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姉と弟の聖なる昼

作者: ルアー

某投稿サイト祭り企画、テーマ「LAST」で書いた作品です。ちなみに文字数制限もありました。

 そこにあるはずのものがなかった。いくら手を伸ばしても手応えがない。

 顔を上げてそれを確認する。

 体の半分はこたつから抜け出す事を拒否していた。

「あれ?」

 さっき見たときは確かにあった。そうなると、他の誰かが持っていったのか。

 こたつのもう一人の住人をげしげしと蹴る。

「なにー?」

 眠たげな声が返ってくる。案の定寝ていたようだ。

「姉貴。残ってたみかん食った?」

「みかんー?」

 もぞもぞと動き始める姉貴。

「知らない」

 そっぽを向く。絶対深く考えてないね。

 でも今はみかんだ。いつもこの季節になると田舎からダンボールで送られてくる。そこから小出ししてこたつの上に置いてある。気づくと皮をむいている、とっても素敵な仕組みだ。

 そういうわけで、居場所のないダンボールがこたつから少し離れたところで体を小さくしていた。壁際に寄せてはあるものの、位置的にはかなり邪魔。そこからみかんをとりだそうというわけだが、そのためにはこたつから抜け出さなくてはいけない。

 それはちょっとした脱獄劇である。こたつ様に逆らおうなんてとんでもないことだ。普通の人間ならまず抜け出そうとは考えないだろう。大人しく刑期が過ぎるのを待つべきだ。特別になれなかったことをちょっと後悔する。

 こういうときは知恵を使おう。わざわざこたつから出る必要もないはず。

 見渡してみると、よだれで黄ばんだ座布団や、枕にしかならないぬいぐるみが目に入る。どうにも役に立ちそうなものがない。

 しょうがないので座布団の端をつまんで標的に向かって振りまわす。距離的には問題無く、角がうまくひっかかれば少しはこちらにダンボールを寄せる事ができるかもしれない。

 ぶん、ぶん、ぶん。

 飛ぶのはホコリばかりで何度やってもうまくいかない。コツがいるようでああだこうだと角度や強さを調節する。もうちょっとこう、ここがこうなれば――。

 と、座布団でモノを引寄せる能力を会得するにはもう少しの時間が必要そうで、残念なことにそのようなことに時間を使う気はさらさらないため、やけになって座布団を投げてやった。

 ぼす、という間抜けな音を合図に、ついに覚悟を決める羽目になる。

 いろんなものがでていきそうな溜息をついて、こたつから這い出る。その時足をぶつけてしまい、衝撃に驚いた姉が「ふが」と声をあげた。また寝ようとしていたようだ。

 床に腹をつけたまま移動する。なんとか、なんとか足だけでもこたつの恩恵に預かりたい。足が熱を逃がすまいとその場にしがみつく中、手を伸ばしダンボールの中を探る。

 いつのまにか量はかなり減っていたようで、もう少し伸ばせばそこにありそうな気がするのだがもうちょっとで届かない。かといって、こたつから完全に抜け出すのは躊躇われる。というか寒い。今こうしている時間も寒い。早く早くとじたばたするものの、いい案が浮かぶ事もなくダンボールの壁をばしばし叩いてやった。

 そうすると、側面が下面に変わり、ダンボールの開けていた口がだらしなくこちらを向いた。

 そこから溢れ出すはずのよだれの如しみかん。

 そんな光景を幻視していた。

 ――目前に広がったのは、静寂だった。影がダンボールの中にまで入りこみ隅々まで蹂躙する。わずかに舞いあがったホコリが床へ黙然と座りこむ。

 その沈む空気を震わせることを決めたのは自らだった。

「からっ……ぽ?」

 ダンボールの中にみかんは入っていなかった。いつのまにかなくなってしまったらしい。調子に乗って食べ過ぎてしまったのだろうか。

 数瞬の時が過ぎ、腹をこすり尻がこたつの中へ戻っていく。

 あごの下に座布団を設置。少しばかり冷えた体が温まっていく。目を閉じると快適な睡眠を約束されていた。

 このまま寝てしまおうかとも思うが、頭の中に一つのものが浮かんできて眠ることに集中できない。

 黄色くて甘い、果汁迸る、丸くて小さくて愛しいあいつ。そこにあるはずだった最後の一つ。

 食べ損なった。どうしても、食べたい。最後だからこそ食べたい。さんざん食べていたのに、それが最後というだけで他と特別な気がしてくる。きっと極上の味わいに違いない。

 起き上がる。

 探せばあるかもしれない。あるはずだ。ないと困る。ないと許さない。

 机の上にはすでに食べられたみかんの骸。彼らの勇姿は今もそこに横たわる。上から回転させながら下へ剥いていき、つまんで持ち上げれば蛇のような皮。花が咲いたように中央から5ヵ所に分かれている皮。美しくてしょうがない。剥き方ごとに丁寧に分けて並べてある。

