夏は出会いの季節
事件の始まりは6限終了間際だった。
それまではいつもどうり、朝起きて、朝食を食べて、学校に行き、
授業を受ける、そこまでは順調だったのだが、
授業終了10分前、急に下半身が暴れだした。
けっして下ネタなどではなく、笑い話でもない。
膀胱から何かが出てきそうな感じ、そわそわと落ち着きを失わせるそれは、
そう、それは尿意だった。
しかし、その時はそこまでの危機感は感じてはいなかった。
あと少しで授業も終わるし、大丈夫だろうと高を括っていた。
悲劇の序章は授業終了3分前に幕を上げた。尿意の波には
大きい時と小さい時がある。そう、この時、尿意のビックウェーブが来たのだ。
あと3分が非常に長く感じる。時間の流れというものは非情なもので、苦痛に感じる時間ほど
長く感じる。どうしよう、トイレに行きたい。
我慢しよう、俺は我慢強い子だと三丁目の拓哉さんが言っていた気がする。
拓哉さんを信じろ、俺。などと考えていると、チャイムが鳴る。
あぁ、やっと終わった。授業の終わりを告げるチャイムが、まるで
見事この悲劇を打ち破った俺を祝福するかの如く鳴り響く。
授業が終わると、悠然とトイレに向かい歩き出す。正直、この時は波が小さくなっていて余裕があった。
しかし、そんな余裕を打ち砕く出来事が起こる。トイレのドアに貼ってある
「断水」の文字。広がり始めた尿意の波。
終わったと思っていた悲劇が、再び幕を上げた。
走る、走る、走る。階段を飛び降り、人を押しのけ。駆ける、駆ける、駆ける。トイレに向かい。
学校のトイレが使えないなら学校以外のトイレを使えばいい、簡単な話だ。
下駄箱の前までたどり着いたとき、不意に声をかけられた。
この鈴が鳴るような美しい声はまさか、
「どうしたの? そんなに急いで」
学園のアイドルである佐倉 春香さんだった。
驚きで少し漏らしてしまった。が、そんなことはどうでもいい。
これはチャンスだ。普段なら声をかけることさえできない佐倉さんが、俺に話しかけてくれた。
ここで良い印象を与えれば、もしかしてもしかするのではないだろうか。
よし、やってやる。たとえ漏らしても佐倉さんと仲良くなってやる。
いや、なんでもないよと尿意を隠し、COOLに告げる。
「そうなの? でも足が今にも走り出しそうだよ」
静まれ、俺の足。
「こ、これは美脚効果のある体操なんだよ。最近はまってるんだ、美容体操に」
何を言ってるんだ俺。
「へ~、そうなんだ。 私も今度試してみよっと」
まさか信じるとは思ってなかったよ、佐倉さん。
「佐倉さんはこれから部活?」
気持ちを入れ替え、まずは無難な所から行こう。
「うん、そうだよ」
たしか佐倉さんはテニス部だったよな。かっこいいんだよな、部活中の佐倉さん。
「たしかテニス部だったっけ、大変そうだね、毎日」
「そうでもないよ、好きでやってることだからね」
さすが美少女は言うことが違う。俺とは大違いだ。
「それじゃ、私はもう行くね」
「うん、じゃあね。 また明日」
「明日は学校お休みだよ」
心に余裕がないと思考能力が低下してしまう。 恥ずかしい。
「そ、そうだったね。 いやーまいったな、学校が好きすぎて休みの存在を忘れてしまっていたよ」
あ、これはないわ。自分でもそう思ったが。
佐倉さんはうふふ、と笑って、こう言った。
「あなたって、意外と面白い人なんだね」
そして彼女は、またねーと、手を振りながら去っていった。
うん。今の会話は80点といったところかな。そうだと思おう。
さて、フラグも立てたしトイレに向かうとするか。
佐倉さんと会話できたという喜びから尿意もすっかり収まったようだ。美少女ってすごい。落ち着きを取り戻し、靴を履き替え玄関を後にする。
グランドでは、たくさんの生徒が部活で汗を流していた。
この暑い中よくやるよな。ん、あれはサッカー部か。
お、可愛い子がいる。身長が小さくて、胸が大きい、そしてポニテ。
スポーツ少女の要素がポニテしかないし、マネージャーかな?
