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ツバキキンカクチャワンタケ


 シラフィーとムスカリアが必死になってリスから逃げ回った翌日。

 その日、シラフィーは少し遠出をすることにした。

 とは言っても、別の山まで行くというわけではなく、山の麓付近にまで足を伸ばしてみようというだけだが。

 いつものように、理由は特にない。

 何となく今日は少し遠出したくなった、という程度。要は散歩の延長だ。

 だが、シラフィーたちキノコノ娘は身体の小さい。人間の感覚で言えば、シラフィーの身長は20センチぐらいである。

 そんな彼女たちが徒歩で山を降りようとしたら、どれだけの時間がかかるか分かったものではない。

 だから、小さなキノコの娘たちが遠くへ移動する時は、山の動物たちの力を借りる。

 本日、シラフィーが協力を申し込んだのはヤマバトだ。ヤマバトはシラフィーの申し出を快く引き受け、山の麓まで彼女を運んでくれることになった。




「うっわーっ!! 気持ちいいーっ!!」

 ヤマバトの背に跨り、シラフィーは空を駆ける。

 今日も梅雨の晴れ間は続いており、空は真っ青だ。

 もう少しすれば梅雨も完全に明け、毎日のように青い空を見ることができるだろう。

 遠くへと目を向ければ山の稜線が重なり、複雑な緑のグラデーションが実に美しい。

 そして、その山々の向こうにきらきらと輝くのは、今日の空と同じ真っ青な海。

 そのうちあの海にも言ってみたいなーと、シラフィーは風を受けながら遠くに輝く海を眺めた。




 ヤマバトの翼はあっと言う間に山の麓付近に辿り着いた。

 シラフィーはヤマバトの背中からぴょんと飛び降りると、いつものにぱーっとした笑顔を浮かべる。

「ありがとうね、ヤマバトさん。帰りもお願いしたいから、この辺りで待っていてねぇ」

 ヤマバトはシラフィーの言葉にくるると喉を鳴らせて答えると、翼をはためかせて飛び立つ。

「さてっと」

 ヤマバトを見送ったシラフィーは、ゆっくりと歩き出す。

 相変わらずアイゼンが歩き辛そうで、彼女は何度も足元を確認しながら歩く。

 山の麓は山の上ほど木々は密集していないが、山の上とは違った植生が拡がっており興味が尽きない。

 カマキリやバッタの小さな幼虫──おそらく一齢幼虫だろう──が、楽しそうに歩くシラフィーを草むらの影から興味深そうに眺めていた。

 やがて、彼女の前方に一本の樹木が現れた。

 灰白色のなめらかな樹皮。高さは10メートルほどで、幹の直径は30センチを越えるだろう。

 枝は複雑に別れて楕円形の葉を数多く茂らせていた。

 そしてそんな枝葉の中に、一輪だけ咲いている真紅の花。

 シラフィーはその花には見覚えがある。

「え? これってツバキの花……?」

 本来、椿は晩冬から春にかけて花を咲かせる。だから、梅雨時の今に花が咲いているのはありえない。

 だが、目の前に咲いている花は、間違いなく椿の花だ。

「どうして今どき、椿の花が咲いているのかなぁ?」

「……おそらく、狂い咲きという奴でしょう」

 季節外れの椿の花を眺めていると、不意に横合いから声がした。

 シラフィーがそちらへと目を向ければ、椿の花から少し離れた石の上に、ちょこんと腰掛ける小さな人影。

「あれぇ? 椿……ちゃん?」

「はい。お久しぶりですね、シラフィーさん」

 その人影──(ハル)(ボリ) 椿(ツバキ)は、シラフィーに向かって静かに低頭した。




 椿もまたキノコの娘であり、その実体はツバキキンカクチャワンタケである。

 椿の容姿で特徴的なのは、何と言っても黒地の生地に椿の花をあしらった着物だろう。

 体格は小柄で、いつも赤と黒を基調にした和服を身に纏ってろおり、どこか寂しげな雰囲気を持っている。

 そして、きりっとした姿勢で物静かに座っており、立っている姿は滅多に見ることはない。

 髪は褐色で生え際が黒く、内側から浮き上げるようなおかっぱ。そしてその頭部には椿の花を模した髪飾り。

 その髪飾りからは、黒髪の一部を三つ編みにして垂らしていた。

 静かにシラフィーを見つめる瞳は暗赤色で、その瞳と同じ色が着物の帯と襟にも見受けられる。

 そんな物静かな印象のキノコの娘が、椿という少女であった。

「珍しいねぇ。椿ちゃんがこの時期にまで活動しているなんてぇ」

 毎年、椿はツバキの花が散る頃になると、そっと休眠期に入る。そして翌年、ツバキの花が咲く頃になるとまた姿を現し、日がな一日ツバキを眺めながら過ごすのだ。

 そのため、夏から秋が活動期のシラフィーとは、こうして顔を合わせることはあまりないのだった。

「はい。今年はあの花が散るまでは起きているつもりです」

 そう言う椿の視線の先には、時期外れの一輪のつばきkの花。