 手を見ればまだ戦禍が残っている。爪の間まで黄色が染みついて、なかなか落ちないんだこれが。

 それを見たのはいつだったか。

 脳内へと旅に出るが、そこは沼地の如くぬかるみへばり、おまけにくさい。

 それは困難を極めた。詳細を身振り手振りを交えて伝えたいところだが、困難を重ねることになるので断腸の思いで省略させていただく。

 結果を言うと、まったくなにもでてこなかった。

 そもそもいつ寝てしまったのか、そこから曖昧でどこから記憶が途切れているのかさえわからない。

 ああ、こいつは稀に見る苛々。触れては離れ、身を焦がす。馳せる思いはみかんへと。

 人生において運は重きを置かれている。才能もあって努力もして、それでも報われない、そんな人には運がない。運さえあれば、うまくいったことだろう。

 複数の内の一。繰り返されたそれに、選ばれずに勝ち残ったみかん。確率を除くと、後はすべて運に任される。すなわち、どれかのみかんを選ぶ度に、選ばれなかったみかんには運が蓄積されていく。それは大きな運を内包しているのだ。その運の詰まったみかんを体内に取り込むことは、さぞ人生に有利に働くことであろう!

 閉じられたカーテンを通して緩やかに差し込む日差しは、これでもかというほど晴れ渡った空を想像させ、部屋の中で蹲る二匹の陰気な獣の心を惑わせる。

 太陽光を受けて、陰影を濃くしているのは着飾った偽物のツリー。光合成で室内環境を良くする効果があるわけでもない、人工の見せ掛けだけの木。その枝の隙間から豆電球が頭をもたげている。電源をいれれば、あら不思議。奴らは不気味な脈動を繰り返すことであろう。

 そんなものが置かれているのも、そこで寝ている姉のしたことである。人の期待を清々しいほど見事に裏切る姉は、まったく期待さえされていないところでは力を存分に発揮する。

 カレンダーに目をやれば、十二月二四日。昼間から家でごろごろしているくらいだ。当然の如くなんの予定もない。姉貴は数日前まで慌てふためき至るところへ連絡をとっていたのだが、昨日になって達観したような顔になり、現在に至る。

 そんな兄弟二人に対し、母は朝早くからツリーに負けぬように精一杯着飾って偽物の皮を被る。高校時代の同窓会があるらしい。昼食も、「自分らで適当に作れ」と言い残し、家を後にした。

 父はそんな様子の母に文句の一つでも言ってやるつもりだったのだろうが、常々、「私の唯一の後悔はあんたと結婚したことだ」と言われていたため、同窓会の危険性に慎重になり下手なことを言うのは止めておいたようで、ふてくされるようにパチンコをしに母に続いて家を後にした。

 順を追って思い出していくと、記憶の断片はおぼろげながらも形を成し、昼食後にはみかんがあったことが確かなことがわかった。今もそのままのカップ麺の容器を見れば、寝始めたのも昼食後から今までの間ということがわかる。カップ麺だけでは足らずに、いくつかみかんを食べたような気もする。きっとその後にみかんがあったのを見たのだろう。

 その間に家にいたのは自分と姉貴のみ。最後の一つを消費したのが自分ではなく、それが見つからないのであれば、まず容疑者は絞られる。というか犯人だろう。

 とりあえずは探してみることにする。

 机の上のペットボトルやらコップやらを持ち上げてはそこに目をやりまた戻す。そうして机の上にはみかんがないことを確認する。これで見つかったら拍子抜けだ。

 他にあるとしたらこたつ周辺の床に転がっているとかだろうか。反対側を確認しようと思うがそのためにはこたつから出ないといけないため後回し。他は、どこだろうか。

 こたつの中を覗いてみる。

 開けると同時に、中にこもっていた臭いが鼻を突いた。なにかが焦げ損ねたような独特の臭い。ひどい臭いとまではいかないが、好んで嗅ぎたくはない。

 薄暗い中を橙色の光が辛うじて視界として成立させている。ざっと目を通してみるが、あるのは姉貴の生足ばかりで、どうにもみかんはありそうにない。

 生足?

 ……なんでこの人、下履いてないんですか?

 自分がこたつに入ったときには姉貴はもうここで寝ていた。それは、朝のことである。そうなると、寝起きから今までずっとなのか。そうなのか。……なんてこったい。

 落ちぶれた姉貴の醜態をそれ以上直視することが出来ず、拒むようにこたつを封じる。

 覚醒した頭はなんの抵抗もなくこたつの呪縛を解いた。

 立ち上がり床を探してみるがみかんは見当たらない。念の為テレビ台の下も覗いてみるが、やはりない。あったとしても困るが。もしかしたらそこで挫けてしまうかもしれない。いやいや、そんなはずはない。みかんへの思いはそんなものなのか! 拳を握り締め、天を仰ぐ。

 たぶんそうだろうとは思っていたが、みかんの行方はこの半分口の開いた姉貴の腹の中だろう。思いが滾る前にすでにそれが手の届かないところにあったとはなんともやりきれないところだがまだ決まったわけではない。ここまできたらそれを本当に姉貴が食べてしまったのか、事実を確認する義務がある。

