冬は寒いですね。 ところで、メイドさんは好きですか?
靴箱を開けると、なにか白い物が入っていた。
まさか……これは。急いでそれを手にして確認する。
見ると白い封筒に薔薇の封蝋がしてあり、
ラブレターというよりは招待状みたいだ。でも、宛名にはこう書いてある。
「愛しい貴男へ」
うーん。ひとまずこれはラブレター(仮)としておいて先を急ごう。
もう始業のチャイムが鳴り終わってしまった。
昼休みになったので、俺は1年C組の教室に向かっていた。
最近は薔薇の奴のせいで行けなかったのだが、
今日はあいつが休みなので、久しぶりに可愛い後輩と一緒に
昼食を食べることができる。ああ、わくわくする。
最近会ってなかったからな、きっと寂しがってデレてくるな。げへへへ。
考えているうちに目的の場所に到着。扉を開けて嫁の名を叫ぶ。
「オラーー! 七海 奈津美と言う奴は居るかゴラーー!」
「なんでカチコミにきたヤンキーみたいなんですか」
見ると、すぐ近くに嫁が居た。
「おお、そこにいたのかマイハニー」
「やめてください、気持ち悪い」
突然の大声に静まり返った教室だったが、
俺が来たのだとわかると、なんだあの人か、といった様子で
すぐに元通りになった。中には、
「お久しぶりっす、先輩」
「チィ-ス先輩」
「噂の彼氏とはどうですか? 先輩」
と声をかけてきてくれる後輩もいた。
最後の奴にはチョップ(なでぽ)を食らわせておいた。
可愛い子だったから、これで俺にメロメロになるだろう。
「みんなの適応力が高すぎて恐怖を感じます……」
そう言って溜息を吐く奈津美だったが、
すぐに俺に向き直って聞いてきた。
「それで、なんの用ですか?」
「昼を一緒に食おうと思ったのと、これだ」
そう言って例のラブレター(仮)を取り出す。
「これを一緒に読んで欲しい」
嫌な予感がしたのでまだ読んでなかったのだ。
「これは……手紙、ですか?」
「そう、手紙だ。 でも、ただの手紙じゃない。
この中に書かれた内容によっては、俺が絶望する」
「それはそれでいいじゃないですか」
「怪物を生み出したらどうするんだよ」
「そうなったら私が滅ぼしてあげます」
「お前……いつの間に魔法使いになったんだ」
まあ、それなら大丈夫だろう。という訳で
「読むか」
手紙に書かれた内容をまとめると、
俺はあの糞イケメン野郎の家に見舞いに行かなければいけないらしい。
もちろん手紙はダストシュートした。俺は大変ご立腹だ。
ドキドキを返せと声を大にして言いたい。
「先輩、行くんですか?」
「行くしかないだろう」
「やっぱりホモじゃないですか」
「違う!」
俺が奴の家に行こうと決めた理由はただ一つ。
メイドさんに会うためだ。なぜメイドさんがいると分かったのかって?
それは手紙の最後にこう書いてあったからだ。
「貴男様がお越しになるのを、メイド一同と共に楽しみにしております」
メイド一同だぜ!?つまりメイドさんがたくさんいるって意味だぜ!?
これは行くしかないだろう!
「俺はメイドさんと仲良くなってメイドさんハーレムを築いて
メイドさんに囲まれて暮らしメイドさんに看取られて死ぬために
奴の家に行くのだ」
ついでに身の回りのものはハンドメイドのメイドインジャパンの物で揃える。
「はぁ、そうですか。 頑張ってくださいね、先輩」
「おう、頑張る」
そう言って俺は弁当に箸を進める。
「ところで奈津美、その卵焼き美味しそうだな」
「でしょうね、私が作ったんですから」
「一つくれ」
「あと一つしかありませんが」
「そうか、ちょうどいいな」
口を開き、あーんの状態になる。
「しょうがないですね。 じゃあ、恥ずかしいから目をつぶっていてください」
「マジで?!」
うっそ、やった、こんな幸運があっていいのか!
