魔術に驚きました
――なんだ、何が起こっている!?
僕は周りを見渡した。
どうやら僕は一人の女性に抱えられているようだ。
その脇にはもう一人の男性がいる。
夫婦だろうか。
僕はなぜか直感的にそう感じた。
「――――――」
「――――――」
その夫婦と思わしき二人が笑顔で言葉を交わしていた。
しかしその言葉の内容はさっぱりわからない。
僕の知っている言葉では決してない。
まるで異国語だ。
異国語……?
というと、ここは異国なのだろうか。
いや、今はそんなことは後回しだ。
何よりも重要視する点は僕の身体の現状。
僕は自分の身体に視線を移す。
首が僅かしか回らないのがもどかしい。
だが現状を把握する分では十分な視覚情報が入ってくる。
あまりに小さな手。
あまりに小さな足。
あまりに小さな体。
そして裸の僕。
それは間違いなく赤子の姿。
なぜだ。
なぜ僕は赤子の姿になっている。
その原因がわからない。
僕は寝て、そして目が覚めたら赤ん坊だ。
意味がわからない。
「――――――」
僕が考え込んでいると、僕を抱えている女性がなにやら心配そうな表情を向けてきているのに気付いた。
なにやら深刻な表情で隣の男性と話している。
僕に何か問題でもあるのか。
そんなことを思いながら、僕はあることに気付いた。
僕は赤ん坊だ。
赤ん坊の仕事はなんだ。
それは泣くことだ。
つまり彼女らは僕が全く泣かないことを心配しているのではないか。
そう天啓のような答えが出た。
もちろん推測の域を出ないものだ。
そもそも正解である可能性の方が低いだろう。
しかし今の僕にはそれぐらいしか思いつかない。
なにせ僕自体、この現状を理解できていなくてパニックに陥っているんだから。
「うぎゃ――――!」
とりあえず泣こうとした僕。
それは本能からくる泣き声だった。
僕自身も驚きだ。
泣かなければと思った瞬間にこれだもの。
いや、便利な体だと賞賛するべきか。
「――――――」
「――――――」
どうやら僕の予想は正解だったようだ。
彼らは安堵したような表情になり、その顔に笑顔が戻った。
成功だ。
僕は僕の判断で成功したのだ。
しょうもないことの筈なのに、僕はたまらず嬉しくなった。
永らく味わっていなかった成功。
その美酒に僕は溺れたかった。
だからこそ僕はその後もずっと泣き続けたのかもしれない。
あまりに泣き続けて女性にまた心配されてしまったが。
失敗した。
★
半年を経て、僕は確信した。
どうやら認めたくはないが、転生というものを経験しているらしい。
全く知らない世界に僕は赤ん坊の姿で迷い込んだ。
僕はこの現象を転生という言葉でしか表せない。
まずここを全く知らない世界だと断じた原因。
それはこの世界の名前だ。
異世界バロンドール。
それがこの世界の名前らしい。
ここは元の世界と非常に酷似している。
一年があり、月があり、日がある。
一年は350日。
月はそれを12で分けられている。
また季節もある。
太陽もあり、月もある。
重力だって存在する。
元の世界とそこら辺はほぼ同じ。
理解しやすいし生活しやすいものだ。
そんな世界で僕はどうやらレイバース・アルノードという人間として生を受け継いだようだった。
赤子ながらに薄っすらと生えている黒髪と漆黒の瞳が特徴の容姿。
将来はどうなるかはわからないが、両親の容姿からレイバースの容姿は期待してもいいと思う。
ちなみに。
父の名はディノール・アルノード。
母の名はマリーナ・アルノード。
僕はよく愛称としてレイと呼ばれる。
まあそんなことはさておいて。
両手両足を駆使して僕はこの家の中を探検するのが日課となりつつある。
格好良く言ったはいいが、要はハイハイで散歩しているだけ。
だって暇なんだもの。
このアルノード家はなかなか広い。
屋敷というほどではないけれど、一般の民家と比べるとかなり広いのではないだろうか。
もしかしたらこの広さがこの世界の基準なのかもしれないけど。
この世界の文化水準は高い方だと思う。
その理由はあちらこちらに機器が置かれてあるからだ。
僕が前に住んでいた世界ほどではないが、それでも難解な機器がいくつかある。
例えば火を起こす時。
機器のスイッチ一つで火がつく。
火の強さは調整できないらしいが、便利なものだろう。
例えば水が欲しい時。
これまた機器を作動させれば水が出現する。
この出現が急に現れるのだからびっくりだ。
一体どんな仕組みになっているのか。
ただ全体的にみれば文化水準がチグハグなことに気付く。
そんな便利な機器があるのに、移動は大抵馬車を使っているらしい。
これは絵本でわかった。
まだ一歳に満たない頃から絵本を読んでもらったので、この世界についてを少しだけ知った今日この頃。
生まれてから一年で覚えたことはそれと父母の名前くらいだろうか。
それにしても転生……か。
元の世界にそれほどの未練はない。
父は早々に亡くなり、母には見切りをつけられた。
兄弟はいない。
友人と呼べるほどの友達もいなかった。
僕は最後に思ったことは明確に覚えている。
来世が来たら努力しよう。
そのチャンスを与えられたのではないだろうか。
