クロタマゴテングタケ
早朝のキノコノヤマ。
朝の清涼な空気に支配された山の中に、小さくステップを踏む音が響いていた。
かさり、かさり、たん、たたん。
地面に落ちた枯れ葉の上で、ゆっくりとしたステップを踏むのは小柄なキノコの娘。
肩に届かないぐらいに切り揃えられた髪は黒。だが、頭頂部から毛先にかけて徐々に色合いが淡くなっており、所々にメッシュも入っている。
服装はやたらと露出が高い。特に上半身は肌色率が高く、淡い灰色の水玉をあしらった白いシャツの前ボタンは殆どはずされており、その小柄ながらも大きな胸が殆ど露出している。
だが、背中から回り込んで固定するタイプの黒いブラにより、完全には見えてはいない。
裾も破れており、おへそは丸見え。しかもローライズの黒いジーンズを履いているものだから、腰周りはほぼ無防備。
その腰には黒いベルトが斜めにひっかけられており、ベルトのバックルには「EGG」の文字。
他にもベルトにはMP3プレーヤーが装着されていて、そこから伸びるコードは彼女の頭部の大きな卵形のヘッドフォンへと繋がっていた。
そのヘッドフォンにも、やはり「EGG」の文字がある。
髪と同じように裾に向かってグラデーションを描くジーンズの先は、白くてがっちりとしたブーツ。ここにも黒くて卵形の飾りが着けられていた。
低身長ながらも実にメリハリの効いたプロポーションを持つ彼女。彼女の名前はアマニタ・フリギネア。
シラフィーやムスカリアと同じアマニタ属に属する菌類である、クロタマゴテングタケがその本体である。
だが、「フリギネア」という名前がどことなくゴツくて女っぽくないと本人は思っており、自らは「フリゴ」と名乗って周囲にもそう呼ぶようにと告げていた。
ヘッドフォンから流れる音楽に合わせて、フリゴはゆっくりと身体を舞わせる。
ゆっくりと、だがしなやかで優美はステップは、枯れ葉を踏んで優しい音色を奏でる。
時折、枯れ葉の下に潜んでいたダンゴムシやワラジムシなどが驚いて逃げていくが、音楽に夢中のフリゴはそれにも気づかない。
四六時中音楽ばかり聞いているので、周囲のキノコの娘たちからはよく「フリゴは人の話を聞かない」と言われていた。もちろん、この場合の「話を聞かない」はヘッドフォンと音楽による物理的なものだ。
今は閉じられている瞳の色も黒で、その奥には赤い輝き。これはクロタマゴテングタケが毒キノコである証拠であり、実際にこの菌種は俗に「猛毒御三家」とも呼ばれている種類には及ばないものの、致死性の猛毒を有していて、日本での食中毒事故は少ないが、中国では頻繁にこの種を食して死亡したという報告がなされていた。
だが、本体がどれだけ強烈な毒を有していようとも、キノコの娘の性格には関係ない。
実際、フリゴもあまり社交的ではないものの、その性格はさばさばしている方なのだ。
相も変わらず、ヘッドフォンから流れる音楽に全神経を集中させているフリゴは、眼を閉じたままステップを踏み続ける。
しかしそれは洗練されたダンスではない。耳から入る音楽に合わせて、好き勝手に身体を動かしているだけなのだ。
だが、それでもフリゴのステップは優雅だった。
かさり、かさりと枯れ葉が鳴る。時には彼女の動きに合わせて、枯れ葉が舞い上がる時もある。
枯れ葉のシャワーの中、それでもフリゴの神経は音楽に集中されていた。
「相変わらずね、彼女」
「そうだねぇ。音楽に夢中になると、周囲が見えなくなっちゃうみたいだねぇ」
フリゴのステップを間近で眺めるのは、いつものコンビ──シラフィーとムスカリアだった。
朝の山の中を歩いていたところ、たまたまフリゴを見かけ、そのまま彼女のステップを眺めていた二人。
決して洗練されたものではないが、なぜか目が離せない彼女のステップを二人はそのまま眺めていた。
シラフィーとムスカリが眺めていると、フリゴのステップがゆっくりと停止した。どうやら、聞いていた音楽が一段落ついたようだ。
眼を開けたフリゴは、間近にいる二人に気づいた。彼女はどこか恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、ヘッドフォンを外して二人へと近づいていく。
「もう。見ているのは別に構わないけど、声ぐらいかけてくれてもいいんじゃない?」
「何言っているのよ。音楽を聞いている時のあなたに声をかけても、絶対に聞こえないでしょ?」
そう言うムスカリアの横で、シラフィーもそうだそうだとばかりに何度も頷いていた。
言われた方のフリゴも心当たりがありまくるようで、「あー」とか「うー」という意味をなさない言葉を漏らしながら、困ったように頭を掻いている。
「…………これはいよいよ、本気で読唇術でも身につけようかな……?」
「……そんなことをしなくてもぉ、単にヘッドフォンを外せばいいんじゃないかな?」
作った拳で口元を覆いながらそんなことを呟くフリゴに、シラフィーが疲れたように告げたのだった。
「それで? 二人揃って私に何か用でもあったの?」
手頃な石の上に腰を下ろしたフリゴは、同じく近くの木の根に座ったシラフィーとムスカリアに尋ねた。
「別に用って訳じゃないわよ。たまたま、通りかかっただけ」
「そうそう。朝の散歩は私たちの日課のようなものだしねぇ」
シラフィーの言う朝の散歩。それを日課にしているのは実はシラフィーだけで、ムスカリアは偶々朝早くに目覚めた時などに、シラフィーに付き合っているだけであった。
時には他のキノコの娘もこの散歩に加わる時もあり、シラフィーにとっては一日の中で最も楽しい一時でもある。
夏も真っ盛りの今でも、早朝のこの時間帯はかなり涼しい。しかも、キノコノヤマの中は生い茂った木々が適度な日陰を提供していくれるし、気持ちのいい風も吹き抜ける。
シラフィーでなくても、散歩のひとつもしてみたくなるというものだろう。
「最近は毎日太陽が元気だからね。何かするなら朝の内にすることにしているのよ」
「あー、確かに。ここ数日雨も振らないし、日中はすごく暑いわよね」
夏場に雨が降らないのはよくあることである。そのためか、仲間のキノコの娘の中でもツチグリを本体に持つ雨は、雨が降らないため最近は全く元気がない。
「ざーっと夕立でも降ってくれると、日中でも涼しくなるのにねぇ」
「ま、暑さに耐えかねたらまた沢に泳ぎに行けばいいけどね」
と、ムスカリアが言う。最近はあまりの暑さのためか、沢に泳ぎに行くキノコの娘もかなりいるのだ。そのため、最近の沢は色とりどりの水着に彩られて、賑やかな光景を見ることができる。
「そうだね。その内、私も泳ぎに行くよ」
と、フリゴは立ち上がると首にかけていたヘッドフォンを再び耳に装着した。どうやら、また音楽を聞くつもりらしい。
シラフィーとムスカリアもそれぞれ立ち上がり、散歩に戻ろうとする。
その時だった。
近くの茂みががさがさと鳴り、そこからソレが飛び出したのは。
どことも知れぬ山の中に、『キノコノヤマ』と呼ばれる場所がある。
そこには山では穏やかな毎日が送られているが、時として思いもよらぬ危険が忍び寄ることもあるのだ。
当作の年内の更新はこれにて終了。
次回は1月に入ってから活動を再開します。
本年中はいろいろとお世話になりました。来年もまたよろしくお願いします。