07 三匹の獣、歓待を受けるも、平穏に終わらず。
どれほどの時間が経ったのか解らないが、扉をノックする音が部屋に響いた。
騎士が礼儀正しく頭を下げて入室。やっと呼び出しにきたようで、三人でぞろぞろと騎士に案内されるがままについて行った。
一際大きい扉の前に槍の穂先に斧の刃先が取り付けられた武器、儀礼用にも用いられるハルバードを構えた守衛が左右に一人づつ立っており、俺達が扉の前に立つと、右に居る守衛が大きな声で到着を知らせた。
予想以上に大きな音を響かせ、扉が左右に開いた。
謁見の間は広く、先ほど居た部屋が四つは軽々入るほどだった。天井は高く、支える柱は大人四人が手を繋いだくらいの太さだろうか。その柱が左右に八本。奥には王座があり、五段ある階段の上に椅子が配置されている。
椅子に座っているのが王だろう。まだ初老にまではいっていないようだ。胸にまで伸ばされた顎ヒゲを切れば壮年と呼べるほど若いかもしれない。頭に巻かれた布は金細工で留めており、略式の戴冠を兼ねているようだ。身に付けた服はプロングスのように奇抜で奇妙な事は一切無い。派手でも無く、質素でも無い。ゆったりとした白を基調とした服に金糸で模様が編まれている。細面の顔には柔和な表情を浮かべているが威厳が無いわけではなく、その蒼い瞳には深慮遠謀に長けているような深い知性が見受けられた。
トナ、プロングス、俺は王座の前まで歩み、右手を握り左手で覆うようにして構え、腰を曲げて頭を下げる形ではあったが、視線は王を覗き込むようにしていた。
最大限の礼を意味するものでは無いのだが、それでも初対面の相手に対して礼を尽くす形ではあった。
「無礼であろう!」
だが、この世界の礼儀とは合わないようで、当然のように叱責してくる者が現れた。アシューの隣に立つ男が顔を赤く染めて叫んだのだ。剣の柄に手をかけ、今にも抜きそうだ。
「よい。彼等は他国の使者ではなく、この大陸の者でも無いと聞いた。礼儀や様式にも違いはあろう。それに、姫を助けてくれた恩人である。この国の王としても、また娘を持つ親としても礼を言わねばなるまい。私の方が頭を下げるのが礼儀であろう」
叫んでいるわけでは無いようだが部屋に響き耳に届く、落ち着いた声だった。部屋の造りによる反響効果だけでは無いようで、地声も十分通る声を持っている。
王の言葉にその男は信じられないとでも言いたげな表情を浮かべ、元の位置に戻った。隊長である隣のアシューに助け舟を求めるように顔を向けたが、王の言葉に反対するわけでもなく、平然と前を見ている。その様子のアシューに忌々しげに顔を歪めたが公式の場であることを思い出したように正面を向いて立つ。刺し殺すような視線と殺気を浮かべた男は今にも唾を床に吐き捨ててしまうのでは、と思うほどに憤然としていた。
王が玉座から降り、プロングス、トナ、俺へとそれぞれ順番に手を握り、礼の言葉を口にした。
「此度のこと国を治める者として、そして親としても礼を申し上げる」
「いえ、我等の力が足りず賊を取り逃がしてしまい、申し訳なく思っております。さらには姫や騎士達には命の危険を顧みず我等を助けていただきました。お礼を申し上げるのはこちらの方でございます」
プロングスが片膝を付き、手を先ほどと同じように構え頭を深々と下げた。先ほどのように視線を交わすことはしない。片膝を付いて頭を下げるという部分は騎士達がする礼と等しいが、プロングスがしたのは更に武器を持っていない事を示す構えだ。
毅然とした態度、王という肩書きは肩書きとして、人に礼を述べに王座から降りてきた行動は尊敬に値する。それを踏まえた上で、プロングスは最大限の礼を表したのだ。だからトナも俺もそれに追従する形で同じように礼を表す。王はプロングスの言葉と行動に満足そうに頷くと玉座に戻り、右手で、プロングス達から見ると左側を指し、