ああ、奈津美のうさちゃん模様がついたお子ちゃま箸が輝いて見える。
「じゃあ行きますよ」
「バッチコイ!」
まぶたを固く閉ざす。
俺はこの日の為に生まれてきたんだな。
「あーん」
ハニーの声が聞こえる。
あ、唇に何か当たった。本当にあーんしてるんだな、俺。
夢にまで見すぎて妹にしてくれと頼んだら一ヶ月間まともに口を
聞いてくれなくなった、あの、あーんを俺はしているのか。
全身が熱くなり、手が汗ばむ。
思考がうまく働かず、様々なことが浮かんでは流れていく。
「あ、あーん」
さらに大きく口を開くと、そこに何かが入ってくるのが分かった。
反射的に口を閉じると、二本の棒が唇に挟まれる。
奈津美がそれをゆっくりと引き抜いていく。
後に残ったのは、痛みだった。
思わず咳き込む。それでも痛みは引かず、なんと鼻まで登ってきて俺を苦しめる。
目を開けると、右手に箸を持った奈津美が何食わぬ顔でこちらを見ていた。
「お、お前、これ何だよ!?」
「七海家名物わさび巻きです」
何だ名物?!
「母がこういう創作料理を作るのが好きで、よく私のお弁当に入れるんですよ。
それが嫌でいつもは自分で作ってるんですけど、
今日は時間がなくて母の助けを借りたらこんなものを入れられてしまって、
どうしようかと困っていた所だったんです」
ありがとうございます、先輩。そう言って奈津美は笑顔を見せる。
ぐぬぬ、
「まあ、いいだろう。 あーんはできたんだし」
関節キッスもしちゃったし。
「あ、先輩。 箸、返しますね」
そう言って茶色い箸を渡してくる。
「俺のだったのかよ!」
ぐぐ、それでもあーんはしたし。
「それと、安心してください。あーんは彼がしてくれましたから」
なつみが指差す先にいたのは、筋肉隆々のナイスガイ。
「うす、先輩。 どうでしたか? 俺のテクニックは」
「うわーん! 奈津美の馬鹿! もう知らない!」
奈津美が何かを言いかけていたが、俺は構わずに教室を飛び出す。
何だよあーんのテクニックって、あーんにテクニックなんかあんのかよ。くそが!
流れ出る涙が線を作る。もう、誰も信じられない。
やりすぎたかな。先輩が走り去った後、私は少し後悔した。
だけど、話を最後まで聞かないあの人も悪いのだ。
左手に握っていた、うさぎの絵が付いたお気に入りの箸を見て溜息をつく。
「帰ったら殺菌消毒しないと」
あ、お弁当箱忘れて行ってる。しょうがないな、後で届けてあげよう。
夢中で走っていると、いつの間にか屋上に出ていた。寒いので、人の姿は見えない。
さてどうしよう、弁当を置いてきてしまった。
走ってスッキリしたせいか、奈津美への怒りはすっかり消えていた。
だが、あんなことをした後なので教室には入りにくい。
しょうがない、弁当箱は諦めるか。
それにしても寒い。いつまでもこんな所にいては風邪をひいてしまう。
さっさと自分の教室に戻るか。
「あ、ここにいたのね」
扉を開けた瞬間、階段からお美しい声が聞こえた。
聞き間違えるはずがない、この声は、
「さ、佐倉さん?」
「うん、そうだよ」
学園のアイドル、佐倉 春香さんだった。
「ど、どうしてこんな所に?」
突然の出会いに声が上ずってしまう。
「貴方が泣きながら走っていくのが見えたから、心配で……」
流石に美少女は心まで綺麗だ。YBS!(やっぱり美少女は凄い!)
