キツネノヤリタケとキツネノワン
ひょこひょこと狐色の尻尾が揺れる。
ふわりふわりと先っぽが白い尻尾が踊る。
ヤマグワの木の下、焦げ茶色の和服と白い前掛け、そして頭には頭巾という和風な出で立ちの小さな小さな二人の少女が、楽しげに舞い踊るように歩いている。
純和風な出で立ちの中、どういうわけか足元だけは妙にごついスニーカー。だが、そこがいいアクセントとなり、二人の魅力を高めていた。
「ようやく暖かくなったねー、槍ちゃん」
手に椀を持った少女が声をかける。
「そうだね、椀ちゃん。ようやく春っぽくなってきたねー」
手に槍を持った少女が応える。
二人は吊り目の目を楽しげに細め、くるくると走り回る。
まるで幼子が外で遊ぶのを楽しむように、二人は草が生え始めた地面を楽しそうに駆けた。
狐色の髪をやや乱れさせ、上に突き立てているのが狐野 槍。対して、おかっぱ頭の方が狐野椀。二人はそれぞれキツネノヤリタケとキツネノワンというキノコが実体である。
「やっぱり春は楽しいねー、槍ちゃん」
「うん、私も春は大好きだよ、椀ちゃん」
よく似た容貌の二人。まるで双子のようにそっくりだが、彼女たちは双子でもなければ姉妹でもなく、単なる親戚同士であった。
いつも仲のいい二人は、いつも一緒にいる。いつも一緒に出かける。いつも一緒に遊ぶ。
春になって彼女たちが活動期に入ると、必ず二人は一緒。そのため、仲間のキノコの娘たちの中には、彼女たちは二人で一セットと認識している者も多い。
明るい笑い声を上げながら、春めいた陽気の中を元気に走り回る槍と椀。
二人は体力の限界まで走り回ると、手頃な石の上に腰を下ろして休憩する。
「はー、思いっ切り走り回ったらお腹が空いたねー、椀ちゃん」
「そうだねー。お腹空いたねー、槍ちゃん」
顔を見合わせた槍と椀は、にぱっと笑うとすぐ近くにあったヤマグワの木をよじ登り始める。
そして、その木に実っているまだ赤いヤマグワの実を、小さな身体全体でもぎ取ると木の枝に腰掛けてにこにこと食べ始めた。
「やっぱり、クワの実は完全に熟す前が美味しいよねー」
「そうだよね。熟し過ぎて黒くなっちゃうと、今度は甘すぎるんだよねー」
二人は笑顔を浮かべて、両手に持ったヤマグワの実を頬張っていく。
「これで後は稲荷寿司があれば言うことないんだけどなー」
「そうだねー。稲荷寿司、食べたいよねー」
二人は全く同じタイミングで肩を落として溜め息を吐く。こんなところまで一緒なのは、さすがと言うしかないだろう。
「そう言うだろうと思って、稲荷寿司なら用意してあるわよ?」
突然、槍と椀の足元──地上から声が聞こえたのはそんな時だった。
「あ、モリーユお姉ちゃんだ。こんにちはー」
「こんにちは、モリーユお姉ちゃん」
「はい、こんにちは、槍ちゃん、椀ちゃん」
地上から槍と椀を見上げているのは、まぎれもなくモリーユ。彼女は口元に両手でメガホンを作ると、頭上の木の枝にいる槍と椀へと大声で告げる。
「今、私たち桜のお花見をしているのよ。それで、いろいろな食べ物や飲み物を用意してあるんだけど、その中に稲荷寿司もあるわ。良かったら食べに来ない?」
「え? 稲荷寿司あるの? 行く行くー!」
「わ、待ってよ、椀ちゃん。私も行くからー」
稲荷寿司があると聞いて、真っ先に反応したのは椀だった。
どちらかというと恥ずかしがり屋で気まぐれな二人だが、こういう判断は槍よりも椀の方が早い。
椀がするすると木から降りると、それを追うようにして槍も降りてきた。
「案内するわ。一緒に行きましょう? きっと今頃、椿ちゃんや木蓮ちゃんも来ているだろうし」
「え? 椿ちゃんや木蓮ちゃんも一緒なの?」
