三章 その4
同刻、エリアーナ教育学校では発生した問題の対応に追われていた。
原因は言うまでもない、異常種の発生のためだ。
試験官、監視員の控え室だった部屋は既にその機能を果たしてはいなかった。
「討伐班編成を急げ!!」
「探索班からの報告はまだか!!」
慌ただしく動き回る役員達。その全てが狼狽の色を隠せていなかった。
そんな様子をルベリエは眺めていた。
その顔に焦りはない。感情を失ったような表情でただただ見つめている。
「校長」
試験官の腕章を着けた教員がルベリエに話しかけた。
「討伐隊の編成はどうなりそうだ?」
「あと五分もあれば完了すると思います」
「そうか、できるだけ急がせろ」
「わかりました」
教員はルベリエに一礼し、控え室に戻っていった。
一人になったルベリエは、
「戦力になりうる生徒は現在特務で不在。隊の編成も間に合いそうにありません。
申し訳ありませんが、お願いしてもよろしいでしょうか?」
何もない虚空へと呟いた。
○
「あ~っ、まったく、いつになったら終わるのよ。きりがないわ」
「口を動かすよりは手を動かして下さい……」
「わかってるわよっ!」
千晶、レイは森の開けた場所に立っていた。
レイは傍らに精霊を従わせ、本を開き、立っている。
対して千晶は、腰の小太刀を二本とも抜刀し、逆手に持った状態で、無数に転がる虫の死骸の上に佇んでいた。
「これ、アレリアも呼んだ方がいいんじゃないの?」
「今アリエルの制御を解いたらこの怪物の相手を千晶一人でしなくてはいけなくなりますよ。いいんですか?」
「今の話はナシで……っ」
千晶が動く。
千晶は残像が残るほどの速さで地を駆け、気づいたときにはその小太刀で蟷螂の眉間を割っていた。
千晶は新たに加わった死骸を足で移動させながらレイの方を見る。
「ほんとに……なんでこんなやつが……」
そこに居たのは蟷螂のような姿をした何かだった。
体の形状はほとんど蟷螂と変わらない。違うところといえば、体中が甲殻に覆われ、獲物を捕まえるための鎌状の前足がその本来の機能を捨て、切り裂くための本物の鎌になっているというところか。
「……異常種か……ほんと、ついてないね」
「まったくです」
異常種の周囲を覆うように風の壁が形成されている。異常種は複眼を不気味に光らせながら、その壁に鎌を叩きつけている。しかし降り下ろされる鎌は風の壁をすり抜け、空を切るばかりだ。
「アリエルは戦闘には向かないですからね。しかし、切り替えていたら風壁は維持できませんし……どうにかなりませんかね?」
「私一人じゃ無理よ。周囲の被害を考えないのだったら可能性はあるけどね」
「周囲への被害は最小限に抑えなければならないでしょうね。それを考えると、最善の行動はこのままこの状態を維持して、討伐隊の到着を待つべきでしょう」
レイは溜息をつきながら告げる。きっと学校側の対応の遅さに呆れているのだろう。
「やはり首都とは違いますね」
「首都とこんな辺境の街を比べちゃダメでしょ」
「ま、そうなんですけどね。 ほら、次が来ましたよ」
「まだいるの~」
次々に現れる蟷螂の首を次々と落としつつ、異常種の周りをぐるぐると回る千晶。
疲労の色は隠しきれていないようだが、原因は肉体的な要因ではなく、精神的なものだろう。
「これで何匹目~?」
「さぁ?」
「さぁ? ってなによ! ちゃんと数えてよ!!」
「はぁ、二桁はいっていると思いますが」
「そんなことはわかってるよ! 何回この作業繰り返してると思っ……てんの……よ」
尻すぼみになって消えていく声。
原因は目の前にあった。
風の壁に阻まれていた異常種が突然咆哮をあげたのだ。
突如としてその雰囲気が一変する。
凶暴化。その言葉が二人の頭をよぎる。
「あらら~」
「まずいですね……」
咆哮に呼ばれ、蟷螂が現れる。それも一匹や二匹というレベルではない。
その群れが一斉に咆哮をあげる。
――そして蟷螂は雪崩の如く、行動を開始した。
「千晶」
一声で全てを察したのか、個別行動をしていた千晶はレイの側に駆け戻る。
「私一人じゃこの数は無理よ」
「わかっています。少しでいい。時間を稼いでください」
「了解――」
肩からナイフを数本引き抜き、一斉に投擲する。