「心配してくれてありがとう。 でも、大丈夫だよ」
「本当に?」
上目遣いで聞いてくる佐倉さんが可愛い過ぎて今すぐ抱きつきたい。
「うん! 大丈夫!」
そう言ってサムズアップする。
「うーん、でも、何かあったら言ってね。 相談に乗るから」
「無料で?」
「お金なんて取らないよ」
頬を膨らませる佐倉さん。
現実でやる人初めて見たけど想像以上に可愛いな。やっぱり元がいいからか。
「冗談だよ、冗談。 マイケルだよ」
「ジョーダン?」
佐倉さんはそう言って、ふふ、と軽く笑うと、何かを思い出したように言った。
「あ、そうだ。 私、薔薇の家にお見舞いに行こうと
思ってるんだけど、一緒に行かない?」
おお、これはちょうどいい。
「偶然だね、俺も行こうと思ってたんだよ」
大勢のメイドさんと佐倉さん。なかなかの理想郷だ。
「やった! じゃあ、また放課後にね」
じゃあねー、と手を振りながら佐倉さんは走っていった。
ああ、今日はいい日だな。
ああ、天にまします我らが神よ。私が一体何をしたというのでしょうか。
私は生まれてこのかた悪事なんぞには手を染めず、常に善良であろうと努めてきました。
なのに何故、あなたはこのような罰を私にお与えになるのでしょうか。
目の前には、モップを手に戦闘態勢を取るメイドさん、
無表情のまま、目は俺を射殺すように睨んでいた。
どうしてこうなった。俺は考える。
放課後、俺は一人でイケメンの家に向かっていた。
佐倉さんが急な用事が入ったとかで行けなくなったからだ。
まあ、しょうがないと自分を納得させながら歩いていると、尿意を覚えた。
その時は、大丈夫だろうなんて楽観的に考えていて、
お見舞いの品を買うために寄ったコンビニでトイレを借りなかった。
くそ、プリンとゼリー、どっちの方がメイドさんは喜ぶかな、
なんて悩んでいた自分を殴りたい。
結局、そこでは杏仁豆腐を買い、イケメンの家に向かった。
手紙に書かれていた地図に従い歩いていると、とんでもない家が見えてきた。
噴水がある広い庭、大きな洋館。絵に書いたような豪邸がそこにはあった。
あれ、この地図間違ってるんじゃないか。
そう思っていると、突然、横から声をかけられた。
「薔薇様のご学友の方でしょうか?」
そちらへ向くと、メイド服を着た美人がいた。
流れる金髪に、ミルクのような白い肌、切れ長な目の中に輝く翡翠の瞳。
そして何よりも存在感を放つ胸。大きい。
「あ、はあ、そうです」
思わぬ遭遇に驚き、気の抜けた返事になってしまう。
「ではこちらへ」
そう言って俺を玄関まで案内してくれた。
家の中に入ると、その広さに改めて驚いた。
そんな俺を尻目に、
「こちらです」
と、さっさと歩いて行ってしまうメイドさん。
「え、あ、ちょっと待ってくださいよ」
そう言って慌ててメイドさんを追いかける。
異常に長い廊下を歩いていくと、一つの部屋の前でメイドさんは足を止めた。
「こちらの部屋で薔薇様がお待ちです」
あ、そうか。俺はイケメンのお見舞いに来たんだったなと仮の目的を思い出す。
「あ、はい」
とおとなしく扉を開けると、その部屋にはイケメンどころか、家具が一つもなかった。
その異常に驚いていると、突然の衝撃が俺を襲った。
そのまま重力に従い床に倒れこんでしまった。
なんだ、と思い仰向けのまま首だけを後ろに向けると、
メイドさんが殺意のこもった目でこちらを見ていた。
「これは……どうゆうことですか?」
聞いてみると、以外にもメイドさんはこの質問に答えてくれた。
「貴男様が生きておりますと、薔薇様の
今後の人生に支障をきたしてしまいます」
ですので、と彼女は続ける
「貴方様にはここで消えていただきます」
そう言ってどこからかモップを取り出すメイドさん。
足を震わせながらも立ち上がる俺。
そして今に至る。
まずい、足の震えが止まらない。決してメイドさんが怖いわけではない。
むしろメイドさんにやられるなら本望だ。どっちのやられるでも。
では何故、足が震えるのか。そう、トイレに行きたいからだ。
