修道院 2
ちょっと長いです。でも、本当にちょっとです。
リビートハルク修道院、貧しい人民の救済を目的にリベート王国が国を挙げて建設を行っただけあって敷地面積も広い。
国が大陸の、やや東寄りだが、中心に位置することもあり、人の往来も激しい。よって必然的に人が集まる。人が集るということはつまり人口が増えるということであり、人口が増えるとそれだけ不幸な事故に遭遇したり、悪事を働き人を傷つける者も増えるということである。
そのためこの修道院には救護棟が第一から第四まで存在する。三階建ての造りになっている救護棟は基本的に一階に最も重症な患者を運ぶが、ギルが世話になっているのは比較的静かな第四救護棟の一階だった。理由としては患者が少ないためこれといって傷が見当たらない彼でも一階を使わせてもらっているのだ。おそらく記憶が曖昧だと発言したことも関係あるのだろうが、それは本人の知るところではない。
ベッドが等間隔で横一列に並んでいる。しかし使われているのは二十五床ある内の四つだった。
一番端のベッドでギルは頬杖を突きながら読書にふけっていた。
「お前、が……おれ、から、奪うこと、は……許さなぃ?」
本の一節を口にする。もちろん棒読みであり、その一節は疑問形ではない。『百一回目の愛を世界の中心で君に届ける』これがその本のタイトルで、イレンから借りたものだった。
ページを適当にパラパラとめくり、適当に目に止まったセリフを口にする。
「ぼ、ぼくは、こんなところで、絶対に、死にましぇ…………はぁ、くだらん」
本を閉じてベッドの横に控えている棚の上に投げる。
彼が何故こんなことをしてたのかというと、遡ること数時間前……
それは突然のことであり、ギル自身も全く予期していなかった。いや、注意するべきだったのだが、あまりにも日常的に使用していたので気づいた時には既に遅かった。
「ギルってさ―、どこかの国の王族なの?」
イレンが放った何気ない一言にギルは凍りつく。一瞬であったにしても驚きを顔に出してしまったことを後悔した。
「は? な、何故そうなる、ばかばかしい……」
「あーやっぱりそうなんだー。ねぇ、どこの国の王子様なの?」
「おっ、王子様なんですかっ!?」
ミレットもその言葉に反応して目を丸くする。
「違うと言っておろう! 我がいつそのようなことを……」
「ほら、ほらぁ! 『ワレ』とか言っちゃってるしぃ、喋り方とかーそれっぽいもん!」
「しゃべ……」
口調だけでここまで見抜かれるとは……この女、なかなか鋭いな。
ここで自分から『ギル』と口に出してしまったことの重大さに気がついた。ありえないと思いながらも心の中では唸っている。
「そーいえばギルっていうのも偽名っぽいわよねぇ。……王族ならその線もあるのかな」
心臓が跳びはねる。当たってもいないが大きく外れてもいない。これは勘が鋭いという言葉では少々物足りなく思えてしまう。
こっ、心を読めるのか!? いや、しかし……用心に越したことはないか。
「《マインドプロテクション》」
聞こえないように小さく呪文を唱える。よほど強力な精神系の魔法を使われないかぎりこれで思考を読まれることはないだろう。
「ギル、ギルでしょー。ギルで王様………………あ、魔王ギルディウス」
「イレン、なに冗談言ってるんですか。ギルさんが困ってますよ!」
じゃれ合うシスター娘二人を眺めながら微笑む少年、を装うが内心はそう穏やかではない。
馬鹿な…………! この女、素で読心術ができるのか!?
