02 三匹の獣、合流す。
――いつもだったら、こんな状態になるまで気づかないなんて事は無い。何者かが焚き火を遠巻きに囲んでいた。一対の赤い光が数十対……焚き火の光が届かない森の奥にいる。
草を踏みしめる音と喉を潰されたような呼吸音に気づき、飛び起きた時には、すでにこの状態だった。
奴らが寝顔を眺めていたとも思えないし、ただ警戒していただけなのかもしれない。それとも焚き火の灯りで集まってきたとも考えられるが、今の所奴らが友好的な行動を取っているわけではなかった。
「師匠、歳なんだから早起きしろよ……」
「腕鈍ってんじゃねぇか、もっと早く気づけよ。がぶろん」
責任の擦り付け合いだ。互いに心身ともに疲れ切っていたので、簡単に起き上がれるわけがない。それは解っていたが、それでもこの状況になるまで気づかなかったという事に引け目を感じているのだ。互いに視線を交わして過ぎったのは『おまえもか』という思い。
森にいつの間にか連れて来られた、という不甲斐無い事実をなんとか自分の内で処理を開始していた後にこの体たらくだ。余り強く隣人を責められない。
それでも責任の擦り付け合いをしつつ、背中合わせに立つ。ゆっくりと半円を描くように動いて周りを見渡した。かなりの数がいるようで、前後左右と抜けれそうな所は無い。第一、抜けた所で焚き火の光が無いと周りが見えない。おそらくこの時間に行動しているという事から、夜行性と思える彼ら。逃げ出せる事はできないだろう。夜行性で無かったとしても、数で負ける二人には分が悪すぎた。そもそも逃げる事が出来たとして、どこへ逃げれば……。
そんな事を考えながらもウォロンが口にしたのは、
「師匠、友達増やしてくれ」
場にそぐわない一言。そして、背後に居るプロングスに肘で脇腹を突付いて促す。
「おまえら、何か用か!」
大きな声にわずかに動く気配がした。シューシューと空気の抜けるような音は返事をしたのだろうか……。
しばらく反応を待っていたのだが、驚きや怯えというような雰囲気は感じられない。
言葉が通じる相手では無いらしい。かなりの数が取り囲んでいるようで、草木を擦る音だけでも突風が吹いた時のようにそこら中から音を立てる。
「友達になれそう……かな?」
「夜行性の友達かぁ~……背中預けるほど信用できるようにならんだろうし、友達にはなれそうじゃねぇなぁ……」
「てか、背中狙われてるしな」
そんな軽口を言い合った瞬間、空気を裂くような飛来音。焚き火が爆発したように四散した。地面には太い棒が刺さっていた。奴らが投げたようだ。
警戒しながら数体がゆっくりと近づいてきた。
わずかに残った光に照らされて姿がぼんやりと見えた。普通の人間に見えるが、二人のうち一番背の高いプロングスよりも頭ひとつ分は背が高く、二メートル前後だろうか。禿頭でぎょろりとした目は赤い。犬歯が突き出た口からは数日ぶりの餌を前にした犬のように涎を垂らしている。そして筋骨隆々とした体躯に申し訳程度の腰布を付け、どこからか拾ってきたのか、錆びた剣や槍、そこらから折ってきたのか、太い枝を持っているのもいた。
「動物好きの師匠にはちょうどいんじゃねぇ?」
いつでも動けるように斧を構える。
「野性味溢れた動物園が作れそうだけどな。人肉でも平気で食いそうだしなぁ……維持費が馬鹿にならんだろうからいらん」
何としても責任と集まってくる奴等を擦り付けたいウォロンの言葉にプロングスはノリつつ断ると手に持つ杖を突き出すように構え、詠唱に入ったのだった。
プロングスの詠唱を戦闘の合図と捉えたのだろう。取り囲む奴らは声を上げて襲ってきた。目の前の一体が剣を振り下ろす。ウォロンは詠唱するプロングスを守るように盾で受け止めると、斧を横に振り抜いた。一体の腹を裂き、臓腑と共に緑色の液体を吐き出して倒れる。
それほど強いわけでは無いようだ。
プロングスは杖を空中に円を描くように回すと頭上に火球を三つ作りだした。
詠唱破棄。上級魔術を扱う者が行える上位短縮詠唱。中級の魔術を少しの詠唱と簡易魔法陣、もしくは身振りで発動させる高等魔術だ。ただ、正式な手順を踏んでいるわけでは無く、無理やり発動まで持っていく力技でもある。威力は本来の六割ほどしか出ない。