それにしても可愛い……うん? あれ? ボールが飛んできてるような気がする。
いや、気のせいじゃない。 俺に向かって飛んできている。
とっさに顔面を守ってしまい、すぐにそれを後悔した。
光速で接近するサッカーボールが、なんと腹にゴールを決めてしまったのだ。
漏れ出さないように下半身に力を込める、精神をある一点に集中する。
大丈夫、まだいけると自分を励ます。
この間約1秒。しかし、それは永遠とも思える時間であった。
落ち着きを取り戻していた膀胱が、再び暴れだす。
「すいませーん。そっちにボール行っちゃいました」
誰だ、怪物を蘇らせたのは、張り倒してやる。と地面にうずくまりながら考え、顔を上げると。美少女がいた。
後頭部で一つにまとめた長い黒髪、勝気な瞳、そして何より大きい。
この子はもしや、さっき見ていたマネージャーっぽい子じゃないか!
「大丈夫ですか? 」
その言葉で我に返る。
「ああ、大丈夫だ、問題ない」
神は言った、ここで死ぬべきではないと。
「え、でも、顔真っ青で今にも死にそうですよ」
顔を両手ではたく、はたきまくる。
「え、そうかな? むしろ真っ赤に染まってる思ったけど」
「そ、そうですか。 すいませんでした、さようなら」
彼女は怯えた表情で去ろうとする。
「ちょっと待った」
しかし回り込まれてしまう。
「な、何ですか!? 土下座ですか!」
「いや、そうじゃなくて、友達になりたいなーと思って」
我ながら大胆な行動だ。トイレに行きたいと焦る気持ちと美少女と仲良くなりたいという純粋な気持ち。
この二つが合わさって生まれた奇跡だ。
「え、 あの奇行の後でそんなことが言えるんですか」
何を冗談を、俺は奇妙な行動なんてしていな……いはず。
「俺、何かしたっけ?」
記憶が曖昧だが取り敢えずとぼけておこう。
「しましたよ! 突然顔を親の敵かの様にはたき始めたんですよ! 」
おかしいな、自分の顔に親を殺された覚えは無いんだが。というか、二人共まだ生きてるし。
「とにかく、俺と友達になってください」
もう膀胱が限界なんだ。
「頭がおかしい人と友達になりたいと思いますか?」
「失礼な、俺はこれでも学年70位の成績をとっているんだぞ」
「すごく微妙な順位ですね」
そ、それでも上から数えたほうが早いし。
「とにかく、友達になってください。 友達料でもなんでも払いますから」
「いや、そんなものいりませんから」
「じゃあ、どうしたらいいんですか! 」
尋ねると彼女は、深くため息を吐いた。
「分かりました、あなたと友達になります。
その代わり、私の半径10メートル以内に近づかないでください」
分かりましたか。と、呆れた顔をして聞いてくる。
「よし、それぐらいならお安い御用だ、じゃあ今から友達ということで、
君の名前を教えてくれるかな?」
「俺に死ね」
「ふむ……俺に死ね と言うんだな!」
さあ、ポケ○トモンスターの(以下略)
「冗談です」
「なんだ冗談か。 じゃあ、本当の名前は?」
「七海 奈津美です」
「クラスは?」
「1-Cです」
「俺の一つ下か、俺のことは気軽に先輩と読んでくれ」
「分かりました先輩。おそらくもう会うことは無いと思いますが、
宜しくお願いします」
「ハッハッハ、寂しいことを言うなよ奈津美、じゃあまた明日」
そう言い俺は走り出す、気安く人の名前を呼ばないでくださいと言う声が
聞こえたが無視する。
さて、可愛い後輩ができた喜びで忘れられたらよかったのだが、尿意は意識から消えてくれない。
