諸刃ノ嘘
※少々の戦闘描写がございます。
苦手な方はご注意ください。
ねえ。
もしあなた達ともっと別の世界で出会えていたなら、素敵な友達のままでずっと過ごせていたのでしょうか。
何もかも残らず壊れてしまった今では、あなたの気持ちすらもう確かめようもないのだけれど。
信じなければ良かったのかもしれない。最初の日のあなたの言葉を。
信じれば良かったのかもしれない。最後の日にあなたが残した言葉を、そのまま。
ああ、あなたが最後に、あんなに苦しそうな顔をしなければ。
ねぇ、ハジメちゃん。
ーーーon the biginningーーー
「なーなー、あの人ってほんとに今日ココ来んの?今度こそ行方不明とかになってねぇのかな」
とある小さなカフェの一角。
平日の昼間から大人を含む四人が気だるげに屯している光景は、はたから見れば物凄く異様に映っていることだろう。
「さぁ。来るんじゃないの?一応仕事なわけだし」
「もう予定の時間はとうに過ぎているのだがな…」
「あの人が普段何しよるんかとか、うちらなーんも分からんもんね」
四人はそろって溜息をつく。なにせ、もう一人の仕事仲間を待ってかれこれ2時間も経っているのである。この時代になっていまだに携帯電話を持っていない彼はまさに神出鬼没、その足取りを掴める人間は誰一人としていない。
「バイト抜け出すうまい口実ができたのは良かったけどね。あの部長サン話なっがいんだもん、あたし達を何だと思ってんのよ…… ところで今日の話って何だろね。有給の許可とか?」
「ふふ、だったらいいんだがな」
「ほんと、そろそろ貰ってもいいよね有給!あたし今度のコミケ用に新しいコスプレ衣装作ったのよ」
「またか?お疲れ様じゃなあ」
「お前この季節そればっかりじゃねえか……あー兄貴ー、コーヒー追加で頼む」
カウンターの奥から『兄貴』と呼ばれたこのカフェの店主が顔を出す。少し怒ったように、しかし口元は楽しげに笑いながら男に言い返した。
「兄貴じゃなくマスターと呼びなさい、お前の分のコーヒーだけ古い豆使いますよ。無論砂糖もミルクも無しです」
「おっ…おい悪かったって勘弁してくれよ!」
全員がどっと笑い出す。ほのかに赤くなるのを誤魔化すように、彼は1人を指差して大声で言った。
「ハジメだって俺のこと言えねーだろ!? いつも紅茶しか飲んでないくせによぉ!」
「ははっ、うちはどこぞの甘党男子と違うて、飲めんからコーヒー飲まんわけじゃないけんなぁ。紅茶が好きじゃけん紅茶飲んどるだけじゃ」
「ちっくしょう…裏切者め……!!」
準備を終えた店主は、六つのコーヒーカップを四人のいる机へ運び、てきぱきと並べ始めた。ハジメと呼ばれた娘の前にはシャリマティー、さっき彼を兄貴と呼んだ青年の前には心持ち少なめのコーヒー、角砂糖とミルクがたっぷり入った小瓶をその近くに置くことも忘れない。
「なあ兄さん、これではカップがだいぶ余分ではないか?」
「なぜあなたまで!?だからマスターと呼びなさいと……あー。まず、一つは僕の分ですね」
言った彼は四人の机の空きスペースにかちゃり、と当たり前のようにソーサーを置いてみせる。
「それからもう一つは皆さんの待ち人の分。なんとなくですが、もうすぐ来るような気がするんですよ」
他の空きスペースは無いものかと、濃いアッサムのストレートティーが煙を揺らす。
かちゃり、というソーサーの音と、軽やかな扉のベルの音が、丁度見事に重なった。
ーーーbefore harf dayーーー
くすん、と彼女は内心ほくそ笑んだ。ーーまた成功。
危険と隣り合わせのこの仕事だって、「熟練者」の彼女にとっては単純な流れ作業のようなものだ。生きるために何度も何度も作業を繰り返して身につけた機転とテクニック。彼女はこれでなんとか、非情なる『路地裏』を毎夜駆け抜けてきたのだった。
空になった袋をずたずたの上着のポケットにねじ込み、ふと掌を見る。煤だの垢だの血だのでドス黒く汚れた両手もまた、いつものこと。見下ろす彼女の瞳にも、光が見えず真っ黒だった。
今日はかなり遠くまで来たんだな、とぼんやり思う。朝日が登る直前で仄暗いとはいえ、周りの景色や家々の種類がいつもいる地域と違うことくらいは分かった。
太陽が出る前にどこか身をひそめる場所を探さなければ。人には会いたくない、会っては少しばかり面倒なことになるのだーーー
「おぉ?こんな時間にえらい別嬪さんに会っちまったなぁ。早起きは三文の得、ってなぁ?おじょうちゃん」
ーーほら、こんな風に。
この種の絡み方をしてくる奴は特に面倒だということは経験上知っていた。煩いとっとと立ちされとばかりに、声の主をぎろりと睨む。
「おぉう……そんな怖い顔をしねぇでくれや。おれっちはただの、通りすがりの吟遊詩人よ」
吟遊詩人?少女は思わず鼻で笑った。そんなおとぎ話みたいな職業がいまどき存在するのか?まあ男の格好を見れば納得できないこともないが、ほとんどホームレスと変わりないではないか。
男は浮かべた笑顔もそのままにとつとつと話す。
「おじょうちゃんは暗ーい眼をしてんなぁ。そんな人を食ったような笑い方をするもんじゃねぇなぁ。せっかくの別嬪が台無しだぁ」
ーーなんなのよ、この男は。無視を決め込み、早足で追い越そうとしたとき、ポンと肩へ手を置かれた。
(………、え?)
