三章 その1
アレリアとレイは道なき道を全速力で走っていた。
アリエルはレイの肩に乗って道を示している。
「つまり、監視員もグルってことだ」
「なるほど、それなら納得もいきますね」
普通の、何の技術のない者たちだったら絶対に再現できないような速度で進む。
アレリアの周りには仄かな燐光が漂っている。
これは魔力の光だと、レイはすぐに思い至った。
通常、人が魔力を使用する際、そのすべては施行される魔術に使われる。しかし、今回のアレリアの場合でも言える事だが、生成する魔力に対して消費する魔力が少ないと、余剰な魔力が体外に排出され、使用者の周りを照らす形になる。
今回の場合はアレリアがレイに速度を合わせているからであり、そのことをレイは申し訳なく思っていた。
アレリアならば、恐らくは今よりも更に速度を上昇させることが可能だろう。
しかし、レイには肉体強化術についてあまり詳しくない。前衛用の魔術自体、あまり知識はないのだ。そもそも召喚術は遠距離職であり、今のように肉体強化術を使うことなど想定されてない。さらに、今現在レイはアリエルを召喚、使役しているために、肉体強化術を充分に制御できないでいる。これらの理由からレイはアレリアと同等の速度を出せないでいた。
「レイ」
不意にアレリアが口を開く。
「千晶に伝えたいことがある。連絡をとる事はできるか?」
レイはアリエルに目配せする。アリエルは頷き、
『一方的にならすぐにでも。向こうの言葉も伝えることができるけど』
「必要ない。今は敵に見つからない事が重要だ」
きっとアレリアは千晶が声を出してしまうことを恐れたのだろう。なぜならば一般的に言われる、潜入する上で最もやってはいけないことは「敵に気付かれること」だからだ。単独ではなおさらだが、敵陣真っ只中に突っ込むのだ。見つかったらタダではすまない。
『わかったわ。で、なんて伝えたらいいのかしら?』
「最初に監視員を狙え、と伝えてくれ」
『わかったわ』
「なるほど。変に介入される前に潰しておくということですか」
監視役が純血主義だった場合、おそらく行ってくるのは理不尽な理由での介入だ。こんな状況の介入だ、こちらは不利益を被るに違いない。故の判断だろうとレイは考えた。
「そうだ」
短く答えるアレリア。その顔に感情が浮かぶことなく、文字通り無表情となっている。
思い返してみると、状況が逼迫するにつれてアレリアのしゃべり方が普段のそれと違うものになっている気がする。
ただ余裕がなくなっているだけなのか、普通ならそう思うだろう。しかし、レイにはもう1つの要因が考えられた。
それは一般的に感情封印術と呼ばれている。
感情封印術は戦闘に不必要な感情を封印し、非常な戦闘マシーンに自身を近づける術だ。
人は極限状態に陥ると、精神に過度の負担をかけることを避けるために無意識的にこれに似た状態になると聞いたことがある。
しかし、今の状況はそうではない。
少なくとも関わろうとしなければこちらが被害を被ることはない。
そんな状況でもその状態になるとしたら、
(それは環境適合などではなく、人為的な何かによるものですね)
レイは考える。
自分の意思でその状態へと進むことができる。その術が存在するとしたら。
その術を無意識に使うことのできるとしたら。
レイは頭を振るう。
深く考えても仕方がない。
今は目の前のことだけ考えよう。
そう思いながら歩を進める。
『そろそろ目的地ですが、かなり状況が逼迫しているようです。
それと、少し離れた所に何かいます』
「何か?」
『今の状態では何とも言えません』
「そうですか。どちらにせよ、急がなければならないことには変わりないようですね」
レイは言葉を区切り、アレリアに目を向ける。
「先行してください。私もすぐに追いつきます」
「わかった」
アレリアは短く呟く。
レイは再びアリエルに視線を向け、
「私たちはその何かに向かいましょう。アリエル、行きますよ」
『わかったわ』
そう言って、レイは方向を変えて森の中に消えていった。
対してアレリアは道をそのままにその速度を上げ、目的地に急ぐ。
「 」
不意に声が聞こえてくる。
罵声だ。憎しみのこもった声が辺りに響き渡る。
「 」
まずいな、とアレリアは直感した。
そこにいるのは二人の女性。
一人はその煌びやかな金髪を振り乱し、手に握っている棒状の何かを叩きつけている。
一人はそのボロボロになった体を引きずって、必死に金髪の女性から遠ざかろうとしている。
その髪、服には泥が付着していて、その怯え様から、普通の状態ではないことは容易に判断できる。
(気絶寸前か)
淡々と状況を把握する。
もう何時意識が飛んでもおかしくはないだろう。精神的にも、肉体的にも、もう限界だとアレリアは考えた。
アレリアは腰の剣帯から剣を抜く。
金属が擦れ合う特有の音が周囲に響き渡る。
走る速度を上げる。それと同時に辺りに溢れていた燐光が消えて行く。
それは使われず、ただ辺りに放出されていた魔力がすべて消費されている証拠。
腰を落とし、剣を構える。
向かうは森を抜けた先。
起こるであろう惨劇を止めるためにアレリアは進む。
踏み出すのを躊躇わない。
「行くぞ」
誰もいない中、ただ自分に言い聞かせるために呟く。
そしてアレリアは森の先へと駆けていった。
○
森の先では二人の少女が戦っていた。
そのうちの一人、金髪の女性――メルティアはその槍を一心不乱に振り下ろしていた。
その目は血走り、息は荒い。
まるで何かに取り付かれたかのように、もう一人にひたすら罵声を浴びせている。
その声は試験開始前に、アレリアたちと話していたものとは違うものだった。
