春もまた、出会いの季節。 その2
放課後、俺は走っていた。何故走っているのかは自分がよく知っている。
あの後、「ここは俺達に任せて坊ちゃん達は先に行け!」
と言う黒服軍団withアイリスさんを置いて俺達は授業に向かった。
おかげで遅れずに済んだ。ありがとう、ソウルメイト。心の中で感謝。
休み時間になりソウルメイト達の様子を見に行こうとした俺を、
お美しい声のお方が呼び止める。
「ねえ……少し話したいことがあるの」
「なんでございましょうか!」
振り返った先には予想どおりの美少女。
「放課後、少し時間をもらえないかな?」
「いいけど、なにか用事?」
尋ねると、佐倉さんは少し困ったような表情になる。
「うん、そうなんだけどね……私じゃなくて、みあちゃんなの」
「美秋ちゃんが?」
あ、まさか……
「うん」
小さく頷く。その顔には普段の花が咲きすぎたような笑顔は無く、
少しの寂しさと、それ以上の覚悟があった。
シリアス顔。そんな顔も出来たのか。びっくり。
「今、馬鹿にされたような気がした」
ぷくー、っと頬を膨らませる。可愛い。
効果音を自分で言わないところがポイント高い。
「滅相もない」
だからそんな疑わしそうな目を向けないでください。
可愛すぎて全身から血が吹き出そうですから。
「貴方と一緒にいた時のみあちゃん、とっても楽しそうだった」
そう言って、佐倉さんはうつむいて目を伏せる。
「みあちゃん、小さい頃から内気で、
あんなに積極的になったところ、見たこと無かった」
その言葉の一つ一つが、俺に重くのしかかる。
「やっぱり凄いね、これが恋の力ってやつかな」
佐倉さんはわざと軽い感じで言う。
そして顔を上げて笑顔を作る。
「一つ、言わせて」
「なに?」
少しの空白の後、佐倉さんが口を開く。
「みあちゃんを――悲しませないで 」
真っ直ぐな視線が俺の目にぶつかる。
「みあちゃんを選ばなくてもいい。
でも、みあちゃんを悲しませないであげて」
佐倉さんは本当に美秋ちゃんのことを大切に思っているのだろう。
だったら、俺はその思いに答えなければいけない。
「大丈夫」
そう言って見つめ返す。
「俺は美秋ちゃんを悲しませたりしない」
そんな自身も無い癖に強がってしまう。それが男の子の意地ってものだ。
「だから、大丈夫」
もう一度言う。
すると佐倉さんは真剣な顔を崩し、いつもの花が咲きすぎたような笑顔を作る。
「うん! そこまで言うのならしょうがない!
私は貴方を信じましょう!」
そうして、ふふっと笑う。可愛い。
「最初から、貴方なら大丈夫だって思ってたしね!」
「お、おう」
「じゃ、そろそろ次の時間の準備をしないと」
そう言って、らんらんと歩き出す。
というか大事なことを聞き忘れた。
「放課後、俺はどこに行けばいいの?」
尋ねると、佐倉さんはくるりと振り向いた。
「えーと……たしか図書室!」
「たしかって……」
うろ覚えなのか……。
うーん、本当に美秋ちゃんを大切に思ってるのか不安になってきたぞ。
「まあ、もしもの場合は学校中を探し歩けばいいんじゃないかな?」
なにその探索方法!効率悪すぎ!
「流石にそれはちょっと……」
「頑張ってね!」
「はい! 頑張ります!」
は!つい条件反射で返事してしまった。
「よろしい!」
そう言ってまた歩き出した……かと思ったら、再び振り向く。
「ねえ、知ってる?」
いや、知らないけど。急にどうしたんだろ。
「私とみあちゃんって、好みが似てるの」
へえ、そうか。だから二人は仲がいいのかな?