「おじょうちゃんもいつか、もっと綺麗に笑える日が来るといいやなぁ」
振り返ってもう一度男の顔を見ることは、できなかった。
この朝起きたことに対する彼女の記憶は、ここまでで途切れている。
ーーーat Firstーーー
「……、………し。もーしもーし!あんた大丈夫ねー?生きとるー?」
気が付いた時、彼女の見知らぬ部屋の布団に寝かされていた。同年代か少し年上くらいだろうか、ポニーテールの女の子が目の前で手をふるのをやめた。
「あー良かった……気ぃ付いたんじゃね!」
起き上がり、眉を顰めてキョロキョロとあたりを見回す。それなりな広さの部屋の真ん中に敷かれた自分の寝ている布団、二つあるうち開けっ放しの扉の向こうには別の部屋の扉らしきものも見えた。そして最終的に行き着いたのが、この自分の隣でニコニコと嬉しそうに笑う少女。
………単純に不思議に思ったのだ。見たことがない景色だったから。
「他の皆にもはよう言わにゃいけんね!あんたが起きたよーって」
「ここはどこなの」
「しっかし今くらいの時代になって行き倒れたぁ、珍しいこともあったもんじゃなぁ。知り合いのおっさんが居らんかったらどーなっとったか」
「ここはどこなのかって聞いてんのよ」
「んー?うちらが居候しとる家じゃ。このへん一帯は……ってちょお、どこ行くんね!?」
布団から抜け出そうとしていた腕をひっぱられる。彼女は勢いよく振り返り無感情に言い放った。
「拾ってくれてありがと、私はもう行かなきゃだから。じゃあね」
「っいやいやいや待ちんさい、あんたそのまま帰ってもまたすぐ倒れるだけじゃろ!もうちょいゆっくりして」
「ほんとに急いでるから!もうこんなところには居られな、い……し………」
さしもの彼女も最後のほうは歯切れが悪くなった。ポニーテールの少女が一瞬物凄くショックを受けたように眼を見開き、心底懇願するような顔でじいいーっと見つめてきたせいだ。
「あ……別にあの、あなたのことが気に入らないとかそういう訳じゃないけど。別にね?」
安堵からか、少女の顔に花が咲いたように笑みが広がる。なんだこの人。こんな分かりやすい人見たことない。
「……で、でもあなたの口ぶりだとあなたの他にもここに住んでる人がけっこういるんでしょ?その人たちに迷惑がーーー」
「「ハジメ!!!」」
閉まっていたドアがすごい勢いで開け放たれ、彼女は思わず身構えた。
「なんだよハジメ、この子の目が覚めたなら早く連絡しろって言ったろ!?」
「あんたらの来るタイミングが良すぎるだけじゃ。ちょーどついさっき起きたとこなんじゃけん」
「起きて見るとまたやっぱり可愛い子ね!…ああ初めまして。身体は楽になった?」
ドアからは四人の人間が入ってきた。彼女がうんざりしていると、一人の女性が柔らかな物腰で話しかけてきた。
「すっかり。もう大丈夫なので、そろそろ帰らせて……」
「やだっ、あなたそれ本気で言ってるの!?」
予想に反し、女性は声高に叫んだ。
「服がボロボロになってるじゃない、そんなんじゃ外歩かせられないわよ!あたしの服余ってるからそれ着なさい!待っててすぐ持ってくる」
「えっ……」
「ふふっ、奴を止めるのは諦めたほうがいいだろうな。杏は自分で決めたことを絶対に変えたがらない」
口を開いたまま呆然としていた彼女にそっと声をかけたのは、遅れて部屋に入ってきた二人の男性だった。
「安心してください、彼女は本当に一瞬で帰ってくるはずですよ。それまでーー僕の店でコーヒーでもどうですか?」
ーーーNextーーー
「なぁ、お前飲み物は何にするんだ?ここカフェだから基本的になんでも出せるぜ」
(いいって言ってるのに………)
結局彼女は、家の住人らしき人々に言いくるめられてお茶をすることになってしまっていた。
「なんですかお前はこんな時だけ張り切って。何度も言いますけどマスターは僕なんですよ?」
「分かってるっつの。いいだろ珍しい客なんだしちょっとテンション上がるくらい」
「はいはい。……お客様、ご注文はお決まりでしょうか」
「……甘いモノがいい。苦いのは好きじゃないの」
「!!!」隣にいた青年の顔がほころんだ。
「同志がいて良かったな、伍樹」
「甘党仲間じゃなー」
話の流れをそれとなく理解しながら、「ふーん……イツキさんて言うんだ」と呟いた。
「あっ、ああーー!!なんか忘れとると思ったら、うちらまだ自己紹介しとらんかったね!」
はじめに彼女へ声をかけた少女がガタン!と椅子を蹴って立ち上がり「そら、あんたらも立ちんさい!」と残りの二人を急かした。
「うん、まずうちからじゃな。うちは銀輪ハジメ。苗字が変わっとってね、銀メダルの『銀』に輪っかの『輪』で『しろがね』って読むんよ」
ふふん、と満足気に息をつき、ハジメは再び椅子に座り直した。
「はい、次あんたじゃろ」
「えっ俺? あー……えっと、継橋伍樹。他の皆とここのカフェに住んでる。兄貴のことも俺が言っといた方がいいか?」
「結構です」
店主はカップをひとつ、少女の前に置きながら伍樹を遮る。
「特選のキャラメルティーでございます。ミルクと砂糖はこちらの弟のせいで腐るほどありますので、どうぞお好みで」
「余計なことは言わなくていーんだよ兄貴はよ!」
「事実でしょうが。…申し遅れました。僕は継橋睦生、このカフェのマスターをやっています。……あー、はい。伍樹の兄です」
