修道院 1
一週間とは一体何だったのか。良い意味で。
意識は未だ深い闇の中にあった。重力もない空間をふわふわと漂っている感覚。温度も丁度良く、このままこの感覚を永遠に楽しめたら……。その時ギルディウスの頭の中に一つの映像が流れた。勇者に胸を貫かれた最期の瞬間だ。
ふつふつと感情が湧き上がってくる。最初は小さかった波紋も他の波紋と合流して次第に大きな荒波へと姿を変えた。
ボロボロ崩れていく自分の身体。突き刺さった剣は一層深く潜り込む。
許せん…………
勇者たちの顔が浮かんでは消えていく。しかし、剣の男だけは消えなかった。脳裏にこびりついて離れない。
おのれ……おのれぇ……
ギルディウスは感情を抑えることなく右拳を突き出した。
☆
「おのれぇえええええええええええええええええええ!!!」
「ひゃわぁぁぁあああああああああああああああ!」
聞き慣れない声が耳に入り、ギルディウスは覚醒する。眼前に広がるのは見知らぬ天井、玉座の間程ではないが一般的な家屋からしてみれば十分に高い。
自分は今ベッドの上に寝かされているようだ。自分の体重をふわりと包んでくれる感覚が心地よい。
ゆっくりと顔を横に向ける。そこにいたのは白で縁取りしてある紺のシスター服に身を包んだ小娘だった。栗色の髪の毛を真ん中で分けて肩で切りそろえているヘアスタイルで、顔はまだ成長しきれていない子どものあどけなさを残していた。
その横にある水の汲まれた桶から取り出したタオルを絞っているところだったが、驚いたことにより濡れたままのタオルを胸元に引き寄せてしまう。水を含んだシスター服は彼女の身体の線をくっきりと浮かび上がらせる。……が、ギルディウスにとってはそんなことはどうでもいい。
「おい、小娘。我は生きているのか……?」
自分で言っておきながらなんと間抜けな質問かと後悔したが、彼女は気にせずに答えた。
「……え、あ、はい! 大丈夫だと思います。見たところ顔色もいいですし、ちゃんと生きてますよ! 自信を持ってください」
「は? ………………………………」
「……? あの、私、何か悪いことでも言いましたか?」
跪かないとは無礼な……殺すか?
ギルディウスの右手に魔力が集まる。彼女は無言の彼を見てオロオロするだけだった。
いや、情報を得るのが先か……。こんな貧弱な小娘一匹、いつでも殺せるわ。
魔力の拡散、魔法を中断した。まるでそれを見計らったかのようなタイミングで後頭部に激痛が走る。なにか重いもので殴られたようだ。同時に目の前にいる小娘とは違う声がした。
新たに現れた小娘はツリ目でもう片方と同じシスター服を着ている。彼女は人差し指だけをツンと立てて声を張り上げた。
「アンタねぇ! さっきから黙って聞いてりゃお礼の一つも言わないなんて、考えられないわよ普通! しかも『生きているのか?』ですってぇ!? まるで死ねなかったのが残念だったみたいな言い方じゃない! こっちは感謝されて当たり前なの、恨まれることなんてしてないんだから! さぁ、早くミレットにお礼言いなさいよ!」
「わぁあっ! ダメですよイレン! 怪我してる人を聖書で殴っちゃ」
甲高い声でキィキィと喚き、魔王の頭を本で殴ったことを悪びれもせず感謝しろなどと言う傲慢を通り越した態度の小娘を前に平常心でいられるわけがなかった。
最初は衝撃で頭が真っ白だったが、正気に戻ると同時に怒りが沸点へと到達する。右拳を背後の小娘へと向かって振りかぶった。
「貴様ァァアアアアアアア! 我を侮辱したその罪ィ、万死に、あ、たぃ、するぅ…………?」
「……?」
怒りが失われるのと同時に、拳の勢いも失われていった。イレンと呼ばれた小娘の後ろにある姿見、その鏡に映っているのはイレンとミレットの小娘二匹と、その間に人間の小僧が一匹。魔王の姿はない。しかもその小僧は小娘に向かって拳を突き出したまま固まっており、鏡の中の彼と目が合った。
「おい、あの小僧は誰だ……?」
その言葉を聞いたミレットは心配そうにギルディウスを見つめ、イレンは残念そうにため息をはいた。
「可哀想に、自分の姿が解らなくなるくらい頭を強く打ったのね……」
「我を殴ったのは貴様ではな――」
次の言葉へと繋げる前に、目線を自分の体へと向けた。肌色の腕、血管が見える掌、そして何より本で殴られた程度で痛いと思ってしまう痛覚。まだ鈍い痛みは続いている。
これだけの現実を突き付けられれば認めざるを得なかった。魔王ギルディウスは人間、それも(多分)若い金髪の小僧としてここに存在しているのだと。
「ば……馬鹿な……。こんなことが…………」
自分の中の何かが崩れ去った。冷静になって考えてみれば先程からの小娘たちの態度も理解できる。魔王の姿をしていないのに、どうして魔王への畏怖を表そうか。今のギルディウスの外見は人間なのだから。
「あ……それじゃ、名前とかって覚えてますか?」
ミレットが首を傾げて尋ねる。放心状態だったギルディウスは何の考えなしに口を開く。
「ギ……ギル…………」
「へぇー、ギルっていうんだ。アタシはイレン、イレン・ビレフィレオよ」
「私はミレット・シフォンヤードと言います。良かった……名前は覚えているみたいですね」
イレンが『ギル』と言ったところで自己紹介が終わったと勘違いしなければ、おそらく本名をそのまま名乗ってしまっていただろう。心の中で安堵のため息をする。
