シイタケ
季節は移り変わる。
あれだけ暑かった夏もいつしか過ぎ去り、キノコノヤマの中を涼やかな風が駆け抜けるようになった。
秋。
四季の中で、キノコの娘たちが最も活動的になる季節がやってきたのだ。
「あー! もー! 腹立つっ!!」
両手を振り上げて怒りを露にしているのは、一人のキノコの娘。
茶褐色の髪に大きなバツ字の白いヘッドドレス。そして、髪の両サイドにはたくさんの小さな白いリボン。
瞳の色は灰色。その灰色の瞳にはコンタクトが入れられており、右目には「椎」、左目には「茸」の文字が読み取れる。
首回りにはもこもこした白いファー。ファーは他にも肘から手首にかけても見受けられ、服装は上半身は和服調だが帯から下はスカートのようになっており、このスカートも同じようなファー。
ただし、スカートのファーは裾にかけて茶色のグラデーションを描いている。
そんな彼女の名前は椎 香。目に入れたコンタクトの文字通り、シイタケのキノコの娘だ。
「あ、香ちゃんだぁ。一体どうしたのぉ?」
怒りも露にキノコノヤマの中を歩いていた香を呼び止めたのは、やっぱりシラフィーだった。
こくん、と首を傾げるシラフィーに、相変わらず怒り心頭の香はきっと鋭い視線を向けると、そのままシラフィーへと歩み寄った。
「ねえ、聞いてよ! 嫌だって言っても聞いてもらうからね、シラフィー!」
「え、えっとぉ……わ、私で良ければ、話ぐらいは聞くよぉ……?」
香の剣幕に若干腰がひけながらも、シラフィーはゆっくりと頷いて見せた。
「そ、それで……香ちゃんは何をそんなに怒っているのぉ?」
「それがねっ!! せっかく私がゆっくりと菌を回したコナラの朽ち木を、あいつらが食い荒らしているのよっ!!」
「あいつら?」
「そう、あいつらっ!! クワガタの幼虫どもよっ!!」
クワガタの幼虫は、主に朽ちた木の中で成長し、蛹を経て成虫となって外界へと出てくる。
樹木の種類や朽ち方はクワガタの種類によって好むものが異なるが、クヌギやコナラの朽ち木を好むクワガタは結構多い。
だが、実際のところはクワガタの幼虫は、自分自身では朽ち木を腸内で完全に分解し、栄養とすることができない。
そのため、シイタケなどの腐朽菌が腐朽させた朽ち木を、クワガタの幼虫は好む。要するに、腐朽菌とクワガタの幼虫は同じ食糧を奪い合う関係にあると言えるのだ。
ちなみに、シイタケやヒラタケなどの白色腐朽菌が回った朽ち木を好むクワガタには、オオクワガタやコクワガタなどがいる。
今回、香の本体であるシイタケが腐らせたコナラに卵を産みつけたのは、どうやらコクワガタらしい。
「せっかく私が長い時間をかけて、ゆっくりゆっくりと菌を回したコナラを……あいつらときたら、片っ端から食い荒らしてるのよっ!? これが許せるわけないじゃないっ!?」
コクワガタはその名の通りクワガタの中では小型に分類される。だが、街中の小さな公園でも棲息していたりするほど、繁殖力は高い。
また、以前に「黒いダイヤ」と言われたほど高価格で取引されたオオクワガタとは、同じドルクス属であり、オオクワガタとコクワガタの間では、極稀に交配種が誕生するほど近い存在でもある。
なお、現在では繁殖方法が完全に確立され、素人でも容易に飼育できるオオクワガタは、以前ほどの高額では取引されることは一部の例外を除けばまずない。
「そ、それで……香ちゃんはそのクワガタさんたちの幼虫をどうするつもり?」
「決まっているでしょっ!? ほら、昔から言うじゃない? 目には目を、歯には歯を、って。だったら、幼虫には幼虫をぶつければいいのよ!」
と、 香はどこか黒い笑みを浮かべた。
「────それで、香は一体何をしたの?」
最近あった香との一件を、親友であるムスカリアに話したシラフィー。
ムスカリアは首を傾げながらも、どこかわくわくとした表情でシラフィーに話の先を促した。
これで、意外とキノコの娘たちの間には娯楽が少ないのだ。山奥でひっそりと暮らしているので当然と言えば当然なのだが。
そのため、何かおもしろそうな話があれば、ムスカリアでなくとも食いついてくる。
「だからぁ、香ちゃんはクワガタさんの幼虫の天敵を呼んで来たんだよ」
「クワガタの幼虫の天敵……? ああ、なるほどね」
どうやら、ムスカリアはそれだけで理解したらしい。納得いったとばかりににっこりと笑いながら、手にした真紅の日傘をくるくると回す。
「そう言うこと。クワガタさんの幼虫の天敵は……コメツキムシさんの幼虫だよねぇ」
「それで、『幼虫には幼虫』ってことなのね」
彼女たちの言う通り、コメツキムシの幼虫はクワガタの幼虫の天敵である。
コメツキムシの幼虫は固い外殻に覆われた細長い身体を持ち、朽ち木の中を高速で移動しながらエサとなるクワガタの幼虫などを捕食する。
そんなコメツキムシの幼虫は、香からしてみれば敵を退治してくれる頼もしい騎士に等しいのだろう。
コメツキムシの幼虫にしても、エサの居場所の情報を教えてもらったことになるので、喜んで朽ち木を食い荒らすクワガタの幼虫を捕食したに違いない。
「香ちゃん、『これぞまさにWin-Winの関係よね!』って、すっごく喜んでいたよぉ」
「いや……それって『Win-Win』でもなんでもないから……」
それまでの笑顔を一変させ、渋い表情になるムスカリア。
確かに香とコメツキムシは利を得たが、コクワガタの幼虫は一方的に捕食されただけ。決して「Win-Win」とは呼べないだろう。
「……まあ、これも生き残りをかけた自然の掟と呼べるのかもね……」
ムスカリアの吐いた溜め息は、吹き抜けた秋風にのって山の奥へと運ばれて行った。
どことも知れぬ山の中に、『キノコノヤマ』と呼ばれる場所がある。
だが、本来は長閑なキノコノヤマにも、厳しい生存競争は存在する。見た目は穏やかなキノコの娘たちも、自分たちが生き残るためには必死に知恵を絞らなければならないのだ。
当作もあと2,3話で完結の予定。
あと少しだけお付き合いください。よろしくお願いします。