第二話 新宿都庁は世界一の観光地
ハンバーガーショップを出れば、駅に向かうスーツ姿のビジネスマンにOL、歌舞伎町に遊びに行く学生で大通りは賑わっている。
リズミカルな足取りで人並みをすり抜け、向かう先は西新宿にある東京都庁。
JRのガードをくぐり2ブロックも進むと、人波はまばらになり、高層ビル群は見上げるほど間近に迫ってきた。
都庁の一部が見えてくる。近づけば近づくほど足取りが弾んでしまうほど気分が高揚してくる。
強いビル風が吹き抜けるなか、西口から都庁に伸びる中央通りまでやってくると、雰囲気がガラリと変わった。
歌舞伎町方面と違ってここに日常はない。
洒落た格好をして、カメラを首から下げた観光客ばかり。
1年を通して歩行者専用となっていて、人、人、人、人で埋め尽くされていた。どの顔もこれから体験する最高でエキセントリックで、未知のイベントに期待を膨らませているのがありありと分かる。
新宿駅から東京都庁まではすっかり再開発され、広い一本道となっていた。ビジネスビルは無くなり、観光客の財布を狙った商業施設へと変わっていた。そして、両サイドに祭りでおなじみの屋台が都庁の正面口近くまで隙間なく続いている。その店先には呪いの水晶人形や、都庁地下ダンジョンと書かれた魔法が使えるようになるらしい木刀などなど、奇妙奇天烈な物ばかり。もくもくと白い煙の向こうに見える七輪、香ばしい匂いを漂わせるフライヤー、湯気が立ちのぼる大釜のある屋台の暖簾には、オーガの串焼き、コカトリスの唐揚げ、そして茹でたてデスクラブと、ファンタジーな文字が並んでいる。ダンジョン饅頭なんていうのもあった。
遠くでは、怪しいげなおじちゃんおばちゃんが呼び込みの声を上げている。
「ダンジョンみやげに、魔石いかかですかぁ」
「伝説の泉に生息する、半人半魚シーメイドの生写真はこっちだよー」
「階層ボス、ヘルゴランもあるから寄っといでー」
「ここでしか買えない限定カードパック、わずかしか残ってないから早いもの勝ちだ。そこの兄さんどうだい?」
都庁の西側に関係者専用のゲートがあるけど、この雰囲気が好きでついつい都庁の正面口ほうにきてしまう。
売ってる物はぜんぜん違うが、ここには熱気に包まれた日本の祭りがあった。
祭りサイコーと叫びたくなる。
幼馴染の瑞希も祭り好きだから喜びそうだけど、一緒にはこれない。アイドルなんてやってるから、こんなとこに来たらパニックになる。
ここは10年前に突如ファンタジーが具現化した地。
世界一の観光名所、東京都庁地下ダンジョン。
訪れる観光客は年間一億人。
世界中から著名な研究者が集まり、国連からは連合軍が、各国も特殊部隊を独自に派遣し調査が行われるのは必然だった。しかし、軍が攻略できたのは1階層のゴブリンだけ。当初はそのモンスターの強さに地球が侵略されるのではないかと騒然となった。東京はパニックになり避難する最悪の事態になるが、モンスターがダンジョンの外に出れないとわかると、恐怖よりも興味が勝り一気に観光地化してしまった。
都の行政機能は市ヶ谷に移され、新宿にある都庁は日本であって日本でない場所に。管理は日本政府が行っているが、治外法権化されていた。
見上げるほどに高いガラス張りの開け放たれている正面口に、純は観光客と一緒に飲み込まれていく。
一般人が立ち入りを許可されているのは、3ヶ所。
1つ、ダンジョンのドロップアイテムが展示されている、最上階の展望室。
2つ、ダンジョン各所に設置されたカメラによるライブ配信されている、元議事堂。
3つ、ダンジョン1階層に作られた、セーフティーゾーン。唯一、ダンジョンを生で体験できるエリア。
上層階には、国連、各国大使館の出張所、研究所の出先機関、各国のアタッカー達のための協同組合、武器防具を作る職人の工房もある。
