18 一匹の獣、心優しき者と会う。
ウォロンは鼻歌を口ずさみながら、東の門へ向かう。
街へ初めて入った時にも感じたが、大通りと言える道すら狭く、馬車が二台すれ違うのがやっとで入り組んでいる街並みである。プロングスやトナが言うには、レダ国ではこの地形でないと駄目らしい。軍隊など大量の敵が侵入した際に一直線の道があればすぐに城を落とされる可能性が高いとの事。レダ国を守る方としては具合がよろしく無いらしい。
一直線であれば守る場所、方向を決める事が出来るために守り易いと考えるだろうが、それは守る側に退けるだけの力があればの話だとか。
通常は攻められる方向、道が決まっていれば罠や魔法兵を使って待ち受ける戦法が使えるのだが、国を護るべき騎士の実力が低いためにそれでは簡単に突破される。だから、大量の敵を分散させて各個撃破する戦法を取っているらしい。
レダ国を守る騎士の実力を知るウォロンとしては納得の理由だ。
しかし、おかげで猥雑な街並みとなっているため、少数の侵入者を相手にするには少々不向きだ。先般の事件を鑑みればそう思う。
基本的には高く作り上げた街壁で敵を防ぎ、中に入れさせない。そう考えているらしい。
この大陸に来たばかりで、レダ国が近隣諸国とどのような関係なのか把握していないため、何も言わないウォロンだった。
いや、少し美化しすぎた。どのような状況であれ、自分にとって被害が無ければ何も考えないウォロンだった。
正面に見える分かれ道を左へ行こうと身体を向け──。
「東門へ向かうなら右が近道よ」
という声が背後から聞こえ、頭を掻く。
「さっきの男を診てやらなくて良いのか?」
振り返ると先ほど転がした男の後ろに居た女性が付いて来ていた。
ギルドを出る時より気づいていたが、まさか道を教えてもらえるとは思わなかった。
「あいつとは一度だけの仕事仲間ってだけよ。それもすでに終わった後だし、酒に酔って相手の力量も知らずに倒される男なんて興味無いわ」
改めて見る女性は綺麗だった。
ウォロンよりも少しばかり背が低く、光を反射する煌びやかな金髪が腰まで伸び、凛とした青い瞳。慎ましい胸に細い腰と均整の取れた女性らしい肉体。腕や胸、腰、脚など主要部分に金属鎧を付け、背には弓矢を背負っている。
「そーですか。それで、俺に用があるのか?」
「えぇ、Fランクとは思えない雰囲気だもの。気になるわね」
「妖魔の森でちょっと遊んでくるだけだ。宿にでも戻って休めばどうだ?」
「本当に行くの?」
「途中でびびって戻るかもしれねぇな~」
にやにやと底意地の悪い笑みを浮かべながら、ウォロンは教えて貰ったとおりに右側の道へ歩いていく。
女性がため息を吐きながら付いてきた。
途中で引き返すだろうと思いつつ、ギルドバッチを提示して東門をくぐり抜けて森へ向かうが、女性はまだ後ろを付いてくる……。
「ん~。気になってしょうがねぇんだが……」
頭を掻きながら、振り返ると、女性はどんどん不機嫌になっていき、それでも付いてきていた。また、背負う弓矢はすでに外し、いつでも撃てるように準備が整っている。
「そう思うなら引き返しなさいよ。一人で妖魔の森へ行くなんて自殺行為でしかないのよ?」
「ふむ……。お前は優しいんだな」
「と、とつぜん、なによ」
苦笑を浮かべたウォロンの言葉にうろたえる女性。だが、柔らかい応対はそこまでで、すぐに不機嫌そうにウォロンが口を開いた。
「初めて会った男に忠告してくれてるんだろうけど、俺には余計なお世話だ」
「私はこれでもDランクよ。無謀なFランク如きに余計なお世話なんて言われたくないわ!」
「わかったわかった。俺が無謀でも無知でも良いから、回れ右して街へ帰れ」
そう言うとウォロンは森へ向かって歩き出した。
ウォロンの中では十分に警告したつもりだ。
二度も帰れと促したのだが、それでも付いてくるのであれば、何があっても後は自己責任だろう。