 手っ取り早くわかるのはみかんの皮だ。

 こたつという奴は四つの足で立っている。それぞれの間にできる隙間。そこから我々はこたつという聖地へ侵入するわけだが、いったんそこを陣取るとそのまま机の上もその者の領土となる。領土というのはその者が自由に扱える場所である。すなわち、自分が食べたみかんの皮なんかはそのままそこへ捨てられる。

 そう、姉貴の領土を見れば一目瞭然。みかんを食べればそこに皮が置かれているはず。

 ……ない。

 驚きのあまり、揺れ動く視線。そうして、自らの領土にさえみかんの皮がなくなっていることに気づく。

 なんてことだ! 先ほど机の上を探したときに、みかんの皮を中央にまとめてしまったのだ! いらないときばかり隠された整頓能力を発揮してしまう――これは遺伝なのだろうか。

 これでは姉貴がみかんを食べたのかどうかがわからない。姉貴に直接聞くのもいいが、まともな返事は期待できない。

 他にはなにか方法があるだろうか。目を落とし、考える。

 胸の中で雲が集まっていく。それはなにかの形になろうとするが、崩れてしまい散り散りになる。幾度かその風景を眺め、また時間が経った。

 無意識のうちに爪を弾いて間の汚れを取り除く。視線を変える必要もなく、そのまま固まる。

 そうして指先を見つめること数秒。

 これだ!

 みかんを食べれば手が黄色くなる。姉貴の指先を確認すればみかんを食べたかがわかる。ようするに、姉貴の手が黄色くなっていたら最後のみかんを食べた犯人というわけだ。おのれ姉貴。

 その姉貴はすっかり眠っていた。よくぞここまで眠れるものだ。

 姉貴の顔は凛々しい。初めて会う人は気後れしてしまうほどだ。しかしその第一印象も数秒で打ち砕かれてしまう。その弾力のある唇が言葉を紡げば「めんどくさい」、物憂げに見える瞳もただ眠いだけである。何かを考えているように見せておいて実は何も考えていない。そのくせ一度決めたことは頑固に譲らないし、妙な行動力も持っている。自分勝手なその様は姉貴をいつも幼く見せ、その外見との差は姉貴の魅力といってもよかった。しかしだ。外見通りの性格なら、その魅力は何倍にも増していただろう……。

 側らにしゃがみ込み、こたつの中へ手を伸ばす。そっと姉貴の手を持ち上げる。

 注視する。姉貴の指先。繊手といってもいい。柔らかな肌の続く先端は、そのまま目を奪う美しさだった。みかんの跡は、ない。

 まじまじと見ていると、射抜かれるような双眸と目が合った。

「……なにしてんの?」

 ハッとする。姉の手を握り締めている自分。第三者からみればおかしな構図である。

 思わず黙り込む。

 手なんぞ握れば寝ていようが大抵起きる。目先ばかりに囚われていたことを後悔する。

 そんな様子に姉貴はわざとらしく溜息を吐き、

「弟よ。それならそうと言ってくれれば、こっちにも考えがあったのに……」

 わずかに染めた頬を押さえながら、恥ずかしそうに言うものだから始末におけない。

 溜息を吐くのはこちらの番だ。そのまま立ちあがると、その背に、

「ああ、どこへいく。この哀れな姉の体を温めておくれ」と、投げかけられた。

 ――哀れだという自覚はあったのか。足を止め振り向いて言ってやった。

「……姉貴にはこたつがいるじゃないか」

「なにおう」

 姉貴は勢いよく起き上がると、そのまま机の上に手を伸ばす。

 握り締めたのはみかんの皮で、「なにをするつも」と言い終える前にみかんの汁を飛ばしてきた。

 果汁がいくつもの線を描き、宙を舞う。

 それを避け、姉貴に向かって文句を言おうと口を開くが、それが形になる前に二陣が攻めてくる。

 その猛攻を手で防ぎつつ、耐えきれずその場から退避する。追撃をしようと姉貴が身を乗り出すが、

「うおっ、目に入ったぁ!」

 自滅した。

「いでえっ! しみるっ!」

 姉貴は倒れこみ、目を押さえながら暴れ出す。こたつの封印が解かれ、姉貴の下着姿が目に入ってしまう。その度に新たな封印を施すが呻き暴れ続ける姉貴はそれさえも難無く破る。

 こたつの平和を取り戻すためには、この暴れ狂う猛獣を静めなくてはならない。

 どうしようか考えてみるが、特に思いつかないので脳天に手刀をいれた。

「ぐはぁ!」

 わざとらしく目を見開き、姉貴はそのまま倒れこんだ。

 ――ようやく静かになった。

「まったく……」

 姉貴は隙さえあれば暴れようとするから困ったものだ。まだやられたふりをしている姉貴はきっとなにかを言われるのを待っているのだろう。しかしなにも言ってやらない。暴れる機会を与えてはならない。子供にねだられるままお菓子を与えるように、姉貴も甘やかしてはいけないのだ。