「でね、私は一つ年上だからお姉さんぶって、
いつもみあちゃんに好きな物を譲ってたの」
おおう、なんだかドロドロ展開が始まりそう。
「へえ、それは偉いね」
でも、それは素直に凄いと思う。好きな物を我慢するって、辛いことだからな。
佐倉さんは俺の言葉を聞き、小さく微笑む。
「だから、みあちゃんには幸せになって欲しいんだ」
そしてまた歩き出す。
なるほど。とにかく佐倉さんは美秋ちゃんの事が大切だってことか。
うんうん、そういうことなんだろう……たぶん。
図書室の扉を開けると、一人の少女が目に入った。
彼女は窓辺に立ち外の様子を眺めていたようだったが、
俺が扉を開ける音に反応しゆっくりと振り返る。
夕日に映る影が、瞬く間に部屋の中を駆けた。
こちらを向いた彼女を見て、俺は一瞬誰かと悩んでしまう。
ピンで止められた前髪、それによって目元がよく見えるようになった。
深海のように黒く透き通った瞳。
見ているだけで現実感を失いフワフワとどこかに吸い込まれて行きそうになる。
夕日を受けうっすらと茜色に染まる頬、柔らかそうな唇。
眼鏡がないのと、三つ編みが後ろで一つにまとめられていたこと、
そしてなにより、纏う雰囲気。
それらの違いが彼女をより一層美しくさせていた。
「先輩さん……来てくれたんですね」
そこに居たのは、最終決戦仕様の美秋ちゃんだった。
まずい、夕暮れの図書室という状況も相まって、めちゃくちゃドキドキする。
今すぐ美秋ちゃんのところに瞬間移動して思う存分撫で回したい。
ま、まずいぞこれ。まだ夜には早いけど、狼になってしまう。
「あ、ああ。 当然だよ」
美秋ちゃんがふふっと小さく笑う。
それだけでフラフラします。
あ、あれ?なんだこの胸のときめき。
心臓の音がうるさい。全身が燃えたぎるように熱い。
なのに頭の中は嫌なくらいに静かで、
目の前の光景が現実の物で無いように思えてしまう。
「先輩さん」
そう言って美秋ちゃんはこちらに近づいてくる。
「ひゃ、ひゃい!」
思わず変な声が出てしまう。
だって急に近づいてくるんだもん、驚きますよそりゃあ。
「私、先輩さんに伝えたいことがあるんです」
俺の目の前で歩を止めた美秋ちゃんは、そう言って深呼吸をする。
「あ、ああ。 重箱だったら、教室に置いてあるから心配しないで」
「え? あ! す、すいません、ありがとうございます!」
そう言ってお辞儀をするが、下げきる前に俺の腹部に頭がクリーンヒット。
突然の衝撃に俺は後ろによろける。
三歩目で美秋ちゃんが俺を助けようと手を掴むが、
支えきれずに二人一緒に倒れ込んでしまう。
体育を真面目にやってて良かった。もし体育で柔道をやっていなければ、
俺は受身をとれずに負傷してしまっていただろう。
「う、うう」
でも、こんな時どうしたらいいのかは体育では教えてくれない。
いや、もしかして保健体育が役に立つ時が来たのか?
