ー十の方ー
大変お待たせ致しました。
「失礼致します。」
止める周りの侍従達の声など知らず、扉を開けて入室する。しかし、緊張しているのもあったのか、扉に装飾された銀の山茶花に髪の一房が引っ掛かる。
うわっ…いたたた!…いいや、いっちゃえ。
焦っていた事で強く髪を引くと、後で纏めていた髪がしゅるりとほどけていく。鮮やかな水色をキッチリと纏めて誤魔化していた…それが、窓から差し込む陽の光が腰まで届く長い髪を際立たせる。
「…………………」
何故か静まる室内に、楓の背後の扉が勢い良く開かれた。
「申し訳ありません!見習いメイドが無礼にも入室したと…ほら、フウ!此方へ来るんだ。」
「…あ、志津君…!」
十の方の方へと深々と礼を取り、驚く楓の腕を掴むのは侍従志津であった。自分の保護した娘が、勝手に十の方の待つ客間に入ってしまったと聞き飛んで来たのだ。
(まさか、十の方の目に留まりたいと考える様な娘だったとは…迂闊な事を…!)
年若く生真面目な志津には、楓を直ぐに邸に帰さねばとという思いが頭を占めた。その為、室内の雰囲気も、楓のほどけた髪にも、大股で距離を詰める十の方にも気付かない。
「…手を離せ、餓鬼。」
「は…?」
何を言われているか理解していない志津は、自分へ睨み付ける十の方に反応を返せない。そんな侍従の返事も待たず、楓の腕を掴む手が乱暴に振り払われる。
蒼の神子側、六の方から十の方。その中でも素手なら最も腕が立ち、鋭い目付きで荒い口調は、周囲の者から恐れられていた。横を短く刈り上げ前髪は後ろに流し紫銀に輝き、獰猛だと称される瞳は、今や目の前の少女を捕らえて離さない。
状況に思考が追い付かない楓の目の前で、10の国国主が躊躇い無く片膝を折る。
「…10の国が十の方と呼ばれております。蒼神子様のご帰還、喜ばしく存じ上げます。」
アオミコ…?それって私の事?
というか、すっごいイケメンだよねこの人。メイドの先輩に怒ってた人だよね?何で私にこんな態度なの?
周囲のざわめきより、片膝を付く男性が気になってしまう。何故だか、彼を知っている気がする。まるで、記憶の底にある扉が開かれていくようだ。
誰?…紫銀の髪は…もっとくすんでて…もっと、子どもだった。小さい可愛い男の子。いつも、拙い文字で一生懸命な文をくれた。“私”が呼ぶと、飛ぶように駆けて来てくれた。
ねえ…貴方は私に優しさを運ぶ可愛い風だった。
「………疾風?」
自然と口から出た名前に、自分自身が驚く。まるで、それが当たり前かの如く。
「…私、何を…」
「………………っカエデ…様?…あ、ああ!貴女様なのですか…?俺の、唯一の至上の君。」
他を恐れさせていた美しい男性は、今や感極まり瞳を潤ませていた。疾風、の呼び名に雰囲気さえ変わる。敬意と親愛を向けていた眼差しは、生涯に渡り探していた宝物をやっと見つけ出したそれに変わったのだ。
ほんの僅かに残されていた周囲への興味など全て消え去り、立ち上がると楓の手を取りうっとりと笑みを浮かべる。
「…カエデ様、10の国にお出でになられませんか?国にはカエデ様のお好みの干菓子や水菓子もございます!あ、中庭では花を敷き詰め絨毯にし、多様な種類の装束も集めさせてあり、飽きさせはしません。…あと、各国から宝玉や色石も…!街の造りは6の国より面白いと評判で…。斎女だとてつまらぬ者はなく…」
少し頬に赤みが差し一生懸命に語る姿は、恐れられる十の方の面影は無い。主人に必死に媚を売る忠犬の様でもあり、姿は獰猛な獅子がか弱い兎の気を引こうと必死にさえ見えただろう。
そんな十の方の気持ちをばっさりと切り捨てるのは、勿論楓しか出来ない。混乱していた頭を整理し、楓の言葉ひとつで国を滅ぼしかねない男にやっと口を開く。
「…あの、誰と勘違いされてるか知りませんが、私はただの見習いメイドです。それに、今は9の国侍従の志津君に世話になっていますので…10の国には行きません。」
この悪気無い言葉に志津は、生まれて初めて心臓が止まりかけたらしい。