ふたりを見比べながら思わず苦笑していると、隣の男性と目が合った。
「あんまり似てないと思うだろ、この二人」
「……思う」
「ふふっ、意外とそうでもないんだぞ。今度からよく見てみるといい……照れ隠しのときに次の一言を言い淀むときなんか、そっくりだ」
「そう、なんだ」
男性は落ち着いた声で言った。
「アキラだ。呉暁良。疲れが取れるまでゆっくりしていくといい、誰も拒む者はいないのだからな。ーーまあ俺の家じゃないんだが」
彼女はとりあえず曖昧に微笑みかえした。なんとなくこの人なら話を分かって貰えそうだと思い、おずおずと口を開く。
「ありがとう、でも私は…」
「よしッ!最後はあんたの番だぜ?」
またあんたかよ、と彼女は内心伍樹に舌打ちした。なんだかこの人に話を遮られる回数がやたらに多い気がする。
しかし時すでに遅く、四人分の視線が彼女に向いてしまっていた。さすがにちょっと誤魔化せないかーーはぁ、と溜息をついて、彼女はぽつりと言った。
「……………りあ」
「え?」
「りあ。…って、他のひとには呼ばれてた」
一瞬、その場がしんと静まり返る。苗字を名乗らないのを妙に思われたのだろうか、ともう一度りあが口を開こうとしたとき、ハジメが突然声をあげた。
「……そ、か!あんたのことは『りあ』て呼んだらええんね!?改めてよろしくなぁ!」
さっき寝室で見せたような元気のいい笑顔だ。何がそんなに嬉しいんだろう、変な人だ……紛れもなくそう思いながらも、気分が悪くなるようなものではないのが不思議で仕方なかった。
「そういえば、大分経つのに帰って来ないな。……ああ。もう一人の女性のことなんだが、彼女の名前はーーー」
「時ヶ瀬杏よッ!!」
スタッフルームの扉がバン!と凄い音を立てて開き、先程りあに声をかけてきた女性が駆け寄ってきた。
「あなたリアちゃんって言うのね?あだ名?すごく可愛いわ、よろしくね! 」
「遅かったじゃねえか?だいぶ時間食ってたろ」
「ちょっと明日からの予定の確認とか、まあ色々ね。それよりリアちゃん、着替えが用意できたから着てみなさい!こっちよ!」
「だからあの、」助けを求めて暁良の方を見遣ってみたが、同情の混じった微笑みが帰ってきただけだった。意味はなさそうだ。
生き生きとした表情でりあの手を引いていく杏を、ただただ遠巻きに眺めながらハジメが呟く。
「……この分じゃあ、またしばらく帰ってきそうにないのう」
残りの三人も深く頷いた。
ーーーThenーーー
「きゃああああああああああああッ!?!?!?」
耳をつんざくような悲鳴に、四人はあわててスタッフルームへ飛び込んだ。
「どうしたんだ、杏ーー」
「か……かッッわいいいいいいいい!!!!!!!」
なんだ、と四人は安心と呆れが入り混じった視線で彼女を眺める。
中に居たのは泥棒でも虫でもなく、興奮で顔を真っ赤にした杏と…いつか流行った魔法少女の衣装を着せられて最早呆然としているりあだった。
「あの〜……杏さん。着られそうな服をりあさんに貸すんじゃなかったんですか?」
「そうだけど、そうなんだけどね!? 分かるでしょう目の前にこんな可愛い子がいるのよ?可愛い服着せない訳にはいかないじゃない!はじめて見た時から絶対このコス似合うと思ってたのよね!」
眉間にしわをよせたまま、フリフリヒラヒラとレースのついたピンク色の衣装を身につけて硬直しているりあの姿は、なかなかにシュールだ。
「おー?あははっ、なかなか似合うとるじゃん」
「当ッ然でしょ!?これほら髪型も完璧なのよ」
「あー、……なんていうかよ。こんなこったろーと思ったぜ」
「……まあともかく、二人が無事なら良かった」
もうそろそろ我慢の限界だ。りあは立ち上がって叫んだ。
「良くないよ!もうお願いだから私で遊ばないでくれる!? 私帰りたいんだけど!」
「そーんな野暮なこと言わないでゆっくりしてい き な さ い よぉん♪ それに帰るって、あなたのお家って一体どのへんにあるの」
しまった墓穴を掘った。そもそも帰れるような家がきちんとあるなら、大の大人が発狂するくらいのボロボロの格好で倒れて人に拾われるようなことは起こらないはずなのだ。
りあが黙っていると、杏が再び口を開く。
「……お家がそんなに厳しくないんだったらさ、しばらくここの家に泊まっていかない?」
「そう、うちも思った!ええよね兄ちゃん!?」
「マスターと……ええ、構いませんよ。部屋は空いていますし、精一杯もてなしますよ」
「はぁぁ!?そんなのーーっていつの間に着替えたのそれ!?」
「いいでしょうこれあなたのと同じシリーズなのよー。ウィッグ作るのほんと大変だったんだから」
ほんの一瞬の出来事で、気が付いたら杏もコスプレしていた。りあの着ているものと似たデザインのドレスで、特徴的な髪型のウィッグの毛先をくるくる弄んでみせる。
「折角だしハジメも着ちゃえば?魔法少女衣装は5人全員分持って………
うん?5人分?」
瞬間、暁良の顔がさっと青くなった。伍樹も何を感じ取ったか途端に逃げ腰になる。
しかし二人の思いも虚しく、杏はとびきりの笑顔で言い放った。
「そうよ!あなたたち女装しなさい!!!!」
ーー着替え中ーー
「……もう誰も信じねぇ………」
「…それはどちらかというと俺の台詞なんじゃないか?」
数十分後、そこには同じようなフリフリ衣装を着た三人の女性と二人の男性の姿が!