目の前にあるのは美秋ちゃんの顔。そして全身に感じる体温と柔らかさ。
頭を打ったわけでもないのに、クラクラとする。あ、なんかいい匂いもする。
美秋ちゃんはまだ焦点が合っていないようで、少しぼうっとしていたが、
俺と視線が合うと、大きな目をさらに大きくして驚いた。
「ふぇ! せ、先輩さん!?」
慌てて体を起こそうとするが、不思議なことに動くことが出来ない。
あれ?いつの間にか美秋ちゃんを抱きしめてた。
どうりで柔らかくて気持ち良いはずだ。
「ご、ごめん。 すぐに離すよ」
そう言って手を解こうとするが、美秋ちゃんは離れるどころか近づいてきた。
「先輩さん……」
体が蕩けるほどに妖しい声をだし、美秋ちゃんは顔を近づけてくる。
え、ちょ、ちょっと待って。まだ、心の準備が……
もう少しで唇が重なる。という瞬間、扉の開く音が響いた。
驚いてそちらを向くと、そこには――奈津美がいた。
「え、先輩?」
奈津美は少し戸惑っていたが、
これから夜の保健体育でも始めそうな様子の俺達を見て、目を見開き固まった。
まるで目の前で大切な物を壊されたかのような、そんな目だった。
「な、奈津美。 これは、その……」
言い淀んでいると、奈津美は少し怒った顔になって言った。
「貴方達が行為に及ぶのは自由ですが、場所は選んでください」
「ちょっと待て! 誤解だ!」
俺の弁明も聞かずに、奈津美は早足で出て行ってしまう。
くそ、どうしたらいいんだ。
「先輩さん」
美秋ちゃんの声が聞こえる。見ると、美秋ちゃんは柔らかな笑顔を浮かべていた。
「今の人が、先輩さんの好きな人なんですか?」
「え?」
間の抜けた声が出る。きっと今の俺は、馬鹿みたいな顔をしているだろう。
そんな俺を見て、美秋ちゃんはふふっと微笑む。
「先輩さん。 私は、先輩さんのことが好きです」
美秋ちゃんは思いを告げる。
どこまでも真っ直ぐで、純粋な気持ちを伝える。
なら、俺も自分の気持ちを真っ直ぐに伝えよう。
「ごめん、美秋ちゃん。 俺は君の思いに答えられない」
これが俺の答え。そして、今の気持ち。
「俺には好きな人がいる」
「はい」
美秋ちゃんは優しい表情で頷く。
「その人と、今を生きていたい」
「はい」
俺の頬に、冷たいものが当たる。
「だから、美秋ちゃんの思いには答えられない」
「はい」
美秋ちゃんはそれでも優しく微笑む。
そして目元を袖で拭うと、体を起こして立ち上がる。
「先輩さん、ほら、早く追いかけないと」
「うん」
美秋ちゃんに手を貸してもらい立ち上がり歩きだす。
「先輩さん!」
開けっ放しだった入り口の所で立ち止まる。でも、振り返らない。
「その……頑張ってください!」
「おう! 頑張る!」
そう言って俺は走り出す。大切な人の元へ。
一秒でも早く、その場所へ。
さて、カッコよく飛び出してきたはのはいいけど、
いったい奈津美はどこにいるんだ?もしかして、もう帰ってしまったのか?
考えながら走っていると、曲がり角から見覚えのある野郎が出てきた。
「どうやらお困りのようだね」
「薔薇!」
足を止める……のは無理でした。
「危ない!」
あわや衝突か。というところで、俺の体はメイドさんに止められる。
「危ないところでございました」
「アイリスさん!」
アイリスさんは「ふう」と息を吐き俺の体を解放する。
「あ、ありがとうございます」
「いえ、主人を守るのもメイドの務めでございますから」
無表情で言う。俺は関係ないのね。
「ありがとう、アイリス」
「い、いえそんな……当然のしたまでです」
ほんのりと頬を赤く染める。おいこら、反応が違いすぎるぞ。
「さて、君は七海さんを探しているんだよね?」
「何故それを知ってる」
まさか見てたのか?ストーカーか?
「ハハハ、そんな妖しい目で見ないでくれよ」
「怪しい目で見てるんだよ」
その字だと色々と誤解を生むから。
「安心してくれ。 僕達はただ、七海さんが走り去って行くのを見ただけだから」
「どこでだ!?」
自分でも驚く程の速さで薔薇に詰め寄る。
「そんなに慌てないでくれよ。 アイリス、あれを」
「かしこまりました」
アイリスさんはどこからか小さなトランシーバーのような物を取り出す。
「なにそれ?」
尋ねると、薔薇は爽やかに笑う。
「ああ、ただ事じゃない様子だったからね。
黒服に彼女を追ってもらったんだよ」
「ソウルメイトが!?」
じゃあ、これであいつの居場所が分かるのか!