「この列が我が国を守護する騎士達である。騎士を束ねる団長が高齢のため、今は席を外しておるのだが、その重責を背負ってもらっているのが副団長兼第一分隊隊長のアシューである。剣技はレダ随一と私は思っている。その彼女を補佐している……」
「第一分隊副隊長を任されておりますリヒト・デルガであります!」
先ほどから顔を怒りで歪めた男、デルガが答える。明らかに俺達を歓迎していない。王はその様子を眺めていたが、何を思うのか一瞬だけ頬を緩め、苦笑ともとれる笑みを浮かべた。それはわずかな間で、気づいたのは説明を聞く気が無い俺くらいだろう。王はそのまま第三分隊の副隊長までを紹介させ、逆側を指し示し同じように立つ人々、宮廷魔術師や大臣達を紹介した。
互いに礼を述べ合い、軽く自己紹介を終えた後は主要なメンバーを伴って隣室へ促された。部屋の中央には長テーブルが配置され、様々な豪華な料理が並べられており、煌びやかな装飾と相まっていた。部屋の隅の丸テーブルには、様々な酒が置いてある。どれも高級そうな色彩の瓶に詰まっていた。
ささやかという触れ込みではあったが、俺達からすると豪勢極まりない品の数々だった。王とレスティア、アシューにデルガなど分隊の隊長、副隊長クラス。主立った大臣クラスが出席していた。
やはり、大陸が違うと食材や料理、酒も当然違ってくる。長テーブルに並ぶ料理を眺めては、気になった品を持ってきて味見をし、好き勝手文句を付けた。料理法や使われている食材などをレスティアやアシューに尋ねたが、そういう知識の無いレスティアとアシューは互いに拙い記憶を頼りにたどたどしく説明をした。時々、王がレスティアの説明に口を挟み、やんわりと付け足す。何年生きてもわからない事があるものだ、と笑い合う。年齢や肩書きを忘れて和気藹々としていた。
「貴様! 王や姫様に対しての言葉の使い方に気をつけろ!」
その空気を壊す大声が部屋に響いた。デルガである。室内の空気がずっしりと重くなった。
「レスティアはレスティアだろ。本人が嫌がってねぇんだ。騎士のおまえがどうこう文句言うもんじゃねぇだろ」
俺が心外だと言わんばかりにレスティアに顔を向け、な~と同意を求めた。レスティアはどう対応したものかと困惑している。
「先ほどの王へ対する礼もそうだ。所詮、金で飼い主を変える犬らしいな。まともな教育を受けていないと見える」
空気も読まずに捲し立てているのもどうかと思うのだが、デルガはどうだと言わんばかりに鼻を鳴らす。プロングスはムッとしたのか言い返した。
「あなたにどう取られてもかまいませんが、分かりやすく説明しましょうか。
最初の礼儀作法は初対面の相手にする礼です。目線を合わせたままなのは相手の出方を見張るためなのです。見ず知らずの信用も無い相手から目線を外して殺されましたじゃ目も当てられない話でしょう。私達の間では自己防衛として当然の行為なのですよ。
王の行動の後、私やトナ、がぶろんの礼儀作法は相手を信用した時にする礼です。己の目で相手を見定めた結果、信用や尊敬に値すると判った時にする礼なのです。逆にその礼をした時に襲われた場合、襲った方が外道と謗られるわけですが……」
「そのような取ってつけたような話で納得できるわけがなかろう!」
デルガがさらにヒートアップする。何を言っても否定するのだろう。プロングスは飽きれ顔で鼻を掻いた。トナも肩をすくめるに留めている。何を言っても無駄だと感じただろう。そこへ俺が興味なさ気に言葉を挟む事にした。
「この国の副隊長様は傭兵への理解がまったく無いようですなぁ。自分の国の礼儀作法と違うからと全面否定ですか。王がいくら立派なお方とは言え、国を支えるべき人間がこれほど狭量な者で構成されているとは、この国はお先真っ暗ですな。