「ああ、やっぱりいいわ素晴らしいわ!リアちゃんも当然可愛いけどあなたたちも可愛いわ! 二人ともこんなに脚綺麗だったのねー」
「ちょっ、あんまりジロジロ見んなっつーの!恥ずかしいだろーが!!」
「〜〜〜ッ!!!!! 伍樹それ!それよ!今のあなた最高だわ!」
杏のテンションは最高潮に達し、瞳も子供のようにキラキラと輝いている……いや、この場合『獲物を見つけたライオンの子供のように』などと言った方が正しいかもしれない。
「あっはは!あんたも合うとるよ、その服」
「君もな。というかハジメ、こんなの褒められても俺は全く嬉しくないぞ」
「いやでも本当可愛いんよ?なあ、りあもそう思うじゃろ……りあ?」
ハジメの隣でずっと固まっていたはずのりあが、背中を丸めて震えていた。が、次の瞬間顔をあげてーー
「うん………うん、アキラさんもっ、イツキさんも…すごく可愛、かわいいよ……!ぷ、くっああもうダメ!きゃっはっはははははははは!!!!」
りあ自身もびっくりするくらいの大爆笑だった。膝をばしばし叩き、終いには床に転がって涙を流しながらまだ笑っている。少し落ち着いたかと思ったら、何事かと近寄ってきた伍樹の顔を見てまた笑った。
「なっ何だよ!?人の顔見て笑うとか失礼だろ!」
「違、そうじゃない、ってか笑わないとかっ…あはっ無理でしょ!? く…ふふふふヤバいヤバいだって服、服と、顔…あっははははははっ!! あーおっかし、お腹いたい…あはははっ!!」
今度はりあ以外の五人が硬直する番だった。それでも全員、どことなく嬉しそうである。
「はー、はー、あー疲れた……ふふっ」
「もう落ち着いたか?」
「うん、もう大丈夫…たぶん」
ドアの近くではりきった声が響く。
「リアちゃん写真撮りましょ写真!せっかくみんなで着たんだし、記念よ記念!お兄さんこれ使い方分かる?」
「……。大丈夫です」
「よーっし、ほらほらみんな並びなさい!当然リアちゃんが真ん中よ、主役なんだからねー!はーい後ろの二人はもっと寄る!」
元気に指示を飛ばす杏を横目に、ハジメと並んで座る。もう一度ぐるりと部屋を見渡すと、目に入ってくる光景に自然と眉が下がる。りあにとって今まで見たことのない、温かな騒がしさだった。
「なあ、りあ。やっぱりしばらくここに居らん?絶対楽しいと思うんよ、ようけ話もできるし……」
だから、
そんなハジメの問いかけに、迷わず頷いた。
「はい、皆さん撮りますよー!さん、にー、いちーーーーー」
夜は最初にいた部屋に、ハジメと二人で布団を敷いて寝ることになった。慣れた手つきで布団を準備しているハジメの姿を申し訳なさそうに見守りながら、りあは小さく声をかけた。
「あのさ……銀輪さん」
「何じゃ、よそよそしいなぁ。ハジメでええよ」
「えーっと、じゃあハジメちゃん。…本当にいいの? まだ会ってすぐなのに泊めてもらうなんてさ」
ばさっ、と掛け布団を膨らませ、枕のすぐ下にそろえてふわりと敷く。その上に勢いよく座って胡座をかきながら、ハジメはりあを見上げて首をかしげた。
「んー?なして急にそんなこと聞くん。うちらがりあと一緒に過ごしたいなーて思うたから言うてみたんじゃけえ、りあは気にせんでええんよ?」
それでもまだ何か言いたげなりあに、またにっこり微笑んだ。
「うちらぁまだりあのことちぃーとも知らんけど、みんなあんたのこと好いとるけえのお。互いにゆっくりいろいろ話しゃあええんじゃけ、あんたが帰りたなるまでここで楽しゅう暮らそーや。な?」
そこまで言って照れ臭くなったのか、少し慌てて布団の中に入る。
「早う寝にゃあ明日しんどなるよ?あんたもさっさと布団入りんさい」
「あ、うん……」
りあも寝る体制に入りながら、ハジメの言葉をもう一度頭の中で繰り返していた。昼間同じ布団で寝ていたときとはまるで違う心模様に戸惑いつつ、りあは聞こえるか聞こえないかくらいの声でハジメの背中に向かって呟いた。
「………ありがと、ね」
返事はない。笑いが混じった溜息を一つ吐いて、ゆっくりと目を閉じた。
ーーーat nightーーー
疲れていたのか布団に入ってから一瞬で眠ってしまったりあを確認し、足音に気をつけてこっそりと隣の布団から這い出る。目指す先は睦生のカフェの一角だ。
まだ目が慣れていないからか、昼間と違って白い電気の光がやけに眩しい。日中座っていたのと全く同じ席に、もう既に三人は集まっていた。
「りあの奴はもう眠ったか?」
「ぐっすり、な。色々あって疲れたんじゃろ」
全員が先程とはうってかわって緊迫した面持ちだった。声のトーンも心なしか低い。
「なあ。あの人が来たときに言ってたこと、覚えてるか?」
「ああ、はっきりな」
「当然よ。……言うタイミングが無かったんで黙ってたんだけど、あたしあのあともう一回あの人と話したのよね。その時聞いた詳しい情報もあるから、今まとめて話してもいい?」
周りを見回して全員が頷いたことを確認し、彼女は徐に話し出した。
「例の『あぶない街』……あそこのことなのよ。もう街の中だけではお金も人員もまかないきれなくなって、最近は『裏路地の不可視結界』を通してこちらの人間も巻き込んで行っているらしいわ」
荒廃した2120年代後半の日本国で起こった第三次ドラッグブームは最早狂気的なまでの盛り上がりを見せ、束の間の夢と幻惑に溺れた者達は科学力を総動員して『あぶない街』・略称『街』という裏社会に閉じこもった。原因も被害者数も曖昧な誘拐事件が頻発しだしたのも、丁度このころである。
二つの社会の唯一のルートとされているのが、『裏路地の不可視結界』。こちらの世界と『街』とを繋ぐ見えない扉のような場所を、彼らはこう呼んでいた。
