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ヒラタケ


 雪が降る。

 秋が過ぎると、キノコノヤマにも足早に冬が押し寄せて来た。

 冬と共に到来した雪雲は、瞬く間にキノコノヤマを白く覆い尽くす。

 白く染まったキノコノヤマは、夏や秋と違ってひっそりと静まり返っていた。

 それでも、山の中には寒さに耐えながらもしっかりと生命活動を営んでいる生物もいる。

 冬眠しない野ウサギや、キツネ、冬と共に渡ってきた渡り鳥など。

 寒い冬とはいえ、活動している生物は決して少なくはない。

 そして。

 真冬の冷たい空気の中で、ひっそりと活動しているキノコの()もまた、いるだ。




 さくさくさく。

 アイゼンを装着したブーツが、白い雪の上に足跡を刻む。

 白いコートでしっかりと身を包みながら、彼女はゆっくりと雪の中を歩む。

 彼女の歩み合わせて、彼女のコートの裾や髪が自然と千切れ、はらはらと舞う様はまるで雪のよう。

 純白の瞳の奥に控え目に輝く赤い光。だが、その光を湛える両の目は、どこか不安そうに周囲を見回していた。

「…………やっぱり……誰もいないのかなぁ……」

 ぽつりと零した小さな声が、北風にのって山の中に散っていく。

「……いつもなら、この季節まで起きていることなんてないのに……」

 本来、彼女の本体であるシロテングタケは、真冬には地上に顔を出すことはない。そのため、シロテングタケのキノコの娘である彼女は、この季節には休眠期に入っているのが通例である。

 だが、なぜか今年はまだ彼女は休眠期に入っていなかった。もちろん、その理由は彼女──シラフィーにも分からない。

 しかし、親しい友人たちは既に休眠期に入ってしまっており、今の彼女は独りきりだった。

 独りきりの寂しさから、シラフィーは森の中を漂うように彷徨う。もしかしたら、一人ぐらいは自分と同じように休眠期に入っていない仲間がいるかもしれない。そう考えて、彼女は雪の降り積もった山の中をゆっくりと歩いていく。

 さくさくさく。

 雪の上にアイゼンの跡を刻みつけながら、シラフィーは白い世界を歩いて行った。




「え?」

 思わず零れ出た、まぬけな声。

 だが、そのことでシラフィーを責めるのは少々酷と言えるだろう。

 なぜなら、彼女の視線の先で、一人のキノコの娘が雪の上に寝そべっていたからだ。

 灰褐色の髪は肩甲骨ほどまで伸ばされ、瞳は綺麗なグレー。その瞳は、左側が髪の毛で隠されている。

 身に纏っているのは、髪よりも暗い色合いの灰褐色のコート。そのコートと同じ色の帽子は、どことなくロシア人がよく身に着ける帽子に似ている。

 コートの裾から覗くのは、白い縦縞の入った灰色のズボン。足先には滑り止めの鋲のついた白いブーツ。

 彼女はこの寒い時期に、気持ち良さそうに雪の上に俯せで寝転んでいた。

 シラフィーの唇から零れた呟きが聞こえたのか、雪の上に寝そべってたいキノコの娘が、ちらりとその視線をシラフィーへと向けた。

「あれ? こんな季節に……見慣れないキノコの娘だね」

 相変わらず寝そべったまま、そのキノコの娘が言う。

「えっとぉ…………わ、私、シロテングタケのアマニタ・シラフィーだけど……あなたは?」

「私はヒラタケのキノコの娘、(タイラノ) ()()()よ。しかし、この季節にシロテングタケのキノコの娘が活動しているとは……珍しいわね」

 やはり寝そべったまま、彼女──和歌恵はにこりと微笑んだ。




「…………そう。今年はまだ休眠期に入っていないんだ?」

「うん。自分でもどうしてかは分からないんだけどねぇ……」

 雪の間から顔を覗かせている石に二人して腰掛けながら、シラフィーと和歌恵は互いのことを語り合った。

「でも、こんな雪の降り積もる季節に活動しているキノコの娘がいるなんて、知らなかったよぉ」

 ようやく誰かに会えたからか、シラフィーはいつものにぱーっとした笑顔で和歌恵に語りかける。

「まあねぇ。キノコの主な発生時期は夏から秋にかけてだからね。でも、この季節に発生するキノコもそれなりにあるんだ」

 冬に発生するキノコの中でも特に有名なのは、晩秋から春にかけて発生するエノキタケだろう。

 ただし、自然界に発生するエノキタケは、スーパーなどで販売されている栽培品とはその姿が大きく異なる。

 よく知られている栽培品のエノキタケは白くて細長いものだが、これは白色品種を光に当てずに育てたものであり、天然物は茶色くなる。そのため、天然のエノキタケを知らない者が見ても同じキノコだとは思わないだろう。

「ただ、どうしてもこの時期のキノコの娘は少なくてね。私もいつもの顔ぶれ以外のキノコの娘に会ったのは初めてだわ」

 出会ってからまだ間がないものの、社交的な性格の二人はすっかり仲良くなっていた。

「そっかぁ。どんな季節でも、私たちの仲間は元気にしているんだねぇ」

 その事実が嬉しいのか、それとも久しぶりに誰かと会話できることが楽しいのか、にこにことした笑顔を崩さないシラフィー。

 そのシラフィーが、不意に大きな欠伸を零した。

「あれぇ……? 何か一人じゃないって思ったら、急に安心して眠くなって来ちゃったよぉ……」

「うん、いいよ。眠くなったら寝ればいいよ。そのことに誰も文句は言わないって」

「そっかなぁ……」

 しぱしぱと目を瞬かせながら、シラフィーはこてんとその頭を和歌恵の肩に凭れさせた。

 そのシラフィーの頭を、和歌恵はぽんぽんと軽く叩いてやる。まるで母親が眠る前にぐずる幼子をあやすかのように。

 ぽんぽんぽん。

 頭に響くそのリズムが、心地よくてシラフィーはそっと目を閉じる。

 完全に眠りに落ちたシラフィーは、その体重を和歌恵へと預けている。和歌恵もシラフィーの体温と体重が心地よくて、何も言わずに彼女のしたいがままにさせていた。

 やがて。

 やがて、不意に和歌恵にかかっていた加重が消え去る。

 見れば、それまでそこにいたはずのシラフィーの姿がない。彼女の身体は、まるで煙のように消滅してしまった。

「…………眠ったんだね、シラフィー」

 彼女が休眠期に入ったことを理解した和歌恵は、立ち上がるとそのまま雪の上に寝そべった。

 ごろりと寝返りを一つ打つと、仰向けになって灰色の空を見上げる。

 ちらちらと舞い落ちる雪。

 自分の身体に降り積もる雪の重みが、先程まで感じていたシラフィーの体重のように感じられる。

 しかし、雪から伝わる冷たさは、シラフィーの暖かな体温とは真逆で。

 そのことに寂しさを覚えながら、和歌恵はそっと目を閉じた。

「おやすみ、シラフィー。できたら、来年もまた会おうね」

 和歌恵のその言葉は、雪の中にそっと吸い込まれていった。




 どことも知れぬ山の中に、『キノコノヤマ』と呼ばれる場所がある。

 夏や秋は賑やかだったこの山も、冬に入るとめっきり寂しくなる。

 だが、それは決して悲しいことではない。

 冬の間は静かに眠っているが、暖かくなれば再びこの山も活気に満ちるのだから。

 そう。

 愛らしいキノコの娘たちとは、来年のキノコの季節に再び会うことができるのだ。





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