イレンの顔がずいずいっと近くなる。眼と眼が交差し、ギルの顔からは冷や汗が止まらない。背中は水分を吸収した服がべっとりと張り付く。
「確か……十六歳、だったわよね? 魔王が討たれたのも…………」
心臓が鷲掴みにされた気分だ。鼓動が早鐘のように脈打つ。
スッと彼女の顔が遠のく。両手を広げてため息混じりに鼻で笑う。
「なんてねー。フフッ、ギルってばいじり甲斐あるぅ!」
「じょ、冗談にしてはなかなか面白かったぞ……」
「あ、そーだ。コレ貸したげる」
そうして彼女はポケットから本を取り出すと、ギルに手渡した。表紙には『百一回目の愛を世界の中心で君に届ける』と書いてある。
「な、なんだこれは?」
「んふふー、それ読んだら。その人を馬鹿にしたような王様口調も治っちゃうわよ」
得意気に胸を張る。ギルも一理あると思い、快く受け取った。
怪しまれぬために、一先ずこの口調を治す必要があるようだな……
こういった経緯があり、現在に至るのである。
時刻も丁度お昼時、腹の虫と修道院の鐘が同時に鳴り響く。ちょうど鳴り終わった頃に病室の扉が開く。
「みなさーん、お昼の時間ですよー」
ミレットとイレンがラックワゴンを引いて入ってくる。それは四人分の食事が並んでいた。
ギルの位置は扉から最も遠く、配られるのは一番最後だ。
「ソレ、もう読み終わったの?」
食事を持って目の前まで来たイレンが本を見つけて尋ねる。
「ああ、なかなか参考になったよ。……フフ、見違えたであろう?」
「す、すごーい! こんな短期間で治るなんて! アンタ元々庶民の才能があったのよ!」
「それは褒めてるのか?」
「褒めてるんですよ」
ミレットがにっこりと微笑む。イレンがまだぶつぶつと発音がどうだとか言っているが適当に聞き流して食事に視線を移す。
盆の上に並んでいるのは、こんがりときつね色に焼けた丸パン二個、白濁色のスープ、色彩豊かなサラダ、木製のコップに葡萄ジュース、それが今日のメニューだった。
ふむ、分かってはいたが、質素だな。それにこの白いのは……?
ギルはスープを手に取り、恐る恐る口に含む。乳製品の甘みと肉の旨味が絶妙に混ざり合っている。それが口内に広がっていき、何とも言えない幸福感に身を震わせた。
「美味い……これはなんて食べ物なんだ?」
一度使ってしまえば慣れたもので、すんなりと言葉が出てくる。
「はい、それはシチューと言ってスープにミルクと野菜、肉を加えて加熱したものです」
一口、また一口とシチューを口に運び、すぐに食べ終わってしまった。その様子をシスター二人が驚いて見ている。
「シチューか、こんなに美味いものを食べたのは生まれて初めてだ! ここで保護されてる奴ら全員に振る舞われているのか? 羨ましい、俺にも毎日作ってもらいたいな」
「ま、毎日……。 まぁ、考えてあげなくもないわ。か、勘違いしないでよね、あくまでもここにいる間だけなんだから!」
「ありがとう」
「なっ……!」
笑顔を向けられたイレンは少し照れたように視線を逸らす。ギルが眉を寄せるとミレットがニコニコと微笑みながら付け足してくれた。
「ギルさんに褒められたのが嬉しいんですよ」
「ちょ……ミレットー!!」
真っ赤になった彼女がミレットの口を塞ごうと手を伸ばすが避けられてしまい、後ろにあるカートに食器を返しに来ていた男を突き飛ばしてしまった。
「いてっ!」
尻もちをついた男は何故か包帯を巻いた膝をさすっていた。口元にわずかだが笑みがこぼれている。だがミレットとイレンはそれに気づかない。
「あ……ご、ごめんなさい!」
「大丈夫ですか?」
「ああぁぁあ! いてぇなぁ、オイ! こりゃひでぇ。割れちまったな俺の膝。おぉいてててて!」
彼女たちの顔つきが変わった。男の考えていることが分かったのだろう。互いに顔を見合わせて冷や汗を流すが、イレンの勝ち気な性格が裏目に出た。
「別に何ともないんでしょ!? それなのにそんなに痛がっちゃってぇ、情けないったらありゃしないわ!」
「なんだと? だいたいなァ、ぶつかってきたのはてめぇじゃねぇか! それなのになんだァ、その態度はァッ!?」
ミレットは仲介に入るわけでもなく、オロオロと両者を見比べているだけだ。ギルは髪の毛をぼりぼりと掻きむしると、ため息をはいて「試すか」と呟いた。
ベッドから立ち上がり、男の左肩に自分の手を乗せた。当然男は振り返り相手を確かめる。そこにいたのは笑顔の少年、特にこれと言って特徴もなく、何ら脅威なりえない存在。そんな彼が口を開く。
「確かに彼女に非がある。でもそれを認めて謝った。あんたは怪我もしてないんだ、もういいだろ?」