森へ近づくと付いてくる女性の歩みが遅くなる。
森を目の前にして恐れを抱いているならば、それで良い。これ以上忠告するつもりは無いのだから。
──妖魔の森にはいくつか不思議な事がある。
それはウォロン達が森から帰ってきた時に使った一本道、そして平原との境目にあたる森は理由が解らないが、ほとんど魔獣は近づいてこない。“鬼”が出たのも道からだいぶ森へ入った地点だった。
また、なぜか妖魔の森に棲む魔獣は平原には出てくる事が無い。妖魔の森が隣接する位置にレダ国の王都があるのはそれが理由だ。
そして、森の深部へ行くほど魔獣は強力となり、森の入り口付近はDランク前後、一刻ほど進めばCランクが多く混ざるようになり、さらに奥へ行くとBランクやAランク級の魔族が現れるらしい。
最深部に到達した者が居ないため、それ以上の魔獣や魔族が居るのか、誰も知らない。
特殊な例として。木材の入手と妖魔の森を縮小する計画が過去にあったようで、伐採をしようとしたらしいが、縄張りを荒らすなとばかりにその時は森から出てきた複数の魔獣に襲われたため、妖魔の森を狭くする事も不可能らしい──
そう事前に情報を得ていたウォロンは昼過ぎ頃に森の端へ到着し、懐から出した干し肉を齧りながら、そのまま森へ入って半刻ほど経つ。興味津々と言わんばかりに楽しそうに森を眺めていた。
それに伴い、予想に反して女性は森の中に入っても付いてきた。
過剰に警戒しているため、風で揺れる枝を目にして弓をあちらこちらへ構える。
「ねぇ……ねぇってばっ!」
警戒しているため、抑え様としているようだが、震える声で叫んでしまっているため、大きな声となっていた。本人は抑えているつもりらしい。
振り返るとどこか安堵したような表情を浮かべ、すぐに怒声を上げた。
「あなたに度胸があるのは解ったわ。だから戻りましょう? Dランクから妖魔の森へ入れる事になるけど、それは基本的に六人で受けるのが普通なの!
どうしてもここで稼ぎたいなら、戻ってギルドでパーティを組みましょう。私も一緒に組んであげるから──」
まだ何か口にしようとしたが、片手を上げて遮った。
ウォロンの背後から何かが近寄ってくる気配がある。
振り返ると茂みを掻き分けて出てきたのは爛々とした二対の赤い眼で睨みつける赤黒い体毛の猪のような魔獣だった。
ウォロンの二倍はあろう高さ、分厚さがある。四肢を踏ん張り、口元から涎を垂れ流し、下から突き上げる牙が三対。鼻の上に太い角が二本。人間二人を見つけた事に興奮しているのか、前足でしきりに地面を蹴りつけている。
「ぶ、ブラッディー……ボア……なんでこんなのが……」
女性は驚愕の表情を浮かべて立ち竦む。
驚きなのか、恐怖なのか知らないが、金縛りを受けたように動く様子が無い。
ウォロンは背後の女性の事を今は頭から消し去る。それはそれとして、腰に下げた斧を抜いた。
ブラッディーボアと呼ばれた猪との距離は十歩ほど。
すでに相手は興奮しきっており、いつでも飛び掛らんばかりだ。
「んじゃ、まずは一匹目だな」
舌なめずりしたウォロンが興奮した猪よりも先に一歩距離を縮めたのだった。
女性が何かを叫ぼうと口を開き、言葉を吐き出せなかった。
いや、吐き出す暇が無かった。
目の前の結果だけを見ればブラッディーボアへ向かって振り下ろした斧の一撃が頭蓋を割った。
これだけだ。
ただし、ウォロンが斧を手に持った所までは認識出来たのだが、瞬きをした一瞬で太い薪を割ったような音が森に響き渡り、気づいた時にはブラッディーボアの目の前にウォロンが斧の刃を頭部の半ばまで刺さり、断末魔を上げる事もせずに痙攣を起こし横倒しに倒れたのだ。
「え……あ……な、なにが……」
かろうじて口にしたのは意味を成さない言葉。
「なぁ、こいつの討伐部位ってどこ?」
目の前の光景に開いた口が塞がらないため、返答するのにしばらく掛かったのだった。