「本当はもっと前に休眠期に入るつもりだったのですが……たまたまこのツバキの大木を見つけ、そこに季節外れの蕾があることに気づきまして」

 その蕾を見守っているうちに、こんな季節まで起きていることになりました、と椿は続けた。

「椿ちゃんって、相変わらずツバキの花が好きなんだねぇ」

「はい。ツバキの花を愛でることは私の生きがいですから」

 椿は片手で自らの頬を抑えつつ、嬉しそうな笑みを零す。

「だったら、もう少し近くでお花を見たらぁ?」

 花を咲かせたツアキの大木と、腰を下ろしている椿の間にはかなりの距離がある。ツバキの花が真紅の花弁をつけているため、視認することは難しくないが、それほどツバキの花が好きなのであれば、もっと近くで見ようと思わないのだろうか。

 シラフィーが首を傾げながらそう問うと、椿は悲しそうな表情を浮かべて顔を伏せた。

「……私は……ツバキには近づけないのです」

「え……?」

「私たちツバキキンカクチャワンタケの胞子は、ツバキの花の上で発芽します。そしてツバキの花の組織を栄養として成長するので、私が必要以上にツバキの花に近づくと、ツバキのその美しい花弁を汚して……最終的には朽ちさせてしまうのです……」

 これほどまでにツバキの花が好きなのに、彼女が花に近づくと花が汚れ朽ちてしまう。

 そんなジレンマが、椿の大きなコンプレックスなのだ。

「あ、え、えっと……ご、ごめんね? 無神経なこと言っちゃって……」

 シラフィーもまた、しゅんとした表情で椿に謝る。

「いえ、気にしないでください。別にシラフィーさんが悪いわけではありませんから」

 椿は優しげに微笑むと、ちょいちょいとシラフィーを手招きした。

「よろしければこちらへ来ませんか? とっておきのツバキ茶をお出ししましょう」

「えー、本当ぉ?」

 お茶と聞き、シラフィーは現金にも表情を一変させた。

 そんな彼女の様子がおもしろかったのか、椿は着物の袖で口を隠しながらくすくすと笑う。

「はい。シラフィーさんとはあまりお喋りできませんからね。折角のこうして機会を得たのですから、少しお喋りしませんか?」

「うんっ!! 私もお喋り大好きだよぉ」

 にぱーっと笑うシラフィー。そして、彼女は弾むような足取りで椿の元へと向かうのだった。




 椿が淹れてくれた椿茶は、確かに美味だった。

 シラフィーは椿の隣に腰を下ろし、お茶を飲みながら椿と同じようにツバキの花を眺める。

「私たちとは活動時期が違うけどぉ、確か椿ちゃんって、仲のいいお友だちがいたよねぇ?」

「はい。普段は活動時期を同じくする、木蓮や(マリ)さんや(ウツギ)さんたちと親しくしています。他にはやはり春が活動期であるモリーユさんやコニカさん、それにシャグマさんたち『春のアミガサ三人娘』の方たちともよくお喋りしたりしますね」

「そっか。私は春って季節はあまり知らないけど、結構いろんな娘たちが活動しているんだねぇ」

 キノコの主な発生時期はやはり夏から秋にかけてが多い。しかし、中には春が発生時期だったり、冬の雪の中で発生する種もある。

 春に発生するキノコはアミガサタケやトガリアミガサタケ、そして冬はヒラタケやエノキタケ辺りが有名どころだろう。

「そう言えば、春にはサクラって綺麗なお花が咲くんでしょ? 私、一度見てみたいんだぁ」

 夏から秋が活動期であるシラフィーは、今まで桜が咲いているところを見たことがない。

 だが、その淡くもどこか妖艶な美しさを誇る花の様子は、他の山の動物たちからよく聞かされていた。

「そうですね。この辺りからもう少し下った人里近くには、桜が……ソメイヨシノがたくさん植えられています。辺り一面淡いピンクに染まった景観は、それは見事の一言ですね」

「へえぇ。ますます見てみたくなっちゃったよぉ」

「人間たちが使う『カメラ』という道具は、風景をそのまま絵のように写すことができますので、そのカメラがあれば桜が咲いた景色をシラフィーさんにもお見せできるのですが……」

「うーん……カメラを持っていた娘って誰かいたっけかなぁ?」

 シラフィーは首を傾げながら空を見上げる。

 彼女たちキノコの娘は、その実体はキノコではあるのだが、なぜか生まれつき機械や金属製のアクセサリーなどを身に着けている場合がある。

 例えば、シラフィーの装備しているアイゼンだって生まれつき持っていたものだし、なぜか大鎌を所持している者もいる。

 中にはMP3プレーヤーを持っている仲間もいるので、探せばカメラを所持しているキノコの娘もいるかもしれない。

「ねえねえ、椿ちゃん」

「なんですか?」

「もっと春の季節のこと、私にお話ししてくれないかなぁ?」

「いいですよ。ツバキの花を眺めながらでよろしければ」

「うん! もっちろん!」

 にぱーっと微笑むシラフィーを見て、椿もにこりと小さく笑った。


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