「今、彼女はここに居ます」
通話を終えたアイリスさんが、トランシーバーを操作して地図を見せる。
最近のトランシーバーって便利だな。
「よし! ありがとう、薔薇、アイリスさん!」
「ハハハ、愛する君が幸せになってくれることが、僕の幸せだからね」
俺は別に愛してはいないけど、その気持ちは嬉しい。
「ありがとう」
もう一度言って、走り出す。
後ろから「頑張れ」と言う声が聞こえた。
走ること数分。やっとのことで黒服さんを見つけることができた。
「お疲れ様です」
俺が声をかけると、黒服さんは気にするなと言った様子で手を上げる。
「で、奈津美はどこですか?」
尋ねると、あっちと指を差す。
その先を見ると、奈津美がトボトボと下を向いて歩いていた。
「ありがとうございました」
一礼をすると、黒服さんは手をヒラヒラと振って去って行った。
ありがとう、ソウルメイト。心でもう一度お礼を言う。
さて、ここからが正念場だ。
顔を両手で叩き気合を入れる。目をつぶり、深呼吸を……
「てめえ、どこ見て歩いてんじゃゴラァ!」
「そうだぞゴラァ!」
しようとしたら邪魔が入る。聞き覚えがあるぞ、この声。
声がした方を見ると、予想通りレトロヤンキー達だった。
絡まれているのは……奈津美!?
「黙ってんじゃねえぞゴラァ!」
「そうだぞゴラァ!」
奈津美は激おこなレトロヤンキー達を無視して通り過ぎようとする。
が、レトロヤンキー達の進路妨害を受ける。
「どいてください」
「ああん、てめえなに舐めた口聞いてんだよゴラァ! まず謝れやゴラァ!」
「そうだぞゴラァ!」
しかし奈津美は動じない。
「はいはいすいませんでした。 これでいいですか?」
「いいわけあるかボケェ!」
「そうだぞボケぇ!」
うわあ、奈津美さん煽り過ぎですよ。
「はあ……じゃあ、どうしたらいいんですか?」
奈津美がそう言うと、レトロヤンキーボスは少し考える。
「そうだなー。 じゃあ、俺達とちいっとばかし遊んで貰おうか」
「ゲヘヘ」
奈津美はやはり動じない。メンタル強すぎだろ。
「はあ? 嫌に決まってるじゃないですか。
貴方達のような古臭い不良なんかと一緒に居たくありません」
昭和が伝染ります。そう言ってあからさまに嫌そうな顔をする。
流石にそれは言いすぎだろ!レトロヤンキーさん達だって頑張ってるのに!
ほら、悲しくてプルプルと震えてらっしゃる。
「う、うるせえ! いいからこいや!」
そう言って、レトロヤンキーは暴力に訴えようとする。
てか、なんで俺はこんなところで見てんだよ!
走り出す。
「俺の女に、」
そして、飛ぶ。
「手ぇ出すんじゃねえ!」
横からドロップキックをレトロヤンキーボスに食らわせる。
突然現れた俺に反応できず、まともにくらったヤンキーボスは
手下達を巻き込みボウリングのピンのように崩れる。
そして俺は華麗に受身をとる。やっぱり体育ってすげぇや。
「せ、先輩!?」
すぐに起き上がると、驚いている奈津美の手を取り駆け出す。
「逃げるぞ!」
後ろは振り返らずとにかく走る。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
手を振り解こうとする奈津美。
でも、離れない。離さない。もう二度と。
公園のベンチに座り息を整えていると、首筋に何か冷たい物が当てられた。
「ひゃう!」
突然のことに驚きおかしな声を上げてしまう。
思わず振り返ると、奈津美がペットボトルの底をこちらに向けていた。
「どうぞ」
グイグイと頬にペットボトルを押し付けられる。
体が火照っているとは言え冷たい。
「どうも」
それを受け取り、一息に飲み干そうとする。そして吹き出す。
炭酸が喉を溶かし尽くそうと暴れ、さらに鼻腔まで刺激する。めちゃくちゃ痛い。
「コーラかよ!」
「あれ、炭酸苦手でしたっけ?」
「いや、別に苦手ではないけど……」
てっきり水かスポーツドリンクだと思って一気飲みしたから、
炭酸で喉が焼けそうになった。てか、絶対わざとだろ。
「それで? なんの用ですか、先輩。
美秋さんとの行為は終わったんですか? 随分と早いんですね。
それとも、先輩が役立たずだったんですか?」
奈津美は拗ねたような表情になる。
俺は早くもないし、ちゃんと現役で使えるからな。そこは誤解しないように。
「女の子があんまりそういう事を言うもんじゃない。 はしたないぞ」
「それは男女差別ですか? 女の子は下ネタを言ってはいけないと、
そう言うんですか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
拗ねてる奈津美さん面倒臭い!驚く程に面倒臭い!
