モクレンのキンカクキン
この種は近年まで見落とされていた種のようで、『キノコ擬人化図鑑』にも正式な和名は「未設定」と記載されております。従って、愛好家の間で使われているという「モクレンのキンカクキン」という通称を便宜上用いることにします。
「折角ですが、お断りさせていただきます」
ツバキの木から少し離れた所に腰を下ろし、どこか寂しげな表情でツバキの花を眺めていた椿。彼女は「一緒に花見をしない?」と誘いに来たモリーユに申し訳なさそうにそう告げた。
「え? どうして?」
「桜の花も見事だとは思いますが……それより、私はツバキの花を愛でていたいのです」
「そっかぁ。これから木蓮ちゃんとかキツネっ娘の椀ちゃんと槍ちゃんとかも誘う予定だけど……それでも来ない?」
「はい。申し訳ありません」
「ふーん、そっか。じゃあ、また後でね」
「はい?」
モリーユの言葉の意味がよく理解できず、首を傾げて不思議そうな椿。そんな椿に向かって手をひらひらと振ったモリーユは、次の目的地であるモクレンの木を目指した。
「えー、桜のお花見……? うーん、どうしようかなぁ……?」
眠たそうな表情でそう答えたのは、モクレンのキンカクキンが実体である春堀木蓮。
椿同様に小柄な彼女は、やはり椿と同じように和装に身を包んでいる。
だがそのデザインは上半身は確かに和風だが、下半身は洋風に見えなくもない。
ぱっつん前髪の髪は赤茶色。そして、大きなホオノキの花の髪飾りが印象的。頭頂部は束ねて長く垂らし、先っぽを瞳と同じ色の黒い帯で結んでいる。
モクレンの柄の入った着物は帯より上が黒で下が紫のグラデーション。その帯より下は着物が裂けて花弁のような意匠になっており、着物の下には同じように裾が裂けた白と桃色の襦袢を重ねていた。
「あなたも椿ちゃんと同じで、桜よりもモクレンの方がいいクチ?」
「そうだねぇ……私は椿ちゃんほど拘りはないなぁ……」
「だったら、皆で楽しくわいわいとお花見しない?」
「うん……分かったよ。後でお邪魔させてもらうぅ……」
眠たげに目を擦る木蓮を、モリーユは呆れたように見つめた。
「じゃあ、待っているけど……そのまま寝ないでよ?」
「だいじょーぶぅ……」
木蓮は微笑むと、モリーユに向かってゆらゆらと手を振る。
「……本当に大丈夫なんでしょうね? じゃあ、私はキツネっ娘たちを誘いに行くから、また桜の下で会いましょう」
「おっけー」
立ち去るモリーユの背中を見送った後、木蓮は傍らのモクレンの木を見上げた。
毎年、活動期に入ると一番最初に目に飛び来んでくるのがモクレンの木だ。だからモクレンには愛着があるが、彼女が気に入っているのはモクレンの木だけではない。
「……私はモクレンの花もタンポポの花も……そして桜の花も大好きだなぁ……ううん、花だけじゃなく、クヌギの大木も大好きだし、芝生のつんつんした発っぱも大好きだし……」
要は自然そのものが好きなのだ、彼女は。
木蓮は愛用の黒塗りの平下駄をからんと鳴らしながら、ゆっくりと歩き出す。
「折角だから、私からも椿ちゃんを誘ってみよう……」
どうせ皆で集まるのならば、人数が多い方が楽しいだろう。
元々、この時期に活動しているキノコの娘はそれほど多くはないのだ。その数少ない仲間同士、親睦を深めるのもいいことだろう。
「椿ちゃんもツバキの花以外にも興味持たなくちゃねぇ……」
からころ、からころ。
細く美しい曲線を描く足をゆっくりと動かしながら。
黒の平下駄をリズミカルに鳴らしながら。
椿はゆっくりと歩いていく。目的地は椿の木の下。そこに毎年と同じように椿がいるはずだ。
相変わらず眠たそうに目をしばしばさせながら、木蓮はゆっくりゆっくりと歩いて行った。