正直、家に入った位から危ないと思っていた。
「あ、あのー、トイレに行ってもよろしいでしょうか」
「いけません。 そのようなことを許したら、
貴方様はわたくしから逃げてしまうでしょう?」
「いえ、むしろずっと一緒に居たいです」
「何をおっしゃっているんですか」
プロポーズを無表情で受け流される。悲しい。
「と、とにかく。 一回でいいのでトイレに行かせてください」
お願いします、と土下座する。もう漏れそうなんだ。なりふり構っていられない。
頭を地面に擦り付けていると、メイドさんの溜息が聞こえた。
「このような男に、薔薇様は好意を寄せていらっしゃるのですか」
もう一度溜息をついて、彼女を言葉を続ける。
「分かりました、頭をお上げください」
この言葉を聞いた瞬間、俺はすぐさま頭を上げた。
そして、気づいたら吹き飛んでいた。
地面に思いっきりぶつかり、少し滑ってから体は止まる。
そして、遅れて痛みがやってくる。
「痛ってーーー!」
全身を襲う激痛に、獣のように叫び散らす。心なしか股が冷たい気がする。
「いくら大声を出していただいても構いませんよ」
メイドさんの声が聞こえ、うずくまりながらそちらを伺う。
「どれだけ叫んだところで人は来ませんからね」
「そ、それは、どうゆう、意味ですか」
肺がまだ上手く機能していないのか、息がうまくできない。
「この家は大きいですから、使われていない部屋がいくつもあるのですよ。
そしてこの部屋は、わたくしが掃除をする時を除いて
人が来ることはありません。
そのうえ、普段、薔薇様や旦那様が使われているお部屋からも、
使用人部屋からも、最も遠いんです」
ですから、誰かに声が届くことも、誰かが来ることもありえません。
そう言って、うっすらと笑みを浮かべる。
初めて見た彼女の微笑みは、とても妖しくて、冷たくて、蠱惑的なものだった。
「あ、あの、俺がいると薔薇の
人生に支障が出るって、どうゆうことですか」
とっさに言葉を投げかける。少しでも時間を稼ごうと考えたのだ。
何の役に立つかは分からないけど。
「薇様が貴方様に振り向いていただこうと、
努力しておられるのはご存じですよね」
それは知っている。なんたって俺が奴に言ってしまったことだ。
「それがいけないのです。 貴方様のような無駄な者に使う時間など、
紅家の跡取りたる薔薇様には必要ありません」
ははん、なんとなくわかってきたぞ。
つまり、あのイケメンはいずれはこの家の仕事を継ぐ。
だからその為の勉強をしなければいけない。
でも俺を追いかける事に熱心になっているあいつはその勉強をしていない。
それがこのメイドさんは気に入らない。
だからその原因の俺を消す。そしたらイケメンは以前のように戻ると。
そう思っている訳だこのメイドさんは。
「ですので、薔薇様のためにも、貴方様にはここで死んでいただきます」
随分と直接的な表現になったな。でも、彼女は一つ勘違いをしている。
「メイドさん、あのイケメン野郎のために俺を殺そうと
思ってるんだとしたら……それは間違いだ」
「どうゆうことですか」
お、食いついてきたな。
「だから、あなたの言った事は間違いだって言ってるんだよ」
今の俺はとても自信に満ちた表情をしているだろう。
「ですから、それはどうゆうことかと伺っているんです」
なぜなら、今までの奴の行動を一番近くで見ていたのが、俺だからだ。
悔しいことにな。
「もしも俺を殺したら、あいつは……自殺しますよ」
「な!」
メイドさんの無表情が、驚きに変わる。
「あいつは俺が好きだ。 俺に振られたからって死を選ぼうとするくらい好きだ。
そんな奴が、俺が死んでからも生き続けていられますかね?」
自分で言ってて悲しくなってくる。
なんで俺が奴の愛の深さを語らなければいけないのか。
「だからね、俺を殺すということは、薔薇を殺すということなんですよ!」
そこまで言い切って俺は顔を伏せる。
もうマジ無理、早くトイレに行って帰りたい。
「では、わたくしは……わたくしはどうしたらいいんですか!?」
え、メイドさん泣いてる?
