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未熟なオトナ

 冬が来ても、雫の情報は得られなかった。

 変わらず彼女の両親は、なにも教えてくれないらしい。

 だけれど花梨を拒絶するわけでもなく、いつも来てくれてありがとう、とどこか疲れた笑みを浮かべるのだという。


「……迷惑かなって思うんだけど……」


 花梨は、諦めきれないらしいが相手の負担になるならば訪問を止めるべきかと悩んでいるようだった。


 それでも別に紬は構わなかった。

 ただ、花梨が辛いのならば聞きに行く必要はないとだけ答えた。


(……俺が聞きに行ってもいいなら、行くけどな)


 不愛想な男子学生が訪れたらそれはもうあちらも驚くだろうし、不審がるだろう。

 だからできれば花梨にはこのまま繋がりであってほしかったが、彼女が負担に思うならばそれを強いるつもりはない。


 雫とのつながり、という一点において言えば花梨がいてくれるだけで十分だろうと紬は思うからだ。


「ごめんね」


 花梨は謝るが、紬だけでなく紡も花梨が潰れてしまっては元も子もないと思うのだ。

 彼女は彼女で、これから大学受験を控えているのだ。

 といっても推薦枠をとることができたので、面接と小論文を中心に詰めて行っている最中だが、すっかり落ち込んでばかりいるその様子に教師たちも戸惑うばかりだという話は彼らの耳にも入っているのだ。


 元気で前向き、それが花梨の長所だというのに。

 それだけ雫という友人を大切に想い、そして何も言われなかったことが堪えているのは明白で、そして自分自身で友人の不調に気づけなかったことが口惜しくてたまらないのだろう。


 仮に気づけていたとして、何ができるというわけではないのだけれど。

 心情的にはかなりの違いがあるのだろう。


 紬と紡は通常の受験をするので花梨よりは勝負する時期がやや遅れるが、その分まだ時間に余裕があるとも言えた。

 自分がやりたいことを見据えての受験だけに、彼らだって一分一秒無駄にするつもりはない。

 塾代は馬鹿にならないので、独学でやっている身としては尚更だ。


「今日はどうするー?」


「どうせだったらどっか寄ってこうぜ」


「あ、あたし今日塾だからパスー」


「そういやこないだ塾で順位が……」


「今んとこ合格ギリで厳しくてさーランク落とした方がいいって言われてンだよなー」


 廊下も教室も、時折混じる受験へ向けた話題。

 高校生でいられるのもあと少しなのだなあと思うと紬も不思議な気持ちになる。


 なんとなくで受験をすると笑う級友たちや、家庭の事情から進学よりも就職でと大人びた笑みを見せる級友もいる。

 それぞれが、それぞれの道を歩み出している教室は、変わらないのにやはりどこか違ってきているような気もした。


 誰もが緊張感を持っているわけではないのに、どことなく緊張感があったりとアンバランスな空気はこの時期特有なのかもしれない。


(夏が来たら、紡の勉強見てやるって言ってたんだよな)


 ふと、思い出す。

 そして秋が来たら文化祭だね、と笑い合ったあの日々が、もうとっくに過ぎ去ってしまったことが驚きだ。


 あの時、未来の話をして笑う雫は、どんな気持ちで話題に混ざっていたのだろう。

 あんなありきたりの、普通の、本当にどこにでもあるような風景を、彼女は噛みしめながら日々を過ごしていたのだろうか。


 思い出を作りたかった。

 そんな風に手紙に書いた雫にとって、紬や他のみんなにとってもありきたりなあの日々が思い出になったのだろうか。

 そうしてそれを胸に、病院に戻る時に何を思ったのだろうか。


 この日々に戻りたいと、願うことに繋がるのだろうか。


(……くそったれ)


 胸の内で、悪態をつく。

 それは雫に向けてではなく、雫のことを考える自分に対しての紬自身への悪態だ。


 今でも彼女に対しての感情は、よくわからない。

 それでもこうしていない(・・・)ことに不自然さを覚えるくらい彼女の存在は、確かにあった(・・・)のだ。


 それなのに、たかが数か月会わなかっただけで。

 そう、たかだか数か月だ。


 それなのに、雫の面影が、遠く霞んでしまったように思えて怖いのだ。


 彼女はどんな風に笑った?

