三章 その2
「だから……ここで倒れろっ!!」
シャスティは勢い良くアレリアへ向かっていった。
アレリアは倒れている少女の方へ一瞬視線を向け、
「逃げれるか?」
「あ、足が動かなくて……」
「無理、か」
アレリアはシャスティに視線を戻す。
「まあ、時間稼ぎは任されたよ」
「余所見をする余裕があると思うか!!」
「おっと」
振り下ろされた剣を自身の剣で防ぐ。
重い一撃だ。だが受けきれない程ではない。
「まだまだぁ!!」
立て続けに剣を振り下ろすシャスティ。しかし、アレリアは問題無しとばかりにその斬撃を受け止める。
「……」
「防ぐだけで精一杯か!? 拍子抜けだな!! ほらっ!!」
上段からの攻撃から中段の斬り払いに変わる。
剣術や格闘術などには必ずしも流れがある。一般的に、流れに沿って技を繰り出すならば、その隙は極めて小さいものになる。
だが、その技が流れに沿って放たれなければ、通常は単発で扱うものを無理やり流れに組み込むとなると、逆に大きな隙となってしまう。
そのことについて多少理解のある者ならば、未然にその隙を突かれることのないよう、あるいは隙自体を無くすように対処することだろう。
しかし、彼女――シャスティにはそれがなかった。いや、言い直そう。彼女が何らかの対策を講じていたとしてもアレリアには何も感じることが出来なかった。
上段から中段に攻撃方法を切り替える瞬間。恐らくは上段から振り抜いてその動きの延長で中段に切り替えるつもりなのだろうが、まだまだ初心者だな、とアレリアは心の中で呟いた。
相手の攻撃にあわせて剣を押し出す。
同時に圧力が剣にのしかかる。
圧力を無視し、アレリアはそのまま剣を横に振り払う。
「なっ――」
シャスティの体制が大きく崩れる。
アレリアは振り払った剣を上段に構える。
それはまるで西洋剣術ではなく日本の剣術のような錯覚を覚えさせる動きだった。
フッ、という短な息遣いと共にアレリアは剣を振り下ろす。
血が吹き出ることはない、肉が、骨が切断されることもない。
ただ敗者に与えられるのは苦痛だけ。
シャスティはそのまま地面に崩れ落ちた。
「シャスティ!!」
メルティアを庇う様な位置に立っているマリアが叫んだ。
同時に番えていた矢をアレリアに向けて放とうとする。
アレリアは残身を解かず――そのままメルティアの方へ向かっていった。
その道中、アレリアは倒れたシャスティを経由し彼女の落とした剣を拾い上げ、マリアへと投げつけた。
「ひっ――」
思いがけない行動だったか、マリアから声が漏れる。
マリアは身をよじる事で剣を回避した。同時に矢を放つ。
しかし体勢を崩していたために矢はアレリアの方ではなく見当違いな方向へ飛んでいった。
マリアは勢いに逆らわず地面を回転することで体勢を立て直そうとする。
回転の中で矢を番えたマリアは地面に足をつけると共にアレリアに弓を構えた、いや、構えようとした。
マリアが前を向いたとき、目の前にはアレリアが――剣を振りかぶった状態で――マリアのすぐ傍まで迫っていた。
滲み出る殺気。身を震わせる闘気。
実際に戦場にも立ったことのあるマリアは、そのような気配を知らないわけではない。経験があるためにその気配に恐怖を覚えることもないのだが、このときばかりは違った。
間近で体感する気配は、後方で感じるものとは比べ物にはならなかった。
ただの学生ではないのか、マリアは思った。
男が発する気配は、学生のレベルを超えている。まるで戦場で武器を振るう戦士のような威圧感があった。
気配だけではない。男はいとも容易くシャスティを斬り伏せた。シャスティは実戦経験こそありはしないが、町では将来を有望視される程の実力の持ち主だ。あの時シャスティが見せた隙、あの男は何をした? あの動きはシャスティの攻撃を見切っていたとしか言いようが無い。
シャスティは王立こそなかったが、他の教育機関からは少なからずコンタクトがあった。その彼女を――
(ん、王立?)