「わたくしは、わたくしは、薔薇様のためを思ってこのような事をしました。
ですが、貴方様が薔薇様にとってそこまで大きな存在だったなんて……
では、どうしたら薔薇様は貴方様を諦めてくださるのでしょうか?
どうしたら元に戻ってくれるのでしょうか?」
泣きながら訴えてくるメイドさん。
でも、その答えを出すのは俺じゃない
「だろ、薔薇」
そう言った瞬間、扉が開き、一人の男が現れた。
「ああ、そうだね。 これは……僕の問題だ」
そこには、頭に冷えピタを付けたパジャマ姿の紅 薔薇がいた。
いや、もっとまともな格好してこいよ。
「そ、薔薇様」
突然現れたイケメン野郎に、メイドさんは慌てる。
「アイリス、もうやめるんだ」
イケメンは一瞬で状況を察したようで、メイドさんを止める。
名前、アイリスって言うのか。うん、いい名前だ。
「で、ですが、これは薔薇様のためでもあるのですよ!」
「やめなさい、その人が死んだら……僕は生きてはいけない」
うわ、まさか本当に俺の事をそこまで好きだなんて。
「で、ですが! 貴方様はこの紅家の跡取りなのですよ!
そのようなお方が、このような男にうつつを抜かし勉学をおろそかにするなど、 あってはなりません」
「アイリス、僕はね、彼に出会うまでは……この家を継ぐのが嫌だったんだよ」
「え?」
「家や格式、そんな物にがんじがらめにされて不自由に生きるなんて……
そんな人生は嫌だった。つまらないと思っていた。
でも、父様やお爺様に逆らう勇気もなくて、
毎日機械のように家庭教師に出された課題をこなした」
とても苦しかったよ。そう言ってイケメンは表情を曇らせる。
「そしてある日、彼に会ってこう言われたんだよ
『つまらないと思うんだったら、面白く変えればいい』と」
うーん、俺は言った覚えはないが。一時期、高杉晋作にはまっていたからな。
もしかしたらそんな感じの事を言ったのかもしれない。
てか、そんな言葉一つでこんなに人を好きになれるもんなんだな。
YKS!(やっぱりイケメンって凄い!)
「それ以来、僕はこの家を変えるための力をつけようと、努力して来たつもりだ」
「しかし、今回風邪をひいたのだって、
彼へのクリスマスプレゼントに真っ赤なマフラーを贈るんだって言って、
毎晩寝ずにマフラーを編んでいたからですよね?」
何それいらない。
「それは僕の体調管理が甘かったからだ、彼は関係ない」
「ですが! 今後も同じような事が起こるかもしれません!」
「大丈夫だよ」
そう言ってイケメンはアイリスさんを抱きしめ、耳元でこう囁く
「僕を信用できないのかい? アイリス」
すると、アイリスさんは赤い顔をして、
「shameless!」
と言って走り去ってしまった。
「主人にむかって随分と失礼なことを言うな、あの子は」
そう言ってからイケメンはこちらを向く。
「済まなかったね、立てるかい」
そう言ってイケメンが差し伸べた手を、俺は取らずに自力で立ち上がった。
「大丈夫だ。 この程度の傷、妹との喧嘩じゃあ
しょっちゅう付けられてるからな」
あいつ、俺が胸を揉んでいる隙に無茶苦茶引っ掻いてくるからな。
「そうかい」
そう言ってイケメンは爽やかに笑う。
「じゃあ、俺は帰るぜ」
あ、そういえばお土産の杏仁豆腐どこにやったっけ?まあいいか。
「うん、また月曜日に会おう」
そう言って俺たちは手を振り会った。
ところで、どうして俺の股はこんなに冷えるんでしょうね。
翌日、借りたズボンと下着を返すために、相変わらずうるさい妹を
体当たり(ラッキースケベ)で黙らせてから、
俺はイケメンの家に向かっていた。
歩いていると、見覚えのあるメイドさんの姿があった。