「んじゃ、次ね。年はいくつ?」
「……ごひゃ…………」
「ごひゃ?」
言葉に詰まる。よく考えて見れば自分は人間のことをあまり知らない。いや、全く知らないと言ってもいいだろう。唯一知っていることと言えば脆弱ということくらいだ。
ギルディウス、ギルはここで考えを改める。全ての人間が弱いわけではないということを、敗北の原因がこの無関心の中にあったということを。現に目の前の少女でさえ魔王であるギルに痛みを与えられる存在なのだ。極端な話、痛みを与えられるということは死すらも与えられるということだ。そのことを踏まえて行動しなければ。
怪しまれてはいけない。殺されないための第一条件だ。しかしここで一つの問題が生じる。ギルには自分が何歳くらいの少年なのか見当が付かないのだ。過去にオズウェルが人間の寿命はおよそ五十歳と言っていた事は覚えているが……。
イレンの疑り深い目が痛い。背中に嫌な汗が滲み出る。
その時、咄嗟にこの場を脱出する妙案を思いついた。顔の若さからしておそらく同年代であろう少女たちに聞き、その後で答えるというものだ。早速実行に移す。
「我のことは、どうでも良い。それより、貴様らはどうなんだ? うん? 見たところ我とそう変わらない顔立ちをしておるが……」
これを聞いたイレンは片眉をつり上げてギルを睨みつける。
「貴様ってなんなのよ! ねぇ、何様なのって言ってんの! だいたい、レディに年齢を聞くなんて失礼だわ! そういうのは質問したほうが先に答えるものなのよ!」
「先に質問をしたのは……」
込み上げる怒りをなんとか抑えて笑顔を作る。チラリと鏡に目をやると思った通り歪んでいる。
「ではこうしよう。いくつに見える?」
「はぁ? アンタ、まさかその喋り方と名前しか覚えてないの?」
「違う。こう問題にしたほうが楽しめるだろう? ほら、答えてみよ」
ギルの顔をイレンは疑り深い目で、ミレットは真面目にまじまじと見つめる。
数秒後、二人の少女の顔が目を合わせると急に顔を赤らめた。頭から煙が出ている。まるで鏡のように自分が異性の顔をどのように見ているか理解したのだろう。
「じゅ、じゅうごひゃい……?」
「十七歳ではありませんか?」
ここで軽く笑う。人差し指を立ててチッチッチッ、と横に揺らす。ギルにとってはこの動作が重要だった。
「フッ、二人共惜しいが残念だったな。我は十六歳だ!」
さも当たり前のように余裕を持って堂々と言い放つ。これで自分の偽名と年齢が確立されただろう。この先尋ねられたら『ギル、年は十六』と答えればいい。
「なんなのよー。もぉー、無駄にきんちょーしたしぃ」
後ろのベッドに倒れこむイレン。手の甲を自分の額へと当てている。
「…………はぁぅ」
手をパタパタと仰ぎ、熱を覚まそうとするミレット。
「ん…………?」
ギルの頭が回転を始める。そして浮かび上がる原始の疑問。
「ここは……どこだ?」
熱を覚まし終えたミレットが答える。
「ここはリビートハルク修道院の救護棟ですよ」
救護棟……なるほど、通りでベッドがこんなにも並んでいるわけだ。精神的に落ち着きを取り戻し視野の広がったギルは納得する。
疑問というものは不思議なもので、一つの疑問が解決すると次の疑問が浮かぶ。
「皆は……いや、勇者という者、そう呼ばれている者を知らないか?」
ミレットは首を傾げ、不思議そうな顔でギルを見る。
何かまずいことを言ったか?
イレンに視線を送ると「しょうがないわね―」と立ち上がった。
「勇者様の話は知らない人がいないくらい有名なのよ。……まぁ、私たちが子供の頃から聞かされてる話でね」
イレンの口から聞かされた英雄譚は人間側にかなり美化されていた。それはギルに大きな衝撃を与え、それと同時に希望も見せた。
要約すると、ここは魔王が殺されてから十六年後の世界のようだ。勇者一行は死闘の末、魔王と魔界四芯ミケランジェロを討伐することに成功する。だが一方で勇者一行もガイアス・テンダーと呼ばれる盾役が命を落とし、前衛を失った彼らは他の魔界四芯の攻撃を退けながら魔国領から落ち延びたという。その後の勇者たちの消息は解っていないらしいが。
「そうか……ミケランジェロが…………」
「え? なにか言った?」
「いや、何でもない。どうやら少しだが、記憶が曖昧なようだ」
必死で誤魔化しながらも、頭の中では魔王だった頃の記憶が浮かび上がる。
神聖魔法の凄まじさを考慮し最悪の事態も頭を過ぎったが、魔界四芯は三人も生きているという。あとは勇者一行だが、とりあえず置いておくことにする。
「ギル、アンタ……なんて顔してるのよ」
「ギルさん、どこか痛みますか?」
イレンとミレットが心配そうに見つめる。最初は理解できなかったが、その疑問はすぐに解ける。鏡に映った自分の顔を見た時、一筋の雫が目から頬を伝ってこぼれ落ちていたのだ。
その自分の姿を目の当たりにすると、まるで堰を切ったように次から次へと感情が溢れだして視界をぼやけさせる。
人間とは本当に……弱い生き物だな…………。
ギルは唇を動かすだけで声には出さなかった。
コメントを貰った時のモチベヤバイね。
魔王ギルディウス……一体これからどうするんだ。
今から考えるんだ!!うおおおおおおおおおお!