「だいたい、あんな所でやろうとするなんて非常識すぎます」
「だから、変なことをしようとしてた訳じゃなくて……」
「じゃあ、あれはなんだったんですか? なにをしようとしてたんですか?」
声に苛立ちを感じる。お怒りのようだな、分かってたけど。
「なにもしようとしてない。 転んだらあんな体勢になっただけだ」
弁明しても、奈津美はまだ疑いの眼差しで見てくる。
「それに、俺は美秋ちゃんの告白を断った」
キッパリとこう言うと、奈津美は目を大きく開いて驚いた。
「えっ……ど、どうしてですか?」
顔をずいっとこちらに寄せて聞いてくる。
久しぶりに見たな、こいつがこんなに慌てるの。
「好きな人がいるから」
近くにある奈津美の目を見つめる。
「俺が今好きな人が、一緒に居たい人が居るから……だから断った」
そう言うと、奈津美はうつむき地面の方に視線を向けた。
「それって……誰ですか? 先輩が、好きな人は誰ですか?」
垂れた前髪から覗く顔は、とても寂しそうだった。
「分からないか?」
「分からないですよ……。 もしかして、佐倉先輩ですか?」
確かに好きだけど、こう、なんて言うんだろう。
アイドルを好きになるような感じなんだよな。
「違う」
「じゃあ、誰なんですか?」
本当に分からないんだろうか?
答えを言う前に、大きく深呼吸をする。
そして姿勢を正して相手を真っ直ぐに見つめる。
辺りが妙に静かで、心音がよく聞こえる。覚悟を決めて口を開く。
「俺は――奈津美が好きだ」
これが俺の今の気持ち。俺は今、誰よりも奈津美が好きだ。
「えっ……」
奈津美は顔を上げ、信じられないといった表情でこちらを見てくる。
「もう一回言うぞ。 俺は、奈津美が好きだ」
「え、でも、そんな……」
まだ困惑している奈津美に一歩近づき、こちらに抱き寄せる。
そして、もう一回。
「好きだ」
思いを伝える。そして奈津美を抱きしめる手に力を入れる。
すると、奈津美も俺の背に手を回し、こちらを見上げる。
その目には、涙が溜まっていた。
「答えを聞かせてくれないか?」
奈津美は未だ涙の残る顔で笑顔を作り、返答する。
「私も……私も、先輩のことが好きです」
そう言って俺の腹でわんわんと泣く。
この日、晴れて俺達は恋人となった。
次の日、俺が眠たい目をこすりながら階段を降りると、
聞いてると脳みそが蕩けるような妹の声と、聞き覚えのある声が聞こえた。
もっと言うと、昨日俺の腹でむせび泣いた人の声だ。
リビングの扉を開けると、予想通りそこには妹と奈津美がいた。
「何故お前が居る」
奈津美は俺の声を聞いてこちらに気づいたようで、「あ、おはようございます」
などとのんきに挨拶をした。
「おはよう。 さて、俺の質問に答えようか」
「全く、そんなこと決まってるじゃないですか。 それは……」
「お兄ちゃんの彼女だから!」
妹の雪美が元気に答えてくれる。
「答えてくれてありがとう。 でもお前には聞いてない」
「ぶうー、なんだよそれー」
豚みたいな声で抗議する雪美。ツインテールをブンブンと振って威嚇してやがる。
よし、無視しよう。
「なるほど。 ちょっと待ってくれ、いま支度するから」
「40秒で支度して下さいね」
「キツすぎんだろ!」
母が用意してくれていた朝食を食べる。
ちなみに家は夫婦共働きで、両親は早くに仕事に行くので朝は居ないことが多い。
急いで洗面台に行き歯を磨き顔を洗う。