その名の通り、結界はどんなに目を凝らしても肉眼で見ることはできない。そもそも結界があるとされている場所自体が見つからず、その上移動することまであるので、殆どの人間にとっては都市伝説のようなものだった。
「少しずつ、じわじわと規模を広めていくつもりなのだな。あっちは」
「そうみたいね。向こうの執念と科学力は計り知れない……記憶操作か何かで人々が気付いていないだけで、もう既に何人もの一般人が『街』へ連れて行かれている可能性もあるわ」
「やべえな、それも……」話を聞きながら、ハジメは「あの人」の言葉を思い出していた。りあを置いてこのカフェを去るとき、彼は彼女にだけ聞こえるような声で言ったのだ。
ーーー年が近いからって、あんまり肩入れしすぎねえようになぁ。お前さんも長いことこの仕事してりゃ分かんだろう?まさかってことも…あるからなぁーーー
(ありゃあ、どういう意味なんじゃろ……)
初対面のときは少し冷たい印象もあったが、彼女に警戒すべき箇所などどこにもない。過去に起こった悲劇の数々とりあの笑顔を重ね合わせ、ぶんぶんと首を振った。
「とりあえず……あたしは明日から、いろいろと情報を仕入れてみるわね。きっとそのうち『大仕事』も回ってくるだろうから、戦う準備もしといた方がいいかもしれないわ」
「杏。外出なら、俺も付き合おう。いざとなった時君の武器では目立ち過ぎる……あまり向こうの警戒を誘うようなことはできないからな」
「ありがと。そういうとこ相変わらず男前なんだから。ってわけであんたも、迎えが必要な時はお願いよ?」
「ったく……パシリみたいに言うなよな………」
「ハジメ」
そう呼ばれて顔を上げると、三人は少し心配そうにこちらを覗き込んでいた。
(そんなに深刻な顔しとったかな……?) 苦笑して首を傾げると、杏は優しく釘を刺してくる。
「どうあれ、あなたも気をつけておかなきゃ駄目よ。下調べはやっておいてあげるから、マイペースで鍛錬するなりリアちゃんといちゃこらするなり好きに過ごしなさいね?『一番槍』さん」
ぽん、と肩に手を置かれたのを合図に、その晩の話し合いはお開きになった。
音を立てないように部屋へ戻りながら、ハジメはふっと自嘲混じりの溜息を溢した。
(やーれ……いつまで経っても、あんたらには敵わんのう)
ーーーAfter thatーーー
ここ、カフェ・ヴォルブでの生活は、刺激的過ぎるくらいに平凡で満ち足りていた。朝起きて話をしながら朝御飯を食べ、昼間は睦生の仕事を眺めたり、たまには手伝ったり話をしたり。夜はハジメと話をしながら眠りにつく。
目が醒めるたびに慌てて今いる場所を確かめるが、横には寝起きのハジメがおはようと微笑むだけ。そんな日々が明けては暮れ、暮れては明けてゆく。……りあにとって間違い無く、「人生で一番幸せな時間」だった。
しかし、だからこそ気付ける変化もあった。ここへ来てから一ヶ月程経ったとある日の昼下がり、りあは人のいなくなったカフェに一人で座っている暁良に声をかけた。
「ねえアキラさん、ハジメちゃんがどこにいるか知らない?」
暁良はコーヒーカップを丁寧に机に置き、椅子ごと体の向きを変えた。座っているのに自分と大して目の高さが変わらない彼の長身ぶりに、改めて関心する。
「そういえば、朝からあまり姿を見かけないな……」
「うん。それにハジメちゃん、あんまり元気がないみたいで。朝御飯に行くときもいつもテンション高いのに、今日はなんか上の空でさ……」
彼はそうか、と独り言のように言って、長い息を吐きながらしばらく思案する。やがて観念したようにふっと笑って控えめに口を開いた。
「おそらくーーだが。ここの裏に少し開けた広場のような場所があってな……わかるか? 彼女はそこにいるだろう」
「そうなんだ……ありがとう」
「ああ、少し待ってくれ」早速外へ出ようとしたりあを、暁良が呼び止める。
「彼女に会えたとしても、その場所を俺から聞いたということは黙っていておいてくれないか?」
「えっ、なんで?」
「ハジメはそこで多分バトンの練習をしていると思うんだが……少しわけがあって、練習している姿をあまり人に見せたがらないんだ」
「……」わけがあって、という言葉が、少し気になった。彼女の過去に何があったのだろう?そして口には出さなかったものの、バトンというのがどういうものなのかも正直りあには分かっていなかった。とりあえず暁良にお礼を言い、カフェを後にした。
「………本当に、教えてしまって良かったんですか?」
りあが出て行ったのと入れ違いで、カウンターの扉が開く。睦生の表情は少し厳しかった。
「俺も迷ったんだがな。彼女の不安そうな顔を見ていると、黙って居られなかったんだ」
「甘過ぎますよ、あなたは」睦生が吐き捨てるように言った。
「件の疑惑も、もう殆ど固まったのでしょう?最終的に辛くなるのは彼女達のはずです。それなのにーーー」
「兄さん」止まらない言葉を遮る。「もしかして、怒ってるのか?あの時のことと重ねて」
「……!」ぐっ、と一瞬言葉に詰まる。噛み締めた唇を解いて、睦生は申し訳なさそうに俯いた。
「すみません……ただの八つ当たりです。もう戻れないことは、分かっているはずだったのですが。…大人気ないですよね」
『もう戻れない』という言葉に二つの意味があることを、お互い痛いほどに理解していた。
「気に病まないでくれ。俺だって、おそらく杏だって……こんな仕事をしていてなお、いつも正しい人間になんて永遠になれはしないさ」
言いながら、茶葉や角砂糖が所狭しと置かれた棚の向こうをぼんやりと眺める。
(己が無知なことで大切な人の力になれない悔しさと、すべてを知ってしまったときの苦しさ。一体、どちらがより辛いのだろうな……?)