火球はしゃがみ込んだウォロンほどの大きさにまで成長すると、それを前方にいる奴らに撃ち込む。炎が草花を一瞬で灰に変え、進行方向に居た数体をまとめて一気に燃やしつくした。斜線上には三本の爪痕が黒く残る。
槍を構えてプロングスに突っ込んで来る奴がいるが、その動きを見るなり杖を地面に突き立て、短縮詠唱する。わずか数歩先の地面から空に向かって螺旋を描いて火柱が噴き上がった。敵は避ける暇も無く火柱に巻き込まれ、跡形も無く消え去った。
さらに杖の先端を額に当てて、短縮詠唱と同時に指先が光り、空中に不可思議な魔法文字を描く。魔法文字は一つの文字だけで意味を成し、複数組み合わせる事で複雑になるのだが、その分強力な魔術式になるのだ。
《ガロス・ファ・ダーム》
《猛き波紋》そう口にしたプロングスの杖の先端に赤黒い光が集まり、それを敵の密集した場所に向けた。危険を察した奴等はそれを避けるべく道を空けるように左右に別れたが、赤黒い線が集団の中心地、地面に触れた途端、赤黒い光が津波となって広がり回避中の敵を巻き込み燃やし尽くした。
燃え盛る炎が壁となり、敵の侵入経路を減らす。
プロングスに向かって来ていた波状攻撃が止み、余裕が出来ると周りを見渡す。炎の壁を避けるように動く敵を見ながら、
(こりゃ~……簡単に終わらねぇなぁ~)
呟きながら杖で肩を叩き、深く息を吐き出しのだった。
ウォロンの後方からは熱波が断続的に襲ってきている。プロングスの放つ魔法の威力はかなりのものだ。集まってくるナマモノと手合わせした感じでは、本調子では無いが今の体調でもまだまだ余裕だ。
後ろに気を取られた隙に横手から迫る敵が、筋肉にものを言わせて力任せにぼろぼろの槍を突き出した。突かれた槍が顔の横を通り過ぎる。首を傾げて避けたのだ。錆びた槍を掴んで引っ張ると、バランスを崩して目の前に倒れ込む敵の頭を目掛けて斧を振り下ろす。鈍い音を立てて頭を叩き割り、緑の体液と共にどろりと骨片混じりの脳漿がこぼれ落ちた。奪い取った槍を目の前に迫る敵に投擲し、回避しようと動きが鈍った一瞬の隙に間合いを詰めて横一閃……頭部が茂みの奥へ飛んで行った。
ウォロンはすぐさま距離を取り、プロングスの背中を守るように戻ると残った敵の位置を確認する。背後はプロングス得意の火炎系魔術によって炎の壁を形成していた。近づいてきていた敵はほとんど残っていない。だが、目の前からはまだまだ現れているし、おそらく燃え盛る木々の向こうからも敵は集まってきているだろう。退路を絶っているようにも見えるが、背後から襲われる可能性が少ないだけに気持ちは楽になる。獣の習性があるのか、炎の壁を乗り越えては来ないようだ。
「まだ相手してんのか?」
プロングスが横に並び、杖を突き出して構える。
「動物園用に残しておいたんだよ。あんまり減らすと老後の運営が危うくなるぞ」
ウォロンの言い草が気に入らなかったのか、憮然とした表情を浮かべつつ、それを振り払うように杖をくるりと回して目の前の空中に簡易魔法陣にあたる真円を描くと、杖先を正面に向け、円の中心を突き破って敵が集団になっている場所を狙う。杖先に小さな火が灯ったと同時に吹き出すような炎が直線上を燃やし尽くしていった。
範囲魔法で大量に燃やし、辛うじて回避した生き残りをウォロンの斧が葬り去る。労力が少なく、効率よい方法ではある。敵の数がある程度多いならば。
だが、目の前の状況はある程度というものでは無い。個々の力ではこちらが完全に上だが、物量で攻められて体力勝負になるとこちらが不利になる。最初は二十体ほどだと思っていたが、闇の奥からぞろぞろと敵が現れ、数十体倒した今もまだまだ奥から際限なく現れてきているように感じる。
闇から零れ落ちていると言われても納得出来るほどに終わりが見えない。
途切れる様子が無いのだ。
敵が去るかもしれない、全滅させる事が出来るかもしれない、などと楽観的な考えも浮かぶのだが、それまで二人の体力が持てばという条件が付く。
