序章
その森は、王都から北の方角へ馬の足で一日ほどの距離にあった。
鹿や猪が多く生息し、古くから王侯貴族の狩場として使われていたが、今では訪れる者はおらず、整備されていた林道は草が生え、倒木が森への侵入を阻んでいた。
原因は、森の入り口に残された館にあった。
白大理石で造られた三階建ての館は狩場を管理していた公爵家の持ち物で、彫刻の施された外壁や噴水のある中庭は美しく、訪問者の宿場としても利用され、高位の宿泊客を喜ばせる物だった。
しかし、館を悲劇が襲った
それは春の嵐の夜。落雷で起きた火災の対応に館の男衆は総出で森へ向かった。館に残ったのは老執事と女中たち、そして公爵家の一人娘。
公爵は娘の安全の為に跳ね橋を上げさせた。館は深く掘られた水濠で囲まれており、一つしかない橋さえ上げてしまえば、誰も侵入出来ない造りなのだ。
公爵たちが火災を沈下し館へ戻った朝、
公爵の目には下ろされた跳ね橋と、開かれたままの門、無理やりこじ開けられた二枚扉が映った。公爵が館の中へ入ると館内は荒らされており、女中たちが血を流し倒れ、館の最上層である三階の奥の娘の部屋には長年仕えてくれた老執事が喉を斬り裂かれて絶命していた。
公爵は娘を探した。娘の姿はなかった。ただ部屋の中には老執事だけの物とは思えない、おびただしい量の血が残されていた。公爵は顔にあたる風で窓が開いている事に気づいた。おそるおそる窓に近づき、外を見た。窓の下は噴水のある中庭である。そこに、娘は『あった』。噴水の水たまりの中に、もう生きてはいない娘の体があった。なぜ生きていないと分かったのか。
娘の手足は切落され、腹が斬り裂かれた状態で仰向けに浮いていたからだ。
それからそう経たずに、まるで愛娘の後を追うように公爵は病死する。
近親者はいたが、誰も館を、公爵家を継がなかった。
館は放置され住人が居なくなり、館の窓硝子は所々割れ、中庭には草木が生え、柱や壁にはツタが這い、館を守る水濠の水は腐って濁り何とも言えない臭いを放っていた。
その上、人気がない館内を彷徨う影が目撃され、殺された者たちの怨霊だと噂された。
人々は館で起きた惨劇と怨霊を恐れ、館を森を避けるようになり、
そして森を訪れる者がいなくなって三十年経とうとしていた。