夢の世界ー幻想と粋ー
サーカスの彼との約束通り、わたしは開演初日にサーカスを観に来た。
驚かされたのは、その賑わいである。
前日、高校の帰宅途中に前を通った時には想像できない人混みと活気に満ちていた。
わたしは幸運にも前売り券を入手することが出来た。
どうせなら良い席で観覧したいと、バイトで稼いだお金でS席を購入。
付き合ってくれた友達の分は、わたしがおごった。
「スゴいね、ドキドキする」
友人はわたしの腕にしがみつき、周囲を見渡した。
(ドキドキ)
まるでディズニーランドに来た時に似たわくわく感を彼女は言っているのだろ。
わたしのドキドキは昨夜から始まっているので、今朝、大食漢の彼女にファミレスに誘われた時も、小動物程度しか、食べられなかった。
木戸を通り抜け、係りの人の指示でわたし達は左側の入口に向かった。
入口の手前には売店があり、ふくよかなおばあさんが、忙しく菓子類などを売っていた。
売店の斜め前には清潔な仮設トイレが設置されており、男女20人が仕様出来る大きさだ。
そこにも前掛けに、ホウキを持ったおばあさんがいて、その小柄なおばあさんは、次々に木戸から入場してくる客の様子を嬉しそうに眺めていた。
長いテントの入口の先は薄暗く、しかしディズニーの緩やかなBGMが、新世界への入口に立つわたしの心をときめかせてくれた。
人混みの中では身体の小さなわたしには、人の背中と頭しか見えないが、アルバイトらしき座敷案内の女の子に、右手に握っていた指定席券を覗きこまれると、案外スムーズに席に辿り着けた。
なるほど、どうやら彼女は会場内の全ての席の番号を記憶しているらしい。
親戚の居酒屋でモタモタ仕事をしているわたしとは大違いだ。
わたし達の席は、丸舞台の真ん前にあるアリーナ席の上の上、舞台真正面にあたる位置だが、曲芸をする人達の顔まで認識できるか不安になった。
(サーカスのあの人、こんなに遠かったら、わたしに気づいてくれないよな?)
たった一度しか会ったことのない彼。
その人に見られても恥ずかしくないように、新しい洋服を着て、長い髪の毛を内巻きにまいた。
興奮で寝付けず出来た目の下の隈は、色っぽい様な気がしたので、ファンデーションで隠さずそのままに。
「薫、パンフレット売ってるみたい」
友人の見る先には、二十冊ほどのパンフレットを持って客席の間を売り歩いている女性の姿があった。
「買って来よう」
わたしは立ち上がり、パンフレットを売っている女性の元に小走りに寄った。
「すごいね、結構本格的じゃない、ねえ薫」
「そうだね」
膝の上でパンフレットを広げて見る。(あの人は載ってるかな)わたしの目的は一つだった。ぺらぺらとページをめくると指先が滑り、最後のページまで進んでしまった。
「この人、グレース王妃じゃない?」
一枚の写真に目が止まった。
羽織袴姿の男性の中心に、モナコ公妃の姿があったからだ。
「この男性は社長なのね」
鼻の下に髭をはやした人物が社長だと説明書きがしてあった。
「モンテカルロのサーカスオリンピックに、キグレサーカスが日本を代表して出場したんだって。日本からの出場は日本初らしよ。すごーい」
友人は興奮したようにわたしからパンフレット奪って、記事に見入った。
「見て、見て!さだまさしの映画、飛べ!イカロスの翼も、このキグレサーカスが舞台なんだね。すごいサーカスなんだね、ねえ薫」
「ほんとうに……」
わたしは子供の頃のことを思い出していた。サーカスに来たのは今回が初めてだと思っていたのに、幼い頃、両親に連れられて後楽園球場で開演していたサーカスを観に行った記憶がフラッシュバックのように蘇る。パンフレットにも、後楽園球場での公演の記述が見られる。後にも先にも、後楽園でサーカスを興行したのはキグレサーカスだけらしいから、わたしが行ったのも、このサーカスに間違いない。昼間の公演を観に行ったが満員で入れず、夜の追加公演まで列に並んでいた。
(寒い夜だったような気がする。確かお正月……)
記憶は次第に鮮明になって行った。キグレサーカスの後楽園公演の反響は凄まじく、長蛇の行列は、ニュース番組でも流されていた。
(有名なサーカス、たぶん、日本でいちばん大きなサーカス)
わたしはテントの中を見渡した。