純の通う日ノ出高校探索部の部室も47階にあった。
吹き抜けのロビーを人波に揉まれながら、国際空港にあるのと同じ出国審査ゲートに向かう。
観光客はパネルにパスポートをタッチさせ、「ここに目を近づけてください」と書かれたカメラセンサーに顔を寄せている。これで網膜認証による本人確認を行なっていた。
純はパスポートの代わりにスマホをタッチする。
ピピっと鳴り、ドアに表示された一方通行の赤いマークが消えた。
一歩踏み出せば、行くてを遮っていたドアが開き、女性の電子ボイスが迎えてくれる。
「治外法権地区、東京都庁地下ダンジョンへ、ようこそ」
監視していた警備員が、この行動におやっと不信そうに眉を寄せた。瞳だけを動かして近くのモニターを一瞥するが、その表情はすぐ元に戻る。
純が東京都庁地下ダンジョンに挑み、モンスターからドロップ品、採集できるアイテムを持ち帰るダンジョンアタッカーだと分かったからだ。アタッカーの仕事は機密扱いとされているから、友達にも嘘をついて別れてきた。探索部という部は表向き無いことになっている。だから学校での所属は生徒会となっていた。
観光客は地下ダンジョンのセーフティーゾーンに行ける唯一のエスカレーターに列をなしている。
純はそこから外れて、警備員がガードする鉄扉の前に移動した。横のタッチパネルにIDコードを入力してスマホを接触させると、金属音を鳴らしてロックが解除される。
警備員に軽く頭を下げてから、LED光が照らすだけの真っ直ぐ伸びる通路を進む。さっきまでの大理石をふんだんに使った贅沢なホールと違って、ここはコンクリがむき出しだ。
突き当りにある階段を地下1階、2階と降りたところで足を止める。
ここから下の階は消失していた。
ビルの壁も階段もあらゆるものが、土の地面から直接生えているかの如く建っている。現代の科学力では都庁の基礎部分ですら発見できていない。土を掘り返しても掘り返しても、下から盛り上がってくるから調査もできない状況だ。
ビル内なのに土の地面を歩いて扉を開けた先は、車が並びエンジン音が反響する駐車場ではなく、アタッカー達がたむろするエントランスロビーとなっていた。
まず向かうは、着替えないとならないからロッカールームだ。ダンジョンアタックする武器、防具を装備しなくちゃならない。
ロビーを横切りガラス張りの自動ドアを通り抜ければ、ここでもけっこうな喋り声、シャワールームから流れる水の音が聞こえてくる。
日ノ出高校、迷宮探索部と書かれたプレートが掲示される列につくと、純は通路に並ぶプラスチックの長椅子にリュックを置いた。そして、割り当てられている右から5番目のドアを開ける。装備すると言いつつ、ロッカーにはタオルが数枚置いてあるだけ。
ジャケットとワイシャツを脱ぐと、下はTシャツではなく、肌にピッタリと張り付くバトルスーツを着ていた。フォレストスパイダーのドロップ品の糸で縫製されたもので、防刃防弾、耐衝撃に優れているだけでなく、伸縮性、速乾作用に優れた普段使いにも最高の逸品だ。
素材集めにも苦労したし、ベテランの職人に頼むのに順番待ちもあったりで、つい最近ようやく完成し逸品だ。滑らかな手触りを堪能して、ついついニヤニヤしてしまう。
「やっべ。こんなの見られたら変態扱いされる」
自分の恥ずかしい行動に気がついて、慌てて周囲を見回す。
うん、誰も見ていない良かった。
ホッと息を吐いて、長椅子に置いてあるリュックのジッパーを開ける。中をガサゴソ探って引き抜かれた右手には、幾つもの浅い傷が刻まれているミスリル糸製チョッキが握られていた。それをを頭からかぶって、ミスリス製の篭手を両腕に装着する。最後に、フレイムリザードの革で作ったブーツを履いて完了だ。