残念ながら、疲労がまったく抜けていないプロングスの魔力にも早々に限界が見え、ウォロンの体力もまた早々に限界が近づいていた。
「園長、まだいけそか?」
ろくに休めていない身体が悲鳴を上げ始め、手足に重さを感じる。
「園長言うな。俺の老後の心配しなくていいから全部片付けろよ……」
額に汗を垂らしながら、杖を振るう。
二人の力が弱まったのに気づいたのか、敵が雄叫びを上げながら一斉に襲い掛かってきた。
視線だけをプロングスに向け、覚悟を決めたウォロンが前衛として前に立つ。わずかでも時間を稼いで範囲魔法でけりをつけるつもりだ。交わす言葉は無かったがプロングスは視線の意図に気づき杖を振り、猛々しく詠唱を始める。
炎で作られた壁のおかげで背後から襲いかかる敵は無く、大挙して攻められても前方だけを守れば良い状況だ。
一斉に攻め寄る敵を盾で押え付けながら、斧で武器ごと腕を斬り落とし、爪や槍をのけぞるように躱すと無理な体勢ではあるが、斧を振り抜いて首を切り落としていった。正直、目の前はほとんど見ていなかった。数で攻めてくる敵を盾で一方向を押さえ、あとは斧を目標も無く振り回していただけだが、瞬く間に目の前には敵の身体を構成していた部品が転がっていく。
どれほどの間、力任せに斧を振り回していたのだろうか。
ウォロンのひとつひとつの動きが目に見えて鈍くなっていった。勢いを殺してから斬るという動作が僅かにずれていく。一瞬でも瞼を閉じるだけで、対応できなくなっていく。
左手の方向から体当たりして来た敵を盾でふんばり、正面から突き出された剣で頬を切り裂かれながらも首を傾げて避け、右手から横切りに振られる剣を斧で防ぐ。正面の敵が突き出した剣を縦斬りに変化させ、肩を切り裂いた。
出血は多いが傷は浅いと判断。
体当たりをかましてきた敵に真っ向から力でぶつかる。腰を落として押し戻し、右方向の敵は斧に向かって錆びた剣をがむしゃらに振り下ろしてきた。軌道を斧でずらしてやると、地面に剣をめり込ませ、体勢が崩れたところに肩口に向かって斧を叩きつけた。肉に食い込み骨を砕く感触。
噴出す緑の体液は気にせず、引き戻そうとしたが、斧が肩に食い込んだまま抜けなかった。絶命させるに至らず、まだ意識が残る敵が、斧を捕まえたまま仰向けに倒れた。
斧を取り上げられたウォロンは盾の裏に仕込んだ投げナイフを再度体当たりしようと向かってくる敵に投擲した。
向かってくる勢いもあったのか、額と片目にナイフがそれぞれ刺さり、敵の赤い眼が色を失ってうつ伏せに倒れた。すぐに振り返り斧を取り戻そうとするが、すでに死後硬直が始まっているのか斧が抜けない。
好機と見たのは正面の敵。
獰猛な笑みを浮かべながら錆びた剣を振り下ろす。仰け反るように躱す錆びた剣は、斧を握ったまま倒れた敵の腹部を裂き、臓腑が飛び散る。
軽業師のように間一髪避けたが、左の腿を斬られた。懐に手を入れて痛みに耐えながらも投げナイフを三本投擲する。動作には全身の動きを連動させているため、足の傷が動きを阻害する。頭部を狙ったはずのナイフは左肩に一本刺さり、二本は森の闇に消えた。その一本もそれほど深く刺さらず、敵は痛みに驚き声を上げて闇雲に剣を振るう。盾でかろうじて防ぐものの傷が動きを妨げた。
プロングスはウォロンが苦戦しているのを見て、長い詠唱を中断し、火球を投げる。頭部に命中させ、敵は禿頭を燃やしながら仰向けに倒れた。しばらく痙攣していたが、それもすぐに収まるだろう。
「わりぃ、数多いわ」
五十匹は楽に越えるほどの敵を倒した(七割はプロングスが倒している)とは思うが、さすがに体力の限界だった。
わずかにできた隙に何とか斧を回収し、プロングスの隣に戻る。
「俺もそろそろやばいな……」
視線を奥へ向けると、森の奥からぞろぞろと数十体が現れる様子を眼にして盛大にため息を吐き出したのだった。
どれほどの時間が経ったのか解らないが、終わりの見えない戦いに消耗しきっていた。数に圧されながらも、さらに十数体倒すものの焼け石に水。二人はまだ燃えている巨木にじりじりと追い詰められていった。
「わけのわからん場所でがぶろんと一緒に最後を迎えるか……」
焦燥しきった顔で苦笑も漏らす。