「おはようございます、アイリスさん」
そう言って声をかけると、アイリスさんはこちらを向いた。
「ああ、貴方様でしたか。 おはようございます」
わざわざ体をこちらに向け、直角に礼をしてくる。流石メイドさん、礼儀正しい。
「あの、わたくし、貴方様に謝罪しなければなりません。
昨日はあのような真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」
そう言って、これまた直角に頭を下げる。
「ああ、気にしないでください。 特に大きな怪我もありませんでしたし」
これは本当だ。当たり所が良かったのか、後に残るような怪我はしなかった。
「しかし……」
それでも、申し訳なさそうな顔をするアイリスさん。
「ああ、そうだ。 じゃあ一つ頼み事をしてもいいですか」
「はい、なんでもお申し付けください」
なんでもか、夢が広がるな。でも、ここではかっこつけよう。
「これを薔薇に渡してください」
そう言って、ズボンと下着が入った紙袋を渡す。
「これは?」
「薔薇に借りてたものです。 今から返しに行くつもりだったんですけど、
急な予定が入ってしまって」
少し間を置いて、言葉を続ける。
「だから、これを薔薇に渡してくれたら全部チャラと言うことで」
どうですか?そう言って不敵に笑う。
すると彼女は、ふふっと小さく笑って、こう言った。
「はい、確かに承りました」
普段が無表情なだけに、笑うと何倍も可愛く見える。
「そうだ、あれから薔薇はどうですか?」
一応聞いてみる。
「薔薇様は、恋も跡取りとしての勉強も両立してみせる、
と張り切っておられましたよ」
「それでアイリスさんは納得してるんですか?」
そう聞くと、アイリスさんは自信に満ちた表情をした。
まあ、無表情なんだけどな。なんとなくそんな感じがした。
「主人を信じ、助けるのがメイドの務めですから」
そう言うと、アイリスさんは何かを思い出したようで、こんなことを言ってきた。
「あ、そういえば。 わたくしも、貴方様にご相談したいことがありまして」
「なんですか?」
「薔薇様へのクリスマスプレゼントをご用意しようと思ったのですが、
それにはどうしても貴方様のご協力が必要でして」
「ああ、いいですよ。 なんでも言ってください」
美人のメイドさんの頼みだ、よーし、パパ張り切っちゃうぞ。
「ありがとうございます。 では……四肢を切断してください」
「え? なんで?」
素で驚いた。何を言ってるんだこの人。
「いえ、薔薇様へのプレゼントに貴方様を抱き枕にして贈ろうかと思いまして」
「え、それでなんで四肢切断?」
そもそも何で人間抱き枕を贈ろうと思ったのか。
「そうした方が抱きしめやすいですし、逃げ出す心配もありませんから」
「あ、すいません。 用事があったの思い出したんでもう行きますね」
走り去ろうとするが、肩を掴まれてしまう。くそ、力が強くて逃げ出せない。
「い、いやー、 流石にそれは無理ですわよアイリスさん」
「この国では男に二言は無いと聞きました」
「いや。 俺、漢じゃないんで」
嘘は言ってない。わたくしめはチキンですゆえ。
「とにかく無理です!」
そう言って彼女の手を振り払い、走り出す。
「お待ちください」
そう言って追いかけてくるアイリスさん。
「嫌だーーー!」
その後、イケメンの家に逃げ込んだ俺は無事に保護されました。
あの時はイケメンがとてつもなくカッコよく見えた。
思わず、あ、この人になら掘られてもいい、と思ってしまうくらいだった。
は!もしやアイリスさん、これを狙ったのか。恐ろしい人。
とにかく、俺にもメイドさんの知り合いができました。終わり。