しかも、個人の感情で勝手に思い込み罵る。副隊長としての資質も疑いますなぁ」
デルガの方はまったく見ずに嘲るような笑みを浮かべ、部屋中に聞こえる大きさで呟いてやった。まるで独り言ですよ、という態度で串に刺さった肉にかじり付く。
それを見たデルガのテンションは一気に天井にまで跳ね上がった。
「貴様! 命の恩人に対してそのような無礼を働くとは何様のつもりだ!」
王や隊長が同じ部屋にいるというのに剣を抜き、威嚇する。
「別におまえに助けられたわけじゃねぇしな。それにレスティアを助けた事でお互い様って話に落ち着いたと思うんだが。それに、自分の手柄みたいな言い方はしない方がいいぞぉ副隊長どの~」
嘲笑としか取れない笑みを浮かべた俺に当然デルガが噛み付いた。
「貴族でも平民でも無い。ましてやこの大陸の人間でも無い貴様らに礼をする必要など無いわ! たかだか下級妖魔の《鬼》数匹ごときに瀕死になるような腕で調子に乗るなっ!」
人として扱うつもりは無いとでも言わんばかりだ。
「肩書きとか権力にしがみ付いて偉そうにしたところでお前の中身はゴミクズ以下だぞ。おまえは笑いの取れない宮廷道化師か?」
クックックと嘲り笑う態度をプロングスは肩をすくめ隣のアシューに苦笑いを見せ、トナは姫をエスコートしてデルガと俺から離れた。周りに集まっていた副隊長格の騎士達も不穏な空気に距離を取る。トナとプロングスもデルガに対して似たような感情を持っているようで俺を戒める気も止める気もまったくなかった。なぜか王は楽しそうに成り行きを見守っていたが。
「王に代わって貴様を討つ!」
デルガが剣を抜き、力任せに振り上げると突進してきた。
俺は嘲笑を浮かべたまま待ち受け、振り下ろされる剣の軌跡を見つめる。まるで決められている事のように足を引いてわずかに身体を半身だけずらして目の前を通過していくのを見届けた。斬ったと錯覚したのか勢い余ったデルガは床に剣先をぶつけ、体勢を崩す。それほど動かずに躱した俺は肉片とネギが刺さったままの長い鉄串をデルガの喉元まで突き出しピタリと止めた。
そのまま刺せば柔らかい喉を突き、脊髄に到達するだろう。
逆上したデルガは声を失い動けなくなった。
弱いと決め付けた相手に自分にとって最大最速の一撃を殺すつもりで振り下ろしたのにも関わらず、掠らせる事もできなかった驚きと、さらに自分の命が相手に握られた状態に混乱しているのだろう。
「勝手に王の代わりになんてなるなよ。それに俺に負けたからゴミクズ以下のレッテルに《鬼》以下ってレッテルまで上乗せしたぞ。さすが宮廷道化師と言いたいとこだが、せめて笑いくらいはとって欲しかったな……」
心底残念そうに答える俺は喉元に突き出した串を戻すと、残った肉とネギを引き抜いた。
旨い上に好みの味となれば無駄にはしたくないものだ。口に含んだだけで幸せな気持ちになれるからだ。
デルガはそれを隙だと思ったのか腕に力を入れて剣を振り上げようとした。が、ウォロンの目を見て気づいた。まったく相手にしていないのだ。デルガは儀式用の剣ではあるが人を斬る分には十分な武器を抜いているのだ。それをまったく気にしていない。実力の差は最初の一撃を躱された時点で気づいていた。しかし、これほどの差が開いているのだろうか。デルガの攻撃を路上の石のようにまったく意識していないほどに。
「もう良い、疲れたであろう。今日はもう休む事を許す。今の出来事には色々と考えねばならないが、明日にしよう」
王の言葉で我に返ったデルガは剣を鞘に戻す事もせず、夢遊病者のように緩慢な動作で振り返ると頭を下げて退室していったのだった。