三章 その3
私は一度、父親に連れられ、王立に赴いたことがある。
自分が中等部一年の時の話だ。
ある日父が私にこう言った。
「王立を見てみたくはないか?」
私は大いに喜んだ。
あの「王立」だ。建国時からこの国に存在する、怪物が集う場所。王国最高峰の戦闘技術者の育成教育機関。
自分も武術を学ぶものとして、王立に並々ならぬ興味を持っていた。
当時、私は自分の実力に疑問を持っていなかった。自分の実力ならば怪物と呼ばれる生徒達にも引けを取らないと自信を持っていた。
だがその自信は打ち砕かれ、敗北感と無力感だけが残る結果となった。
母と王立の学長は知り合いだったらしい。
学長の計らいで、私は一人の生徒と模擬戦をすることになった。
相手は自分と同学年の男子だった。
赤みがかった髪の中性的な少年で、手には一般的な両刃の剣が握られていた。
「私はメルティア。あなた、名前は?」
私は少年に質問した。
行為自体に特に意味はなかったが、名乗り合うことは当然の行為だと思っていた。
「……」
しかし、少年は答えなかった。ただ人形のようにそこに立っていた。
「ヴォルグ。名乗りなさい」
そんな気まずい沈黙を破ってくれたのが学長のレイチェルだった。
「……アレリア」
レイチェルに促され、渋々名乗る少年。
そんな態度に嫌悪感こそ覚えても好意を覚えることはなかった。
「ヴォルグ、保護術は働いていますが、危険な真似は慎むように」
「了解しました」
学長の言うことには素直に従うようだ。
「いい返事です。さて、メルティアと言いましたね?」
レイチェルはこちらに意識を向け、話しかけてくる。
「はい」
「今回、こちらのヴォルグがあなたの相手をします。今回は模擬戦ですので記録などが残ることはありません。そのつもりで、のびのびと戦ってください」
「わかりました。お気遣い感謝します」
そう言って私は少年に向き直る。
少年は無表情という仮面を被り、私の方を向いている。
大したことなさそう――これが私の第一印象だった。怪物と聞いてみればどんなものが出てくると思っていたが、少年それも体つきも何もかもが一般人のそれと変わらないののが出てきたのは、一言でいって拍子抜けだった。
「開始の合図はお願いします。アルベーン殿」
「うむ」
鷹揚に頷く我が父。
恐らくは私と同じことを考えていたのだろう。見下すような目付きで少年を見ている。
「では行くぞ、双方、準備は良いか?」
「はい、お父様」
「うむ」
私の言葉を受けて満足そうに頷く父。
「ヴォルグとやら、君はどうだね」
「問題ありません」
「左用か……では――」
私は槍を構える。自分で言うのもどうかと思うが、その姿はまるで幼い日の槍姫のようだった。
槍姫とは――王国が生んだ天才「リューア・エルネス」のことだ。史上最年少で「七本の剣《seven sword》」の一つを継承した彼女は圧倒的な力をもって戦場を、まるで踊っているかの様に蹂躙することから「槍を持って戦場を舞う姫君」という意を込めて槍姫と呼ばれるようになったそうだ。
私も実際に見た事はないが、血生臭い戦場の中でもその美しい姿が色褪せることはないらしい。
「――始め!!」
戦闘が始まる。
私は槍を引き、少年に向けて攻撃を仕掛けようとしたが、驚くべき光景を目にしたためにその行動は止まってしまった。
少年は構えるどころか剣を鞘に戻し、こちらを眺めていたのだ。
「バスク殿。これはどういうつもりかね?」
場外で父がレイチェルに抗議をしている。
「すぐにこの無礼極まる少年に剣を抜かせたまえ」
父の口調は厳しい。だがレイチェルは、
「私は戦闘まで口出しするつもりはありません。このままやらせてみたらどうです?」
動じる事無く、普通に返答した。
「彼の行為は娘を愚弄している」
「愚弄とは言い方の悪い。私はそうは思いませんが」
「貴公の言葉などどうでもいい。早く抜かせるのだ」
「重ねて申し上げますが、私は戦闘行為について一切の介入はいたしません」
「私がやれと言っているんだ」