 彼女はどんな風に困った?

 彼女はどんな声だった?


 それは思い出の中で、形を変えていっていないだろうか。

 ふとそんなことを思えばぞっとするような感覚を紬に与え、それが恐怖だと知る彼は自分に向けて悪態を吐くのだ。

 花梨にも、紡にも言えない。

 彼らの中ではっきり覚えているのに、自分がそうじゃなかったらと思うと後ろめたい。


 なにより雫に会いたいという気持ちが、周りに言われてそう思い込んでいるのではないのかと思ってしまうのが怖かった。

 だから受験だから、そちらに集中できるというのはありがたく――そしてそれが逃げも含んでいることを自覚していた分、情けない結果にだけはできないのだ。


「……どうしてんだろうなア」


 ぽつりと紬からこぼれた声は誰のことを示すのか、それを知る人間が聞いたならば、きっと彼と同じように何とも言えない表情を浮かべたに違いない。

 せめて、どうしているのか知れたなら、安心できるのだろうか。


 病院がわかれば、お見舞いに位は行くだろう。

 行ったところで何ができるのかと問われればなにもできないのだと答えるしかないのだが。そしてそれを彼女が望んでいない以上、行くのも憚られたに違いない。


 それでも、なにもわからない、というのは一番つらいのかもしれない。

 どうでも良い相手なら、良かった。

 だが残念というべきなのか、ありがたいというべきなのか。


 少なくとも、如月 雫という少女は紬にとって、特別だった。

 その特別の意味は、名状しがたいものであるのだけれど。


 会えないからこそ余計に気になるのか、勝手な感情を募らせていくのか。

 記憶にある彼女のことが、少しずつ変わっていく季節の中に埋もれていくのに感情だけが膨れていく。

 それがまた、別のなにかに勝手に置き換えてしまいそうで、そんな自分勝手が紬にはたまらなく、辛い。


 花梨への片思いの時と同じで勝手に膨らんだこの感情が、勝手に色々なことに思い悩んで己を苛んでいくこれには一生慣れる気がしなかった。

 これを上手くいなすのが大人だというのならば、自分はきっと大人とは程遠い位置にあるのだろうと思う。


(年齢が大人にしてくれるんじゃなくて、やることやったら大人になる……だっけか。親父の言葉も存外、間違っちゃいねえんだろうなあ)


 紡と紬の父親はそれこそ中卒で働き始めて小さい店を持つにまで至った男だ。

 家族を守るために必死で働いてきたであろう父親の発言は、理解できないまでも重みをもっているように思える紬は自分には理解できないうちは、まだガキの範疇から抜け出せないのだな、と自分にがっかりせざるを得ない。

 中学生の頃は高校生になると違う世界が見えるとばかり思っていたのに、実際には恋に浮かされて悩まされた日々が記憶に残りのたうちまわりたいくらいだ。


 ……それでも、花梨に恋したことは、今でも後悔はしていない。

 後悔したところで取り消せるものでもないし、そんなことができるほど紬という男は器用ではないのだ。


 すっかりお守りのようになってしまった、くたくたの封筒が二つ。

 それが紬の机の引き出しの中でひっそりと存在を示すのを、彼は毎日のように眺めるのだ。


 自分の幼さを、拙さを、弱さを何度でも確認して奮い立たせるために。

 それもこれも、自分勝手だなと思うのだけれど紬には捨てることができない。


(お前が身勝手なら、俺もだ)


 雫の、自分の身勝手な想いを、と綴られたそれは……どこまでも、綺麗だと思うのだ。

 紬にとってそれは、かけがえのないもので――雫との、残された小さな絆のようなものなのだった。

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