男は呆気にとられていたが、言葉の意味を理解すると鼻で笑った。
「ハッ、ガキは帰んな。そもそもお前には関係がなぁぁぁああっ!?」
指が肩に食い込んでいく。笑顔はなおも続ける。
「もういいだろ? 怪我をしないうちに戻ったほうが利口だぞ」
「いでぇぇええ!? わかった! やめる、もうやめるからぁぁあ!」
手を放すと男は涙目になりながら左肩を庇う。潤んだ瞳でギルを恨みがましく睨みつけるが、怯えていることを必死に隠そうとしているようにも見えた。
舌打ちをして戻っていく男だったが、ラックワゴンに備えられたペティナイフを目にしたとたんに方向をぐるりと変えた。まだ近くにイレンに左腕を回して逃げられなくし、手にしたペティナイフを首元に据えた。
「きゃあっ!」
「イレンッ!」
男は勝ち誇ったように高笑いを上げてギルを見返した。
「ははっ! はははははは! どうだ? 手も足も出ないだろ、あん?」
もはや男の主旨が何なのかよくわからないが、とりあえずやられっぱなしでは気が済まないらしい。ミレットはイレンに目を向け、一度だけ頷くと何も言わずに部屋から出て行った。
「何とか言ったらどうなんだァ!? この女ァ殺されたくなかったら地べたに這いつくばって謝りやがれぇ!」
「ギル、こんなヤツの言うことなんか聞く必要ないわ! アタシのことはいいから――」
「できないな。謝ることも、放っておくことも」
ギルの足が一歩、二人に近づく。男は冷や汗を流しながら後ずさる。足元には纏わりつくような冷気が漂っていた。男は全身を震わせ、また一歩後退しようとするが足が動かない。疑問に思って下を見た男の顔が恐怖に歪む。
足と地面が氷によって繋がっていた。その状態を一言で表現するなら『氷漬け』が適切だろう。もちろんそうなっているのは男だけであり、イレンには何の変化も見られない。彼女は混乱している隙に腕をほどいて脱出したが男にとってはそんなことはもうどうでもよくなっていた。
「なんだこれはァ!? てめぇ、何しやがった!?」
「《アイスロック》だよ、冷たいのは嫌いか?」
「ま、魔法だとっ!? 馬鹿な、詠唱もなしに使えるわけが……」
否定はするものの実際に起こっているのだから認めざるを得ない。もう腰まで氷に埋もれていた。男は持っていたペティナイフを地面に落として両手を挙げる。
「参った、降参だ! だからもう許してくれ!」
「許す? 少し都合が良すぎじゃないか?」
顔から血の気が引いていくのが目に見えて分かる。ここで、次に言い放った言葉、イレンから借りた本のセリフを少しアレンジを加えて口にした言葉が男を恐怖のどん底に突き落とし、彼女にあらぬ誤解を招くことになる。
「そもそも、お前が俺の大切なものを奪おうとした時から許す気はない!」
「「!」」
男は絶望し、イレンは困惑するが少し頬が赤い。
「い、嫌だ……」
左右に首を振る。氷は胸元まで迫っていた。心臓が止まるまで一刻の猶予もない。
「嫌、か。ならいっそ温めてやろう」
ギルの手から火柱が上がる。それは頭上で勢いを止め球体になった。少しずつ肥大化していき、大人を丸飲みにできそうな程大きくなる。すると火柱はなくなり、空中には燃え盛る巨大な炎の球が浮かんでいた。
「ま、まさか……い、いや…………」
ごくり、と生唾を飲み込む。次の瞬間、予想していたことが実行された。その炎の球が男に向かって放たれたのだ。
「いやだぁぁぁぁああああああああああああ!! ぁぁあ…………」
涙を流しながら絶叫する。幸か不幸か炎の球が体を覆う前に失神してしまい、下半身も凍っているために本来なら漏らしていたであろうものも出さずに済んだ。
「《アンチマジックシールド》!!」
男と炎の球の間に半透明の青い膜が張られ、衝突した。爆発などは起きず、炎が青い膜に吸い込まれていく。炎がすべて消えると青い膜も消え、事態は終息する。
ギルは二発目を放とうとするが先ほどの声と正気に戻ったイレンによって止められた。
「そこまでです!」
「ギル! もういいわ!」
魔法を中断し、声のした方を向く。そこには青で縁取りした白いシスター服の老婆が立っていた。肩を上下に大きく揺らして息をしている。一方でギルは平然と立っており力の差は歴然だったが、下がったのは彼だった。
ギルは止められた事を釈然としない表情を装ったが、内心では男と十分に会話が成り立っていたことに満足していた。
いかがでしたでしょうか。
ピンチになり、口調を変え、フラグを立て、新キャラが出てくる忙しい展開でしたね。