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冬空の君  作者: 成瀬螢
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約1年のタイでの生活を終え、帰国して今日で6日目。実家で昨日まで怠惰に過ごしてから、ようやく今日自分のアパートに帰ってきた。

懐かしの大学。懐かしの研究室。懐かしの仲間。それらとの、久々の、感動の再会。そのようなことはなく、未だ慣れきれない研究室のメンバーとの気の重い再会。そして私がいない間に入った新4年生たちとの顔合わせ。

ひどく憂鬱だ。慣れてない人と関わることは私にとってけっこう苦痛だった。ここしばらく人間関係のストレスや初対面の人々との関わりが多かったため、正直今は誰とも関わりたくない。ずっと家でひとりごろごろしていたかった。

私は中華料理屋の隅に自転車を停めた。そのまま店の横に寄せて置き、鍵をかける。

この中華料理屋は学校から徒歩で約10分。値段の割に量が多くて味もそこそこなため学生御用達で、私も以前はよく通っていた。そして今日の飲み会の会場でもある。

一瞬、あの時に引き戻されそうになり、慌てて湧き出た感情を頭から追い出した。考えると思い出にとらわれて身動きがとれなくなる。感傷的になってもいいのは家に帰ってひとりになってからだ。

腕時計を見ると、18時の15分前。約束までに微妙に時間がある。

目の前で自動車が止まった。中からは大学生らしき青年が出てきた。

もしかしたら知り合いではないかと思ったが、長めの髪のせいで顔は見えなかった。中に入るかと思いきや入らず、彼は私の隣でスマホをいじり始める。

人を待っているようだ。もしかしたら研究室の4年生かもしれない。その可能性は高そうだが、わざわざ彼に話しかける気にはならなかった。

とうとう18時になった。誰も来ない。

私はため息をついてしゃがみ込んだ。隣の青年も相変わらず突っ立ってスマホをいじっている。彼も待ち合わせの相手が来ないのだろうか、などと考えていると急に上から声をかけられた。

「高野先輩」

知らない人から自分の名を呼ばれ驚いて見上げると、彼がこちらを見ていた。白い肌が印象的なその青年は、声を聞かなければ少女と間違えてしまいそうな顔立ちをしていた。

「みんな遅れるみたいなので先に入っているようにと言われました」

「もしかして日野研の方ですか」

そうたずねると、「そうです」という返事が返ってきた。しかし彼はそれ以上話さず背を向けると店内に入っていった。それを追い私も中に入る。

彼が「予約の桐島です」というと、奥の座敷に通された。自分の知っている中で桐島という苗字の人はいなかったから、おそらく4年生の誰かが予約してくれたのだろう。

半年ぶりだが店内は全く変わっていなかった。しかし一体何があったのか、中国人の無愛想なおばさんが以前よりも愛想良くなっていた。

私たちは向かい合わせになって座ったが、会話は始まらなかった。何度か話しかけようかと迷ったが、彼がうつむいてスマホをいじっていたから諦めた。もともと私は知らない人間と楽しくおしゃべりができるような性格ではない。無理に話すよりも沈黙の方がずっと気楽だ。正直なところ、話さない口実があって嬉しいくらいだ。

私はこの状況に甘んじることにした。

しばらく無言の時間が流れたが、彼の方が沈黙を破った。

「あと10分くらいでみんな来るみたいです。料理を先に注文しておけって言われたんですが、何か食べたいものとかあります?。俺はこの食べ飲み放題コースで考えていたんですけど、先輩はこれでいいですか?」

スマホを見たままではあったが、彼はメニューをとって見せてくれた。メニュー本の一番最後のページに彼の言うコースが載っていた。「食べ放題+アルコール飲み放題!3500円!!」とでかでかと書かれている。