マリアはふと疑問に思う。王立?
すっ、とアレリアから視線をずらす――アレリアが身に着けている鞘に。
そこには紋が描いてあった――葉草に囲まれた一振りの剣。この国を代表する聖剣が。
それが意味するものは――
(まさか――)
「お嬢様!! この男は――」
アレリアが剣を振り払う。
アレリアの剣戟は金属音と共に弾かれた。
○
千晶は森の中を歩いていた。
普段一人で行動しているときは気配を消しているのだが、今は違った。
「大丈夫? 頑張って、ほら」
「う、うん」
千晶は傷だらけの少女に肩を貸していた。
先ほどアレリアが庇っていた少女だ。
遠目で見ても酷い状態だなと思っていたが、間近で見るとそれ以上だった。
(よく気絶しなかったわね)
実際の戦場の雰囲気を味わったことがあるのならば納得もいくのだが、この少女はどう見ても温室育ちだ。(戦場を経験したことの無いという意味で)
体つきを見ても専用の訓練を行っていたという訳でもない。
(全くの素人でもないようだけど…
今は放っておいてもいいか…)
千晶は木々の間に意識を向ける。
そこにあるのは無数の気配。
ギシギシと四肢を動かす音が聞こえてくる。
先ほど戦った巨大蟷螂だ。
(まずい)
千晶は思った。
万全の状態であればこんな虫ごときに遅れをとることは無いのだが、今はそうではない。
どうにかしてこの傷だらけの少女を守らなくてはいけない。
千晶の頬に汗が伝う。
こんな状況でも自分の命を守ることだけなら容易い。
だが今は、戦闘能力皆無の怪我人を抱えている。
(どうにかならないか)
無数のうちの一匹が咆哮をあげて襲い掛かってくる。
千晶は肩から投擲用のナイフを抜き、蟷螂に投げつけた。
ナイフは蟷螂の複眼に命中し、体液を撒き散らしながら辺りをのたうち回る。
抜け落ちたナイフを拾い、再び投擲の構えを取る。
先の投擲が威嚇となってくれたのか、虫は襲いかかってこない。
しかし、襲いかかってこないだけだ。じりじりと、距離を詰めてくる。
千晶は少女を下ろし、腰に差してある小太刀を抜き、それを逆手に持ち、静かに構える。
(動くしかないか)
千晶が足を踏み出そうとしたその時――
「大丈夫ですか!!」
周囲に暴風が吹き荒れた。
次々と吹き飛ばされていく虫。
その合間を縫って少年が歩いてくる。
風になびくブロンドの髪、傍らに精霊を従える少年が。
「レイ!!」
千晶が名前を呼ぶ。
そこに現れたのは同じチームのレイ・シュバルツハイムだった。
「大丈夫そうですね」
「なんとか、ね」
「そうですか、それはよかった。
そちらの方は?」
「アレリアが助けた子よ」
千晶は短く答える。
「この子が…… 体は? 手酷くやられているようですが」
レイが少女の方を見る。どうやら気絶しているようだ。
「今まで意識があったのが不思議なぐらいよ」
「そうですか、見たところ実戦経験もなさそうですし……才能ですかね?」
「さあね」
小太刀と投擲用ナイフを各々の鞘に納め、伸びをひとつ。
「この子どうする?」
「捨ててはいけませんよ?」
「わかってるって」
レイは少女を背負い、千晶と合流する。
「千晶、休んでる暇はありませんよ?」
「どうして?」
訝しげな表情をする千晶。
「少し厄介なことになりましてね――」
○
アレリアの剣戟が金属音と共に止む。
「……」
「お嬢様……?」
槍が剣とマリアの間に割って入っている。
槍の主は金色の髪をなびかせ、アレリアに向き合っている。
その瞳には先程のような困惑はない。