 姉貴はそれに気づいたのか、たんに飽きてしまったのか、ふんとそっぽを向いてしまう。

 その様子を見ながらも考えを巡らす。

 姉貴の手にはみかんの跡はない。となると、姉貴はみかんを食べていないことになる。証拠不充分で釈放である。今思えば、あったらあったでそれが最後のみかんだったのかどうかわからないが、なかったので良しとする。

 ではみかんはどうなってしまったのか。姉貴が食べた証拠を探すのもいいが、今は他に見つけようがない。さっさと片付けて別のことでもしようと思っていたのだがこうなると気味が悪い。

 それでは記憶が間違っていたのだろうか。自分の記憶に自信がないわけではないが、あんまり否定されてはそれを保つのだって難しくなる。

 もしかしたら、もう自分が食べてしまったのかもしれない。あっさりと自分を裏切るが、案外これも手っ取り早い手段の一つである。未練はあるが、見つからないのでは仕方がない。早々にあきらめて時間を有意義に過ごすとしよう。

 みかんのことばかり考えていたせいで、なにか甘いものを無性に食べたい。そうなれば、行動は早い方が良い。

 ルームウェアの上から傍にかけてあったジャケットを羽織る。十分だらしない格好だが、誰かに会うわけでもなく近所の人のこんな格好を見られようとなんの抵抗もないので、着替える面倒さと比べればこれが最善である。

 とはいえ寒いのでさっさと行ってさっさと帰ってこよう。

 財布を手に取り、部屋を出ようとして足を止める。

「姉貴、外出るけど欲しいものある?」

 また寝ているかとも思ったが、今度はしっかり起きていた。

「……ケーキ。私だけのでもいいから」

「間違ってるだろ、それ」

 それともなにか買ってこようと親切心をだしたのが間違いだったかもしれない。

 姉貴の要望もあったことだから、甘いものはケーキにすることにする。毎年うちはクリスマスだからと言って特別なことはなにもしないので、買ってきたケーキはクリスマスケーキになるだろう。少しはクリスマス気分を味わえるというわけだ。

「それじゃあ行って来るから」

「はーい」

 姉貴はこちらにぶらぶらと手を振るとこたつの中へもぐってしまった。

 笑いがこみ上げるが、寒さがそれを制し、止まっていた足を進める。

 扉を開けただけでずいぶんとそこは気温が違った。靴を履くと中が冷えていて、濡れているのかと思わせる。

 家の中を振り返り、そのどこかに今だに眠っているかもしれないみかんのことを思う。本当のところはどうだがわからないのだが、やっぱり名残惜しい。あきらめると決めたはいいが、後味が悪い。

 数週間は夢にみかんがでるのではないかと考え、陰鬱な気分で玄関の扉に手をかける。



 たちまち手の先から冷え、感覚が失われていく。こすりあわせたその手に暖かい自分の息を吹き掛けると、指の隙間を通る前に白い色を失って見えなくなる。

 まだこたつの熱が体に残っているうちに目的地に辿りつかなければ。自然と足が速くなるがそれはそれで感じる風が強くなって寒い。

 住宅地は出歩いている人はおらず、静けさだけが話し相手だった。こう寒くては家にこもりたくなるのもわかるというものだ。

 鼻から吸う冷たい空気はいつもより澄んでいる気がする。冷たい水は冷たいだけで美味しいのと似ている。冷たいとたいして味もわからないものだ。このへんは道が入り組んでいるため、車の交通量が少ないせいもあるかもしれない。

 にしても、こう人がいないとまるで別世界のようだ。

 人が作ったものには無駄がない。それが生き物であろうとなかろうと、無駄がないというだけで十分な美しさを秘めている。歩きながら建物一つ一つを観察していく。無音の住宅は神殿のように見えることがある。扱い方が違えばこの建物だって神殿として使えるのかもしれないと考えながらもまた足を進める。

 住宅地を抜けて大通りに出た。目的地はもう見えている。横断歩道を渡れば、そこにコンビニがあった。



 自動ドアをくぐると少し遅れて「いらっしゃいませ」と声がした。客が来ないと思って気が緩んでいたのだろう。それもしょうがない。店員もクリスマスだというのに忙しいことだ。いや、忙しくないのか。やることがないからこんなところにいるのだろう。

 クリスマス用のケーキなんかも売っているが、それは値段が高い。だから年中置いてある一パック二カット入りを選ぶ事にした。

 手を伸ばすが、それを止める。

 折角だから、雑誌でも読んでいこう。ついでに途中、飲料水にも目星をつけておく。

 漫画雑誌を手に取るが、久しぶりに読んだものだから展開がさっぱりわからない。すごく盛り上っているようだが、こちらは置いていかれている。大人しく単行本になるのを待つか。いいとこだけ見てしまっては、他が面白くなくなってしまう。

 だから単行本になっても買いそうにない新連載なんかを読むが、それはそれで面白くない。そこだけで面白いかどうかなんてわからないのかもしれないが、そう言って読みつづけて最後まで面白くないこともある。