「わー、楽しそう! 早く行こうよ、モリーユお姉ちゃん」
モリーユは右手に槍の左手を、左手に椀の右手を繋ぐと、三人並んで歩き出した。
槍と椀の腰から生えた狐の尻尾が、嬉しそうにふわりふわりと舞う。
それに合わせて、頭からちょこんと覗いている狐の耳も同じようにひょこひょこと揺れた。
この尻尾と耳こそが、彼女たちが他のキノコの娘たちから「キツネっ娘」と呼ばれる所以だ。
二人は全く同じタイミングで、モリーユの手を引っ張るようにして走り出した。
「早く、早く!」
「いっなりっ寿司! いっなりっ寿司!」
「ちょ、ちょっと待って! そんなに引っ張ったら、私の手が抜けちゃうってば!」
急かす槍と椀に文句を言いつつも、モリーユは足を速める。もともと身長差があることもあり、ちょっと駆け足ぎみの速度でモリーユは椀と槍に並ぶことができた。
にこにこと笑う槍と椀。それに釣られるように、モリーユも笑顔を浮かべる。
三人となった彼女たちは、速度を上げた。目指すは桜の花のした。そこに他の仲間たちが彼女たちが戻ってくるのを待っているだろう。
そして、そんな彼女たちの背中を押すように、一陣の春風が優しく吹き抜けていった。
椿の語る春の様子。そして、その季節を楽しく過ごす他のキノコの娘たち。シラフィーはそれを目を輝かせて聞いていた。
「ふぅん……春は春で楽しそうだねぇ。椿ちゃんの話を聞いているうちに、益々桜の花が見たくなっちゃったよぉ」
来年は少し早起きして、桜の花を見てみようかなぁ、とシラフィーは胸の内で考える。
そんな彼女の胸中を察したのか、椿は楽しそうにころころと笑う。
「そうですね。私としても、来年もシラフィーさんとこうしてお話しできたら嬉しいです。がんばって早起きしてみてください」
「うんっ!! がんばってみるよっ!!」
可愛らしく拳をぐっと握り締め、やる気を漲らせるシラフィー。
「では、私の春の話の代りと言っては何ですが、今度はシラフィーさんが話をしてください。いつもシラフィーさんたちが暮らしている季節……夏や秋のことを」
「うん、任せてよ! えっとぉ、まずは夏からね! 夏って季節は……」
シラフィーはこれまで彼女自身が体験してきたことを、思いつく限り椿に語っていった。
それははっきり言って支離滅裂な内容だったが、椿は始終笑顔で楽しそうにシラフィーの話を聞いていた。
そんな二人の間を、木々の葉の香りを含んだ乾いた風が駆け抜ける。
シラフィーの話に耳を傾けつつ、椿は何気なく空を見上げた。
いつも彼女が見ている春の空とは違う、もっと青が強い綺麗な空。その空の真ん中で、太陽はぎらぎらと自己主張中だ。
「……もうすぐ梅雨も終り……そうすると、本格的な夏が来るんですね……」
おそらく、彼女は本格的な夏が来る前には休眠期に入るだろう。だから、今シラフィーが話しているような夏を体験することはできない。
だけど、大丈夫。
来年、シラフィーはがんばって早起きするという。ならば、自分もがんばって一日でも長い間起きていよう。
そうすれば、今年のようにシラフィーを始めとした他の仲間たちから、夏や秋のことを聞くことができるのだから。
そして、自分は仲間たちに春の話をしてあげよう。あのぽかぽかとした心浮き立つ季節の話を。
そんな決心を胸に抱きつつ、楽しそうに夏と秋を語るシラフィーを、椿は優しげな微笑みで包み込んだ。
どことも知れぬ山の中に、『キノコノヤマ』と呼ばれる場所がある。
そこには山に棲息する野生の動植物の他に、キノコの娘と呼ばれる愛らしい少女たちが笑顔と共に平和に暮らしている。
彼女たちは一年中、人知れず密やかに、そして穏やかに過ごしているのだ。