しかし、全てが蟷螂に命中するわけでもなく、いくつかが標的を外れ、地面や木に刺さる。
痛みに悶え苦しむ仲間などいないかのように、雪崩はこちらに向かってくる。
この程度の攻撃では威嚇すらならない――と思われた。
千晶は肩から新たなナイフを引き抜き、同じように投げる。
変化は唐突だった。
雪崩の最前線にいた蟷螂がバラバラに崩れさった。
ある一定の領域を越えようとする蟷螂は次々と細切れに変わっていく。
続いて千晶は空中にある何かを掴み、捻る。
その行動によりさらに数匹の蟷螂が破片となる。
「いつ見ても見事な弦手繰りですね」
レイが感嘆の声を上げる。
弦術「弦手繰り」
今千晶が使っている術の名前だ。
弦手繰りは「格子牢」と呼ばれる術の派生であり、格子牢は糸を張り巡らせて領域を設定し、そして張り巡らされた糸を操作することで領域内の敵を切り刻む戦闘術である。
この術は本来、予め領域を設定しておく必要がある所謂「待ち」の術であるのだが、ナイフに糸を括りつけ、投擲するなどしてその手間を省くのが弦手繰りである。
「こんなことになるのならちゃんと張っとけばよかった」
「もちませんか?」
「格子牢みたいに大技ばっかって訳にはいかないみたいね、やっぱし」
だが弦手繰りは手間を省いているためにあまり負荷には耐えられず、また、張った量も少ないのであまり広範囲に対応することもできないという欠点がある。
「格子牢の真似事をするには少し無理があるようですね」
「劣化版だからね。本来の使い方と違うし」
ほいほいと糸を操って蟷螂を切り刻んでいく千晶。
「決定打にはなりませんか」
「やっぱ規模がねぇ」
腰の小太刀を抜いて張り巡らせた糸の一部を切断する。
それによって領域の範囲が変わり、今まで範囲外にいた蟷螂にも攻撃が及ぶ。
「このままこの膠着状態が続いてくれるといいんだけど」
「そう思いたいところですが、現実はそんな生易しいものではありませんよ。ほら」
レイが指摘する。
やはりあの雪崩には対応しきれなかったようだ。張り巡らされた糸の領域を抜け、こちらへ向かってくる蟷螂の数が徐々に増えてくる。
「あちゃー」
「限界ですね」
一匹、また一匹と領域を抜け出ていく蟷螂。
五体満足で抜け出たものもいれば腕や足など、どこかに欠損が見られるものも見られる。
揃って言えることは抜け出る蟷螂は皆、その複眼を狂気で満たしているというところか。
異常種の咆哮の影響なのか、すべての蟷螂が共通して正気を失っているようだ。
抜け出てくる蟷螂を領域を移動させながら駆逐していく千晶。
しかし「静」の術を無理矢理「動」の術として運用しているためか、駆逐するために領域を移動させていくに連れて、糸の数は減少し、領域の範囲が狭まっていく。
「まずっ」
埋めようとすればするほど広がる穴。
終わりが見えない泥沼とも言える局面に千晶は声を漏らした。
「間に合いそうにないっ!! レイ! ラスト行くよっ」
そう言いながら千晶は残った糸の全てを思い切り捻りながら引く。
それによって張り巡らされた糸は一つに集められ、重ねられ、織り合わされていく。
たとえ異物が混ざっていても構わない。異物は糸に触れた途端、肉片へと名前を変える。
これが弦手繰り。格子牢では使うことのできない戦闘法。劣化を受け入れた代わりに手に入れた自由。
千晶は新たに現れた敵――凶暴化した蟷螂の雪崩の約半数を弦手繰りだけで葬ったのだった。
だが、半数を葬ったとしてもまだ半数は生きている。千晶は糸を持つ手を放し、再び腰の小太刀に手を添えた。
蟷螂はもうすぐそこまで迫っている。
弦手繰りによって、五体満足でなくなり、傷だらけになっていたとしても、決して歩を止めることはない。
狂気に目を曇らせ、その最後の一兵が尽きるまで、この雪崩が止まないだろう。
戦況は絶望的だ。
だがそんな状況でも千晶の目の輝きが消えることはない。
「時間稼ぎは?」
「十分です。よくやってくれましたね、千晶」
咆哮。しかし、彼らに向けて放たれたものではない。
二人から見て向かい側、その森の中から近づく気配がひとつ。
思い当たるのは一人だけだ。
彼にはこの言葉こそふさわしいだろう。
そう思い、口にする。
「遅かったですね。アレリア」