稽古をつけてもらいました
僕は首根っこを掴まれたまま、ディノールによってそのまま我が家の庭に連れ出された。
青い空。
白い雲。
実に快晴である。
だけど僕の心は曇っていた。
無理やり外に連れ出される。
やはりこの事実が大きい。
僕がこの世界に転生を果たしてはや五年。
しかし外に出たことは一度としてなかった。
それは魔術という未知でありロマンの結晶に没頭していたことが原因、というわけではない。
いや、もちろんそれもあるが、別の理由もある。
怖かったのだ。
外の世界が。
元の世界では井の中の蛙であることを思い知った。
僕よりも優れた人間など五万といる。
結局自分は凡百な存在なのだと決定付けられる。
だから外の世界を嫌っていた。
そんな外の世界。
まさかこのように呆気なく、そして無理やり連れ出されるとは思わなかった。
やられたよ、ディノールには。
しかしここで何をしようというのか。
「構えろ」
何を構えろというのか。
僕の目線の先にはディノールが立っている。
その視線はいつもの様子とは打って変わって違う。
鋭い眼光だ。
背中がぞくりとする。そんな視線だ。
「お前はあまりにも外の世界に興味が薄いようだ。だが、それではこの先生きてはいけない」
「……それは、どういう意味ですか?」
「ある程度の護身術を覚えておくに限るということだ」
ディノールは言う。
「お前に今から稽古をつけてやる」
稽古、と。
どういうことだ。
さっぱり意味がわからない。
この男、頭がトチ狂ったか。
と、思いたいところだが。
ディノールの言葉にはそれだけの重みがあった。
まるで幾つもの経験を得てきたような、そんな重みが。
この世界には魔獣と呼ばれる生物が存在する。
また、盗賊や野党なども普通いるような世界でもあると知った。
ディノールはそれを言っているのだろう。
だけど。
「えっと……」
僕は五歳。
ピチピチの五歳児である。
そんな子供に稽古をつける。
頭がおかしいのではないか。
……いや。
むしろ逆だ。
五歳から稽古をつけられる。
子供の時期から始めた方がやはり上達も早いのではないだろうか。
そうでなくても、僕はもう失敗しないと決めた。
ならば、やる。
なんだ。迷うことはないじゃないか。
「――わかりました」
「……いい返事だ」
僕は覚悟を決めた。
★
結論。
五分で沈んだ。
「まあ、最初はこんなものか」
なにがこんなものか、だ。
いつもと変わらない態度で僕を見下ろすディノール。
僕はちなみに仰向けで地面に転がっている。
当たり前だが、歯が立たなかった。
大人と子供の差、なんて簡単なものじゃない。
素人の僕にでもわかる。
どうやら僕の父親は魔道技士でもありながら、武術にも精通しているようであった。
構えも動き方も。
プロだ。
幾つもの修羅場を何度も超えてきたプロの動きだ。
勝てるわけがない。
「なんだ、俺が武術を使えることに驚いたか?」
そんなことを思っていると、どうやら顔に出ていたようだ。
いや、でも、そら驚くだろ。
「はい……。初めて知りましたし」
「確かにそうだな。ちなみに今の武術――ゴーラルム式体術はお前にも覚えてもらう」
ゴーラルム式体術。
初めて聞く名称だ。
「そのゴーラルム式体術というのは……?」
「そうだな。このバロンドールで栄えている三大武術の一つと言ったところか」
異世界バロンドールの三大武術。
一つはアルベルト式剣術。
一つはゴーラルム式体術。
一つはウェルムズ式銃術。
ディノールによるとこれら三つが三大武術らしい
武術を使えるもののほとんどがこの三大武術のどれかを習得しているとのこと。
剣術に体術に銃術。
なかなかバラバラな組み合わせだ。
別に気になるわけではないけれど。
それで、ディノールはどうやらその三大武術の一つであるゴーラルム式体術を習得しているようだ。
「そのゴーラルム式体術というのを、僕に?」
「ああ。お前をこのまま家に縛り付けているのも親としては心苦しい。お前はもっと外の世界を知るべきだ」
外の世界、ねえ。
正直興味がないわけではない。
ただ、やっていく自信がない。
それはおそらく、前世での失敗の連続が未だトラウマとなっているからだろう。
だが、確かに僕は外に出ようとしなかった。
僕自身は気にしていなかったが、親であるディノールとマリーナはどのように思っていたのか。
想像できない筈がない。
だからこそディノールはこうした訓練に僕を連れて来たのではないだろうか。
外の世界を見せるために。
外の世界でも生きていけるように。
それを考えれば、僕のやることは決まった。
「……じゃあ、そのゴーラルム式体術、教えてください」
どちらにせよこの世界で護身術を覚えておくに限る。
努力する。
そう決めたのだから。
それから僕の日課には、ディノールとのゴーラルム式体術の稽古が加わった。
★
レイバース・アルノード。
漆黒色の髪と瞳を持つ子供。
