的なのだろう。まあ5階層だし無双できて当然なんだけど。
丘を1つ越えたところで端が見えた。岩肌に金属製の扉がある。すぐにボタンを押してエレベーターに乗り込んだ。
扉が閉まったところで純が瑞希をおろすと、ようやく安心できたのか身体の力を抜いて大きく息を吐き出していた。死ぬほどモンスターに追いかけられたというのに、泣き出さないのには感心する。だけど、段々と垂れ下がっていく目尻と、半開きになっていく唇があまりにも間が抜けていて、純はプッと小さく吹き出してしまった。
瑞希もどんな顔をしていたのかに思い至ったのか、頬を叩いてすぐに元に戻す。
「笑ったでしょ」
トゲのある声に、慌てて純は言い訳をした。
「気の抜けた顔なんて久しぶりに見たから。それに、せっかくの可愛い顔が、あまりにも台無しすぎて」
我慢するが肩が揺れてしまった。
「もう酷いんだから。私がどれだけ怖かったか知ってるくせに」
瑞希がガシガシ純のスネを蹴ってくる。ぜんぜん痛くないんだけど、
「痛いから、止めて」
スネを抑えてぴょんぴょん飛び跳ねてみた。
「嘘つき。ダンジョンで私の蹴りなんか、痛くも痒くもないの知ってるんだから」
「ばれてーら」
純は演技を止めてスッと立ち上がると、瑞希が真顔になっている。
「だけど純ちゃん、助けてに来てくれてありがとう。本当に嬉しかった」
「助けるのは幼馴染として当然だし」
面と向かってお礼を言われるなんて滅多に無いから照れを隠すのに、顔を逸らしてぶっきら棒に言ってみる。
「私も純ちゃんみたいに強くなりたい」
「別に強くなんなくたっていいじゃん。さっき叫んでたやりたいことって、アイドルでしょ?」
「うん」
「ノルマはさ、俺と一緒にダンジョンアタックすれば余裕だよ。余裕」
アタッカー適正がある者は、ノルマをこなさなければ学校を卒業することもできなければ、他の職につくこともできない。アイドルを続けるためには毎月のアタックをいかに早く終わらせるかが重要になってくる。
もちろん特権もある。税金は優遇されるし、飛行機、新幹線は乗り放題、欲しい物を日本のダンジョン攻略機関にお願いすれば、品切れになっている人気商品だろうと次の日には手に入る。
某ネズミの国のホテルだって、クリスマス当日だろうと予約できる。コンサートだって同じだ。それこそオリンピックのチケットも予約無しで買えた。
学校だってダンジョンアタックが優先されるから、ノルマさえこなせば、ぶっちゃけ一度も授業に出席しなくても卒業できる。大学だって好きなところに無試験で入学できる。もちろんAランクアタッカーだからというのもあるけど。
アイドルなら下心みえみえで近づかれることもないし、事務所と揉めるなんてことも有りえない。同業者から嫌がらせされるなんてことも皆無だ。
「純ちゃん、わたしはただアイドルをやりたい訳じゃないの。トップアイドルになりたいの」
瑞希は少し考えてから口を開いた。
「だったらダンジョンじゃなくて、ダンスとかボイストレーニング頑張るべきでしょ」
「それもそうなんだけど。最近のほのか先輩見てるとね、それだけじゃ絶対に無理。何かオーラが違うんだよ。普通にやってたら絶対に追いつけない。どうして急に変わったんだろうって、不思議に思ってたんだ。だけど、私にアタッカー適正があるって判明して、東京都庁に来てその理由が分かった。ここにいる人達みんな凄いの。街で見かけたら振り向いちゃうくらい他の人達とは違うんだよ」
瑞希の語りに純は頷く。そりゃぁ命をかけた戦いをしてるし、モンスターだけど殺しをしているんだから、ただ当たり前の生活を謳歌している者達とくらべたら異質だ。それが人混みに紛れても目立つ原因じゃないかな。
「さっきの純ちゃんの存在感なんて半端なかったもん。純ちゃんイケメンだから、そのままステージに上がったら、絶対にトップアイドルだよ」
「俺、音痴だから。ステージで歌ったらクレームの嵐だぜ」
純がおどければ、瑞希がクスリと笑ってくれる。
「もしもの話だから」
「あっ、でも声優さんに会えるっていうのは良いよな。瑞希は声優、やんないのか?」
「私は歌と踊りの勉強だけで、精一杯」
「そっかぁ」
純が残念そうに呟くと、瑞希が首を傾げる。
「どうして?」
「瑞希が声優になる。声優の知り合いができる。俺の嫁の声で、純君もう朝だから起きよ、なんて可愛い声で目覚まし時計のアラーム作って貰える。最高じゃん!」
見事な三段論法の持論を展開すると、瑞希が唇を尖らして剥れる。
「もう真面目な話してるんだからね」
「ゴメン、ゴメン。さっきの話だけど、ほのか先輩が変わったのって半年くらい前だろ?」
「そう!どうして分かったの」
「アイドルとして急に売れだしたのが、ちょうどルーキーを卒業した頃だから」
そこまで喋って、思い出したくもないことを思い出してしまった。ほのか先輩はアタッカー適正があるということが判明したのが遅くて、日ノ出高校には高2の時に転校生としてやってきた。純も入学したてのルーキーだったから、ほのか先輩とパーティーを組んで攻略することになったのだけど、あまりのマイペースっぷりにうんざりした覚えがある。モンスターに突進するわ、「私の運があればトラップなんてどうってことないから」と言いながら、余裕でトラップを発動させていた。
「急に黙ちゃってどうしたの?」
「ほのか先輩とパーティー組んでダンジョンアタックしてた時の事思い出してね」
「すごい疲れた顔してるよ」
「うん。ほのか先輩を目標にするのはいいけど、あんなふうにはならないで」
「何となく理解できる私がいるよ。純ちゃんの顔、ほのか先輩のマネージャーさんの顔とソックリだもん」
「会ったこと無いないけど、親近感が湧いてくる。きっと熱く語れる仲間になれるな」
「あははは。見習うのは強さだけにする。私強くなりたいから、純ちゃんよろしくね」
「でもなあ」
身内贔屓なのは分かっているけど、わざわざ危険な目にはあって欲しくない。
「私、ほのか先輩に追いつきたいの」
純が渋っていると、瑞希が突然抱きついてきた。
不意打ちすぎて硬直していると、瑞希がスマホを取り出して自撮りする要領で調整してニッコリ。
「パシャッ」
シャッターを切る音に我に返る純。
「いきなり何すんのっ」
「見て見て、良い感じに撮れたよ」
見せられたモニターには、ポカンと間抜けた顔した純と、バッチリ営業スマイルのアイドル塩坂瑞希がいる。
「これさ、宏太君に見せちゃおうかな」
えへへと笑う瑞希。
純には宏太が、暴れ狂う姿が容易に想像できた。そしてすぐに拡散され、宏太だけじゃない、ファン全てを敵に回すことになる。腹黒い、まさか幼馴染がこんなに腹黒かったとは。
「分かったから、協力するから、その写真削除して」
「やったね」
瑞希が何もなかったようにスッと離れてバンザイしている。
もの凄く負けた気分になり、純はちくしょうと唇を噛む。ほのか先輩に負けず劣らず、幼馴染に事ある毎に振り回されることになるとは、この時は知る由もなかったのであった。