それにしても、取り出したものとリュックの容量があっていない。このリュックはダンジョンでドロップしたアイテムだ。自身のレベルにより容量が変わる仕様になっている。ダンジョンアタックで、重量を気にすることなくアイテムを幾らでも収納できるメリットは計り知れない。これをゲットすることが、ルーキーアタッカーの初ミッションでもあった。
装備に不具合がないか腕を返したり、膝を曲げて靴裏で地面を数度叩く。
「問題なしとっ。よっしゃ、今日もモンスター倒しまくるぞ!」
リュックを背負い、ハンガーにかけた制服からスマホを取り出す。ダンジョン内で使えるコミュニケーションツールを起動して、ハンバーガーショップで着信したメッセージを改めて確認する。あれはアルバイトではなく、アタッカー仲間のイギリス人ダニーからのヘルプ要請だった。
準備完了、今から向かうと送信すると、すぐに10階層とだけ返信がきた。
何時もと違って無愛想だなと首を傾げつつエントランスロビーに戻る。
天井から吊るされている液晶パネルには、スタートを待つチーム名が4つ表示されていた。さっきは10チームあったから、6チームはアタックに出発したということだ。
エレベーター前で、男女が2人話し合っている。
金髪のポニーテル、引き締まった無駄のない筋肉を張り付けた四肢を、短パンキャミソールで惜しげもなく晒す知り合いは一人しかない。相手の白人アタッカーは知らないが、臆することなく近づいて声をかける。
「ハロー、シンディ」
「純じゃないか、今日アタックする予定は・・・なかったろ?」
「いつもの、ヘルプだよ」
「Aランクアタッカーが、ヘルプを受けるのか?」
シンディと話していた白人男子が、驚いた声あげた。純は知らないが、相手は知っているみたいだ。
アタッカーランクは、下のEから始まりD、C、B、Aと続き、トップがSとなっている。
「俺、毎日アタックしたいんだけどさ。高校生だから、制限回数があるんだ。だからだよ」
高校生である内は、1ヶ月で15アタックまでと法で決まっていた。
シンディが似合わないくらいに豪快に笑って、純の変わりに白人男性に答える。
「ヘルプには制限がないからね。アタックが趣味の純にはもってこいなシステムなわけ」
「まじかよ。俺たちなんて命がけのアタックを続けてるっていうのに。それを趣味とは恐れ入るよ」
「俺だって命かげだよ。目標があるんだ。そのためにはまだまだ力が足りない。もっともっと力が必要なんだ」
純はシンディに視線を移して、至極真面目な顔を作り堂々と宣言する。
「趣味はアニメって何度も言ってるでしょ。そこは間違ってほしくない」
「あんたんとこの部長が言ってた、「残念イケメン」っていうのがよく分かるね。ほんと、その趣味がなきゃ年下だけど、最高に良い男だっていうのに」
シンディのガッカリした声を無視して、純はにこやかな笑みを浮かべて白人男子に右手を差し出した。
「俺は純。よろしく」
「1年足らずで、30階層に到達したルーキーの噂は聞いてる。俺は、アーデン・シュバルツだ。アーデンって呼んでくれ」
苦笑いを浮かべて握り返してくれた。
純はコミュニケーションツールのアドレス交換をお願いする。
「ヘルプの依頼は何時でもオーケーだから、パーティーに空きがある時は頼むよ。そうだ、難しい顔してたけど何かあった?」
「ああ。イタリアチームが、予定時間になっても戻って来ないんだよ」
一転眉を歪め苦い口調で言うアーデンを、シンディの悲観した声が引き継ぐ。
「エマージェンシーコールもなく、半日近く連絡が取れなくなってる。考えたくないけど、おそらくは・・・」
「これで3チームか」
純は口にはしないが、知り合いのチームじゃないことに胸を撫で下ろしていた。仲間が殺られたとなれば、平常心を保っていられる自信などないからだ。