ただ、まっすぐに見つめている。
「……シャスティだけでなく、マリアまで……」
「!!」
アレリアは槍を弾き、後ろへ飛ぶ。
「驚いたな」
着地し、再び剣を構える。
「覚悟しなさい」
対してメルティアも槍を構える。
「お嬢様。奴は――」
「マリア、貴方はシャスティを回収しなさい」
「で、ですが……」
「回収後は私の援護、わかったわね」
「……わかりました」
マリアは力強く頷き、シャスティの方へ走っていった。
「さて、では始めましょう」
「正々堂々って訳じゃないのね」
「そのような状況だとお思いで?」
「だよねぇ」
アレリアの顔に表情が戻る。
「時間が掛かりそうだ」
「大丈夫、すぐに終わらせて差し上げます」
旋風が吹く。
「さあ、始めましょう!!」
メルティアはアレリアに槍を向け、叫んだ。
「!!」
二度目の感嘆符。
アレリアの左肩に激痛が走った。
「魔術か!?」
激痛に顔を顰めながらもアレリアは腰を落とし、走る。
今距離を開けるのは得策ではない。
刀剣類は槍とは相性が悪い。
槍は剣と比べて、有効攻撃範囲が広い。一般的に間合いと言われるが、剣の間合いに入る前に槍の間合いに入らなくてはならない。普段なら一気に距離を詰めるのだが、今回はそういう訳にはいかないようだ。
(魔術槍技ってとこか、全く厄介な)
アレリアは唸る。
多分保護術が発動していなかったら、きっと左肩に風穴があいていたことだろう。
(バカ正直に突っ込んだらあれの餌食だな。さて、どうするか)
「急所を狙ったはずなのに、なかなかやりますわね」
頭上から槍が降り下ろされる。
片手で剣を振り、槍の側面に当て、軌道をずらす。
「小細工が過ぎますわね」
「何が小細工か!!」
続いて放たれる突きを剣で受け流しながら後退する。
槍の優れているのは広い攻撃範囲だけではない。状況によって斬り、突きを素早く使い分けれる点でも剣よりも優れている。
素早く斬りと突きを繰り返されたらこちらは後退せざるを得ない。
だが、剣には剣の優れている点がある。
決して最悪ではない。
アレリアは魔術を受けた腕を無理やり動かす。
「ぐっ」
肩から腕にかけて痺れるような激痛が走る。
呻き声を出しながらもアレリアは左手を剣の握りに添える。
(使いたくなかったが、やるか)
降り注ぐ槍の雨をある時は剣で弾き、ある時は軌道をずらし、ある時は躱して、回避していく。
「このっ!」
メルティアから苛立ちを含んだ声が漏れる。
さらに攻撃が激しくなるが、傷つくことなく回避し続ける。
アレリアの顔に目を向けたメルティアはあることに――アレリアから再び表情が消えていることに気づいた。
(何故こんな状況で無表情でいられるのっ!?)
メルティアの背に悪寒が走る。
純粋な恐怖から来る悪寒だとメルティアはすぐに分かった。
(なんで怖がってるのよ……)
認めたくない。その気持ちだけが彼女の心を満たす。
(私はアルベーン。こんな平民に負けるはずがない。状況も圧倒的優勢よ。それなのに、どうして……どうして……)
「どうしてそんな顔が出来るのよぉぉ!!」
感情と共に振り下ろされる槍。
しかし、その攻撃には何の技術も使われていなかった。
ただ降り下ろされるだけ。
アレリアは素早く一歩を踏み出し、メルティアの懐に入り込み、槍に剣を絡め、弾き飛ばした。
宙を舞う一本の槍。メルティアの顔が驚愕に染まる。
「どうして……」
メルティアから声が漏れる。
アレリアは無表情のまま剣を懐に抱え、真横に薙ぎ払った。