そしたら部屋に戻り制服に着替える。
ドタドタと音を鳴らしながらそれらをこなし、再びリビングの戸を開ける。
「よし! 行こうぜ」
「はい、行きましょうか」
妹に見送られて家を出る。
「可愛い妹さんですね」
しばらく歩いたところで、奈津美がこんなことを言う。
「だろ? 俺の自慢の妹だ」
いや、本当に。あいつは文武両道というやつで、
少々面倒臭い性格をしている所を除けば完璧だ。
「まさか先輩、妹ルートに入るつもりですか?」
「何故そうなる!」
いや、それは無い。マジでない。本当に無い。
「冗談です」
無表情で言われると冗談に聞こえないんだよ。
「そういえば奈津美」
「はい?」
「手、繋がないか?」
「はい!?」
いや、恋人といえば手を繋いでいるイメージがあったから。
「ほい、シェイクハンズ」
手を差し出す。
「し、仕方ないですね。 先輩がしたいって言うんなら
してあげない事もないんだからね」
そう言って奈津美は俺の手を取る。何故ツンデレ風?
「……先輩の手、大きいですね」
「奈津美の手は小さいな」
身長が小さいから必然的にな。
「いい加減、出るとこ出ますよ」
「確かに出るところは出てるな」
胸とか。
あ、すいませんでした。謝りますからそんなに睨まないでください。
「はあ、なんでこんな人を好きになってしまったんでしょう」
「それは俺も知りたいな」
本当に、どうして奈津美は俺を好きになったんだろ。
「それは……まあ、どうでもいいじゃないですか。
大切なのは、私が今先輩を好きだということです」
「うーん。 まあ、そうなのかな」
「そうですよ」
奈津美さんが言うんだったらそうなんだろうな。
「あ、もう一つ大切なことがありました」
「なに?」
「先輩の気持ちです」
「俺の気持ちは変わってないけど」
「じゃあ、それを証明してください」
好きという気持ちを証明するなんて、難し過ぎる。
「証明するって言ったって、どうしたらいいんだ?」
すると奈津美は足を止めて俺と向き合うように立つ。
一つに縛った髪が揺れ、桜の花びらが舞う。
「キスしてください」
「へ?」
キス?接吻?え、してもいいの?
奈津美は聞こえなかったと思ったのか、俺に近づきもう一回言った。
「私と、キスしてください」
そう言って奈津美は目を閉じ、背伸びをする。
薄紅色の唇に目がいく。
周りを見渡すが、人の姿は無い。まさに絶好のタイミング。
し、してもいいんだよね?半信半疑のまま奈津美の唇と自分の唇を近づける。
高鳴る心臓。重なる唇。柔らかい感触。甘い香り。
たっぷり一分ほど楽しんでから唇を離す。
奈津美は顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「あ、ありがとうございました」
むしろお礼を言いたいのはこっちの方です。
真っ赤な顔を上げて、奈津美はこちらを見る。
「これからも、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに礼をする。
奈津美が好き。それが俺の今の気持ち。
その気持ちがずっと続くのか、はたまた、続かないのか。
いや、もしかしたら奈津美に愛想を尽かされるかもしれない。
未来は分からないけれど、いつかは訪れるものだ。
だから、その時に笑っていられるように努力をしよう。
奈津美と一緒にいる――未来の為に。