これは嬉しいことなのではないか。
喜ばしいことなのではないか。
前世での僕だったらマイナスに考えていたのかもしれない。
しかしせっかくの今世。
プラス思考で行きたいものだと、僕は自分にそう思い込ませた。
★
生まれてから二年が経った。
つまり二歳だ。
この歳にもなると、この世界の言語もあらかた習得できた。
「あら、レイ。何をしているのかしら?」
「母様。本を読んでいます」
声をかけてきたのはレイバースの母親であるマリーナ。
茶髪に碧色が特徴の容姿端麗な女性だ。
このような美人な人が僕の母親なのだから驚く。
共通語であるバロン語を習得できた僕は、この頃はこの世界のことを知るべく読書に没頭している。
この世界はありとあらゆることが僕の知っていることと、僕の元いた世界と違っている。
好奇心が僕を駆り立てるのだ。
これほど好奇心旺盛なのはこの体だからなのだろうか。
まるで昔の、子供の頃を思い出す。
いや、今も子供になってますけれど。
「……ご本もいいけど、遊ばなくてもいいの?」
「遊ぶよりも本を読む方が僕は好きです」
「あらそう? あと、ママに敬語は使わなくていいのよ」
ああ、確かに敬語は子供っぽくないよなぁ。
実の息子だから余計に。
だけどどうしても余所余所しくなってしまう。
彼女達からすれば僕は血の繋がった息子なのだろうけれど。
僕からすれば彼女らは他人に近い。
いや、それだけなら良かったのかもしれない。
ただ、他にも理由がある。
僕は彼女達から実の息子を奪い取ってしまったかもしれない、という可能性だ。
考えてみればわかる。
僕という人格がこのレイバースという子供の体に乗り移ったように思える、転生。
じゃあレイバースの人格は?
レイバースの意識は?
もしかすると、僕という人格が塗りつぶしてしまったのではないか。
そんな罪悪感を覚える。
僕は彼らから本来の息子を奪い取ってしまった可能性がある。
そう思えば余所余所しくもなってしまうさ。
「はい。わかりました」
「……全然わかってない」
はぁ。
そう溜息を吐くマリーナ。
あからさまな溜息に僕も申し訳ない気持ちになってしまう。
「我が息子ながらインドアに育ってしまったな」
そんな僕に苦笑するのは父親であるディノールだった。
茶髪茶目で引き締まった体が垣間見れる。
そのディノールはというと、机の上で機械のようなものを弄っていた。
「あらディノ。魔導機器は工房で扱って欲しいものね。レイが部品を間違えて口に運んだりしたらどうするの?」
「レイに限ってそのようなことはしないだろうさ。マリーもわかるだろうが、びっくりするほど賢い子だからな」
機器を扱いながらも返答を返すディノール。
ちなみにディノとマリーとは彼らの愛称である。
しかし工房ねぇ。
そういえば僕はディノールの職業を知らない。
もしかすると機械を作るような職業なのか。
それに魔導機器という単語も聞こえた。
気になるな……。
思い切って聞いてみよう。
「父様は何をしてるんですか?」
「魔導演算機を作ってるんだ。最近は注文が多くなってるから作業を急ぎないと間に合わないんだよ」
魔導演算機。
知らない単語だ。
「魔導演算機というのは?」
「……そうだな。レイには見せたことがなかったな」
「ディノ。見せてあげたらどうかしら」
「そうだな。レイ、良く見てなさい」
何やらおもむろにその魔導演算機というものを腕に付けた。
その実物を見てわかるが、何やら腕輪のようなものに箱型の物がくっついている。
今から何が行われるんだろ。
「……っと。ここにあったか」
腰にぶら下げた小袋の中を漁り、ディノは何やら一枚の紙を取り出した。
紙と言ってもペラペラのものじゃなく、カードのようにピンと張っていた。
「多分レイもびっくりするわよ?」
ふふっと笑うマリーナ。
僕はそれを横目で眺めた後、再びディノールの方に視線を向ける。
ディノールは取り出したそのカードのような紙を、魔導演算機と呼ばれていた機械の差し込み口に入れた。
入れた瞬間、ウィンと音がする。
一体なんだろう。
疑問に思った次の瞬間だった。
突然浮き出すのは魔方陣。
そこから現れたのは炎の球体だった。
燃え盛る炎の球体が空中に停止している。
どういう原理なんだ。
それにさっきの魔方陣。
あれは一体なんだったんだ。
なんだ……これ……。
「むう。まだ安定性が取れてないな」
「未完成なんでしょ? 仕方ないと思うけど」
「未完成だからといって手を抜くわけにもいかないだろう」
「魔導演算機のことになると本当に頑固になるわよね。大体これ自体の安定性も決して悪くない筈なのに」
ディノールとマリーナが何やら言い争っているようだが、僕は今それどころじゃなかった。
ちょっと待って欲しい。
これは一体なに……!?
「父様……。これは一体……」
「流石のレイでも驚いたか。これはいいものを見れたな」
ふっと笑うディノール。
確かにここまで驚いたのは今世では始めてかもしれない。
いや、今はそんなことはどうでもいいんだって。
「これはな。魔術というものだよ」
ディノールの言葉に僕はただ唖然とするより他はなかった。