なぜ佐倉さんの時は消えたのに、奈津美の時は消えないのだろう。
もしかして貧乳の方が好きなのかな、俺。
100m20秒と言う健脚を誇る俺の足の速さに驚いているのだろう、
自然と街行く人々の視線が俺に集まる。
まいったな、明日から有名人になってしまう。
よし、我が家が見えてきた。もうすぐ楽になれる。
正直もう限界だった、膀胱が早く門を解放しろと暴れて痛い。
家にたどり着くと、すぐさま玄関を開け放ちトイレへ急ぐ。
やっとたどり着いた、ここに来るまで様々な物を犠牲にしてきた気がする。
しかし、得るものも大きかった。そう思いたい。
さあ、開放してやろう。牢獄に囚われた悲しきアンモニア達を。
ドアノブに手を掛けそのドアを開けようとするが、開かない。
返ってくるのは、何かがぶつかる音だけだった。
アレ? ナンダコレ
「入ってます」
と言う妹の声、滝の流れるような音、温かくなる下半身。
覚えているのはそこまでだった。
後日、未だに俺をお漏らし君と呼んでは腹を抱えて笑う妹に
平手打ち(パイタッチ)を食らわせ家を出る。
覚えていろ、次はお前がお漏らしちゃんと呼ばれる番だ。
復讐に燃えながら歩いていると、相変わらず小さい後輩がいた。
「はぁ~いお嬢ちゃん。 俺と学校までランデブーしなーい?」
声をかけるが、奈津美からの反応はなかった。
あれ、もしかして人違いだったかな?
そうだとしたら相当恥ずかしい奴だぞ、俺。
よし、確認してみよう。
「あ、こんな所に身長が10倍になる薬があるぞ」
「どこですか!」
「あるわけねーだろそんなもん!」
驚く程の速さで近づいてきた奈津美にチョップを喰らわせると、
痛っ、と言って頭を抱えしゃがみこんでしまった。
奈津美は顔を上げると、涙目になりながら文句を言ってきた。
「痛いじゃないですか先輩。 それと、半径10メートル以内に近づかないでください」
「今のはお前から近づいてきたんだろ」
それに、その約束が守られたことなど一度もない。
俺は奈津美と友達になった日から、1年C組の教室に乗り込んで
一緒に昼飯を食べている。
最近ではこいつのクラスメートとも仲良くなり、
昼休みに俺がいるのが日常の風景になっていた。
「むう。 とにかく、私に近づかないでください」
「え? なんだって?」
「だから、私に近づかないでくださいって」
「え?」
「だ、か、ら、私に近づくなと言ってるんです!」
「どんな危険だって君のためなら乗り越えてみせるさ」
「違います! 私に関わると危険だからとかそういうのじゃなくて、
先輩が危険だから近寄って欲しくないんです」
「そうか……そんなに俺の事を心配してくれていたのか」
「違う! 先輩自体が危ないんです! 先輩の存在が危険なんですよ!」
「俺に惚れても火傷とかしないから安心してくれ」
「いや、それはそれで問題なんじゃ……」
はぁー、と大きな溜息をついた奈津美は諦めたような顔で言った。
「分かりました、半径10メートル以内にも近づいてもいいです。
その代わり、昼休みうちのクラスに来るのはもうやめてください」
「そのぐらいお安い御用だよ」
あ……でもな。
「今日、喜美子ちゃんと一緒にお昼食べようって約束してたんだ」
「な! あんた何勝手に人の友達と仲良くなってんですか! ぶつけますよ!」
何をぶつけるんだろう?
「まあ、これはしょうがないよね。 というわけで、今日も行くから」
可愛くウィンクすると、奈津美は空に向かい叫んだ。
「嫌だーーーー!」
こうして俺に可愛い後輩ができましたとさ。終わり。