彼はディノール・アルノードとマリーナ・アルノードの間に産まれた少年である。
ディノールは自らの子供の知恵の回りには驚きの連続だった。
というより、頭が良い息子に鼻が高いと言うべきだろうか。
レイバースはあらゆる事柄、事象、物質、それらに理解を示すことがとにかく早かった。
色々なものを受け入れることに優れていた。
ゆえにディノールの本職である、魔導技師に興味を示すのも当然のことだった。
三歳という若さでディノールの工房に通うことになったレイバース。
工房に通う度にじいっと自分の仕事を観察することが日課になっていた。
さらには度々地面に落ちてある部品を部屋に持っていく始末。
興味があったのだろうか、と最初こそ微笑ましく思っていたが、ある時レイバースの部屋を見て戦慄した。
あれはレイバースが四歳になって少し経った後くらいだろうか。
レイバースはなんと、魔導機器を作製していた。
四歳児が、一人で、だ。
作製していたのは簡単な魔導機器である魔道ランプ。
説明書があれば、誰でも作れるような代物だ。
四歳児が作っていることに驚きこそするが、まだ納得のいく魔導機器だ。
それが、携帯用に改造されたものでなければ。
この時ディノールは戦慄したものだ。
我が子は天才なのではないだろうか、と。
携帯用魔導ランプ。
つまりは魔導機器の改造。
それはつまり説明書通りに部品を組み立てたのではなく、しっかりと魔導機器の知識を使って作り上げた証拠だ。
そういえば、レイバースが自分の工房に来た時、魔導機器の改造についてやけに質問してきた時期があった。
たかが四歳児が理解できるものかと思いつつも説明してやった覚えがある。
それをまさかレイバースが実行していたのかと思えば驚愕の二文字しか出てこない。
そんなレイバースだが、ディノールとマリーナ共に心配な部分が存在した。
それは外の世界に興味が薄いことだ。
この時期の子供は外の世界に興味を示す。
外には未知がある。
知らない世界が広がっている。
それを知ろうとする、知りたいと思うのが子供である筈だ。
しかしレイバースはそうではなかった。
その未知を確かめようとするのではなく、まるで恐怖を感じているように、知りたくないと言うかのように遠ざけた。
ディノールは思う。
これはマズイと。
レイバースは天才である。
マリーナと共にディノールが思っていることだ。
しかし完璧ではない。完全ではない。
外の世界を知らなければ、このまま家の中だけしか知らない状態で育てばレイバースの成長が止まる。
なにより知らなければ自らの身を滅ぼすことになる。
ディノールはそう考え、決行した。
レイバースを外に連れ出すことを。
その結果、ディノールは自らゴーラルム式体術を教えることにした。
もっと子供らしい遊びを教えてあげられればと思う。
しかしその遊びをディノールは知らない。
自分には魔導機器と鍛え上げた武術しかない。
そうディノールは思ったからこそのゴーラルム式体術。
しかしレイバースは興味を示した。
本当に子供かと、正直ディノールは呆れたくらいだ。
しかしこのまま家の中で本だけで知識を溜め込むよりはいいだろう。
というわけでその日からゴーラルム式体術を教えることになった。
それから三ヶ月。
「――ふむ」
天才か。
素直にそう思った。
なぜそう思ったか。
それはレイバースが僅か五歳にして武装魔術を纏うまでに至っていたからだ。
「そういえば、前にそんなことを言ってたな……」
ディノールは過去を振り返る。
武装魔術を使えるようになった。
レイバースが言った言葉だ。
あれは確か、魔導演算機を突然欲しいと言い出した時だろうか。
正直信じてはいなかった。
子供ながらに魔導演算機を使って遊びたいだけだと決めつけていた。
ゆえに厳しく叱ったわけだが、本当に使えるとは。
またしても驚愕だった。
「父様、何か言いましたか?」
実の父にも敬語で話しかけてくる我が子。
どこか余所余所しい感じに少しだけ残念な感情が脳裏を過るが、それも今は捨て去る。
今は訓練中。
無駄な思考は不要。
ディノールはそう考えた。
「いや。レイは筋がいいものだな、とな」
「そうですか? 僕はそう思えないんですが……っ!?」
「稽古中に話していいのは余裕がある時だけだぞ」
一瞬の大きな隙を見せた息子に足払い。
ディノールのそれに完全に地面へとレイバースは倒れ伏した。
「痛っ……」
「ふむ。今日は悪くなかったぞ」
そう。
悪くなかった。
ディノールの素直な気持ちだ。
ゴーラルム式体術を教え始めてから三ヶ月。
その間の習得状況は実に順調だった。
特に体運び。
まるで昔から体の動かし方を知っていたかのような動き方だ。
五歳まで普通に過ごしている子供の動き方ではなかった。
筋がいい。
そして才能もある。
これは鍛えがいのある子だ。
ディノールはふっと笑い、仰向けに倒れたまま深い呼吸を繰り返す息子に目を向けていた。