酷くしわがれ、抑揚なんてものは存在しない。
ただ獣のように、その感情をぶちまけている。
「…うう……」
対して――メルティアの猛攻に晒されている少女は、泥や傷に塗れた体を引きずり、必死にその槍を防いでいた。
手に握っている剣は刃毀れし、折れかかり、もう剣としては機能しないであろうと思われるぐらいの有様になってしまっている。
「…もう……やめて……」
少女に戦闘の意思はない。ただ、この苦痛が終わることだけを望んでいた。
そもそも、彼女がメルティア一行に戦闘を仕掛けた訳ではない。
少女の一行がただ黙々と点数を伸ばしていたところにメルティアは現れ、攻撃を仕掛けてきたのだ。
しかし、それは決して違反ではない。むしろそういう要素を持った試験だということを彼女は理解していた。
監視役はちゃんと存在して、勝敗を告げ、行き過ぎた事は起こらないと思っていた。
しかし、そんな考えはすぐに泡と消えた。
どれだけ待っても、どれだけ叩きのめされていても、仲裁なんてものは入らない。
攻撃されても死ぬことはない。これは絶対なものだと思われている――普通ならば。しかし、どんなに完璧だと思われている事であっても抜け穴は存在する。
現在、少女には守護魔法の救済のおかげで『死』は訪れない。しかし、これは同時に絶え間ない拷問が可能であることを意味していた。
今回生徒全体に施された守護魔法は「勝敗を決める」という特性上、痛覚の遮断は行われない。メルティアはその抜け穴を利用したのだ。
その抜け穴を埋めるために監視員が配置されていたのだが、どういう訳か機能していない。
何故かはわからない。少なくとも少女にはもう、何も考える力は残っていなかった。
「やめてあげてもいいわよ……貴女が眠ったらね!!」
更に激しさを増す槍撃。
メルティアの槍を受ける度に悲鳴を上げる剣。
メルティアの声と、槍と剣が重なる音だけが聞こえる。
足はもう動かない。いや、足だけではない。全てが動かない。
だんだんと意識が遠のいて行く。
剣を握る手が緩み、弾かれる。何処へと消え去る剣。
メルティアの顔が狂喜に歪む。
槍を振り上げる。
「…あ………あ………」
少女の口から声が漏れる。
全てを認めたくないとばかりに、これは夢だと自分に言い聞かせるように。
しかしそれは叶うことはない妄想。
現実は迫る。
「お眠りっ!!」
槍が振り下ろされる。
反射的に目を瞑る。
次に目を開いたとき、目に映る光景が自分にとって嫌だと感じるものでなければいいなと願いながら。
しかし、意識がなくなることはなかった。
金属がぶつかり合う音が聞こえる。
「なっ――!?」
メルティアの声が聞こえる。
その声は酷く驚き、上擦っている。
何が起こったのか? これは自分の意識がなくならないことに関係があるのか?
そう考え、そっと目を開く。
「………え?」
目に写ったのは自分達を襲った金髪の女性ではなかった。
男だ。後姿しか見えないが体つきから判断できる。
男はその赤みがかった髪を靡かせながら、剣を振り終わった体勢のまま、メルティアと少女の間に立っている。
誰だ? それが少女の率直な感想だった。
思いがけない外野の介入によって少しは心に余裕ができたのか、その程度のことは考えることができるようになっていた。
男は無言のまま残身を解き、メルティアと向かい合う。右手には剣を握っていてる。その剣は装飾性の高い煌びやかなものではなく、よく軍で兵士が使っているような実用性に重きを置いたもののようだ。
メルティアは驚いた表情のまま、不自然に槍を持っている。おそらくはこの男が弾いてくれたのだろう。
「あなた……どうしてここに……いや、なんでここが……?」
メルティアは驚きの表情のまま驚きの言葉を口にする。
それに対し男は無表情に近い表情のまま、
「君たちが何をやろうとしてるのか、知ってしまってね。どうでもいい内容なら無視してもいよかったんだが、どうもそういうものでもなさそうだし。
メルティア、どういうつもりだ?」
「いえ……それは……その……」
「……」
男は無言のまま相手を見つめる。
「――くっ、マリア、シャスティ!!」
メルティアは後ろに跳び下がり、困惑した表情のまま叫んだ。
その声と同時に男も同様に後ろへ飛び下がり、少女の隣に立つ。
先ほどまで男が立っていた場所には、一本の矢が突き刺さっていた。
「アルベーン嬢!!」「お嬢様!!」
メルティアの下に駆け寄る二人の少女。一方は小回りが聞くであろう小型の弓を持っていて、もう一方は右手に剣を持っていて、体の要所要所を鎧(おそらくは皮製だ)で覆っている。
「後衛一人に前衛一人追加か」
男は呟く。
男は三対一という戦力差が出来ているにも関わらず、その表情を歪める事はない。
「アルベーン嬢、彼は?」
革鎧を着た少女がメルティアに話しかける。
「彼は…」
「誰でもいいですよ、シャスティ。お嬢様を襲う不貞の輩を排除するのが私たちの役目ですよ。誰であっても、敵は敵です」
メルティアの返答を妨げたのはもう一人の、弓を持った少女だった。革鎧の少女は構えを解いてメルティアの傍にいるのに対し、この少女は矢を番え、男を睨んでいる。
「それもそうか……アルベーン嬢、彼をどうなさるおつもりで?」
「………」
「お嬢?」
「シャスティ。お伺いする必要はないわよ。彼はお嬢様に剣を向けている。その事実だけで充分」
「そうだな………おい、そこの男」
革鎧の少女は男に意識を向ける。
「悪いが、そういうことだ。私にはお嬢様を守る義務がある」
革鎧の少女、シャスティは剣を正眼に構え、
「だから……ここで、倒れろっ!!」
男へと突っ込んでいった。