誓約書
玄関まで牧場のおばあさんを迎えに行ったマルタが、2つの“OKサイン”を出した。おばあさんはミルク瓶の片付けと、ミルクの拭き掃除をしてくれたということだ。
「このたびはご迷惑をお掛けしました……。 夫が約束したものです」
おばあさんの方はまだ常識のある人だったらしく、申し訳なさそうというよりは悔しそうに詫びを口にしながら、賠償金が入った皮袋を突き出すように渡してきた。
インベントリからテーブルセットを出し、その上にお金を全て取り出して、1枚1枚丁寧に数える。
「細かいお金が多いのね? 手伝うわ」
マルタに手伝ってもらって数えた結果、ちゃんと700万メレ入っていた。
「不足はないようですね。では誓約書を作成するので、テーブルをお借りします」
衛兵さんが誓約書を作成してくれている間に護衛組に150万メレを渡すと、とても素直に受け取って分配してくれたので、従魔たちの攻撃力の凄さを改めて実感した。
誓約書には、
1. 今後は一切、私たちに関わろうとしないこと
2. 今後、この家の10m以内に近づかないこと
3. 私たちや家に対して、悪意を持った噂を広めないこと
が、小難しい言葉で書かれていた。
これを読み上げて誓約を立ててからサインをするのが、一連の流れになるらしい。
「……誓いを守らなかった時の罰則はないんですか?」
日本では『誓約書』の内容を守らなくても、法的な罪には問われない。
“約束は守られるもの”という“善を信じる考え”で成り立っているので、破る人はあっさりと破ってしまう。
不思議に思って聞くと、アルバロも不思議そうに聞いてきた。
「アリスの国では、誓約時にビジュー神に誓わないのか?」
「え?」
ビジューに誓うの?
「この国では、誓約を交わす時にビジュー神の御名に誓いを立てるんだ。 だから、誓約を破ったとわかると周囲からの信用を一気に失う。
少なくとも、この辺りでは普通の生活は送れなくなるぞ」
…なるほど。 誓いを破れば、十分な罰が下されるわけだ。
「不足はないです」
「俺も、これでいいと思う」
当事者の私たちや、アドバイザー的な立ち位置になったセルヒオさんやヘラルドの妻のおばあさんはこれでいいと言ったが、もう1人の当事者であるヘラルドが納得しなかった。
う~う~と唸っているので、猿轡を外してやると、
「こんなのはわしだけが不利じゃないか! この娘と冒険者たちがわしらに関わらないことや悪口を言わないことも条件に含めてくれ!」
「おじいさん、アンタは自分の立場がわからないのかねぇ…。 アタシらは、お嬢さんたちに詫びている立場なんだよ?」
ヘラルドの言い分に呆れたのは私たちだけじゃなかったらしく、おばあさんも呆れたように窘めたが、セルヒオさんだけは心を動かされたようだ。
「いいんじゃないですか? 皆さんの関係者がヘラルド牧場と関係者に一切の関わりを持たないことや、悪口を言わない旨の誓約書を作成しましょう!
逆に、牧場の関係者が皆さんの関係者に一切の関わりを持たないことも追加しましょうね。
お互いにお互いの関係者を含め、故意に接触をしない。 これですっきりします」
「おい、セルヒオ?」
セルヒオさんは、不審そうな顔をしたアルバロと近くにいたエミルを部屋の隅まで引っ張って行き、何かを耳打ちしている。
アルバロとエミルは咳払いをして難しい顔でしばらく考え込み、難しい顔のまま私たちに向かって頷いた。
セルヒオさんに続いて2人までが納得するのなら、何か考えがあるのだろう。 とても不愉快だけど、私たちに不利なことにはならないだろうし、私たちも衛兵さんに向かって頷いた。
追加事項を盛り込んだ2枚の草案にOKを出すと、衛兵さんは一心不乱に何枚もの誓約書を書き上げた。
牧場へ行っていた衛兵さんは、再度ヘラルドに猿轡を噛ませたらしばらく休憩モードに入ったので、手伝わないのかと聞いてみると、“筆跡は揃えておかないと書類の真偽が疑われる”と教えてくれた。
「同じものが7枚ずつ?」
「皆さんがそれぞれ保管する分と裁判所へ提出する分です。 不備がないかの確認をお願いします」
……短時間で14枚もの書類を誤字脱字もなく完璧に作成するなんて、優秀な衛兵さんだな。
こっそりと手首をさすっていたので、私もこっそりとヒールをかけておく。
びっくりしている衛兵さんにイザックが笑って私を指差しているから、“こっそり”の意味がなくなったけど。
「遅かったじゃないか! おまえはわしとロレナが心配じゃなかったのか!?」
誓いを立てさせる為に猿轡を外した途端、ヘラルドは自分の妻に文句を言い始めた。
……自分たちの不始末で700万メレも失うことになったのに、謝るでもなく、文句を言い始めることに呆れていた私たちは、
「おじいさんは家に700万メレもの大金を置いてあるとでも思っていたのかねぇ? そんな大金、家にあるわけがないだろうに……。 2人が心配だったから、アタシは家中の金を掻き集め、ギルドに預けていた金を下ろし、足りない分は借金を頼んでまで金を持ってきたってのに、そんな言い方はないんじゃないかねぇ?」
と言うおばあさんに、全面的に共感を持った。 特に、牧場まで行ってくれた衛兵さんは険のある視線をヘラルドに向けている。
「おい、じいさん。 ギルドの貸付対応は10時からだったんだぞ。 あんたの嫁さんはあんた達の為に必死にギルドで頭を下げたんだ。 でなきゃ、こんな時間に金を貸してくれるわけがないだろう? 少しは感謝したらどうなんだ?」
「ギルドに借金だと!? なんてことをしてくれたんだ!」
衛兵さんに諭されても、ヘラルドは感謝もせずにおばあさんを責めるばかりだ。
「時間の無駄だな、進めるぞ。
…では、ヘラルドさん。 誓約書を声に出して読み上げ、女神ビジューに誓約を立ててください。 それから全ての書類にサインを。
今更ですが、文字は書けますね?」
「読めるが書けん!」
「…書けます」
「ばあさんは黙ってろ! わしは書けん!」
………この期に及んで嘘をついて逃れようなんて、ふてぶてしいにも程がある。 衛兵さんにも思うところがあったらしく、
「文字を書けるならサインを、書けないなら血判で結構です。
冒険者殿、どなたかこの老人のどこかを切りつけて血を流させてやってくれませんか? …14枚分の血判に使うので、多少、出血が多くなっても問題ありません」
表情も変えずに、“血判(流血過多上等!)”を提案した。
「か、書ける! ちょっとした勘違いだ!」
血相を変えたヘラルドがビジューに誓いを立て、慌ててサインを始める姿は滑稽だったけど、誰も表情を緩めることはなかった。
ありがとうございました!