「大丈夫です・・・けど、多分コースよりも単品で注文した方が安く済むと思いますよ」

「えっ・・・そうなんですか」

彼が驚いたようにスマホから顔を上げ、メニューを覗き込んだ。

「ここ、単品が結構ボリュームあるし、アルコールも安いし。前に飲み会した時も、確か一人500円くらいは安く済みましたよ」

「先輩、ここよく来てたんですか?」

彼が驚いたようにきいてきた。

「前の研究室の人たちとしょっちゅう来てて」

ははっと笑って言う。思った以上に自然に笑えている気がした。

そう、あの時は京ちゃんと、サヤと、山崎と毎週のように食べに来ていた。将来の夢や、実験の相談や、先生の悪口とか、話すことは尽きなかった。今となっては遥か昔に感じてしまう。

「その人たちのこと、大好きだったんですね」

彼は「前の研究室」といういわくありげな言葉には触れてこなかった。通常、院に進学する時、学部時代の研究室と同じところに所属する。研究室を変えるというのは稀で、単に学びたいことが他に出来たという場合もあるが、何かしら問題が生じた結果変わることが多い。

彼は目を閉じ、大きく息を吐いた。

そして目を開いて私を見る。初めてしっかりと目が合った。瞳は感情を映しているように見えたが、それが何なのかは私にはわからなかった。

「別に俺に敬語使わなくていいですよ。てか使わないでください。初対面だけど・・・俺4年なんで・・・」

目をそらしながら彼が言った。「日野研4年の桐島慧(きりしまけい)です。よろしくお願いします」

「えっと・・・マスター2年の高野昴(たかのすばる)です。よろしくお願いします」

そしてまた沈黙。

彼、桐島くんは今回はスマホをいじらず、ただうつむいて黙っていた。

少し気まずさを感じて口を開きかけた時。

「お、桐島サンキュー」

ベリーショートの長身の女性がこちらに向かってきた。

「梨華さん!」

彼が声をあげた。

久々に会う梨華さんは、長い髪をバッサリと切りショートヘアになっていた。

「昴ちゃん、おかえり」

「ありがとうございます。梨華さん、ショートヘア、すごく似合ってます」

「ほんと?ありがとー!」

眩しい笑顔をこんな私にも向けてくれるところは以前と何ら変わりない。「ごめんね、ちょい作業が長引いちゃって」

「作業とか言って、アレですよね・・・」

やや青ざめて桐島くんが言った。

「ん?ニワトリの屠殺だけど」

「やっぱり・・・」

「鶏肉いる?」

「いらないです」

「欲しいって言ってもやらないけどね」

そう言いながら梨華さんは私の隣に腰掛けた。

「遅れてごめんね。間に合わなさそうだから5限後に桐島を直行させたんだけど、ちゃんと間に合った?」

「あっはい。大丈夫でした。ありがとうございます」

あれ、5限は確か終わりは55分だったはず。それにしては着くのが早すぎたような。

「授業早く終わったの?」

私が訊くと、彼は微笑んで「そうですよ」と答えた。

「はいはい、桐島もっと奥詰めて」

「・・・」

梨華さんの言葉に桐島くんが無言で体をずらした。

「高野さん、お帰りなさい」

日野先生が笑顔で言った。

「ありがとうございます」と笑顔を作り、返す。「挨拶が遅くなってしまい、すみませんでした」

「いやいや。無事に帰ってこれて良かった。タイはどうでしたか?」先生は細い目をさらに細めながら梨華さんの隣に腰掛けた。

「いや・・・最初は英語喋れなくて結構大変だったんですけど、向こうの先生がすごく親切にしてくれて。あ、あと向こうに滞在歴の長い日本人がいて、その人にもけっこう助けてもらいました」

「そうですか。楽しかったですか?」

「はい」

「それは良かった」

そうこうしているうちに全員が席に着いた。

メンバーは全部で7人。日野先生、梨華さん、同期の中原くん、桐島くん、そしておそらく新4年生だと思われる知らない女の子が二人、そして私。

先生の隣から、中原くんが私の方を見てニヤッと笑った。

「久しぶり、高野さん」

「久しぶり」

「思ってたより変わらないね。でも黒くなった」

「日焼け止め塗らなかったからね」

中原くんは人見知りが激しい私でも学部時代から話すことができる数少ない男性だった。いつも人の中心にいたような気がする。もっとも、話すと言っても挨拶したり必要があれば声をかけられる程度だったが。