暁良は誰にともなく、心の中でそう問いかけた。
ーーーreminiscencesーーー
「す、ご………」
聞いたとおりの場所に着いたりあは、思わずそう口に出していた。暁良の予想は見事に的中し、そこには紛れもなくハジメがいた……のだが。
(あれが…「バトン」ってやつなのかな)
丁度腕と同じくらいの長さの銀色の棒が二本、糸でもついているかのように巧みに操られていた。ある時は一本を投げ上げる間に別の一本が身体を這い、またある時は両手に持ったそれの回転を止めないで流れるように入れ替える。時間差で投げ上げた二本はわざと高低をつけて、一本目は普通に、二本目は振り返ってキャッチ。同時に二つのバトンを追う目つきは真剣ながら、口元にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
ひときわ高く投げたものを転回後にばっちり取って、彼女はそこでやっとりあの存在に気が付いた。
「……りあ!?あんたぁいつから居ったん!?」
「ほんのちょっと前だよ。すごいね、さっきの」
もう練習する気はないのか、ハジメは両手に持っていたバトンを右手にまとめて近くの椅子へと身振りで誘導した。興味深々で隣からバトンを覗き込んだら、少し彼女の手に力が入るのがわかった。
「あんまり人には見せとうなかったんじゃけどなぁ……」
「なんで?あんなに凄いのに」
「いーや、うちのなんか全然よ!ほんまの踊り手さんはもう、ぶちたまげるくらい優美なんじゃけん」
そんな大袈裟な、ハジメちゃんだって充分きれいだったのにーーと言おうとしたが、ハジメの目が謙遜のそれではなく本当に真剣だったので思わず頷いてしまう。
「うちのは邪道なんよ。ほんまはこう、カウント言うて動きの端から端までピシャッと皆で揃えて踊らにゃいけんぶんを、うちがやるとどーも上手いこと行かんのよ。後はほら……こうしてバトンが回るじゃろ、この回すスピードがうちのは速すぎるみたいなんよね」
話しながら、一本を指の間でくるくる回してみせる。
「そんでから皆と合うように何回も教わるんじゃけどどーっしても上手いこと行かんのでから、もう危ないけえソロに路線変更しんさい言うて先生に言われたんよ」
大怪我もしたりさせたりしとったしね、あのあとはちょっと荒れたねえ、と懐かしむように付け加える。からりとした表情ものんびりした何時もの話し方も、それが遠い昔のことだと物語っていた。
「そうなんだ……私はハジメちゃんの踊りかっこいいと思ったけどな」
そう言うと、ハジメは少しだけ目を伏せた。
「見た人が幸せになるような、そんな踊りがしたかった筈なんじゃけどなあ……でも。
でもな、りあ。うちの踊りはーーー」
「おい!ハジメ!!!」
突然の叫び声。
最初はなんのことなのかさっぱり分からず、無関係なことかと思った。
しかしどこかで聞いたことがあるような声だ。誰だっけ……まあいいや、ハジメちゃんの話の続きを聞こうーーと思って隣を見たとき、りあは絶句した。
ハジメは声の主の方を凝視し顔面蒼白になっていた。何かに怯えるように小刻みに震え、バトンを持つ手は力が入りすぎて白く見えるほどだった。
「ハジメちゃん……!?」
声の主はそんな彼女の様子を知ってか知らずか、こちらへ走り寄ってくる。
「い、イツキさん?」
「どうやら『大仕事』が入ったらしいぜ……」
その言葉を聞いて両目を見開いたハジメを一瞥し、伍樹はガッと彼女の左手首を掴んだ。
「こっちだ!」
叫び声の意味も、ハジメと伍樹の様子の変化もさっぱり訳が分からない。分からないが、何かとんでもないことが起ころうとしているのは肌で理解できた。息を整える間もなく再び走り出す二人の後を、りあは一生懸命に追っていった。
ーーーanother sideーーー
「『あんず巡査』……、っと」
杏がタイピングしたパスワードに反応し、十数種ものウィンドウが開いた。バクかと思われるほどの膨大な文字列を斜め読みし、片手で持ったタブレット端末に表示された地図にマークをつけていく。
「ご近所の方々の証言、小規模な異常気象、過去の事件簿、その他諸々のネット住民の推察……これを『裏路地』の定義をあてはめれ、ばッ!」
タンッ!とタブレットのエンターボタンを叩くと、陳腐な効果音と共に赤色の星マークが光った。
「………当然、ここで間違いないわね。次の『結界』の場所は」
その日、杏は赤い星マークの場所を訪れていた。最初は伍樹と一緒だったのだが、急な作戦変更で今は彼女一人である。
(こうやって一人で偵察するのも久しぶりね……まあ長い間何も無かったってことなんだから、その方が平和でいいんだけど)
こき、こきり、と首を回す。あたしも年とったわねえ…とひとりごちて、あるものを取るために背中へ手を回した。
(さあて。地域の人に事情話して、避難の準備もしてもらったしーー)
「そこに居るのはとっくに分かってるのよ?観念して出ていらっしゃい、『街』の住民さん」
ヒュン!と空気を切り裂く音が語尾に重なる。
「なっ……う、うわあ!?」
みなまで言わせるつもりはない。ほとんど骨と皮しか無い痩身の男は、次の瞬間全身を縛り上げられていた。
「かっこいいでしょ、あたしの鞭。普通に攻撃することも、こんな風に縛っちゃうこともーーー」
急に男に近寄った杏は、鞭の持ち手についた鋭い鉤爪を男の喉元に当てがって笑顔で言う。
「こうやって、あなたを脅すこともできちゃうのよ?
さあ、『夢の配達人』について吐きなさい!」
(……ちょっと…アプローチが急過ぎたかしら………?)