「勝手に一緒に殺すな。園長はそれで満足かもしれんが、俺は獣と心中するつもりは無いぞ。本望だと思うなら勝手に突っ込んで派手に散ってくれ」
とは言うものの、事態が好転するような状況でもない。
「俺は美人の嫁さんもらって長生きするって決めてんだ。こんなとこで老後を化け物と過ごそうとしてる物好きと……」
弱った獲物をいたぶるのが喜びなのか、口を歪めた敵がゆっくりと迫ってきている。
「まず美人の彼女作らないとな。がぶろん」
プロングスの声では無かった。第三者の声。それもウォロンもプロングスも聞き覚えのある声。
迫る敵の横手から光の矢が飛んできた。敵の頭部や腹部などを貫通し、勢いの衰えない光の矢は射線上の他の敵をも穿つ。
「その声は……トナか!」
茂みを掻き分けながらねじ曲がった杖を手にした男と、その後ろに白い鎧を纏った騎士らしき者達が数十人現れた。剣を銜えた鷹の紋章が入った騎士達はフルアーマーで武装しており、その中の一人は白い羽の付いたフルフェイスだ。白い羽付きの騎士は後ろに控える騎士達を見る事無く敵を指し示すと、騎士達は恭しく頭を下げて剣を抜き、威嚇するような雄叫びを挙げて向かってきた。おそらく白い羽付きは隊長格なのだろう。
数十人の騎士達が敵を引き付けている間に杖を手にした男と隊長が近寄ってきた。
男の名前はトナ。彼も優しい性格に似合わず、傭兵として生きる友人の一人だ。そして、彼もまたこの森に来る前に同じ仕事をしていた友人の一人。
白髪にも見える銀髪。見た目通りに優男。武器や鎧といった金属製の物は一切身に付けていない。着ている服はゆったりとした厚手の紺のローブだ。杖はプロングスが持つ物とは少し違い、ねじ曲がっただけではなく、杖の表面には魔法文字が彫られている。魔道具であり、希少価値がある高級な杖だ。防御より動きやすさを重視しているトナは頭髪を短く刈り込み、涼しげだ。本人はスポーツ刈りだと主張しているが、ウォロンやプロングスは彼の頭髪を角刈りと呼び小馬鹿にしている。
そして、トナはプロングスと同じ魔法使いだが、使える魔術の種類が違う。闇属性、光属性、四大魔術と様々な魔術を習得している。そのために知識も豊富なため、賢者と称されるほど物知りだ。それだけの能力を有していながら攻撃系魔術にはあまり興味が無いようで、回復系魔術を好んで使っている。その結果、後方支援を得意としている。
攻撃力に関して言えば、一発の威力はプロングスよりも劣るが、それを補うように様々な魔法を習得している。状況に応じて的確に魔術を行使出来るのだ。
トナは杖先をウォロンの傷口にかざし、癒しの魔法を唱える。淡い光が傷口を覆い、緩やかに包み込む。出血が治まり疲労がわずかに回復した。疲れきった身体にとても心地良い。
「色々聞きたいんだが……」
少し活力が戻ったウォロンの呟きにトナは無言だった。プロングスにも癒しの魔法を唱えている最中なので応えられないようだ。
トナの様子を見ていた隊長が首を振り、
「今はまず安全な場所に移動を。私たちがご案内します」
篭った声だったが、柔らかな物腰でそう言うと騎士達に視線を向け、うなずく。騎士達は剣を振りながらもこちらに気づいているようで心得たようにうなずくと声を上げて敵を森の奥へと追い返していく。一体に数人の騎士が相手にしている騎士達。
その様子を見ただけで技は荒く経験が少ないと看破出来た。目の前に居る魔物はウォロンとプロングスのおかげでどこかしら怪我をしている。さらに対応する騎士が数で上回っており、疲労が少ないという部分があるために優勢なだけで、個人の剣の腕は本業を魔術師としているプロングスよりも断然劣るだろう。
騎士達が敵を引き付けている間にウォロンはトナの肩を借り、プロングスは隊長に肩を借りて戦いの場を離れた。
その時、ウォロンは友人の壮大な夢が潰える事に悲しみを禁じ得なかった。つい寂しげに背後を見るのはしょうがないだろう。
奮戦している騎士達に聞こえない小さな声で思わず呟いた。
「さよなら……師匠の老後計画…………」
肩を貸してくれているトナは何のことかわからず、ただ首を傾げていた。