 それでも一通り読み終えて、決めておいた飲み物とケーキを持ってレジへ向かう。

「またおこし下さいまぇっ……げほんげほん」

 去ろうとすると店員が声を裏返らせ、咳き込んだ。

 ニヤけながら振り向くが、店員はさも当然というような顔をしている。きっと慣れているのだろう。納得いかない顔で、自動ドアをくぐるとその顔の一点にそれが当たり風穴でも開けられたのかと思った。

 指をそこへ持っていき、それをすくう。見れば指先が濡れていた。

 見上げれば、いつのまにかに空は機嫌を損ねていた。

 雨が降ってきていた。傘を持ってきていなかったので、小降りとはいえ濡れてしまう。

 それが嫌だったので空を睨み、お前は乙女か、と不毛な文句を投げつつ、また店の扉をくぐる。

「いらっしゃいませ」

 今度は入ると同時に声がするが、客の姿を確認した店員が怪訝な顔をする。さっきのし返しかのように、さも当然といった顔をしてやった。



 漫画に集中している間も雨音が聞こえる。道路を走る車の騒音もそれでかき消され、一定のリズムだけが続く。ぶれのないそれに、よほど練習を積み重ねているのだろうなと思った。

 雨は先程よりもひどくなっていた。

 時間もずいぶんと経ってしまっていた。ちょっと甘いものを食べようと思っただけなのに、こんなに時間を使ってしまうとは予定外だ。あきらめて傘を買って帰ろうと思い、それを探す。

 が、ない。

 傘がない。売り切れている。きっとどうせ売れないから補充しなくていいやとか思っているに違いない。事実はどうだかわからないが、運が悪かった。

 いや。運が悪いと考えてはいけない。何事も前向きに考えなくては。無駄なお金を使わずに済むし、ビニール傘といえば壊れやすくゴミになるのは目に見えている。運が悪いのではなくこれはきっと運が良いのだ――やっぱりだめだ。どうしても良いようには考えられない。

 そういえば無意識のうちにみかんにとって食べられないことが良い方に考えていたが、今思えば逆かもしれない。食べられるために育ったみかんの喜びは食べられること。そう考えると最後のみかんはたちまち一番運のないみかんになってしまう。そうなると逆効果だ。悪運ばかり詰まったみかん。

 輝いていたものがたちまち色褪せていく。

 気分もそれを追って暗くなる。振り始めたときに帰っていれば、こんな余計な事も考えずに済んだだろうに。今帰れば服も少し濡れる程度では済まず、雨が中まで染みこんでしまうだろう。

 いよいよ外に出るわけにもいかず、ほぼ読み終えてしまった雑誌群を見渡す。そうして、普段は読まないし興味も無い雑誌を手に取った。ぱらぱらとページをめくっていくが、まったく心が動かない。こうしている時間が本当に無駄に思えてくる。指からぶら下げていた袋の中身も時間が経って新鮮味が欠けてしまったような気がする。

 姉貴は待っているだろうか。心配しているなんてことはないだろうが、文句の一つでも言ってくるかもしれない。

 雨は止む気配を見せない。空は表情を一転し、暗雲をどこからか引き連れ、頭上を席巻している。降り注ぐ雨もそれに加勢し、もう夜中になったかのような錯覚を与える。

 ガラスに当っては流れていく雨を通した街並みも、色が違うだけで憂鬱な風景に見える。

 外部の影響が中にまで浸透していく。沈み始めた自分の中で奮い立たせるように決意する。

 レジ袋の口を丸めて、懐にしまう。

「ありがとうございました」

 律儀なものだ。けっこう真面目な店員なのかもしれない。それとも教育の賜物だろうか。



 懐を抱えながら、雨の中を走る。

 頬を殴る雨にもっと容赦してくれてもいいだろうと情けを乞うが、聞いてくれはしない。

 髪にまとわりついた雨が零れ落ち、首を伝っていく。

 悪寒がする。不用意に人の肌を触ってくる雨の悪趣味さには反吐が出る。それを口にしたいが、きっと悪口を喜ぶ性格だと思うので言ってやらない。

 さらけだした肌は雨や風の猛威をそのまま受けて、冷え切って赤くなっている。少しでも暖めようと手を開閉させるが、それさえも鈍くなった指先には難しい。

 感覚はもうなくなったというのに雨はまだそこを執拗に攻めたてる。嫌がっている様子を見て楽しんでいるのではないかと思えてきた。

 一際大きな水溜りに踏み入れてしまう。強く踏むと同時に水が飛び、服を濡らす。靴下までが濡れ、歩くたびに水が染み出る嫌な感触が足元から全身を震わせる。

 帰ったらシャワーでも浴びないとな。



 家に着く頃には絞れるぐらいになっていた。軒先で水をできるだけ払うが、このまま入れば家の中を濡らすのは間違いない。

 玄関に入ると気温こそ変わらないが、風がないだけでずいぶんと体感が違う。

 靴を脱ぐと、途端に足先が冷えた。自分の熱で靴も温まっていたのだ。

 靴下も脱いで、床を濡らさないようつま先立ちで進んでいく。その間にも頭から水滴が床へ落ちる。だから振動の起きないように慎重に足を進めるが、どちらにしろ落ちるものは落ちる。