「今日は結局、最初に言ってた食べ飲みホになったの?」

「いえ、考えてみたらここ量も多いし飲み物安いから単品の方がお得じゃないかってことで、単品で適当に見繕って注文しておきました」

梨華さんの問いに桐島くんが答えた。

「へー、そうなんだ。知らなかった」

中原くんが感心したように言った。

「まだドリンクは注文してないんで、選んじゃってください」

「じゃあ、コースよりも高くなったら桐島のおごりね」

「いいですよ」

それは私が、と言おうとしたが、桐島くんに目で止められた。

「それなら安くなった場合は差額分俺がもらいますね」

二人が戦闘モードになったところで店員さんが料理を持ってきた。

「すみません、注文いいですか」

中原くんが声をかける。「ビールの人は?」

先生、梨華さん、私が手を挙げた。

「じゃあ、俺も含めて、ビール4つ。で、他の人は?」

「白ワインをください」

4年生の片方の子が言った。綺麗にカールされた長い黒髪に、フリフリの服。そして何よりも美少女。こんな目立つ子の存在を知らなかった自分が信じられない。この学年の学生実験にはTAとして参加していたはずなのに。

「白石さん、さすがに中華料理屋でまでワイン飲まなくても」

そういった中原くんに対して彼女はまばゆいほどの笑顔を浮かべたが、変えたりはしなかった。

「私はカルピスチューハイにします」ともう一人の女の子。

「桐島は?どうする?」

「・・・ウーロンで」

桐島くんがむすっとしながら言った。

「ウーロンハイですか?」

片言で店員さんが訊ねたことに梨華さんが吹き出した。さっきの美少女もクスクス笑っている。

「ウーロン茶です」

店員さんが言った後、日野先生が口を開いた。

「ではみなさんお疲れ様です。後少しで新学年が始まってしまいますが、ようやく今年のメンバーが揃いましたね。3年生・・・新4年生は会うのが初めてかもしれませんが、院2年になる高野昴さんです。4月からだいたい1年くらいタイに留学していました」

先生がこちらをちらりと見る。

「高野昴です。宜しくお願いします」

そう言って軽く頭を下げた。

「高野さん、そしてこの3人が新4年生です」

「白石雪乃です」

さっきの美少女が微笑んだ。大きな目に長いまつげ。白い肌に赤い唇。じっくり顔を見ていたことがバレたらしく、目が合ってしまった。本当に、とびきりの美少女。

彼女と桐島くんの間の女の子は、肩までの茶髪の、おとなしそうな子。

「佐野雛子です。よろしくお願いします」

そして最後が桐島くん。

「桐島慧です」

「では、これからこのメンバーでやっていくことになります。よろしくお願いします」

みんなが口々によろしくお願いします、と言った。そこにタイミングよく飲み物が運ばれてくる。先生がビールを掲げた。

「ではみなさん、乾杯」

「乾杯っ」

カチリとガラスが軽やかな音を奏でた。私は1口ビールを口に含んだ。そして初めて喉がカラカラに乾いていたことに気づく。なんとなく止まらなくなって、私は一気に飲み干してしまった。

「ペース早いですが大丈夫ですか」

向かいから桐島くんが声をかけてきた。

「ん?これくらい大丈夫だよ」

自分の限界は知っている。ビール1杯程度でつぶれたりしない。

「でも」

桐島くんは何か言いかけたところで、佐野さんに話しかけられて会話が中断した。

「おっ昴ちゃん早いね!次飲む?」

「はい!カシスウーロンください!」

飲み会は佐野さんと桐島くんの2人と、その他の酔っ払いに分かれて進み出した。私はとりあえず梨華さんや中原くんの話をうんうんと適当に頷きながら聞いていた。普段温和な先生は珍しくテンションが高くなって話のたびに大笑いしている。

料理は以前と変わらず美味しかった。だが味付けが少し濃くなっていたおかげで、やたらと喉が渇く。私はどんどん飲んだ。体がふわふわして気分が高揚してくる。やがて眠気が強くなり、そのまま意識が途切れた。

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