木蓮は漆黒の瞳を何度も瞬かせた。
「あれぇ……?」
毎年、椿がツバキの花を見ている場所。そこに椿の姿がなかったのだ。
「椿ちゃんは毎年、ここに座ってツバキの花を見ているはずだけどなぁ……」
辺りをきょろきょろと見回してみるが、やはり椿の姿は見当たらない。
「どこ行っちゃったんだろう……?」
普段、座り込んだらなかなか動かないのが椿である。
その椿がいつもの場所にいないとなると、ついつい嫌な考えが頭を過ってしまう。彼女たちにも外敵がいないわけではないのだから。
その嫌な考えを振り切るように、木蓮は頭を何度も振った。それに合わせて、頭頂部の長い髪がぶんぶんと勢いよく宙に舞う。
「……は、早く椿ちゃんを探さないと……」
木蓮は周囲をおろおろと見回すが、どこから探していいのか皆目見当も付かない。
「……そ、そうだ……! コニカさんやシャグマさんたちにも手伝ってもらおう……っ!!」
木蓮は平下駄を鳴らして走り出す。
今度の目的地は桜の木の下。そこにコニカとシャグマがいる。そして、運が良ければモリーユと椀と槍もいるかもしれない。
一人で当てもなく探すより、皆で手分けした方がいいに決まっている。
木蓮は焦る心を必死に抑え込みながら、桜の木を目指して全速で駆けて行った。
その光景を見た時、木蓮は全身から力が抜け、その場にぺたんと座り込んでしまった。
「ど、どうして……」
がくがくと震える頬を、木蓮は両の手の平で包むように押さえる。
そして彼女の視線は、用意された敷物の上に姿勢良く座っているとある人物に向けられていた。
「どうかしましたか、木蓮?」
「ど、どうして……椿ちゃんが……………………ここにいるの?」
「おう、椿ならアタシがさっき拉致ってきたぜ?」
木蓮の疑問に自慢気に答えたのはシャグマだった。
桜の花見には参加しないと言った椿。モリーユたちも彼女のその返答は予測していたので、椿が花見を断った時には、シャグマが強引にここに連れて来る手筈になっていたのだ。
「私が座っていたところを、シャグマさんが強引に担ぎ上げてここまで連れてきたのです」
飽きれと咎めを綯い交ぜにした視線をシャグマに向ける椿。だが、当のシャグマは全く気にした風もなく、用意されている料理を美味しそうにがっついている。
「し……心配して損した……」
がっくりと肩を落とす木蓮。両手と両膝を地面に着けた状態で、どんよりとした空気を背中に背負う。
「ほらほら、木蓮ちゃんも座って座って。食べ物のも飲み物も一杯用意してあるわよ?」
にっこり笑顔のコニカが、黄昏れる木蓮に食事と飲み物を勧める。
その笑顔に毒を抜かれ、木蓮はほぅと大きく溜め息を吐いた。
「どうしたのですか、木蓮?」
心配そうな椿の顔。その顔を見ていると、さっきまでの心配ももうどうでもよくなった。
こうして椿が無事だったのなら、それに勝ることはないじゃないか。
「なんでもないよ。あ、コニカさん。私にそっちの巻き寿司頂戴」
「うん、いいわよ。一杯用意したから一杯食べてね」
「まあ、無理して食わなくてもいいけどな。残ったら全部アタシが食うし」
「まったく……あなたは少し遠慮しなさい」
コニカは呆れつつ、妹分の額を指でつんと突いた。
そんな二人のやりとりを眺めつつ、木蓮は椿の隣に腰を下ろすとそのまま彼女の膝に自分の頭を乗せた。
「いきなり何の真似ですか?」
「んー? 私を心配させた罰だよ」
「心配? 一体何のことです?」
「なんでもなーい」
椿の顔を見ることもなく、木蓮は椿の膝の上でくすくすと笑いを零す。
椿の匂いとコニカとシャグマの言い合う声、そして何より春先の暖かな日差しを感じている内に、木蓮はいつの間にか眠りの淵へと誘われて行った。