 部屋に入ると暖かかった。それだけでずいぶんと幸せな気分に浸れる。外の寒さを味わった後だからこんな風に思うのだろう。わざわざそんなものを味わなくてもそんな気分に浸りたいものだが、無茶な願いはしても切りが無い。

「ほれ」

 声と共に顔を覆ったのはバスタオルだった。それを投げ付けたのは、一人しかいない。

 姉貴である。

 そのまま髪を拭いて、続いて服の水気も吸い取っていく。そうしながらも思う。なんて珍しい。

「お風呂たまってるよ」

 これにはさすがに目を剥いた。信じられない。いったい姉貴はどうしてしまったのか。クリスマスという特別な日が姉貴に変化を与えたというのだろうか。

 クリスマスに家族といることになにかを覚えたのだろうか。それできっと普段から人に優しくしてみよう、そんなことを思い立ったのかもしれない。素晴らしい前進だ。

 いつか幸せなクリスマスを送って欲しいと思うが、そうなると寂しいとも思う。今日なんて、姉貴が家にいなかったら一人で過ごす事になっただろうから。

 感極まっていると、机に置かれたものを見て途端にそれが冷え込んだ。

 ドライヤー。

「……自分が入っただけかよ」

「その慧眼には恐れ入った」

 ふざけた口調で、机にあごを乗せながら視線だけをこちらに向けている。

「さては」

 手元のバスタオルを見る。

「戻すのがめんどくさいからって持っていかせる気だな」

「んふ」

 図星だったらしく満足げに気味の悪い笑みを浮かべる姉貴。

 濡れ冷えた手だったので気づかなかったが、このバスタオルはすでに使用済みだったのだ。

 やはり姉貴がそんなことをするはずがなかったのである。

 自分の勘違いを後悔していると、

「さっさとお風呂入ってきなよ。見てるこっちが寒くなる」

 視線をテレビに向き直し、そんなことを言う。

「わかったよ」

 部屋が暖かいとはいえ濡れていてはそのうち冷える。生暖かくなった水滴も気持ちが悪い。

 着替えを用意して、濡れたジャケットを干し、買ってきたものも机に置いて、浴室へ向かう。



 服を脱ぐと、濡れた肌は少し動いただけでも冷えていく。

「さむさむ……」

 呪文のように唱えながら浴室の扉を開ける。その衝撃で天井にたまった水滴が落ちてきた。背中に落ちたそれに「ひぃ」と小さく悲鳴をあげる。

 次なる水滴に怯えながらも、洗面器で湯船のお湯を体にぶちまける。

「つわっ! つわっ!」

 冷えた体にはあまりに衝撃が強く、それを誤魔化すために奇声をあげる。

 何度かそれを繰り返し、慣れてきたところに一気に湯船に浸かる。お湯を手ですくい、顔にもかける。

 熱が芯を温めていく。指先が温かくなるころにはどくどくと自分から体を温めようと心臓が強く波打っている。そんなことなら冷えてる間からそうしろと言いたくなるが、濡れているのに温かくなった靴なんかを思い出すと、やはりやることはやっているのだと思う。自分の一部のくせに生意気だ。

 十分に温まったところで湯船から上がり、体を洗い始める。

 濡れた髪はごわごわしていて、指に絡まってくる。

 シャンプーの頭を押すと、中身が飛び出した。全てを受け止めきれず、こぼれてしまう。

 シャンプーの口から流れ出る白く粘る液体は、ケースの細い首元を越え肩から胸へと流れていく。それはそのまま放置しておくには耐えきれないほどの様相を呈している。シャワーをそちらに向けそれを流すが、流れていく様も同様だ。

 頭を洗い終えたころだった。

 照明が消えた。

 一瞬停電かとも思ったが、扉越しに見える人影にそれは違う事を理解した。

「ちょっと……早くつけてくれない?」

 なんのつもりか知らないが、曇り空の中だと照明がないとあまりに暗い。なにも見えないわけではないのだがこう暗いとせっかくの入浴が台無しになってしまう。

「ケーキ先に食べてもいい?」

 なにかと思えばそんなことか。なんてせっかちなんだろう。

「いいよ別に」

「それじゃあコーヒーいれてよ」

「自分でいれなよ」

 どう考えても今は無理だろう。

「それなら待つ」

 自分でいれるのが嫌だから食べたいケーキさえも我慢してこちらがいれるのを待つと言う。

 不満は隠せないが、静かになったのでこれでようやく体を洗えるなと思ったが、照明のつく気配が無い。まさかそのまま離れたんじゃなかろうな。

 そう思って振り向くと同時に、浴室の扉が音をたてた。

 少し開けた隙間から覗き込む姉貴。さらにその間から片足を中にいれてきた。

 ……余計なちょっかいを。

 というかやっぱりまだ下を履いていない。角度的にけっこう危ないのだが、そこは見ないようにしておく。

 これに対しどうすべきか。言葉だけでは引きそうにない。シャワーを浴びせてやろうかとも思うが、それは姉貴を煽ることになる。そうなれば適度な刺激で姉貴を追いやる必要がある。こちらも見られるわけにはいかないし。

 今も姉貴は隙間からこちらの反応を窺がっている。その足に手を伸ばす。それが予想外だったのか、姉貴がびくりと体を強張らせた。

 そうして、足首を手に取った。「んはぁ」と姉貴が声をあげている。心無しか息も荒い。

 口を近付け姿勢を整える。息が足にかかったのか、小刻みに震えているのがわかる――怖いのだろうか?