「貴方は私に命令できる立場ではありません」
「貴様っ、女のくせに誰に向かって口……を――」
父の暴言が止まる。
その顔は蒼白に染まり、額から脂汗が伝っている。
何故、という疑問はすぐに解消されることになる。
レイチェルから信じられないほどの圧力が放たれていたのだ。武術の心得のない者でも感じ取れるほど強力なものが。
私も彼女を見て固まってしまった。沸き上がる感情は、恐怖。
彼女の圧倒的な気配が、場の空気を支配してしまった。
そのことを知ってか知らずか、レイチェルは静かに口を開く。
「アルベーン殿、今回ここに訪れることを許可したのは貴方が我が友の夫という理由からです。家柄や役職などは一切考慮しておりませんし、またそのような権力がここにおいて、貴方が思った通りに働くことはありません」
「……わかっている」
「なら少し発言を謹んでいただきたい。よろしいですか?」
「う……うむ……」
唸るように返事をする父、その姿はまるで蛇に睨まれた蛙のようだった。
「さて、ヴォルグ」
レイチェルが少年に言葉を発する。
「はい。分りました」
返答し、レイチェルの方を向いていた少年はこちらに視線を戻す。
相変わらず手には何も持っていない。
「なんで剣を抜かないの?」
「危険な真似は慎め、と学長がおっしゃっていますので」
この一言。手加減されていると感じた。
同時に苛立ちを覚えた。
貴族の長女ということもあって、今までこのような態度をとられたことはなかった。馬鹿にされるということなどなかった私は、その少年の一言で――キレた。
無様に地を這い蹲らせてやろうと考えた。
静かに槍を構え直す。
少年との距離は近い。一歩踏み出して槍を突き出すだけで少年に刃は届く。
一撃必殺の距離。しかしそれほど近いにも関わらず、少年は何もしようとはしない。
「いくわよ」
威勢の良い声と共に少年へ踏み込み、槍を突き出した。
○
「…………ま」
声が聞こえる。
「……嬢様」
凛とした声が頭へ響く。
「起きて……いますわよ」
「お嬢様!!」
そこに居たのは護衛のマリアだった。マリアは私の姿を見て若干涙目になっている。
「……シャスティは?」
「回収班に任せました。彼女の復帰は、戦闘は続行できません」
「……そう」
メルティアは辺りを見渡す。どうやらあの少年は居ないようだ。
「……ヴォルグ様は?」
「あの不埒者のことですか? どうでもいいじゃないですか」
「……マリア」
「……奴はお嬢様を私に託して、何処かへ行かれました」
マリアは苦虫を噛み潰したかのような表情で返答する。
「ところでお嬢様。なぜあの不埒者の名前を知っているので?」
「知っていますとも。私と彼は面識がありますから、向こうは覚えていないようですが」
「そんなことが……しかし奴は王立の生徒でしょう? と、言うことはあれに関係あるのですか?」
あれを指す内容にはすぐに思い当たった。
「あれ……ああ、あの事ですか」
王立での出来事の後、父は王立であったことを(あれこれと捏造して)貴族仲間に言い広めた。結果、街では(一時だが)王立は王国最低の教育機関、や狂人の集まりと揶揄されるようになった。
だがすぐに騎士団によって真実が伝えられ、父は爵位こそ剥奪されなかったものの、貴族としての権力を一時凍結される処分を受けた。
これは真の意味での力と権力とを同一視していた父に原因があり、今の私はそのことを十二分に理解している。
「まったく……馬鹿な父です……」
「お気に障るようなことを、申し訳ございません」
マリアが頭を下げる。
「いいのよ。過ぎたことを気にしても何も始まりません」
「そう……ですか……」
「ところで、私の槍は?」
「ここに」
槍を差し出してくるマリア。 礼を言い、受け取る。
「動けますか、お嬢様?」
「ええ、大丈夫よ」
メルティアは槍を地面に刺して立ち上がる。
「そうですか。ではすぐに避難を」
立ち上がるやいなや、マリアが興味深いことを言う。
「何かあったの?」
「はい。先程、執行部より全受験者に試験を中断せよと通告がありました」