もういい年なのに今にも泣き出さんばかりの顔でガタガタブルブル震えているその男を見て、さすがの杏もちょっとばかり罪悪感が湧いてきた。
とりあえず一旦鉤爪をおろしてみる。
「あ、あんた……なんでオレが『街』出身だって…あんた、何者なんだ!?」
「ドラッグやってる向こうの人とただのホームレスの違いなんて、あたしじゃなくても一瞬で分かるわよ。警察官ならね」
「けいさつ……か。はぁ…そうか……」
男の目はぎょろりとしてひどく濁っていたが、遠くを見つめる目つきには絶望の他、一抹の安心のようなものが浮かんでいた。ああ、この人も被害者なんだな、と杏は思う。
「オレが捕まんのは当然だが……やっぱり、旭川サンとこの娘さんも罪に問われるのかね…?」
「旭川サン?」
「『夢の配達人』……密売人として生きてる女の子さ。あの娘自身はヤクはやってないみたいだが、今までにも沢山の人を『街』へ引きずりこんだ熟練者でなぁ。ちょっと前にあの娘がこっちへ来たんだがなかなか帰ってこないってんで、オレが探しに来たってわけだ」
やっと探し求めていた言葉が出てきたので、思わず身を乗り出した。
「当然、『夢の配達人』を見逃すわけにはいかないわ。彼ら密売人の存在が昨今の『街』の膨張の直接原因とすら言えるんですもの。……で、その旭川サンってどんな人なの?」
出来るだけ落ち着いた声色を作って尋ねる。彼女に同情でもしているのか最初のほうはかなり言い渋っていたが、黙って鉤爪を突きつけると恐怖に負けたらしく口を開いた。
「あ、あの茶色い髪の、薄汚い格好の女の子だよ!口が悪くて、目が死んでるみたいに真っ黒で、」
(薄汚い?……この街はかなり綺麗に整備されてるわ。そんな娘がいたら、いくら熟練者とはいえ大分目立つはずだけど)
本部の報告はおろか、ご近所さんの噂すら聞かない。まさかこちらに隠れ場所でもあるのだろうか?
「その娘がこちらへ来たのはどれくらい前?」
「た、たぶん……上の人の話じゃあ、今から一ヶ月くらい前だ。新しくできた結界を通るって言ってたから、オレと同じようにこの隣の通りからこっちに来たんだろ」
「…!?」
杏の頭に、とある仮説が浮かんだ。自分がちょうど一ヶ月前に見たこと、聞いたこと。例の自称・吟遊詩人の探偵があの少女を見つけたと教えてくれた場所は、たしかーーー
(嫌よ……まさか、そんなことが…!)
動悸が早くなる。鉤爪を持つ手が震え出す。それでも無理矢理口を動かした。
「その娘の、名前は?」
「旭川、下の名前はたしか……りあ!そう、旭川罹婭だよ!ほら言ったぞ、おっかないから早くそれを外し………おい、あんたどうしたんだ?おい、警察のねーちゃん?」
ーーーat Lastーーー
引っ張って行かれた先は薄暗い町の片隅だった。前を歩く二人に聞きたいことは山ほどあったが、その剣幕に圧倒されて何も言えないままに……りあにとって見慣れた裏路地へと入っていく。
「ここで杏が先に偵察してるはずなんだ。もうそろそろ尻尾は掴めた頃合いだと思うけど、全く連絡来ねえんだよな……」
「っーーーーーー!?」
さっきから何のことなのイツキさん、と聞こうと開きかけた口がいきなり何者かに閉ざされた。
「!!」
「探したぜぇ、旭川サンよぉ。こっちの世界でどこほっつき歩いてやがった!」
骨ばった大きな手に荒々しい手口……ああ間違いない、顔を見なくてもわかる。『街』の狂った大人だ。
「(やめて、もう私は………!)」
瞬間、前方で銃声が響き渡る。数人分の唸り声と一人分の咆哮ーーおそらく、伍樹のものだ。
「警察の犬なめんじゃねえぜ?こちとら最初から計算済みで喧嘩売ってんだっつーの!」
連続で響く銃声に、りあを抑える『街』の住民の動きも止まるーーハジメはその隙を逃さなかった。
「はぁっ!」
ブオン、という重たい風が吹いたと感じた直後、背後の男が吹き飛んでいたのだ。
「て、めぇ……」
「遅いッ!」
後ろに控えていた人間にも一度、二度と振るわれた彼女の腕で再起不能になっていった。
「こっちのバトン使うんは久しぶりじゃけど……この分なら、余裕じゃわ」
さっき練習で使っていたものと違い、棒部分が赤色の太いバトンが二本、彼女の手の中で猛スピードで回る。
「……ハジメ、ちゃん………?」
「下がっとりんさい。大丈夫、怪我はさせんけえ」
悠然とりあの前に出たハジメが、振り返らないまま低い声で言った。
「だけん、言うたじゃろ?うちの踊りは」
「見た人を、不幸にする」
ーーー
銃声と悲鳴と鈍い金属音と骨の折れる音と悲鳴と悲鳴と雄叫びと………地獄絵のような光景が妙に遠くに見える。りあに初めてできた友達が、伍樹が、ハジメが、血飛沫の中で生き生きと舞っていた。
こんなはずない。みんなはこんな人じゃない。だってこんなの、まるで。まるでーーー
「お、っ……と、危ない。大丈夫か?」
意識が遠のいて倒れそうになったそのとき、聞き慣れた優しい声がした。
「アキラさん………!!」
そっと身体を支えてくれる温かい大きな手に、りあは束の間ながら安心した。分厚いマントを身につけてはいたが、暁良は目の前の地獄絵図に加わる様子はない。ああ、この人はいつも通りなんだ……そう思うと、状況に似合わず少し涙まで滲んできた。
「チッ、また面倒なのが……!」
『街』勢力側の数人が彼の存在に気付いたのか、何かをこちら側へ投げつける。
「くっ、下がれ!」
りあが反射的に身を縮めると、次の瞬間閃光と爆音があたりを包み込んだ。
