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ハツタケ



 徐々に秋も深まるキノコノヤマ。

 遠からず訪れるであろう冬を前にして、山に棲息する生き物たちは忙しく動き回っている。

 雪が降り積もる前に、冬の間の食糧を今からせっせと蓄えるもの。

 寒い冬の間は寝て過ごすため、今の内にたくさん食べておこうとするもの。

 中には冬を越すことができず、命を次の世代に託そうと必死に子孫を残すものもいる。

 そんな山の木々も徐々に赤く色付き始めたキノコノヤマの中を、強化ロングブーツで足元を固めて歩き回る者がいた。

 その手には、松の葉をイメージした二本の杖。そして、和服でありながらもゴスロリの雰囲気を漂わせるワインレッドの襦袢の背には、松葉の色で染め抜かれた「初」の文字。

 髪は黄褐色のボブヘアーで、頭頂部のつむじから同心円状に色ムラがある。しかもその色ムラを、ひらひらとした白い髪飾りで一層強調されている。

 だが、他者の目を一番引くのは、彼女の両の瞳だろう。

 右目が青葉色で左目がワインレッドという、虹彩異色症──いわゆるオッドアイ。

 彼女の名前は(マツ)(バヤシ) (ハツ)

 古くから食用として用いられる、ハツタケを本体に持つキノコの()である。




 ざっくざっくと地面に降り積もった落ち葉を踏み締め、キノコノヤマの中を歩き回っていた初。

 山頂付近の見晴らしのよい場所まで来た彼女は、手頃な石に腰を下ろすと山の裾野へとその左右で色彩の違う瞳を向けた。

 山の麓に広がる田園風景。遠目にも稲の穂が重そうに頭をもたげているのが分かる。

 空には種類までは分からないが、数羽の鳥が楽しそうに飛んでいる。

 もう、この周囲でアキアカネを見ることはなくなった。今頃は麓の田園地帯へと降りているだろう。

 初は空で遊んでいる鳥たちを見つめながら、ふと思いついた言葉を口ずさむ。

「星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥」

 それは俳聖として有名な松尾芭蕉の句である。

 このキノコノヤマから遠く離れた土地で、空を飛ぶ千鳥を身ながら芭蕉が詠んだとされる句であり、この句を詠んだと言われる場所には記念の石碑も立てられている。

「……できるものならば……私も尊敬する俳聖のように、日本各地を巡ってみたいものですね」

 秋の清々しい日差しと涼しげな風を全身で感じながら、初は山の麓を眺め続ける。

「うーん……さすがにそれは無理じゃないかなぁ?」

 突然背後から聞こえてきた声。その声に特に驚いた様子を見せることもなく、初はゆっくりと振り返った。

「お久しぶり、お初ちゃん」

「こちらこそ、ご無沙汰しておりますシラフィーさん」

 左右で色の違う瞳を初が向けた先で、シラフィーがにぱーっと微笑みながら手を振っていた。

「私の夢なんですよ。この国のあちこちを旅して回ってみるのは……」

 初は再び山の麓へと目を向けた。しかし、彼女の色違いの瞳に映っているのは、麓の田園だけではなくこの国の各地の情景なのだろう。

 雪深い北の国。

 常夏の南の国。

 多くの人間とビルや車に溢れる大都会。

 長閑な田舎。

 親子連れが楽しそうに遊ぶ草原。

 延々と続く白浜とそこに寄せては返す波。そして、その向こうには無限の大海原。

 かつて、この国の各地を巡り歩いた俳聖・松尾芭蕉。彼が歩いた時代とは空気も風景もまるで違うだろうが、それでも芭蕉が巡り歩いた同じ地に立ってみたい。

 それが初の夢なのだ。

「それに……私の一日400kmを走破する健脚を以てすれば、この国の各地を巡ることも決して夢では……」

「いやぁ、私たちの身体の大きさで一日400kmは絶対に無理だよねぇ」

 拳をぎゅっとしながら野望を語る初を、シラフィーはどこか冷めた目で眺めていた。




 改めて、シラフィーと初は並んで腰を下ろし、山の麓の景色を眺める。

「お初ちゃんじゃないけど、この向こうにはいろいろな町があって、たくさんの人たち……人間さんが住んでいるんだよね」

「はい。そしてそこには、私たちの知らない生きるための営みがあるのでしょう」

 彼女たちキノコの娘は、基本的に人間と交流することはない。

 時折、この山にも人間が訪れることはある。だが、キノコの娘たちは身体も小さく、進んで人間たちの前に出るようなことはないので、人間と交流したキノコの娘は皆無と言っていいだろう。