「理由はわかるかしら?」
「はい。これは不確かな情報なのですが――」
マリアが緊張な面持ちで語る。それを見てメルティアも表情を引き締める。
「――数刻前、試験区間内に異常種が、それも成体が確認されたそうです」
○
アレリアは一人森の中を歩いていた。
先程の戦闘の後、メルティアを護衛に託してから移動を開始したのだが、どうも体が重い。戦闘時に使用した魔術がきっと原因だろう。
精神干渉魔術「鋼の仮面/氷の女王」
一般的に感情封印術などと呼ばれている代物だ。
この術を使用雨ている間は、通称のとおり感情が消える訳だが、それだけではない。それ以外にも痛覚遮断や思考力の向上、さらには魔術制御の練度が上がる。
しかし、使用後は倦怠感、脱力感に襲われ、感覚も鋭敏になってしまうという反動がある。
この術は使用時間に比例して反動も大きくなる。連続使用はいわずもがな、だ。
ふらふらとおぼつかない足取りで森を歩き続ける。
今は戦える状況ではない。敵と遭遇しないことを祈るばかりだ。
だが、こうやってまだ見ぬ敵に注意しながら進むよりも、体調を整えてから、万全な状態で進んだ方が良いのかもしれない。
(少し、休むか)
そう考えたアレリアは、近くの木に腰を下ろし、幹にもたれかかる。
試験が始まってから何時間たったのだろうか。先程まで戦っていたために体感時間は当てにならない。
溜息を一つ。
レイや千晶はどこに行ったのだろう。
彼らと合流しなければ、これからの方針が決まらない。
放っておいて帰るのもそれはそれで選択肢のひとつなのだが、
(やっぱ合流しないとな)
休憩を終えたら探すとしよう。
そう考えながら体の力を抜いていこうとしたその時、
アレリアは不穏な空気を感じ取った。
それを異常と認識し、体中に魔力を通す。
術式の反動の一つ、感覚の鋭敏化が図らずも自分にプラスに働いたようだ。
(どこだ)
視線を走らせ、異常の原因を探す。
幸いなことに原因はすぐに見つかった。
森の奥から高密度の魔力が感じ取れる。この魔力の主は、
(レイ、か)
暴風の如く吹き荒れる魔力。この区域に居る学生(試験官でなければ)でありえるのは彼ぐらいだろう。
そしてもう一つ、その暴風をものともせず動き回っている魔力がある。恐らくは千晶だ。
すぐにでも応援に駆けつけたいが、如何せんこの体では足でまといになるだけだろう。
「あー、くそっ」
観念したかのように溜息をつき、アレリアは目を閉じる。
魔力を集中、術式を構成する。
普段ならこのような行為は必要ないのだが、三回目となれば仕方がない。
(発動)
精神干渉魔術「鋼の仮面」、「氷の女王」を同時発動させる。
体の中から何かが抜けていく感覚に見舞われる。
頭の中からも何かが消えていく。
アレリアは目を開く。
その顔には感情というものが消えていた。
術式の発動によって倦怠感、脱力感は消えている。
アレリアは立ち上がり、剣を抜いた。
異常の元に視線を向け、魔力視認の術式を発動させる。
術の効果で視界は広がり、見えなかったものまで見えるようになる。
そしてアレリアはそこに蠢く無数の魔力を見た。
数は多いが、レイや千晶とも違う。二人に比べればはるかに微小だ。
その微小な魔力すら消費されていないということは、数から考えても恐らくは虫だろう。
ただ、一点気にかかることがある。
二人と無数の他に一つ、何かが居る。
感じ取れる魔力は無数の虫と同じく微々たるものだ。
だが、何か引っかかる。
虫たちとは、似ているが、何かが違う。
鋼の仮面を発動させているにも関わらず、背筋に寒気が走った。
気づいたときには既に走り出していた。
遅れて魔力視認の術式を解除、入れ替えるように肉体強化を発動する。
「急がなくては」
早く執筆できたので投稿。
面白いと感じていただければ幸いです。
只今、人物紹介、用語解説を作成しています。
この単語意味わからない と言う方はそちらの方を参考にしてください。
また、お気に入り登録、感想、評価などお待ちしております。