 十分に間をあけた後、指先に力を込めた。


「……いだだだだ!!」


 扉の向こうで姉貴が倒れこんでいる。それに気づきながらも足の裏のツボを力いっぱい押して押して押しまくる。逃げようと暴れるが、しっかり掴んだ左手はそれを許さない。

「ちょ! マジ……いでえ! いでえって! やべえって!」

 声が潤んできている。よっぽど不健康だったようだ。しかしその程度で止めるはずも無い。

「んはぁ! ひぃゃぁ!」

 姉貴の喘ぎ声をBGMに激しさを増していく足ツボマッサージ。

 びくびく悶える姉貴を見ているのもなかなか楽しいが、反応も薄くなってきた。そろそろ限界のようだ。

 離すと同時に足が外へ逃げ出した。

 扉の向こうで姉貴はひいひい言っている。そのままふらふらと離れていく気配を感じた。照明も扉もそのまま。

 呆れつつも、照明の電源を入れて扉を閉め、ようやく体を洗う事が出来た。

 体を洗いつつ、妙な達成感に満足していた。



 風呂上りのバスタオルは気持ちがいい。着替え終わり部屋に戻ってみれば、姉貴はこたつでうちひしがれていた。

 さすがにやりすぎたかと反省するが、「あんな経験初めて」と頬を上気させて言うあたり、まだまだ余裕があるようで安心する。

 ドライヤーで髪を乾かしている最中もこちらを見つめてくる。それで、目を合わせようとすると恥ずかしそうに逸らす。どうやら今日はそのネタで貫き通すつもりらしい。

 その後、約束通りコーヒーをいれてやる。とはいってもインスタント。姉貴はそれさえも面倒がる。

 お湯が沸騰するのを待ちながら、その間にケーキを食べる準備をする。それぞれの皿を置き袋に入っていたフォークを添える。

 姉貴は自分の分のケーキだけちゃっかり皿に乗せ、側面からはがした透明のプラスチックにへばりついた欠片を舐めている。なんて意地汚い。

 そこでやかんが鳴く。それを傾けるとお湯は白い煙をあげながらコップの中へと流れていく。いれておいたコーヒーの粉がみるみるうちに溶け、お湯を自分色に染めていく。

 目に入ったスプーンを手に取り、雑に混ぜる。もう一方も同じようにする。濃さが均等になればコーヒーの出来あがりだ。

 冷蔵庫から牛乳パックを取り出し、片方に入れ、もう片方にも入れようとしたところでその手を止める。

「姉貴、牛乳いれる?」

「あー……。じゃあ、持ってきて」

 持ってきて? 真意はわからないが言われたとおりにする。

 片手にコップ二つ、片手に牛乳パック。慎重にいかないと中身がこぼれる。それなら、分けて持っていけというところだが、一度に持っていきたいのだ。ゆっくり移動する分、時間まで余計にかかる。そうだとわかっていても、移動距離の短縮をとる。

 コーヒーはこぼれることなく机の上に辿りつき、一息ついて牛乳もそれに続く。これでようやく腰を降ろせる。

「あ。スプーンは?」

「あるじゃん。これ」

 こちらのコーヒーのを指差すが、

「やだよ。一緒なのなんて」

 もうさっき同じの使ってるんだけど。

 そう言うとまた面倒そうなので、大人しく立ちあがってスプーンを取りに行く。そういうことは座る前に言え!