「………!!」
うっすらと目を開けると、何故か先程攻撃をしてきた『街』勢力がその仲間達を巻き込んで吹っ飛んでいた。
そして。
「ほう………さしずめ目くらましと足止め用の小型爆弾、と言ったところか?殺傷力は三倍返しでこの程度ならそこまで気にかける必要はなさそうだが…あまり油断するんじゃないぞ。ハジメ、伍樹」
はらり、と掴んでいたマントを手放すと、暁良はそう言って不敵に嗤った。
呆然とするりあの方へ向き直る。なにか言いたげに口をぱくぱくさせる彼女に面と向かうと、彼は無言でその両手を取ってーーー
がしゃり。
「ーーー、え?」
ひと思いに手錠をかけた。
ーーー
「いっや〜みんなすまねぇなあ、遅くなっちまって!杏ちゃんが迎えに来るんがおっそいのよ……って、人のせいにしちゃいけねえやなぁ。おーう悪かった悪かったぁ」
気の抜けた男声が血の海にこだまする。ふぬけた感じの物言いなのに、むしろ空気が別の緊迫状態へと変わったようにすら感じた。
「おぉおぉ、片付いてる片付いてる!流石ははおれっちの『仕事仲間』ってもんだ!」
地に伏す者も立っている者も、その場にいる全員がその男を知っていた。……否。ただひとり、りあーー旭川罹婭ーー彼女だけが、失ったはずの記憶を猛スピードで巻き戻していたのだった。
……あの日。私がハジメちゃん達と出会った日、私はこの男と接触している。ハジメちゃんに初めて会ったのは寝室。ハジメちゃんは、私が「行き倒れになっていた」と言った。私が意識を失ったのはいつ?その日の早朝。私はノルマ分のドラッグを売り終えて『結界』から向こうに帰るところだった。なのになのになのにこの男が。急に話しかけてきた鬱陶しい男が。帰る直前の私に何か言って。私の首筋に何かを仕込んで。動かなくなった私を担いで歩いて歩いて歩いて歩いて歩いて、着いた場所はあのーーーーー
「な、んで……なんでよ…………
なんであんたがここに居んのよぉ!?!?!?」
声が自分のものでないくらいにブルブル震えていた。みっともなく零れ落ちる涙も鼻水も、もう何から来るものなのか分からない。
「何でっておじょうちゃん、アンタを迎えに来たのさぁ。4人の頼れる仕事仲間と一緒にな」
「4人の、仲間………!?」
「そうよ」
黙って男の後ろに控えていた杏が、無感情に答える。
「彼は……私達武装警察団と連携を組んでいる、探偵よ」
杏と正反対に男はニコニコ笑いながら、罹婭へと歩み寄ってきた。
「みんなの働きのおかげで、おれっちの感が当たってたことがバッチシ証明できたってわけだ。調べ物から証拠写真まで用意してくれちまって!流石は杏ちゃんだ!」
罹婭の前で、わざとらしくピラピラと写真をちらつかせる。……初めて会った日にみんなで撮ったコスプレ写真の真ん中で、今よりずっと表情のかたい自分がぎこちなく笑っていた。
「………こ、れ…」
「ごめんね、恨んでいいわよ。全部最初から仕組まれてたことなの」
写真の中の自分の肩に手を回し、元気よくピースサインをしていた杏。今はもう、目も合わせてくれない。
「ぜんぶ……うそ、だったの………?」
「りあ、」
何か言おうとしたハジメを伍樹が制する。それを横目で見ながら、男はさらに声をはりあげた。
「そうさ!ハジメちゃん達がアンタに見せた優しさも!心遣いも!無償の愛も!この期間に築いた友情も!」
やめて、
「何もかも全て!!」
やめて、聞きたくない。
「全部、全部、ぜーーーんぶ!!!」
「その場限りの、嘘だ」
ーーーFinallyーーー
「……なぁ、オッサン」
「おぅ?なんだ小僧」
ひとり抜け、ひとり加わったので頭数こそ変わりないカフェ・ヴォルブだが、どうにも重い空気が立ち込めている。伍樹はちらちらと隣の部屋を見やりながら、少し棘のある口調で尋ねた。
「いくら悪質な『夢の配達人』だからって、何もあそこまで追い詰めることなかったんじゃねえの?あんな言い方されちゃ、俺だって人間不信になるぜ」
探偵の男・再果はいつもと変わらないニコニコ顔で言い返す。
「やっぱ甘ぇなあ小僧は。罪人に同情なんかしてちゃあ、この仕事は務まんねぇ。まあなんだ、そんな落ち込むなーってな、ハジメちゃんにも伝えといてやれや」
「お、俺が言うのかよ!? ってかそんなんじゃ納得しねぇだろハジメは」
どんなに恨みがましく見つめても、この男はやはり動きそうにはない。思わず溜息をついた。……こういう人間なのだ、再果は。
(あー……、ハジメの奴に何て声かけるかなぁ………)
眉間に皺を寄せながら、彼はまた頬杖をついた。
ーーー
ひとりぼっちのこの部屋に入ってから、もう何日目でしょうか。
探偵と名乗るあの男から屈辱的な事実を聞かされたあの日、私は気がおかしくなるんじゃないかとまで思いました。
と言うか、何故ならずにすんだのだろう。今の私にも、実のところよくわかっていません。
あの日、私は最後にちらっと見てしまいました。
ハジメちゃんが私に見えないような角度を必死で探して、声を殺して泣いていたのを。
イツキさんがあの男の言葉に、拳を握り締めていたのを。
小刻みに震えていた杏ねえさんの肩を、アキラさんが軽く抱いていたのを。
たとえ今まで優しくしてもらったことの全てが仕組まれた出来事だったとしても、私にはそれだけで、十分です。
演技でも、嬉しい。
私はみんなとの出会いで、ほんの少しだけ変わったような気がします。
本当に、ありがとう。
旭川罹婭
ーーーthe Endーーー
ありがとうございました!