魔女集会にようこそ
魔女集会にようこそを今更書いてみました
雨が降っていたと思う。
私の森のはずれ、地面にひっくり返った荷馬車の中で、弱々しく泣いていた赤ん坊。それがあの子だった。
荷馬車の荷は乱雑に地面に散らばり、御者台の近くには男が、荷台から離れたところには女が、死体となって転がっていた。ニ三日前に私の住居に侵入してきた盗賊にでも襲われたのだろうか。両名共に首を切られ、人とは思えない形に切り崩されていた。
人の所業は獣の如し。
この森に引きこもって何年になろう。未だ森の外は変わらないらしい。
「あんたたちの仇なら、今頃楽しいことになっているさ」
手向けの言葉にしては物騒だが、死体を地面に埋めながら、私が言えるのはそんなものだろう。魔女には神に祈る言葉はないものなのだ。死者を慰める言葉もない。
「さて」
私は手の中で蠢いている赤ん坊を見下ろして一息つく。
「あんたはどうしようかね?」
赤ん坊は見るも哀れなほど窶れていた。父も母も失った哀れな子供。だからといって、私にはどうすることもできない。人里に下りて教会や児童院に持って行ったところで、誰からも忌避される魔女に拾われたこの子を、引き取ってなどもらえないだろう。
「ここで死ぬのがあんたの運命だったのさ」
私はそう嘯くと、赤ん坊を両親の埋まった墓の前に置いた。地面に寝転がった赤ん坊が大声を上げることもなくこちらを見上げている。すでに泣き声を上げるほどの体力も残ってないのだろう。
ただ、私の服をぎゅっと小さな手で握りしめていた。
「両親にさよならを言うんだよ。そしたら、私の家に連れて行ってやるさ」
なんでそんなことを口にしたのだろう。今でも時折、そんなことを思う。その場に捨てて行ってもよかったじゃないか。と。
迷いの森。鬱蒼と木々が茂るこの森のことを、人々はそう呼ぶ。ここが私の森。この森は私の物。
よく晴れた日が続く、春の朝。
「母さん、出かける準備は出来てるのかい?」
家中の窓を開け放ちながら、アレクが私にそう言ってくる。いつの間にやら、すっかり私を追い越した背丈だけは一丁前のこの餓鬼は、口うるさくここ数日は繰り返していることをまた訊いてくる。
「そんなもんは三日前に終わらせてるよ」
「下着はちゃんと入れたかい?」
「入れてある」
「お土産は?」
「そんなもんは要らないんだよ」
「いつもお土産貰って帰ってくるじゃないか」
「あれは主催者が用意する物なんだよ」
「貰いっぱなしってことかい?」
「私のお土産は、私が主催するときに用意するのさ」
「へええ」
「何回も教えてると思うけどね?」
アレクは手早く家の掃除をしながら、私の言葉に大きく頷いている。
「そうだったっけ?」
「あんた、頭が悪いからねえ」
「体が丈夫だからいいのさ」
「確かに体つきだけはいっちょ前になったねえ」
私が大事にしている魔道具だけには近付かないが、その巨躯を上手に使って、部屋の隅々まで掃除をしているアレクを眺める。アレクの掃除の手際は良い。毎日掃除しているから埃が少ない、ということもあるのだろうが、狭いとは言えない私の家の中をぐるりと掃除を済ませるのに、小一時間も掛からない。
「朝ごはん食べたら出かけるんだろう?」
「そうだね。今回も三日くらいで帰るよ」
今日、私は近隣の魔女の集会に出かける。年に一度だけ開かれる、魔女の交流の場だ。正直気が進む場ではない。見慣れた顔が揃っているのか確認するだけの場。その程度のものになっている。
「知り合いの人にあったら、ちゃんと挨拶するんだよ」
「わかってるさ」
「その服装で行くのかい?」
「あんたが選んだ余所行きで行くよ」
食堂の机の上に並べられた朝食を口に運びながら、私はアレクの言葉になおざりに答える。
「あんたも留守の間、ちゃんとしておきなさいよ」
「ちゃんと?」
「森の中の獣を家に連れ込んじゃ駄目だからね」
「わかってるさ」
アレクが目をそらして答えた。
「森の西の木立に近付いたらダメだよ」
「なんでさ」
その早い返事に溜息をついて、アレクを見る。アレクはバツの悪そうな表情になって顔をそらした。
「グリフィンが出産するからだよ」
「知ってる」
「出産時のグリフィンは気が立ってるんだ。あんたなんか食い殺されても文句言えないんだよ」
「でも出産を見てみたいんだ」
「好奇心は猫をも殺す」
「なんだいそれ?」
「古い諺さ。知的好奇心を看板に、何でもしていいわけじゃない。危険があると知っていて自ら近付くのは、愚か者の証明だよ」
「はい。母さんわかったよ」
