反省はした。でも、後悔はない(…多分)
私が礼拝堂に入る時、この寄付を強要する祭服の男はいなかった。どうして今ここにいるのか?
という疑問は、
「ああ、お忍び中で持ち合わせがございませんか? でしたら……。その袖口を飾られている美しいレースでもかまいませんよ」
祭服の男性の一言で解消した。
何かの拍子にマントが捲れたところを目撃されてしまったらしい。で、私をお金持ちのお嬢さまだと勘違いして高額の寄付をさせるチャンスだと判断した、と。
教会に寄付すること自体は別に嫌じゃない。元日本人の私には❝お参り&お祈り❞したら❝お賽銭❞という意識があるからね。
もしもビジュー神像の前にお金を入れる為の壺などが置かれていたら、迷わず入れていた自信がある。
でも強要されると、ちょっと、ね……? それに、着用中の衣類の装飾を外して寄こせと言われると、反感を抱いてしまうのも仕方がないよね? その上、
「あなたが献金する姿をビジュー神は見ておられますよ。あなたの献金がビジュー神のお心に適うものであったら、あなたの魂がビジュー神の御許へ行かれた時にお救いくださるでしょう」
まるでビジューがお金を欲しているかのように言われると、もう、好意なんて持ちようがない。
ビジューはお金で人を計ったりしないよ! しかもこのレースはビジューが私の為に用意してくれたものなんだから、これを寄越せなんてこと言う訳ないよ!
あえて声には出さないけどね。心の中で反論を叫ぶ。
でも、まあ。祈りの為に場所を借りたのは事実だから、場所代としていくらかお賽銭を入れて帰ろうか。
❝寄付❞とか❝献金❞とか言うとなんだか心に引っかかりを覚えるので、あえて❝お賽銭❞として認識することにする。途端に肩の力が抜けるから不思議だよね、❝お賽銭❞っていう単語。少額で良いようなイメージがある。
ん~……。いくらにしようかな?
ご縁がありますように で 5円
十分ご縁がありますように で 15円
始終ご縁がありますように で 45円
日本にいた頃は大体こんな感じでお賽銭箱に入れていたんだけど……。この世界の通貨の単位が❝円❞じゃないことで語呂合わせの意味がないことに気づく。まず5円玉が存在しないからね。
仕方がないからインベントリから大銅貨を1枚取り出して男性の持つ箱の中に入れたら、
「…っ! 少し信仰が足りないのでは?」
不平を言われてしまった。
お賽銭で1,000円っていったら結構奮発した金額なんだよ~? まさかこの人、本当にレースを寄越せっていうつもりなのかな? このレースには❝城が建つ❞とまで言われるほどの価値があるそうなんだけど?
不満そうな男性の顔を見ていると、ついつい私もむっとして、
「教会には今までお世話になったことがないので、ご挨拶としてはこのくらいかと。ビジュー神ご自身や、ビジュー神が願うことの為ならいくらでもお金を差し上げますけどね?」
いらないことを言ってしまう。
これって深読みすれば、❝教会にはこれくらいの価値しか認めていない❞❝教会が贅沢をすることをビジュー神が望んでいるとは思わない❞って言っているようなものだよね?
フォローを考え始めた時にはすでに遅く、
「教会は今後あなたに門戸を開くことはないでしょう。 大きな怪我や病気などしないよう、慎重に生活なさるがよろしい」
男性に❝お出禁❞を言い渡されてしまった。 しかも、怪我や病気の際の治療も拒否……。
(アリスにはおまえたちの【治癒魔法】は必要ないのにゃ!)
(ありすはじぶんでなおせるもんね~っ!)
ハクとライムの言う通り、私には<教会の治癒士>の力は必要ない。 でも、このセリフに膝を折る人たちは少なくないんだろうなぁ。
ドヤ顔で寄付金入れの箱を差し出してくる男性を一瞥して教会を後にした。
う~ん。ビジューに会うための場所がなくなってしまったな……。
………ヴァレンテくんに頑張って貰ったら、何とかなる、かなぁ?
ありがとうございました。