 もしかすると、人間にはキノコの娘たちは見えないのかもしれない。

「私たちが知らない生きるための営み……それを私は見てみたいのです」

 初の色違いの瞳には、この景色の向こうに何が見えているのだろうか。

 シラフィーは、横目で彼女の様子を窺いながらそんなことを考えてみる。

「あのさ、お初ちゃん?」

「はい?」

「確かに私たちは小さくて……しかも、地上で活動できる期間も限られているけど……」

 シラフィーたちキノコの娘は、本体であるキノコが地上に発生している間だけ、こうして自由に活動できる。

 その本体が地上から消える時──キノコの発生季節が過ぎて枯れてしまったり、外敵によって食べられてしまったりした時は、次の年に本体のキノコが再び発生するまで眠りにつく。

 それか彼女たちキノコの娘の活動サイクルである。

「……それなら、鳥さんとかに運んでもらったらどうかなぁ? 私は麓まで行く時なんかに、ちょくちょくヤマバトさんに運んでもらっているよ?」

「それも一つの手段には違いないのですが……私はこの足で歩いてみたいのですよ。かつて、俳聖がそうしたように」

 初の松尾芭蕉に対する想いは相当のようだ。彼女が着ている服までもが、かの俳聖を意識したものであるぐらいに。

「そっかぁ……それじゃあ、仕方ないねぇ」

 揃えた膝の上に顎を乗せて、シラフィーも麓へと目を向けた。

 黄金に色付きつつある稲穂。その合間を様々な色合いのものが行き来しているのが見える。

 あれは田の手入れをしている人間だろうか。それとも、町の中を走る自動車だろうか。

 そんな風景を見ていると、何だかシラフィーにも初の外へと旅立ちたいという想いが理解できるような気がしてくる。

「ねぇ、お初ちゃん。いっそ、本気で旅立ってみたら?」

「え?」

「だから、私たちの活動期を目一杯使って、本当に旅に出てみたらいいんだよ。もちろん、どこまで行けるのかは分からないよ? それでも、行けるところまで行ってみたらどうかなぁ?」

 例え旅の途中で休眠期を迎えてしまったとしても、来年になれば再びこのキノコノヤマの中で目覚めるのだ。ならば、何の憂いもなく旅立ってしまえばいい。と、シラフィーは初に告げた。

 シラフィーのその言葉を聞いて、初めはきょとんとした表情だった初。しかし、彼女の話を聞くにつれ、その色違いの瞳にはきらきらとした期待の光が浮かんでいった。

「……なるほど。例え道の途中で倒れても、来年になれば再びこの山に戻ってくる……確かにその通りです。いえ、そこまでは考えが及んでいませんでした」

 まるで憑き物が落ちたかのように、初は晴々とした笑みを浮かべる。

「思い立ったが吉日です。早速、旅立つ準備をしようと思います」

「うん。今年はもう会えないかもしれないけど、来年になったらまた会おうね。それで、旅の先でどんなものを見たのか、私にも教えてね」

「はい。シラフィーさんには是非聞いていただきます」

 立ち上がった二人は、互いの手を固く握り会った。




 どことも知れぬ山の中に、『キノコノヤマ』と呼ばれる場所がある。

 穏やかでのんびりとした山の中から、外の世界に憧れて旅立つ者もいる。

 そして旅立った者は、次の年には再びこの山に戻って来るだろう。そして、旅先で体験したことを、仲間のキノコの娘たちに詳しく聞かせてあげるのだった。





 作中に登場した芭蕉の石碑ですが、実は我が家の近所だったりします(笑)。

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