アレクはこの森で育った。迷いの森、と呼ばれるこの森の中を縦横無尽に遊び場にしているのは、男の子だからだろうか。森に暮らす、人里の中では生きていけないモノたちを観察することを、日々の遊びにしているが、正直、危なくて見ていられない場面も多いのだ。
「心配だねえ」
思わず口を突いて出た言葉に、アレクが首を縮めて答える。
「約束するよ。危ないことはしない」
「はいはい」
普段の朝食はゆっくりと摂るのだが、今日は出掛けるために手早く済ませる。寝室に戻り、旅支度に着替えて居間に出ると、食器を片付けたアレクが、椅子に座って本を読んでいた。
「出掛けるのかい?」
「ああ。行ってくるよ。いい子にしてるんだよ」
「いってらっしゃい」
アレクの言葉に頷くと、私は短く呪文を唱えた。空間が歪む独特の感覚と共に、私は家から集会の場へと転移した。
アレクを拾って育てて何年になるだろう。そう考えて、魔女と人間では時間の感覚が異なることを思い出す。というよりも、我々魔女には時間という概念がない。我々は常ならざるものとして生まれてくる異能だ。世界にある殆どの生命体とは、有様からして異なる我々魔女は、なまじっか姿が人に似ているから勘違いされるが、明確に人ではないし、何より生物ですらない。どちらかといえば精霊や自然現象のようなものだ。ある時唐突に世界に発生し、そしていつか自然に消えていく。私は迷いの森と呼ばれるあの森の中で生まれ、そしていつかあの森の中に帰るのだ。
生まれ、育ち、死んでいく。人とはそういうものだ。
我々魔女は、発生し、存在し、いずれ消える。
どうしてあの子を拾ったのだろう。いつもそう考える。人ならざるものに育てられて、あの子は幸せなのだろうか。
「愚痴が長い」
長い髪の毛で顔が見ないうすら寒い魔女が、酒に酔った私の言葉を端的に切り捨てた。
「人間の子なんか拾うからだ」
山の魔女の一人が酒を舐めながら低く呟く。
今回の主催者である海の魔女は、その両者を窘めながら、私の隣に腰を下ろした。
「迷いの森の魔女が人の子を拾ったって聞いた時は心配したけど、もう大きくなったんでしょう?そこまで育てるだけで大したものよ」
「薬の魔女に泣きついたこともあったんだっけ?子供が熱を出したとか」
「蛇に噛まれたとか」
「転んで擦りむいたとか」
「夜泣きが止まないとか」
「おねしょが治らないとか」
「食べ過ぎて太った?とか」
大机を囲んで酒を酌み交わす魔女たちが、ころころと笑いながら過去の私の恥を指折り数えていく。
「食べ過ぎて太ったのではなく、あれが成長というものなのだ」
席の端で沈黙していた薬の魔女が、しわがれた声で答えて咳き込むように笑った。
「知らなかったから仕方ないじゃない」
「人里に紛れられない者には、子供の成長を知らない者も多いのよ」
海の魔女が私の肩を持つ発言をする。
「魔女は本来、何かと交わるべきではないからな」
今回参加している魔女の中では年長の、蝶の魔女が柔らかく言葉を発した。私が目を向けると、その涼し気な目つきで見返してくる。
「何も知らないままで、それでも赤子を育てているのだ。誇ってよい」
「もう赤子と呼べる姿ではなくなりましがね」
「そうか。一度この集会に連れてきたときは、まん丸い玉のような赤子だったな」
「ぷくぷくしてたわね」
「なんでも食べたがる子だったわ」
「お菓子を舐めてはしゃいでいたわね」
「赤子に菓子を与えるなって、薬の魔女に怒られたのよ私」
何人かの魔女がその当時のことを思い出して、顔を綻ばせる。薬の魔女はその時の皆のはしゃぎ様を思い出したのか、鼻を鳴らして酒を啜っている。蝶の魔女は笑顔のままで、ゆっくりと大きく頷いていた。
魔女集会は基本的に顔合わせの場所だ。毎年一回、こうして集まって近況を報告し、何を話すわけでもなく酒を飲む。今回の集会はアレフが話題の中心になってしまった。例えば、新たな魔女が産まれたりしたならば、皆に紹介する顔みせの場所になったりするが、今年は新たな魔女の紹介はなかったから、余計にアレクの話題が目立ってしまっている。
「ああそうだ」
皆の話題が付きかけた時、蝶の魔女の横に座っていた岩の魔女が、立ち上がり皆を見回した。
「私はそろそろお暇することになったらしい。皆、今迄有難うな」
その言葉に、集まっていた魔女たちの動きが止まる。岩の魔女はゆっくりと頭を下げ、そのまま手にした酒杯を机に置いた。
「そうか。岩の魔女、寂しくなるよ」
お暇、とは魔女が消滅する隠語だ。人よりも遥かに永くあり続ける魔女には死はない。ただ、いつか消える。そして、多くの魔女は、ある時に自身の消える日が近いことを知る。
魔女集会には、岩の魔女の様に、自身がこの世界から去ることを報告する場という意味もある。
