初めての馬車旅 32
「これは野営に付き合って調理を手伝ってくれたお礼ね」
インベントリからドライフルーツを取り出すと、イザックは嬉しそうに受け取ってくれた。
「これは今日の晩ごはん。 リクエストを聞かなかったけど、その代わりにお鍋ごとあげるから、ちゃんと温め直してね? 温めたらご飯の上に乗せて、一緒に食べるの。
明日からの食事はどうする? 明日の分だけ何か用意する?」
「そうだな。明日1日くらいなら俺のアイテムボックスでも大丈夫だから、手軽に食えそうなものを売ってくれ。 明後日は検証を兼ねて、例の飯を楽しむよ」
手軽なものをリクエストされたので、焼きおむすびとお肉たっぷりのサンドイッチに肉&野菜串とフルーツヨーグルト、アーモンドのキャラメル掛けを渡して5千メレ受け取った。
う~ん、これが5千メレかぁ……。
「ねぇ、やっぱり高くない?」
もう少し値下げをしたらどうかとイザックに聞いてみたけど、
「あ? そんなことを思っているのはアリスだけだ。 もう少し、金銭感覚を鍛えた方がいいぞ」
呆れたように苦笑されてしまった。
納得はできないけどこれが普通だというなら私が折れよう。 私の感覚の金額分、多くごはんを渡して腐らせても意味がないしね。
イザックから視線を逸らすと、座席の上に立ち上がってこちらを覗き込むようにしていたペーター君と目が合う。
「お姉ちゃんは本当にここでお別れなの?」
とても悲し気に聞かれて、気まずく頷いたんだけど、
「お姉ちゃんとお別れするのイヤだ! ずっとお姉ちゃんのごはんを食べたい!!」
と大声で宣言されて、気が抜けた。
そっか。私のごはんを食べたいのか。 ははは、小さい子供に懐かれたと思って喜んだんだけどな。
馬車の中を移動してきて「一緒に行こう!」「ずっと一緒がいい」と状況を知らない人が聞いたら❝おませさん❞とも取れる発言を繰り返しているペーター君を、乗客たちは微笑ましいものを見るような目で見ている。
……小さな声で「坊主、頑張れ! 俺たちも美味い飯が食いたい」とか聞こえるのは気のせいだよね。
……気のせいにして、視線を合わせないように気を付けよう。
「この鍋の中身なんだ? 肉と卵を炊いたのか?」
「うん。これは親子……他人丼、だよ。ハーピーの肉と野菜を溶いた卵でとじたの。 あまり温め過ぎると、卵が固くなり過ぎるから気を付けてね?」
お出汁がないけど、まあ、それなりの味にはなったと思う。
「新作だな」と嬉しそうに呟くイザックと、(夜が楽しみにゃ♪)と嬉しそうな従魔たちを眺めている間も旅路は順調に進み、夕方の少し前、まだ太陽の光が強い時間にスフェーンへの分岐に着いた。
馬車から降りて預かっていたハーピー肉をイザックに返していると、ペーター君が馬車から飛び降りて私に抱きついてきた。
「やだやだっ! お姉ちゃんも一緒に街に行こう!? ぼく、ちっともお姉ちゃんとおしゃべりしてないよ!」
「こ、こら! ペーター! わがままを言うんじゃない!」
慌てて馬車から降りてきたお父さんに宥められているけど、ペーター君は私にしがみついたまま離れる気配がない。
イザックに助けを求めてみても、イザックも子供相手だとどうすればいいのかわからないようで、両手を上げて❝降参❞のポーズだ。
「あ~、今日はここで一泊して、明日の朝の旅立ちにしたらどうだ?」
鍛冶屋さんが頬を掻きながら提案してくれたけど、
「この付近は野営に向かないんだ」
ディエゴが残念そうに首を横に振り、
「明日からの探索に備えて、今夜はゆっくりと過ごしたいから」
私が昼夜逆転しているリズムを整えたいと断ると、残念そうに肩を竦め、ペーター君の肩を1つ叩いて馬車の中に戻った。
(困った子供にゃ…)
見かねたハクが可愛らしいポーズと鳴き声で気を引こうとしても、私にしがみついているペーター君の手の力が抜けることはない。
「ペーター君、ごめんね。 お姉ちゃんももっとペーター君とお話したかったんだけど…」
「お姉ちゃんは馬車の中でずうぅぅぅっと寝ていて、ちっともおしゃべりできなかった!」
うん、その通りです。 ❝夜中の護衛があったから❞なんて理屈を子供に言っても仕方がない。
ご機嫌取りだとわかっていても、「ごめんね」と謝りながらペーター君のお口の中にバタークッキーを放り込むことしか思いつかなかった。
「っ!! 美味しい! これは何?」
「クッキーだよ」
「クッキー? クッキーはもっと硬くてぼそぼそしてるんだよ」
「これはバターをたっぷりと使って焼いたんだ。 美味しい?」
「うん! もっと食べたい!」
機嫌を直して笑顔になったペーター君のリクエストに応えようとインベントリを開きかけると、ハクが鋭い鳴き声で私を止めた。
(その子供に、❝駄々をこねたら得をする❞と教えるのかにゃ?)
! うっかりしていたけど、それは子供の教育に宜しくない。 私が責任を取れる身内の子供じゃないんだから、勝手をしてはいけないな。 でも、期待をさせてしまったのは私のミスだ…。
困って身動きが取れなくなっていると、
「坊主。それはアリスの商売物だからただではやれない。 さっきの1枚で諦めておけ」
イザックが苦笑しながらとりなしてくれた。 膝を折ってペーター君に視線を合わせている。
「あんなに美味いものがタダでもらえたら、皆がアリスに殺到して、アリスの食べる分がなくなっちまうだろう? だから、俺も金を払っている。 さっきサービスで1枚もらったことで我慢しろ」
子供相手にきちんと説明をしているイザックにペーター君も何かを感じたようで、しばらく考えた後にこっくりと頷いた。
ゆっくりと手の力を抜いて私から身を離し「お姉ちゃん、ありがとう」という姿はとてもいじらしくて、私の母性本能を刺激する。
いっそのこと、乗客全員に❝お別れの挨拶❞としてクッキーを配ろうかと考え始めた頃、ペーター君のお母さんが馬車から降りてきた。
「だったら、私にクッキーを売ってくれないかしら?」
「え?」
「そんなに美味しい物なら私も食べてみたいし…。 幸いお嬢さんたちが支払ってくれた報酬がまだ残っているから、その報酬で買えるだけでいいから売ってもらえないかしら?」
お母さんの提案は正直に言ってありがたい。 でも、食事の度に何かを買ってくれているのに、旅の途中でこれ以上お金を使わせていいものか。 少し悩んでいると、
「主人がもらった報酬もあるから、この旅で私たちが損をすることは何もないわ。 めったに食べられない美味しいものが食べられて、反対に得をしてばかりね!」
お母さんは笑顔で言った。 …どうして考えていることが分かったんだろう?
「お嬢さんは善良だから」
といたずらっぽく笑うお母さんは、どうやら普通のお母さんではなかったようだ。
イザックが同意するように頷いているけど、それはペーター君のお母さんがとっても鋭い人だって思っている私への同意だよね!?
ありがとうございました!