 姉貴の分のコーヒーにスプーンをぶっさしてやって、乱暴に座りこむ。もう立ちあがりません。決意は固いです。

 そうして、ようやくケーキに手を伸ばす。今からこれを食べれるのだと思うと、それだけで幸せだ。

 姉貴はもうケーキを食べていて、瞳を蕩けさせている。

 自分もそれに続きながらも、姉貴が牛乳をどうするのだろうと思って見ていた。

 そうする間にも、口に入れたケーキが舌の上で崩れ甘味が広がって、それが口から端まで伝わる度に体が喜んでいるのがわかる。

 姉貴は初めはそのまま飲んで、量が減った頃に牛乳を入れた。

「やっぱり甘いもの食べるときは苦い飲み物だよね」

 姉貴は偉そうに語っている。ケーキを買ってきたのもコーヒーをいれたのも自分じゃないのに。

「ないとあるのとではやっぱ違うよね。最後まで甘いっていうか、楽しめるっていうか」

 まあ、わからないでもない。でも美味しいものは美味しい。

 姉貴はケーキを一口、その後コーヒーをまた飲んで、量が減った頃にさらに牛乳を入れた。

 そうか! 一度で三度美味しい。それをしたかったに違いない。

 姉貴の狙いがわかってすっきりしたところで、ケーキに集中する。

「そうそう。これこれ」

 ケーキへの思いをまたしても遮断し、こたつの中からなにかを取り出そうとしている。

 なにかと思ってそちらを見る。

 そうして出されたのが下着。

「ぶほぉ!!」

 噴出してしまう。やけに着崩されていて、まるで今まで履いていたかのような。

「ああ、違った。これは乾いてるかわかんないから暖めてたやつだ」

 良かった。違ったみたいだ。妙なことを考えてしまった。いかんいかん。

 下着を元に戻し、「ええっと」とつぶやきながら、さらにもぞもぞとこたつを探る姉貴。

「ほら、これだ」

 そうして出されたのは鮮やかな赤に包まれた四角い箱だった。リボンが巻かれたその姿。

 まさか。

「クリスマスプレゼント」

「えっ!」

 冗談かと思った。そんなものもらったことがないし、そんな素振りも今までまったく見せていなかった。

「もらっていいの?」

「……開けていいよ」

 姉貴は笑いながらそう言う。

 それを受け取ると、手の平におさまるくらいの小ささだった。いったいなにが入っているのだろう。この大きさだと、アクセサリー類だろうか。心を躍らせながら、封を破いていく。

 赤い包装の下には白い箱。それを開ければ中身とご対面だ。

 ふたを開けようと思うが、その手を一度止めて姉貴を見る。微笑んでいる。

 嬉しくて笑い返し、視線を戻すとふたを開けた。

「……」

 息を呑み、声さえでなかった。

 小振りで滑らかな、整然とした丸い形状。橙色の光沢が荘厳な気配さえ見せている。しかし水気を持ち、生き生きとして輝く表面。これは――。


「――みかんじゃねえかっ!!」


 姉貴が噴き出した。姉貴の微笑みはそちらの意味だったのだ。

 またしても騙された。なんだ今日の姉貴は。

 悔しがる様子を見てか、さらに笑い転げ、ひいひい息苦しそうにしている。

 よく見れば、箱もお菓子の空き箱で、ふたの裏にお菓子の説明なんかが書かれている。包装紙も折り間違えたのかいくつも折り直した跡があるし、とめてあるのもセロハンテープだ。

 気づけよ自分。

 騙すことよりも騙されたことに腹が立つ。

 にしてもまさかこのみかん――。

「それぇ……最後に残ってた奴だよ。なんだか食べたそうにしてたからさぁ……」

 だからこんなことを思いついたと? 息も絶え絶え知りたかったことを言う姉貴を睨みつけるが、姉貴はさらに笑うだけだ。

 これが最後のみかんらしいが、いったいどこにあったんだろう。姉貴はわざわざ嘘までついてこのために隠しておいたんだろうか。そう思うと、ちょっと嬉しかったりする。姉貴が人のためにそんなことをするなんて。たとえそれが悪戯目的だとしても。

 みかんに手を伸ばした。珍妙な半生を送ってきたこいつを手に取りたくなった。

「冷たっ!」

 なんだこれっ! 異様に冷えてるし、なんか固い!

 姉貴がまたしても笑い出す。

 そうして聞きたくもなかった真実が語られる。

「いやね。ただのみかんも飽きたから、冷凍みかんを食べたくなったの。それがたまたま最後の一つだったってわけ。こたつにいれたのも、とかそうと思ってたんだけどね」

 みかんは中途半端に元に戻り、ところどころが柔らかい。

「せっかくだからあげようと思って」

 最後の良心さえも、思い違いだった。

 考えれば、こたつでアクセサリーを温める必要なんてない。

 うなだれる。もう嫌です。

 姉貴の笑い声は続く。

 なんだか馬鹿らしくなって恥ずかしくなって顔を伏せる。

 拗ねてしばらく、姉貴の笑い声がおさまった。

 目を向けると、姉貴と視線が交差する。

 細めた目は姉の目になっていた。和らげた口元。そこに含まれた優しさに見惚れる。本来の凛々しささえも和らげて、ただこちらを見つめる瞳はどこまでも澄んでいる。

 目を逸らすことも出来ず黙り込んでいると、その唇からふ、と甘く漏れた吐息が心を撫でてくれる。

 それが心地よく、気づけば身を任せ、目を閉じ、安寧を噛み締めていた。

 雨音も子守唄のように静かに心に染み渡る。

 こたつに抱かれる温もりも、電灯の穏やかな眼差しも、慈愛に満ちている。

 二人で十分にそれを味わった後。

 姉貴は幸せそうにニヤついて。


「メリークリスマス」


 歌うように口にした。

 その様子に、半ばあきらめるように笑い返す。

 みかんはまだ固くて食べられないけれど、そこには運じゃないものが詰まっている。

 せっかくだから、二人で食べようと思う。

 今もこうして同じ時間、同じ場所にいれることを祝って。


「メリークリスマス」


 その口元にある欠片に気づき、ケーキに目を戻すと姉貴に全部食われていた。

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