「どうやら次回の集会には参加できそうもなくてね。不躾ながら、別れの言葉を言わせてもらった」
岩の魔女は蝶の魔女にそう声を掛けると、私のことを真っ直ぐに見てきた。
「迷いの森の魔女。君の様に子供を育ててみても面白かったかもしれないな」
「そんな」
「今回の服装、昔から君を知ってるものとして言わせて貰うと、とてもいいものになっていると思う。アレク君の影響なのだろうな。魔女というものは成長をするものではない。そう思っていたが、子供を育てる、というものはどうやら、思った以上に影響があるようだ。それが見れただけでも今生は良かったと思うよ」
岩の魔女に言われて、今自身が着ている服を見る。アレフが選んでくれた服だ。
「ありがとうございます」
礼を口にする。服装が褒められたことに対してではない。息子を褒められたことに対しての礼だ。
「皆も、元気でな。海の魔女、最後の集会が君主催で良かったよ」
岩の魔女はそう言うと、再度頭を下げて席に深く座った。何人かの魔女が立ち上がり、岩の魔女に挨拶をする為に列をなす。
今回の魔女集会は、こうして岩の魔女を送る会になって終わりを迎えることになった。
「おかえりなさい」
家に戻ると、アレクが掃除をしているところだった。この子の綺麗好きは私が仕込んだものではない。今は亡き親の遺伝の所為に違いないだろう。
「ああ。ただいま」
私は両手一杯のお土産を今拭かれたばかりの机の上に置き、手近な椅子にぐったりと座りこんだ。
「疲れたのかい?」
「ああ。茶を入れておくれ」
「わかった」
アレクは頷くと、茶の準備をするために台所に向かう。
「三日間で変わったことはなかったかい?」
「グリフィンの出産は無事済んだみたいだよ。餌を求めて森中を番いで飛び回ってる」
「そうかい」
私はお土産の中から茶菓子になりそうなものを引っ張り出しながら、相槌を打った。
「森の東に侵入者が居たみたい。結界が作動して、何人かが檻に送られてる」
「檻の中を見たのかい?」
「母さんが帰ってくるまでは近付いちゃダメだって言ってたじゃないか。いつも」
「言いつけを守ったのかい。偉いねえ」
檻が作動したことは知っているし、アレクが近付いていないことも知ってはいたが、私は敢えてそう言って、アレク用のお土産を机に並べる。
「危ない人の場合が多いからね」
野盗に山賊、魔女狩りの騎士。この森に好んで侵入してくる者は、大抵碌でもない者ばかりだ。
「そういやあアレク」
「なんだい?」
茶を持って戻ってきたアレクが、茶菓子用の皿を取りに慌てて台所に戻る。
「あんた、なんでグリフィンの出産なんかに興味持ったんだい?」
席に着いたアレフが、茶菓子を皿に並べながら、照れたように笑う。
「本で読んだんだけどさ」
「うん」
「グリフィンって体の大半が獣に近いのに、卵で産まれるんでしょう?本で読んで、本当かなって思ってさ」
私は茶を啜りながら、その言葉に頷いた。
「産まれる時は卵で、産まれてすぐにその殻を破るね。それで親が持ってくる餌を食べて成長するのさ」
「へえええ」
「グリフィンの卵の殻は、大抵そのまま捨てられるか、或いは親に潰されて無くなっちゃうからね。なかなか珍しいんだよ。薬の材料になることもある」
「へえええ」
見ているこちらが呆れるほど感心しているアレクに、お土産を手で示す。
「これはあんたの分だよ」
「そうなの」
「今回の主催者の海の魔女からさ」
「わあ。嬉しいな」
手早くお土産を紐解いているアレクに、私は茶菓子を齧りながら口を開いた。
「明日から忙しくなるよ。覚悟しときな」
「え?」
「来年の魔女集会の主催者が私になったのさ。すぐに準備にかからないといけない」
「ええ」
「ここいらの魔女がこの家に集まるんだからね。お土産だってたくさん用意しなきゃいけない。食べ物も飲み物もそうさ。やることは山ほどある」
「わあ大変そう」
他人事のように言うアレクの額に手を伸ばし、指で弾く。
「大変そう、じゃないんだよ。大変なんだ。しっかり手伝ってもらうからね」
「一年掛かりで準備するのかい?」
「そういうものなんだよ」
魔女は永劫を生きる。そして大概の魔女は、独りでその時を過ごすことになる。魔女集会の準備はもしかしたら、そんな我々の寂寥感を埋めるものなのかもしれない。
「みんなあんたに会いたがっていたからね」
「え、なんで?」
「さあね」
茶を啜る。嗅ぎなれた臭いに飲み慣れた味。次回は悪酔いできないね。そう思いながら、窓の外を見た。
春の日が柔らかく庭を照らしていた。
多分続かない
誤字脱字教えてくださった方々ありがとうございました。
鬱からのリハビリの駄文、お目汚し失礼しました。